6話目: /魔 ホルマリン液の満たされた容器に沈む
魔王sideです。
「…ふう」
通話を切って息を吐く。
久々の電話だったけど意味がわからなかったね。変質者がいるって騒いでたけどどうなんだろ、やっぱり街って怖い。ここから車で四十分走っただけで、そんな怖いことが起きる場所に行けるんだからこの国は狭いと思う。
引っ越すべきかな、いっそ海外あたりに。
「うう寒い、早く帰ろう・・・」
そんな遠くの問題より目の前の問題をどうにかしよう、主にこの寒さから逃れるすべを。
なんてったってさっきから震えが止まらない、山下に釣られて散歩なんてするんじゃなかった。タバコを買いにコンビニまで歩いたのはいけど、興が乗ってそのまま家を通り過ぎてしまった。
日が落ちて冷え込む時間帯を、歩いて帰らなければならいと考えるとそれだけで憂鬱だ。
実際は歩いて二十分ぐらいだし大した距離じゃないんだけど、それでも気温によって気の持ちようはかわってくる。
特にこの付近は地形の関係で、時には室内ですら0℃を下回ることもあり最悪命の危険すら出てくる。
この場所がこの国で三番目に南の県にあるというが、いまだに信じられない。
まあ実際にあるんだから、間違いはないと思うけど。
腕をさすり寒さを紛らわせながら歩きつつ、家までの道のりを考える。
時間は・・・、今十分歩いてる、ということはあと十分歩で帰れるしなんとか我慢できるかな。あ、でも途中にやたら風通しのいい橋があるんだった。うん無理だこれ、多分死んじゃう。
そう考えて橋をわたるのを避けるため、脇道に入り橋の下を目指す。
この橋は昔はもっと小さく、人以外が通れるようには作られていなかった。だが周りの土地の発展による交通力の増加に合わせ、車も通れるようにと作り直されたのだ。かといってこの土地が発展するわけでもなく、経費削減のためか以前まで使われていた橋の残骸が残っている。
足場は悪いがそれを使えば橋を渡ることができ、そして何より新しい橋に風が遮られているのであまり寒くないのだ。
地元民だけが知る道である、といっても、地元民じゃない人はそもそも徒歩でこの橋を渡ることはないのだが。
そんなわけで橋跡地に到着、そして早々に後悔していた。
なぜなら、あたり一面に赤い液体が飛び散った跡を発見したからである。さらにはその液体はまだ新しいものらしくまだ乾ききっておらず、漂ってくる臭いからして液体が血痕であろうことがわかってしまった。
それだけならば、野生動物のものだろうと自分に言い聞かせることもできたのだろうが、不幸なことに飛び散る血痕の中心らしき場所には人のような物体が倒れこんでいる映像が目に移ってしまった。
「どうみても致死量だよね・・・、あ、でもあの大きさなら鹿かもしれないし」
なおも物体が人でない可能性を考えながえつつ、事実を確認するために近づいてゆく。歩を進めるごとに物体の全貌がはっきりとわかるようになり、まずは頭部に角が生えていることが分かった。
「なんだ、やっぱり鹿か~」
そう呟きながらすぐ目の前まで近づくと、どうもその角は人間の頭部から生えているようだった。
「どういうことなの・・・」
想像以上に予想外の展開に頭を抱えたくなるのをこらえ、角は生えてはいるもの一応人間の様相をなしている以上このまま放っておくのもまずいと思い、物体の状態を確認していく。
「うそでしょ、まだ生きてる・・・」
周りに付着する血痕はどう見ても致死量であったのだが、あろうことか角の生えた人間(?)は生きていた。それであれば次は傷の確認をとばかりに身体をまさぐると、血液の色で分かりにくいが角の生えた物体がまだ少女であるとわかり、肝心の傷の方は胸の中央に風穴があいておりこちらもどうみても致命傷でまだ自力で呼吸ができるのが不思議でならない。
「とりあえず救急車を呼べばいいかな?」
いくら生きている方がおかしいような状況であったとしても、生きている以上はしかるべき対応をしたほうがいいかと思いスマートフォンを取り出したはいいがコールする直前でその手を止める。
なぜなら、ふと疑問を抱いたからだ。
「角の生えた人って、人間でいいのかな?」
そんな疑問を。
頭の中にあるしかるべき対応というものは、ほかならぬ救急病院への搬送、そして早急な治療を行うことだ。しかしそれはあくまで人間に対するものであり、角の生えた少女を人間としてみていいものかという疑問があった。それ自体はふと頭をよぎっただけのことなのだが、もう一つ看過できない可能性に気付いてしまったのだ。
しかるべき対応の後、救急病院が少女を人として扱わない可能性だ。
少女の身体は見た目は完全に人間のそれではあるもの、頭に生える角は人間にあるはずのないものである。いまだ肌の色ごときで諍いが絶えないこの世界で、完全に人ならざるものをもつこの少女が、間違いなく人間らしい対応を受けられるとはどうしても思えなかった。
むしろこのまま怪しげな研究施設に搬送され、ホルマリン液の満たされた容器に沈むほうが自然に思える。
それでも救急病院に搬送することは、はたしてしかるべき対応といえるのだろうか。
ほんの少し逡巡し、スマートフォンをポケットにしまう。
角の生えた人間なんて聞いたこことがない、であれば、少女は自分の存在をひた隠しにして生きてきたのだろう。そうでなければこの少女は今頃世界中から注目を浴びているはずである。
そうでないということは、少女自身、人の目を避けて生きること選んだのだろう。ならば、それを優先しようと考えた。
また、この量の出血、これほどの傷を負ってなお、この少女には息がある弱々しくはあるが、確かに息をしているのだ。であればこの少女にとってこの傷は致命傷たり得ていないのではないか?その場合少女にとって、公共の場にさらされることのほうが致命傷たり得てしまうのではないか。
そう考えてると、救急車の手配は最善ではないと思った。
さてそうすると、自分にできることはほとんどない。強いて言えばこの少女が人目につかないよう匿うことぐらいだ。このまま放っておけばいずれ誰かが発見してしまうだろう、めったに人は来ないが皆無ではないのだ。
ならば、善は急ぐべきだろう。少女に背を向け走り出す、一度自宅に戻るためだ。
「車とってこないと」
自宅まで徒歩で七・八分といったところか、走れば三分ほどで戻れる。なら再びここに戻るのは何分後になるか、そんなことを考えながら自宅までの道を走る。
これから行うことが善かどうかはわからない、だが、わからないから動けないでは急ぐべき善は成せないのだ。
そう自分に言い聞かせ、さらに足を早めた。