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第六話 圭介

 圭介は帰路を急いでいた。昨日、娘の誕生日プレゼントを持って急いだ帰り道だが、今日はアスファルトで照り返す夕陽も、肌に当たる風も、その本質が変容しているように感じられた。

 妻の美咲から連絡があったのは、会社を出てすぐのことだった。娘の優花が家に帰ってこない。時刻は六時を少し回っていた。帰宅途中で寄り道をしているか、友達となかなか別れられないでいるのかとも思ったが、今までそういった理由で門限を破ったことはない。自分もすぐに帰るから、とりあえず学校に連絡をして協力を仰ぐように伝えた。

 汗ばんだ肌に感じる夕風が徐々に冷たくなっていく。家に近づくにつれ、自分の影が伸びていく。言いしれぬ不安が圭介を包み込んでいく。

 再び美咲から連絡があった。優花が帰ってきた、という内容でないことは美咲の声色ですぐにわかった。 

 学校に電話をしたところ、先生たちが一緒に探してくれるそうだ。さらに、優花は五時ごろまで近くの児童公園でクラスメイトと遊んでいたらしいことも分かった。児童公園から自宅までは優花の足でも十五分程度しかかからないだろう。一緒に遊んでいたクラスメイトはもう帰宅しているそうだ。圭介の不安はますます大きくなっていった。

 自宅マンションが見えてきたころ、圭介は道路の脇に黒いワゴン車が停まっているのを見つけた。あまり広くない生活用道路で、あと車一台分程度の余地しかない。その車から男が降りてきた。痩せているが身長はさほど高くない。短髪で、色黒の肌。鼻筋が整っている。圭介は男と目があった。切れ長の目の上、額の右側にすぐに見て取れる傷がある。男は足早に圭介に近付いてきた。

「すみません、児童公園に行くにはどっちに行けばいいですか?」

 唐突に、男がそう尋ねてきた。急いでいるが、無視をするのも気が引ける。圭介は足を止め「あっちです」と児童公園がある方角を指差した。こんな時間に児童公園に何の用があるのか、気にはなったが早く家に帰らなければならない。歩を進めようとしたところに、再び男が尋ねてきた。

「ところで、この近くにある人工樹林。危険だと思いませんか?ろくに手入れもされず、中に何があるか、分かったものではないですよ」

 いきなりなんだ、と思ったが、尋ね返している時間はない。新手の活動家か何かなのだろう。「急いでいるので、すみません」とだけ返し、足早に立ち去った。

 途中、一度だけ振り返って後ろを見た。男はワゴン車の横に立ち、圭介の方をずっと眺めていた。


 家に帰るとすぐに、美咲が駆け寄ってきた。リビングには電気もついていない。

「遅くなってすまない」

 圭介はそう言いながら妻の顔から優花がまだ帰宅していないことを読み取った。時刻はすでに七時を過ぎている。門限を一度も破ったことのない、昨日十歳になったばかりの娘が、圭介の支えである妻の笑顔が、昨日までの幸せだった日常が、今の伊原家にはひとつとして存在していなかった。あるのはただ、窓から差し込む明るさを失いかけた灰色の光と、それよりも暗く先の見えない不安だけだった。

「児童公園の方を探してくる」

 圭介はネクタイを外しただけで、仕事着のままそう言った。

「私も、行くわ」

「いや、美咲は家で待っていてくれ。優花が帰ってくるかもしれない。誰もいなかったらきっと寂しがる」

 圭介は美咲の肩に手をやり、そう言った。少し安心したのか、張り詰めた糸が緩むように、美咲の強張った肩が降りていく。ひとつ、大きな深呼吸をして、美咲は言った。

「わかった。何か分かったらすぐに電話して。待ってるから」

 ああ、とうなずいて圭介は家を飛び出した。


 帰りがけに見た黒ワゴンと不審な男は、すでにいなくなっていた。児童公園の方へ行ったのだろうか。あの男……人工樹林が危ないと言っていたが。額に傷のあるあの痩せ男のことが気にはなったが、今はそれどころではない。公園へ急いでいると、圭介と同じく仕事着のような男が辺りを見回していた。優花の担任だ、家庭訪問で一度だけ見たことがある。生徒のことをよく気にかけてくれそうな男だった。

「伊原さん、ですよね?」

 担任……たしか須田といっただろうか、男は圭介を見てそういった。辺りはかなり薄暗くなっている。相手の顔もはっきりとは見えないのに、よく一人の生徒の親の顔を覚えていたものだ。

「はい、えっと……須田先生、でしたか?」

「はい、優花さんの担任をしています」

 いつも優花がお世話に、と言いかけて、そんな場面ではないことに気づく。

「優花は……?」

「いえ、我々も連絡を取り合って探していますが、まだ」

 重々しい顔つきだが、はっきりと言った。

 公園、学校、通学路を中心に五人の教師が探し回っているらしい。不安はますます重くなっていく。

「どうしますか?」

 三十分程、一緒に辺りを見回ったあと、須田が尋ねてきた。警察に連絡するかどうか、ということだろう。圭介には迷う余地はなかった。警察に連絡をしたあと、自宅にも連絡を入れた。美咲は、優花がまだ見つからないことに対してひどく落胆していた。「大丈夫だよ」と圭介は告げだが、その言葉になんの意味もないことは圭介自身がよく分かっていた。

 児童公園の前にパトカーが到着した。警官は二人。少ないなと思ったが、事件かどうか判断がつかない状況で二人も来てくれたのだ、と思いなおす。圭介はいくつかの質問を受けたあと、携帯に保存していた優花の写真を見せた。詳しい状況の説明は、担任の須田がしてくれた。

 その後も捜索は続いた。辺りを照らすのは街灯の明かりだけで、ひどく心もとない。時刻が九時半を過ぎたころ、応援の警官が数名到着した。年配の警官もいるらしい。連絡を取り合う無線を聞いていると、心なしか緊張感が伝わってくる。『……○○付近は探したのか、こういう時は人の目があまりないところを探せ。聞き込みは。よし、西田は近隣宅を回って聞き込みを行え。』

 上司らしき人物が来たことで、警官たちの動きはとてもスムーズになった。が、事件のような雰囲気が増した分、圭介の不安はそれまでにない程に膨らんでいった。夜の闇によって増幅された不安が圭介を包み込み、押しつぶそうとしていく。必死に足場を探すが、その足場さえも、闇に飲み込まれ、圭介の心は深く深く沈み込んでいくようだった。


『ザッ……ザッ……』

 はっと気づいたのはしばらく途絶えていた無線が、いきなり大きな音を立てた時だった。無線を通して、警官の声が聞こえてくる。緊張によるものか、上ずった声で言った。


『人工樹林の奥で捜索中の児童と思われる遺体を発見。至急応援を要請します。繰り返します…人工樹林の奥で捜索中の児童と思われる遺体を……』

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