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第二話 圭介

 圭介は家路を急いでいた。アスファルトで舗装された道路は夕暮れの赤い日差しの中、まだ暖かさを保っている。ベッドタウンとして再開発されたこの街の、マンションが建ち並ぶ小高い丘。その一角に圭介の家はあった。

 乱暴な開発が繰り返された結果、会社へ向かうためのバスに乗るためには、丘を下った先のバス停まで徒歩で向かわなければならない。行きは下りだが、帰りは疲れた体をおして、短くない坂を登ることになる。そのため、圭介は普段から、余計な荷物は傘の一本でも持たないようにしている。

 しかし、ビジネスバッグとは別に今日はもうひとつ、荷物を抱えていた。会社の帰りに駅前で購入したものだ。かなり大きさのあるもので、片手で持つと歩くたびに前後に揺れ、坂を登る邪魔をしてくる。しかし、この日の圭介はその重みに喜びを感じていた。

 それでも、自宅マンションの前につく頃にはかなり疲弊(ひへい)していた。エレベーターに乗り自分の部屋の階のボタンを押す。額についた汗を拭い、右手に持った荷物に目をやる。カラフルな包装紙に包まれたそれを見ると、自然に笑みがこぼれた。さっきまでの疲れはどこかへ飛んでいってしまったようだ。


 自宅マンションの鍵を開けると、圭介が靴を脱ぎ終える前に、廊下の先でリビングの扉が開いた。

「パパ、おかえりなさい」

「ああ、優花。ただいま」

 愛娘の優花が小走りで近付いてくる。圭介の自慢の娘であり、妻の美咲との間に神様が授けてくれた宝物だ。あどけない笑顔を保ったまま、優花は圭介の右手に抱えられた荷物を見て、少し迷ったあとに言った。

「お仕事頑張ってくれてありがとう。カバン、持つよ」

 学芸会のような棒読み口調がおかしかった。おそらく妻、美咲の仕込みだろう。どうみても、右手の荷物のほうが気になって仕方がないといった様子だが、母親に教わった言葉を忠実に口にする優花を見て、圭介は幸せを感じた。そして、カバンでなく右手の荷物を差し出して言った。

「ありがとう、優花。でも今日はこっち。誕生日、おめでとう」

 自分も学芸会のような口調だっただろうか。目を上げるとリビングの扉の先で、妻の美咲が笑っていた。その足元へ、プレゼントを抱えた優花が駆け寄っていく。

「よかったわね、優花。いつもいい子にしてくれて、ありがとう」

 美咲が優花の頭をなでながら言う。圭介は靴を脱ぎ、その二人の間へ入っていく。

 今日は優花の十歳の誕生日だった。この日はあいにく朝から仕事が入っていて、優花が起きるより前に家を出なくてはならなかった。定時に仕事を切り上げ、事前に妻と相談して決めていたプレゼントを買って帰ってきた。決して忙しくない仕事ではなかったが、圭介は家族を何より優先していた。

「仕事と家庭は天秤にかけることは出来ないが、どちらを守りたいかと聞かれれば、家庭と答えるよ」

 圭介は以前部下に対して言った言葉は、彼の性格をよく表していた。


 背広を脱ぎ、ネクタイを緩めながらリビングに入ると、テーブルの上には豪華な夕食が並んでいた。オムライス、唐揚げ、ポテトサラダ──どれも優花の好物ばかりだ。中心にはイチゴののったホールケーキが置かれている。ろうそくが立てられているがまだ火は灯されていない。

「このケーキは手作り?」

 圭介は美咲に尋ねる。

「そうよ。優花が学校から帰ってきて一緒に作ったの」

 優花が学校から帰ってきた後では、準備をする時間もあまり無かっただろう。ケーキは美咲が作り、優花はデコレーションを手伝ったのだろう、と圭介は想像する。

「英語は私が書いたんだよー」

 誇らしげな顔で優花が言う。見ると、ケーキの上にチョコレートの文字で、なんとか読める程度のアルファベットが書かれていた。おそらくHappy Birthdayと書きたかったのだろう。小文字のbとdがさかさまになっているのが可笑しかった。

「美咲が教えてあげたのか?」

「そう。何度も練習したんだよねー」

「ねー」

 美咲と優花は無邪気に笑い合う。

 窓から差し込む夕陽が徐々に傾いていき、暖かく照らされたマンションの一室に夜が訪れる。部屋の電気は消したままろうそくに火を灯す。ハッピーバースデーの歌の終了とともに、優花が息を吹きかけ、火を消す。僅かに残った明かりがその所在を無くし、部屋を暗闇が支配する。ふっと訪れた静寂と暗闇に、圭介は一瞬ハッとする。美咲がリビングの明かりを付け、部屋は再びその暖かさを取り戻す。さきほど感じた静寂など無かったかのようにあたりは談笑につつまれた。


 最愛の家族と、最高の夜を過ごし、最上級の喜びを感じながらこの日は眠りについた。圭介の人生は順調に進んでいた。

 この日までは。


 翌日、優花が遺体で発見されるまでは。

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