第11話 魔女との再会
魔女リリアーナが、優雅な足取りで俺に近づいてくる。
彼女が動くたびに、周りの視線が自然と彼女に集まっていくのが分かった。
彼女は、この華やかな夜会において、間違いなく主役の一人だった。
そんな彼女が、壁際で一人佇む、どこの馬の骨とも知れない俺の元へ、なぜ。
いや、理由は分かっている。
俺が、彼女が殺したはずの男だからだ。
「ごきげんよう」
俺の目の前で立ち止まったリリアーナは、完璧な淑女の笑みを浮かべて、そう挨拶した。
その声は、鈴を転がすように愛らしいが、俺の耳には呪詛のように響く。
「あなた様が、東の辺境でご活躍されたという、英雄レオン様でいらっしゃいますか? お噂はかねがね」
「……いかにも」
俺は、教本通りに無難な返事を返すだけで精一杯だった。
目の前にいるのは、俺を人ならざる者へと変えた元凶。
込み上げてくる殺意を抑え込むのに、全神経を集中させる。
「私、リリーと申します。お見知りおきを」
彼女は、まるで俺が何者かなど知らないという風に、初対面の挨拶を続ける。
その紫色の瞳の奥で、どんな感情が渦巻いているのか、俺には全く読み取れない。
「それで……英雄様は、このような場所はお嫌いですか? 先ほどから、随分とつまらなそうなお顔をされていますわ」
「……慣れていないだけだ」
「ふふ、正直な方なのですね。素敵ですわ」
リリアーナは、楽しそうに喉を鳴らして笑う。
その仕草の一つ一つが、計算され尽くした、男を惑わすための演技に見えた。
彼女は、俺の反応を試している。
俺が記憶を失っているのか、あるいは、全てを理解した上でここにいるのかを。
俺はあくまで、彼女のことを知らない『英雄レオン』を演じ続けなければならない。
「よろしければ、一曲、お相手していただけませんか?」
不意に、リリアーナが手を差し出してきた。
ダンスの誘い。最悪の展開だ。
この三日間、サラに叩き込まれたとはいえ、俺のダンスの腕前など付け焼き刃にも程がある。
断るか? いや、ここで不自然に断れば、かえって怪しまれる。
俺は覚悟を決め、彼女の手を取った。
「……光栄です、リリー様」
彼女の指先は、まるで氷のように冷たかった。
俺たちは、ワルツが流れるダンスホールの中央へと進み出る。
リリアーナのリードに合わせ、俺は必死に教わったステップを思い出しながら、ぎこちなく踊り始めた。
「まあ、随分とお上手ですのね。慣れていない、というのはご謙遜だったのかしら?」
「……見様見真似だ」
互いの体が触れ合うほどの距離で、彼女が囁きかけてくる。
甘い花の香りが、俺の鼻腔をくすぐった。
「レオン様……。私、どこかでお会いしたことはありませんでしたか?」
ついに、彼女は核心に触れる質問を投げかけてきた。
俺は動揺を悟られぬよう、ゆっくりと息を吐く。
「さあ……。あなたのような美しい方を、一度見たら忘れるはずもありませんが」
教本に載っていた、模範解答の一つ。
我ながら、吐き気がするようなセリフだ。
「ふふ、お上手」
リリアーナは笑っている。だが、その目は全く笑っていなかった。
彼女の紫色の瞳が、俺の心の奥底まで見透かそうとするかのように、じっと俺を見つめている。
「そう……。きっと、気のせいでしたのね。でも、あなたのその瞳……とても力強い、不思議な色をしていますわ。まるで……そう、夜の森の奥にある、静かな湖のよう」
夜の森。
その言葉に、俺の体がこわばる。
彼女は、わざと俺を揺さぶるような言葉を選んでいるのだ。
曲の終わりが近づく。
リリアーナは、最後のステップを踏みながら、俺にしか聞こえないような、か細い声で囁いた。
「……ごめんなさい」
その一言は、俺の脳天をハンマーで殴られたかのような衝撃を与えた。
あの時と、同じ言葉。
俺の心臓を抉りながら、彼女が口にした、あの謝罪の言葉。
こいつ……! やはり、全て分かっていて……!
俺の理性が、焼き切れる寸前だった。
だが、曲が終わると同時に、リリアーナはすっと俺から身を離した。
「素敵なダンスでしたわ。ありがとう、レオン様」
彼女は完璧な淑女のカーテシーをすると、何事もなかったかのように、人混みの中へと戻っていく。
その背中を見送りながら、俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。
彼女は、俺の正体を知っている。
そして、俺が彼女を追ってここまで来たことも、おそらく見抜いている。
それなのに、なぜ、あんな挑発的な態度をとるのか。
まるで、俺とのゲームを楽しんでいるかのようだ。
俺は、早々に夜会を抜け出すことにした。
これ以上ここにいても、精神が持たない。
目的は果たした。魔女の顔と、その現在の身分は確認できた。
あとは、サラと合流し、次の手を考えるだけだ。
屋敷のバルコニーから、人目を忍んで庭へと飛び降りる。
夜の冷たい空気が、火照った頭を冷やしてくれた。
俺は、闇に紛れてその場を去ろうとした。
その時。
「――待ちなさい」
背後から、凛とした、それでいて有無を言わせぬ力強さを持った女性の声がかけられた。
振り返ると、そこに立っていたのは、銀色のプレートアーマーに身を包んだ、一人の女騎士だった。
月明かりに照らされたその金色の髪は、リリアーナの銀髪とはまた違う、気高い輝きを放っている。
「夜会を抜け出し、庭をうろつくなど、不審な行動。何者です?」
女騎士は、腰の剣に手をかけながら、鋭い眼光で俺を射抜く。
その瞳は、嘘も言い訳も一切通用しない、鋼のような意志を宿していた。
どうやら俺は、魔女だけでなく、また別の厄介な相手に目をつけられてしまったらしい。