第12話 王国の守護剣
月明かりの下、俺と金髪の女騎士は、静かに対峙していた。
彼女が纏うプレートアーマーには、王家の紋章が刻まれている。
王城の警備を担う、近衛騎士団の者か。それも、ただの騎士ではない。
その立ち姿、隙のない構え、そして俺を射抜く鋭い眼光。
彼女が相当な手練れであることは、一目で分かった。
「……少し、夜風に当たりたくなっただけですよ、騎士様」
俺は平静を装い、当たり障りのない嘘をつく。
だが、彼女の疑念は晴れない。その目は、俺の全身を舐めるように観察し、品定めをしている。
「その顔……先ほど、父上が紹介していた『辺境の英雄』レオン殿か」
「ご存知でしたか」
「噂は聞いている。だが、英雄と呼ばれるほどの男が、夜陰に紛れてこそこそと動くとはな。感心できん」
父上、という言葉から察するに、彼女はこの屋敷の主である老公爵の娘らしい。
貴族の令嬢でありながら、近衛騎士でもあるというのか。
「いかなる理由があれ、夜会を無断で抜け出すのはマナー違反だ。さあ、私と共に戻りなさい」
彼女は有無を言わせぬ口調で、そう命じた。
面倒なことになった。今、この女騎士に捕まるわけにはいかない。
だが、下手に抵抗すれば、それこそ不審者として騒ぎが大きくなるだけだ。
「……分かりました。おとなしく従いましょう」
俺がそう言って一歩踏み出した、その瞬間だった。
俺の全身の感覚が、突如として最大級の警報を発した。
(来る!)
背後。屋敷の屋根の上から、殺気を乗せた何かが、凄まじい速度で飛来する。
狙いは、俺ではない。目の前の女騎士だ。
「危ない!」
俺は考えるより先に、女騎士の体を突き飛ばしていた。
彼女が驚きに目を見開くと同時に、俺が立っていた場所に、一本の黒い矢が突き刺さる。
矢は石畳に深々と突き刺さり、その周囲を黒い瘴気のようなものが蝕んでいく。
ただの矢ではない。強力な呪いが込められた、魔術的な攻撃だ。
「なっ……!?」
女騎士は、自分の身に起きたことを理解し、絶句している。
屋根の上を見上げると、そこには黒い影が二つ。
『黒き祭壇』の残党か、あるいはリリアーナが差し向けた新たな刺客か。
「何者だ!」
女騎士が叫び、剣を抜く。
だが、敵は彼女の言葉に答えず、次々と矢を放ってきた。
その全てが、女騎士の命を狙っている。
俺は咄嗟に、近くにあった大理石製の装飾柱を片手で根元から引き抜き、盾代わりにして矢を防いだ。
ガッ、ガッと、大理石の柱に矢が突き刺さる鈍い音が響く。
常人ならびくともさせられない代物を、軽々と振り回す俺の姿を見て、女騎士は再び目を見開いた。
「君は……一体……」
「話は後だ! ここは危険だ!」
俺は石灯籠を投げ捨て、彼女の腕を掴んで走り出す。
屋敷の壁際、死角になる場所へと彼女を連れて行き、背後を庇うように立った。
「なぜ、私を庇う? 君も、私と同じく狙われているのではなかったのか?」
「見ての通りだ。奴らの狙いはあんたらしい。何か、心当たりは?」
「……おそらく、父が『黒き祭壇』の調査を進めていることと関係があるのだろう。彼らの活動を嗅ぎ回る父を疎み、その娘である私を狙った……ということか」
彼女は、冷静に状況を分析している。見かけによらず、肝が据わっているらしい。
「ともかく、応援を呼ばねば。このままでは……」
「その必要はない」
俺は、彼女の言葉を遮った。
「ここで、俺が片付ける」
屋根の上の刺客たちは、俺たちが死角に入ったことで、攻撃の手を止めている。
だが、彼らがこのまま引き下がるとは思えない。
俺は壁を蹴り、驚異的な跳躍力で一気に屋根の上へと飛び乗った。
「なっ……!?」
女騎士が、三度目の驚愕の声を上げる。
俺の常人離れした動きは、もはや彼女の理解の範疇を超えているだろう。
屋根の上には、やはり黒装束の男が二人。
彼らは、俺が飛び乗ってくるとは予想していなかったのか、わずかに動揺を見せた。
俺は、その隙を逃さない。
腰に差していた儀礼剣を抜き放ち、一人の男に斬りかかる。
刃引きされている。だが、今の俺の腕力で振るわれれば、ただの鉄の棒でも凶器となる。
男はクロスボウで受け止めようとするが、その武器ごと、俺の一撃が叩き折った。
「ぐっ……!」
「もう一丁」
俺は返す刀で、もう一人の男の顎を打ち据える。
二人の刺客は、まともな抵抗もできないまま、屋根の上で意識を失い、転がった。
あまりにも、あっけない幕切れだった。
俺は屋根から飛び降り、女騎士の前に着地する。
彼女は、俺と、屋根の上で伸びている刺客たちを交互に見比べ、信じられないといった表情を浮かべていた。
「……君は、何者なんだ。その身体能力、ただの人間ではない」
「さあな。しがない冒険者だと言っても、もう信じないだろう?」
俺は、はぐらかすように答える。
やがて、騒ぎを聞きつけた他の騎士たちが、ぞろぞろと庭に集まってきた。
これで、俺の役目は終わりだ。
「後は、あんたたちでどうにかしてくれ。俺は、これで失礼する」
これ以上ここにいて、根掘り葉掘り聞かれるのはごめんだ。
俺はそう言い捨て、闇に紛れてその場を立ち去ろうとした。
「待て!」
背後から、女騎士の鋭い声が飛ぶ。
「まだ、名を聞いていなかったな。私の名は、アリアンナ・フォン・アストリア。王国の第一王女にして、近衛騎士団長代理だ」
王女。
想像以上に、とんでもない身分の人間を助けてしまったらしい。
「そして、君の名は? 偽名ではない、真の名を」
アリアンナと名乗った王女は、真っ直ぐな瞳で俺を見つめていた。
その瞳から、俺は逃れることができなかった。
「……今は、レオンで通させてくれ」
俺はそれだけを告げると、今度こそ、夜の闇へと姿を消した。