第6話 悪魔の蹂躙
月明かりが、砦の中庭を青白く照らし出していた。
その中央に、俺は静かに立っている。
顔を覆う悪魔のお面が、俺から人間としての表情を奪い去っていた。
突如として現れた仮面の侵入者に、傭兵や邪教徒たちは一瞬の驚きを見せたが、すぐにそれは嘲笑へと変わった。
「なんだぁ、テメェは?」
「祭りの続きか? 場違いだぜ、坊主」
屈強な傭兵の一人が、下卑た笑みを浮かべて前に進み出る。
俺が一人であること、そしてその手にあるのがただの剣一本であることを確認し、完全に侮りきっている。
俺は、何も答えない。
答える必要がないからだ。
彼らは、ここで死ぬ。それだけが決まっている事実だった。
「だんまりかよ。まあいい。砦の秘密を知ったからには、生かしちゃおけねえな!」
傭兵が叫び、仲間たちが呼応するように武器を構える。
魔法陣を描いていた邪教徒たちも詠唱を始め、足元から不気味な紫色の光が立ち上り始めた。
最初に動いたのは、一番近くにいた剣を持った傭兵だった。
大上段からの振り下ろし。力任せの、芸のない一撃。
俺はそれを、体を僅かに傾けるだけで回避する。
空を切った剣が、俺のすぐ横の地面を叩いた。
すれ違いざま、俺の剣が閃く。
傭兵の首筋に、赤い一本線が走った。
彼は何が起きたのかも分からないまま、目を見開いてその場に崩れ落ちる。
一瞬の静寂。
そして、怒号。
「て、てめえ!」
「殺せ! 囲んで殺しちまえ!」
二人、三人と傭兵たちが同時に襲いかかってくる。
槍が突き出され、斧が薙ぎ払われ、剣が迫る。
それら全てを、俺は最小限の動きで捌いていく。
まるで、流れる水のように。
人体の急所。武器のリーチ。攻撃の予備動作。
今の俺には、それら全てが手に取るように分かった。
胸の石から流れ込む力が、俺の五感を極限まで研ぎ澄ましている。
槍の穂先を剣の腹で受け流し、踏み込む。
持ち主の心臓を正確に一突き。
返す刃で、斧を振りかぶった男の腕を切り飛ばす。
絶叫が響き渡るが、俺の心は凪いでいた。
「ひ、ひぃっ!」
「こいつ、動きが……人間じゃねえ!」
ようやく、彼らは目の前の敵が自分たちの理解を超えた存在であることに気づき始めた。
だが、遅い。
「魔術の用意ができたぞ! 動くなよ、化け物!」
後方から、邪教徒たちの声が響く。
複数の黒い火球が、俺目掛けて放たれた。
傭兵たちが、好機とばかりに距離を取る。
俺は、避けなかった。
ただ、その場に立ち尽くす。
黒い火球が、俺の体に次々と着弾した。
轟音と黒煙が、俺の姿を完全に包み込む。
「やったか!?」
「いくら化け物でも、まともに喰らえば……」
傭兵たちの安堵の声は、すぐに絶望の悲鳴へと変わった。
黒煙が晴れると、そこには傷一つない俺の姿があった。
服は少し焦げているが、それだけだ。
胸の石が、魔術のエネルギーを全て吸収し、さらなる力へと変えていくのが分かる。
「ば、馬鹿な……」
「魔術が、効かない……?」
その呟きは、彼らの戦意を完全に打ち砕いた。
恐怖に顔を引き攣らせ、武器を取り落とし、逃げ出そうとする者まで現れる。
俺は、その背中を容赦なく斬り捨てた。
蹂躙。
それは、もはや戦闘と呼べるものではなかった。
ただの一方的な、殺戮。
中庭に転がる死体の山を築きながら、俺は魔法陣の中心へと歩を進める。
残った邪教徒たちが、震えながらも魔法陣を守ろうと立ち塞がった。
「く、来るな! 悪魔め!」
悪魔。
奇しくも、俺が着けているお面と同じ言葉を、彼らは口にした。
それでいい。
俺は、お前たちにとっての悪魔だ。
理不尽な力で弱者を虐げる、お前たちのようなクズを駆逐するための、悪魔だ。
俺は最後の邪教徒を斬り伏せると、檻の前へとたどり着いた。
中には、恐怖で身を寄せ合う数人の村人たち。
彼らは、死体の山を築いた俺の姿を、信じられないものを見る目で、ただ震えながら見つめている。
俺は檻の錠前に剣を突き立て、こじ開けた。
金属が引き裂かれる甲高い音が響き、扉が開く。
「……逃げろ」
お面の下から、低く、掠れた声で告げる。
村人たちは一瞬戸惑ったが、すぐに一人が我に返り、仲間たちを促して砦の外へと駆け出していった。
誰もが、俺の方を恐怖の眼差しで振り返りながら。
感謝の言葉は、なかった。それでいい。俺は感謝されるために、ここにいるわけではない。
中庭は、血の匂いと死体で埋め尽くされていた。
だが、まだ終わっていない。
この砦には、元凶がいるはずだ。
俺の両親を死に追いやった、腐りきった領主が。
俺は、砦の奥、一際大きな建物の扉を見据える。
あの向こうに、バルトーク辺境伯がいる。
俺の直感が、そう告げていた。
復讐の第一歩は、今、踏み出された。
冷たい怒りが、黒い心臓の奥で、静かに燃え上がっていた。
俺はゆっくりと、最後の標的に向かって歩き出した。
今夜、全てを終わらせるために。