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オトウとーはいい奴なのです

SIDE アザとー

 

 酔いはすっかり醒めている。だから、弟からの着信にすぐに気付いた。

「姉ちゃん、昨夜はどしたん?」

 時間を見れば昼過ぎ。おそらく始発で家へ帰ったとでも思ったのだろう。

「ええと、新橋。さっきは汐留にいたから、ちゃんとそっちに向かってる」

 電話の向こうが完全に沈黙した。ややあって、すっとんきょうな声。

「は?」

「いや、カバン無くしちゃってさあ、財布もないから、お前に金借りようと思って」

「いやいや、そういうことじゃなくて、なんで汐留にいるの?」

「気が付いたら馬喰町の駅で寝ててさあ、で、汐留まで歩いてきたの」

「はああ?」

「悪いけど、充電が残り少ない」

「あああ、ごめんごめん。じゃあ、切るわ。後で話聞かせてな」

 この時、弟は起き抜けで寝ぼけていたそうだ。そして私も、朝から6時間歩き詰めた疲労と、迷子になっているというパニックで正常な判断ができなかったのだろう。

 それから5分もたたずに、再び電話が鳴った。

「っていうかさ、タクシー使いやあ」

「でもお金……」

「俺が払うから、とりあえず帰ってこやあ」

 こうして私はタクシーに乗った。散々歩いたと思ったが、弟の家まで、たった2千数百円の距離であった。




SIDE オトウとー


 姉がカバンを無くしたと聞いたときに真っ先に思い浮かんだのは、誰かに襲われたのではないかという不安だった。

 しかし、帰ってきた姉は怪我ひとつなく、真っ先にしたことは土下座せんばかりの勢いで詫びることである。

「ごめん。記憶がない」

「カバンは? 盗られたの?」

「いや、たぶんどこかに置き忘れたんだと思う」

「眼鏡は? 目のところ腫れとるけど、殴られたんじゃないだろうねえ」

 姉は近視で眼鏡が手放せないというのに、その眼鏡も無くして帰ってきた。

「殴られた覚えも、怪我もない。ただ、気が付いたら眼鏡はなくなっていた」

「よっぱらっとったで、どこかにボーン、ぶつかって落としたんだろうね。よくあることだわ」

「うう、ごめん」

「まあ、終わったことを言ってもしょうがないで、とりあえずはカバンだわ。どこに置いてきたか、記憶ある?」

「一軒目を出たところではちゃんと持っていた記憶があるんだけど……」

 姉の言っていた地名が気になる。もし本当に姉が汐留まで行っているとしたら、捜索範囲が広すぎるのだ。

「せめて歩き回らんといてくれればなあ……だいたい、なんで馬喰町とか行ったの?」

「それもさっぱり……ただ、気が付いたら表で寝ていて、目の前に駅が見えるから、あそこなら暖かいだろうと立ち上がって……そこからの記憶がない」

 馬喰町ならさほど遠くない。そこへの行き方は少々複雑な道を通るが……

「あ、そういえばスカイツリーが見える道があって、あんまり真正面に見えるからうれしくなって、そっちに向かって歩いた記憶がある」

「はあ? 反対方向だぞ!」

 東京の地理に弱い方は、ぜひ地図で調べてみてほしい。地図で見てもスカイツリーと馬喰町は、ここ浅草を挟んであっちとこっちにあるのだ。

「で、汐留はなんで行ったの?」

「馬喰町から神田に出たから、昭和通りを探そうと思って、歩き回っているうちに着いたんだ」

 正しい判断だ。上野の昭和通りなら、家に来るときに必ず通る道であり、姉も何回か通っている。ただし、神田から上野に向かえばいいものを、汐留方面に向かってしまっては逆方向、逆走だ。

「とりあえず風呂入ってこやあ。さっぱりして落ち着いたら、何か思い出すかもしれんで」

「あ、うん? そうか」

 風呂場に向かう姉の背中に、ふと問いかける。

「姉ちゃん、楽しかった?」

 振り向いた姉は、どこにも曇りのない満面の笑顔であった。

「楽しかった! 東京ドームが見えたし、遊園地も見たよ」

 ああ、この姉は子供のまんまだ。

 カバンごと財布を無くしたというのに、俺の家にたどり着けばどうにかなるだろうと思ってしまう浅はかさが、すでに子供的だ。あまつさえ道にも迷ったというのに、覚えのある地名だけを頼りに、自分一人で何とかしようとするのは、頑迷な反抗期の幼子がすることだろう。それだけではない、窮地の中で都内観光を『楽しんで』きたとは……本人はかなりパニくっていたと言ってはいるし、それは嘘ではないだろう。だが、実に明快な単純さで「道がわからなくて困ったな~。わ~、何か面白そうなものがある~」と、本能で感じたままを素直に俺に伝えてしまうあたり、大人としての建前が大きく欠如しているとしか思えないのだが。

 しかし、常人として逸脱しかねないこの感覚も、姉が素人とはいえ物書きであることを考えれば強みとなるのではないだろうか。

 俺は晴れやかな笑顔にタオルを投げてやりながら言った。

「姉ちゃん、これ書きゃあよ。こんなん、普通はできん経験だでね」

「もちろん!」

 子供がいたずらに成功したときのような誇らしげな表情。

 俺は決めた。

 たとえ芽は出なくとも、世間の誰がどう後ろ指を指そうとも、俺だけは姉の作家としての才能を信じてみようと――


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