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第七話 圭介

 翌朝のニュースは、優花の事件で持ちきりだった。友人たちと遊んでいた小学児童が、帰宅途中に殺害され、人工樹林中に遺棄されるという事件は朝のニュース、昼のワイドショー、夕方から夜にかけての報道番組すべてでセンセーショナルに取り上げられた。

 被害少女の父、圭介と母、美咲は昨晩から今日にかけて一度も帰宅していない。病院から警察と移動させられ、何度も聴取をされた。当然のように一睡もできていない。そのため、その日の報道も目にしていないが、それはむしろ救いだったかもしれない。警察からの発表が必要最低限であったため、被害少女に対してメディアから様々な憶測が飛び交っていた。中には、圭介はおろか、一般視聴者ですら激怒しかねないような、無責任なコメンテーターの言葉もあった。


 警察署の取調室。圭介は事件の担当を名乗る、三村という刑事と向き合っていた。美咲は体調を崩し、医務室で寝かされている。昨日の夜から、二人とも何も食べていない。美咲が心配ではあったが、圭介にはどうしても刑事に伝えなければならないことがあった。昨日、帰宅途中に圭介に声をかけたあの男…額に大きな傷のある、優花が遊んでいたらしい児童公園の場所と、優花が遺棄されていた人工樹林を危険だと思いませんか、と尋ねてきた男のことだ。間違いない、あいつが犯人だろう。こんな偶然は起こり得ない。

 三村という刑事は圭介の話を聞くと、即座に似顔絵の作成を部下に命じた。痩せた顔、額の傷、つり上がった目、圭介は覚えている限りの特徴を伝えた。三村は車の型やナンバーから犯人を割り出そうとしていたが、圭介はそれを覚えていなかった。三村に手渡された車のカタログを見て、ようやくそれらしき車を見つけたが、ナンバーの方はレンタカーかどうかも判然としない。捜査は車種と似顔絵から、犯人を絞り込んでいく方針に決定された。


 聴取が終わり、歩くこともおぼつかない美咲を連れて家に帰ったのは夜になってからだった。家のドアを開け、リビングへ入る。電気をつける気力も、明かりを欲する精神も残っていない。かといって、布団に入って眠る気にもならない。

 二人は無言のまま、夜の闇に身を預けた。リビングの隅に置かれた、派手なリボンがついたままの娘の誕生日プレゼントが、その持ち主を失ったまま不釣り合いな華やかさをえ演出していた。


 プルルルルル……

 突然、家の電話が鳴った。

 気付かなかったが、留守電が録音されていることを示すランプが点滅している。録音数は…最大の三十件。昨日の夜から今までで、大量のメッセージが録音されていたことになる。圭介はゆっくりと受話器をとって耳にあてた。

「あー、伊原さん?娘さんが死んで、どんな気持ちッスか?一言、お願いしまーす」

 受話器からはひどく軽薄な声が聞こえてきた。更に遠くから数人の笑い声が聞こえる。何人かの若者が、面白半分で電話をしている状況を思い描くよりも先に、圭介の脳内を怒りが埋め尽くした。烈火のように、それこそ電話をしている相手が目の前にいれば、そのまま首を絞めあげ捻り切る程の激昂であったが、しかし圭介の口からは呼吸ともため息ともつかない音が出ただけだった。無言のまま受話器をおいた圭介は、そのまま電話の線を抜いて、その場に座り込んだ。

 人間は他者に対してこんなにも無慈悲に、残酷になれるものなのかという、失望に似た感情が湧き、すぐに消えていった。このままこの部屋の闇と同化し、朝が来ると同時に消えることができたら、このまま娘の待っているところへ行ってしまえたら、と思い立ったとき、美咲の姿が目に入った。リビングのテーブルに伏せたまま、眠っている。いつからそうしていたのだろう。この部屋に帰ってきてどれほどの時間がたったのかも分からなかった。美咲の閉じられた目からは涙が流れていた。圭介は立ち上がり、美咲に歩み寄る。流れた涙を拭ってやり、毛布をかけた。

 俺が、美咲を守ってやらなければ……。優花は既にいない。この何もない世界で、俺だけが美咲を守ることができる。美咲だけは……何があっても……。圭介は訪れた眠気に身を任せ、夜の闇の中に溶けていった。


 翌朝、目を覚ますと美咲はすでに起きていた。

「おはよう」

 美咲はきわめて明るい声でそう言ったが、空元気であることは圭介にはすぐに分かった。圭介は立ち上がり、美咲に歩み寄る。そのまま、美咲を強く抱きしめた。細い肩が震えている。震えが徐々に大きくなり、そのまま美咲は圭介の腕の中で泣き崩れた。一人娘が殺害され、崩壊寸前だった精神を、昨日一日なんとか繋ぎ止めていたのだろう。長い、長い時間、美咲は泣き続けた。気付けば圭介の目からも涙がこぼれていた。

 どれくらい、そうしていただろうか。どちらからともなく抱擁を解き、見つめ合う。残された者は生きなければならない。どれだけ悲しくても、どれだけ弱くても。そして、どちらかが倒れそうになれば、どちらかが支えてやらなけばならない。圭介は昨晩の決意をより一層強めた。


 インターホンが鳴り、二人は身体を強張らせた。美咲は昨日の電話のことを知っているのだろうか。圭介はゆっくりと、インターホンの音声ボタンを押した。マンションの玄関にある、来客用のインターホンと繋がる。マスコミ関係者らしき男の、甲高い声が響いた。

「もしもし、伊原さんですか? ○○テレビのものですが、今のお気持ちをお願いします!」

 圭介は憤りを超え、呆れ果てた。昨日の嫌がらせ電話とこれと、一体何が違うのだろう。インターホンの映像ボタンを押す。カメラやマイクを抱えた者が画面を埋め尽くすほどそこにいた。一様に目を輝かせているように見えるのは、気のせいではないだろう。皆、我先に被害者両親の肉声を、悲痛な叫びを手に入れようと、必死になっているのだ。


 回線を切ろうと、電源ボタンに手を伸ばした。そのとき、けたたましい声がインターホンから聞こえてきた。

「ちょっと、あんたたち!邪魔よ邪魔!ここ、どこだと思ってんの!」

 しわがれた、けれども迫力のある声。映像に映らなくてもわかる。隣に住んでいる大神婦人だ。誰も頼んでいないのに、マンションのゴミ収集所に集まるカラスと日夜格闘している。ホームセンターで買った竹箒を持ってカラスを追い払うその姿は、近隣住民から畏怖の念で見られていた。優花が小学校に上がってすぐの頃、餌をあげると言ってお菓子を片手にカラスに駆け寄っていったことがあった。そして、どこからともなく現れた婦人に、こっぴどく叱られて帰ってきた。それ以来、優花は婦人のことをオオカミおばさんと言って怖がっていた。

「あなたは?このマンションの住人ですか?」

 マスコミの一人が婦人に尋ねた。映像に映らなくてもわかる。婦人は今、優花を叱ったときよりも怖い、鬼の形相をしているだろう。

「なに? あんたは何者? こんな失礼なことを平気な顔してやってるあんたたちは何なの? あんた、名前は? あたしは大神よ。名乗ったわよ、さぁあんたは? 言えないの、だったら帰りなさい! さぁ! シッ、シッ!」

 カラスを追い払うような声とともにカメラに婦人が映った。手には竹箒が握られている。

 思わず笑みがこぼれた。隣で美咲も笑っている。ずいぶん久々に笑ったような気がする。

「オオカミおばさんにお礼しないとね」

 美咲がはっきりとした声で言った。

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