SIDE オトウとー プロローグ
SIDE オトウとー
姉はかわいい女である。外見がではない。いつまでたっても少年のような、無邪気で破天荒な性質が消えないのだ。
繰り返しておこう。『少年のような』だ。
今回も、まあ引越しの手伝いだから仕方ないことではあるが、飾り気のないトレーナーにジーパンという、洒落っ気のないおっさんのような格好で現れた。背中に愛用のノートパソコンを詰め込んだリュックサックを背負っているのだから、むしろバックパッカーのようないでたちでもあるか。
その姉があまりに黙々とよく働くものだから、日当の代わりにと、妻の店に連れて行って酒を飲ませたのが間違いの始まりであった。
この姉、若くして結婚して子供を産んだのだから、表で飲み歩いたりといった遊びをほとんど知らない。おまけに旦那さんは吝嗇家なので、うまい酒など飲んだことがないだろうと、ちょっと奢ったウイスキーを出してみた。
ちなみにうちの家系は酒飲み家系である。姉も三度の飯は忘れても晩酌だけは忘れないような飲兵衛なのだから、これを無邪気に喜んだ。俺の飲んでいるズブロッカまで取り上げて「桜もちのにおいがする!」と大はしゃぎするのだから飲ませがいがあろうというものだ。子供みたいに素直な喜びように騙されて、気が付いたら店で一番高い1杯3000円の酒までおごってしまっていた。
ここでやめておけばいいものを、酒飲みの性というのは哀しいかな、店を終えた妻もつれて二件目としゃれ込んだ。いわゆるハシゴ酒だ。時間制でほぼ飲み放題。姉がここでどれほど飲んだか、俺も酔っていたので把握していない。ただ言い訳させてもらえるなら、姉がそれほどに酩酊している様子はなかった。
これがもし、自分で立てないとか、明らかに真っ赤な顔をしているとかなら俺も警戒のしようがあったのだ。しかし姉は、自分で歩いてタクシーに乗り込み、車中でも妻と軽口をきくなどして、どちらかといえばご機嫌な酒飲みの様相であった。
妻は、姉のはしゃぎっぷりにあてられていつもより早いピッチで飲んだせいだろうか、珍しくラーメンが食べたいと言い出した。だから行きつけのラーメン屋に入って、レバニラを注文した。それが出来上がるまで、ほんの数分の出来事だ。
「姉ちゃんがおらんがね」
俺の言葉に妻は驚いた風もなく答えた。
「ちょっと表に出てくるって言っていたけど。電話じゃない?」
暖簾をあげて確かめるが、夜中のことでもあり、人通りはない。当然、姉の姿もない。
「おっかしいな~。酔ってふらふらしとるのかなあ?」
電話をかけてみるが、姉は出なかった。
「まあ、この辺なら拉致られる心配もないし、大人なんだからたぶん大丈夫だて」
その程度で済ましてしまうあたり、俺も相当酔っていたのだろう。
しかし浅草もだいぶ奥まったここは住宅街であり、治安も悪くない。幸いに暖かい夜であり、凍え死ぬ心配もなさそうだ。それに……
「大丈夫だて、あいつバックパッカーだからよう」
がっしりとした体にリュックサックを背負い、引っ越し作業も一人前以上に働くあの姉なら、多少ほったらかしておいてもどうということはなさそうな、そんな気がした。
「まあ、帰って寝よまい。そのうち、ふらっと帰ってくるて」
俺は深夜営業の自営で、元々が昼夜逆転の生活である。だからこの後、いつも通りに翌日の昼すぎまで寝倒したのであるが、姉はその間に普通の人では考えもつかないような大冒険をしていたらしい。
どんな冒険かというと、いやはや、さすがはバックパッカー……いや、もしかしたら時空を飛び越えてワープする能力でも持っているのではないかと疑いたくなるような、千鳥足の酔っ払いがしでかすとは思えないような所業なのだ。
ナビで調べたところ、浅草―汐留間およそ7キロ。歩こうとは思わないが、まあ歩けない距離ではない。しかし姉が6時から歩いていたことを考えると計算が合わない。迷子になった分を加算すると踏破距離はどれほどか知れない。
そんな大冒険の一部始終を聞いたのは、姉が帰ってきてからのことである。