第7話 取引と情報
砦の奥、重厚な木製の扉を、俺は蹴破った。
蝶番が悲鳴を上げて吹き飛び、扉が内側へと倒れ込む。
その先に広がっていたのは、戦場である砦の雰囲気とは不釣り合いな、豪奢な一室だった。
床には深紅の絨毯が敷かれ、壁には趣味の悪い絵画や剥製の首が飾られている。
そして、その部屋の奥。大きな執務机の向こうの椅子に、一人の男が震えながら座っていた。
肥え太った体に、いかにも高価そうな絹の服。たるんだ顎には、手入れされた髭を蓄えている。
バルトーク辺境伯。
この街の領主であり、俺の両親の仇。
彼は、執務机の下に隠した震える手で、必死に何かの魔道具を握りしめている。
外の惨状を、何らかの方法で把握していたのだろう。その顔は青ざめ、脂汗が絶え間なく流れ落ちていた。
「……き、貴様がやったのか。私の傭兵団と、『黒き祭壇』の者たちを……」
「いかにも」
お面の下から、俺は短く答えた。
その声は、この部屋の主を断罪する死神の宣告のように響いた。
「目的は金か? 地位か? 何が望みだ! 言ってみろ! 私にできないことはない!」
辺境伯は、命乞いと交渉を同時に試みようと、必死に言葉を紡ぐ。
「俺が誰だか、忘れたか?」
俺はゆっくりと歩み寄り、悪魔のお面を静かに外した。
俺の素顔を認め、辺境伯の目が大きく見開かれる。
「お、お前は……あの時の商店の……ガキ……!」
「そうだ。お前が私腹を肥やすために、無実の罪を着せて破滅させた、あの店の息子だ」
「生きていたのか……! 復讐か!? そうか、復讐しに来たのか!」
彼は恐怖のあまり錯乱したように叫び、ついに机の下から黒く禍々しい宝玉を取り出した。
「来るな! これ以上近づけば、魔神ヴァルガモス様の御力がお前を滅ぼすぞ!」
だが、その手は震え、宝玉を起動させるだけの気力も残っていないように見えた。
ただの、虚勢。最後の悪あがきだ。
俺はため息をつくと、一瞬で彼の目の前に移動し、その手から宝玉をひったくった。
「なっ……!?」
「こんなものに頼らなければ、何もできないのか。お前は」
俺は宝玉を弄びながら、冷たく言い放つ。
辺境伯は最後の希望を奪われ、椅子から崩れ落ちるように床にへたり込んだ。
もはや、何の威厳も残っていない。ただの、哀れな老人の姿だった。
「殺すのか……? 私を殺すのだろう?」
彼は観念したように、力なく呟いた。
俺は剣を抜き、その切っ先を彼の喉元に突きつける。
冷たい鉄の感触に、辺境伯の体がびくりと震えた。
「……殺す前に、いくつか聞きたいことがある」
「な、何だ……?」
「お前が手を組んでいた『黒き祭壇』と、俺をこんな体にした魔女についてだ。知っていることを全て話せ」
復讐は、果たさなければならない。
だが、ただ感情のままにこいつを殺しても、得られるものは虚しさだけだ。
両親の無念を晴らすためにも、俺は全ての真相を知る必要があった。
この男は、そのための重要な情報源だ。
「話せば……命は、助けてくれるのか……?」
「取引のつもりか? お前に、交渉する権利があるとでも?」
俺が剣先をわずかに押し込むと、辺境伯は悲鳴を上げて首を振った。
「わ、分かった! 話す! 話すから、命だけは!」
観念した辺境伯は、震える声で語り始めた。
彼が『黒き祭壇』と接触したのは、数年前。己の権力と富をさらに増大させるため、禁断の力に手を出したのが始まりだったという。
そして、邪教団を支配しているのが、一人の強力な魔女であること。
「その魔女の名は、リリアーナ。彼女こそが、魔神ヴァルガモスの復活を目論む張本人だ。不死に近い寿命を持ち、古の暗黒魔術を自在に操る、本物の化け物だよ」
「リリアーナ……」
初めて聞く名だった。俺を殺した、あの美しい女の名前か。
「彼女は、どこにいる?」
「それは……私にも分からん。彼女は神出鬼没で、我々の前に姿を現すのも、いつも気まぐれだ。だが……」
辺境伯は、何かを思い出したように顔を上げた。
「彼女はよく、『約束の地』という言葉を口にしていた。魔神様が眠り、そして復活なさる聖地……。それが、王都の地下深くに存在する『古の霊廟』だと」
王都。この国の中枢。
とんでもない場所が出てきた。
「彼女は、なぜ俺の心臓を狙った? 『始祖の心臓』とは何だ?」
「それも詳しくは……。ただ、リリアーナは言っていた。『始祖の心臓』は、魔神復活の儀式における、最高の触媒であり、鍵である、と。それさえあれば、他のどんな贄も不要になる、究極の供物なのだと……」
究極の供物。
俺は、そのために生かされているに過ぎないのか。
俺は必要な情報を聞き出すと、剣を収めた。
辺境伯は、助かったと思ったのか、安堵の息を漏らす。
「これで……許してくれるのだな?」
「ああ。命までは取らん」
だが、俺は続けた。
「ただし、お前がこれまで奪ってきたものは、全て返してもらう」
俺は辺境伯の不正の証拠が記された帳簿や書類を全てかき集め、彼の目の前に突きつけた。
「明日、お前は自ら衛兵に出頭し、全ての罪を告白しろ。不正に蓄えた財産は、全て民に還元するんだ。それができなければ――」
俺は手にした黒い宝玉に、わずかに力を込める。
石が不気味に脈動し、部屋の空気が凍りついた。
「――今度こそ、お前を塵も残さず消し去る」
「ひぃぃ……! わ、分かった! 必ず……!」
辺境伯は、腰を抜かしたまま、必死に頷いた。
彼を社会的に抹殺し、両親が受けた以上の屈辱を与える。
それが、俺が選んだ復讐の形だった。
目的を果たした俺は、夜の闇に紛れて砦を後にした。
リリアーナ。王都。古の霊廟。
進むべき道筋が、はっきりと見えた。
虚しいだけの復讐ではない。
俺は、俺自身の運命を、この手で切り拓く。
そのための戦いが、今、始まったのだ。