再起動準備完了
「これ、何年も鳴ってねえんだ」
山間の街・テルンの広場で、村長らしき壮年の男が古びた鐘楼を指さした。石造りの塔の最上部、巨大な青銅の鐘は、今や黒ずみ、鳥の巣の一部と化している。
「村じゃ再起動の鐘って呼んでた。季節の変わり目に鳴って、魔力網の調整が始まるんだとさ」
「なるほど。それ、ただの風習じゃなかったってことか」
タクヤは腰袋からスキャン用の魔道具を取り出す。リアナとフェリスも周囲を警戒しながら、魔力の流れを確認していた。
「タクヤ。この下、地下施設に繋がってるみたい」
フェリスが草の隙間から地下へ通じる魔力線を見つけた。
「やっぱりな。鐘楼は合図なんかじゃなく、起動キーだったんだ」
鐘楼の階段を上ると、視界に広がるのは朽ちた歯車と石の機構。
「こりゃ……物理的な錆びつきも相当だ」
バルドが腕を組む。鍛冶職人の目から見ても、構造の一部は千年以上前のものだ。
「ただの鐘じゃなくて……これ、魔力を伝える共鳴装置よ。響きが世界網に伝播するタイプ」
リアナの解析に、タクヤが小さく頷く。
「この塔そのものが、更新信号を広域発信する装置だな」
「でも、肝心の起動装置が反応してない」
フェリスが指摘したとおり、鐘楼の心臓部にある魔力コアは冷たく沈黙していた。
「やるしかないな。鍛冶と魔力制御、両方使って――この塔を起こす」
作業は始まった。
バルドが歯車と支柱を再整備し、フェリスが魔力導線を張り直す。
タクヤは塔全体のバランスを見ながら、中心部に魔力再接続補助陣を描いていく。
「ふう、これで……あとは、鳴らすだけ」
最後の段階。
リアナが紐を握り、静かに一歩引き、力を込めて引いた。
――カン……ッ。
乾いた音。
だが、それに続くように、塔の石壁が淡く光を放ち始めた。
ゴゴゴ……という地鳴り。
そして、鐘楼の根元から伸びる魔力線が、地下へ、さらに遠方へと走っていく。
「来るぞ……!」
タクヤが叫んだ瞬間、鐘が再び鳴った。
――カーン……ン……ン……
それは、ただの鐘の音ではなかった。
空気が震え、耳ではなく骨で感じるような重低音。世界の網が、ゆっくりと再起動し始めている音だった。
「魔力の流れが変わる……!」
フェリスの水晶玉が強く共鳴していた。
「各地に残っていた中枢端末が順次応答してる!」
リアナが驚いたように呟く。
「つまり、この鐘楼が最初のトリガーだったってことだ」
タクヤは頷く。
「いよいよだな。世界を、目覚めさせるプロセスが始まった」
塔の下に戻ったタクヤたちを、村人たちが拍手と歓声で迎える。
「ありがとう! あの音……何年ぶりだろうな!」
村長の手は震えていた。
だがタクヤは、その感謝を半分だけ受け取る。
「まだ起きただけですから。次は――ちゃんと歩き出す準備を」
その言葉に、村長は静かに頷いた。
夜。塔の灯が静かに輝き続ける中、タクヤは小さなスケッチブックを開いていた。
そこには、これまで修復してきた世界の歯車の記録。
そして――空白の欄が、いくつも残っている。
「あと、いくつあるのかな」
リアナが隣で尋ねた。
「少なくとも、あと三つ。中枢端末は四つ、って記録があった」
「残りも、鳴らせるといいね」
「……ああ。世界に、ちゃんと目を覚ましてもらわないと」
タクヤは、少しだけ微笑んだ。
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「鳴ったのは、あの鐘だけじゃないわ」
リアナが広げた通信石が微弱に反応していた。フェリスの魔力探知具も、周囲とは違う信号を拾っている。
「他の地点でも、反応が出始めてる。どうやら中枢の再起動プロセスが連動してるらしい」
「ってことは、こっちの鐘楼がトリガーってことだな」
タクヤが確認するように頷くと、バルドが指を鳴らした。
「鐘を鳴らしただけで、魔力の循環が再構成されるとは……すげぇ仕組みだな、こりゃ」
「でもまだ、不完全よ」
リアナが顔を曇らせる。
「全体の起動には、最低でも四つある端末全部が動かないと無理」
「つまり、これはまだ準備完了の一歩手前だな」
タクヤが空を見上げる。鐘の音が空に吸い込まれ、魔力網がほんのわずかに光を放っていた。
その夜、村の宿に戻ったタクヤたちは、簡単な作戦会議を開いていた。
「中枢端末の場所について、わかってることは?」
フェリスが地図を広げ、魔力の流れに沿って四つの中心点を示す。
「このテルンの鐘楼の他に、王都北西の幽閉の砦、海沿いの揺れる礎、あとは砂漠の沈んだ門……それぞれがかつての拠点らしいわ」
「問題は、そこが今も安全かどうかだな」
タクヤが地図を見つめながら呟いた。王都は政争、海沿いの街は虚栄の書の影、砂漠は盗賊と失われた魔道具の残骸だ。
「どれも一筋縄じゃいかないってわけか」
バルドが拳を握る。
「だからこそ、準備が整った今、行く意味があるのよ」
リアナが静かに言った。
「魔力網が目覚め始めた今なら、こちらの解析も進められる。無理に扉を開くんじゃなく、共鳴させるの」
「つまり、この鐘と同じ方法で?」
「ええ。正しい響きを持つ人がいれば、扉は応じる」
翌朝。
タクヤたちは再び鐘楼を訪れ、最後の調整を行っていた。
「この塔の魔力伝送装置、まだ使えるわ。ここを中継として、他の端末に信号を送れるはず」
「ってことは、遠隔で起動準備もできる?」
「理論上は。あくまで共鳴の鍵があれば、だけど」
タクヤは荷物から、例の鍵を取り出した。管理者の鍵。
「これはおそらく、他の端末でも使える。あの塔がそうだったように」
「鍵と響き。どちらも揃えて、ようやく扉が開く……か」
フェリスが静かに呟く。
作業の最後に、タクヤは塔の最上部にひとり立った。
朝の光の中、世界の空気が少しだけ澄んでいる気がした。
この世界は、止まっていた。だがそれは、崩壊ではなく凍結だった。
そして今、歯車は動き出した。
「便利屋タクヤ、鐘も鳴らします」
ふと、そんな独り言が漏れた。
その言葉に応えるように、塔が静かに共鳴した。
次なる地へ。次なる扉へ。
世界の更新は、まだ続いている――




