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理想郷と奴隷の町

王都から南へ三日。タクヤたちは、小さな理想都市《ミル=リノア》へ足を踏み入れた。


清潔な街路。丁寧に整備された花壇。すれ違う人々は皆、笑顔を絶やさず、陽気な挨拶が交わされる。


「……なんか、怖いな」


最初にそれを口にしたのはフェリスだった。


「うん。誰もが、ちゃんとしすぎてる気がする」


タクヤも同意する。町の空気は澄み切っている。だが、それが完璧すぎるがゆえに、不自然だ。


「依頼内容は、市長の裏を探ってって、ざっくりすぎるけど……」


リアナが手元の書簡を見つめる。


「依頼主は匿名、報酬は高額、そして、絶対に記録を残すなって……ますます怪しいわね」


そのとき、3人の前に現れたのは、市長自らだった。


「ようこそ、私たちの町へ!」


整った口ひげと優しげな目元の男が、完璧な笑顔で両手を広げる。


「私は市長のエンゼル・レニード。この町が気に入っていただければ幸いです」


「ご丁寧にどうも、便利屋のタクヤです」


「あなたがタクヤさん!いやはや、噂はかねがね。私もぜひ、あなたに町を案内したくて」


タクヤたちは、市長の案内で町の施設を巡ることになった。


学校では子どもたちが朗らかに勉強し、病院では誰一人苦しんでいない。労働時間は短く、物価は安く、争いもない。


「ね?素晴らしいでしょう?」


「……本当に、すごいです。でも、市長、働き手の数に比べてサービスが豊かすぎるように見えるのですが」


「おや、鋭いですね!実はこの町では、古代遺跡から得た自動化技術を応用していて……ほら、あそこに見えるごみ収集ユニットなどは、その成果です」


確かに、町の片隅で機械のような動きの人影がゴミを回収しているのが見えた。だが――


「……あれ、なんか生っぽくない?」


フェリスがつぶやいた。


「たぶん、生身の人間よ。あれ、自律装置の動きじゃない」


リアナの声は低い。


「奴隷だ」


「えっ?」


タクヤが息を呑む。


「きっと奴隷に魔術的な制御をかけて、労働ユニットとして使ってる。自我を潰して、笑顔だけを強制する魔法……あるのよ、昔の戦時期に開発されたやつが」


市長はすぐ近くにいる。


なのに、声は届いていないように、にこやかなまま。


「では、今夜はパーティーを。町の皆さんがあなた方を歓迎します!」


――その笑顔の裏に、何があるのか。


タクヤたちは、夜のパーティーに出席するふりをしつつ、街の裏路地へと足を踏み入れることにした。




夜。


陽気な音楽と食事が並ぶ広場から少し外れた先、下水口へとつながる細い道を、リアナが先導する。


「情報屋のツテで、この町の地下納品記録を手に入れた。明らかに市民数より、多すぎる生活必需品が地下に消えてるのよ」


「つまり、表に出てこない別の居住区がある……ってことか」


「うん。しかもそれが、理想郷を支えてる」


下水の格子を外し、狭い通路を抜けた先。古びた地下倉庫の奥に、それはあった。


暗い通路。照明のない空間。そして、動かされ続ける歯車の音。


「……この匂い、汗と、油と、血……!」


フェリスが顔をしかめる。


薄闇のなか、何十人もの人々が無言で働いていた。誰も話さない。ただ、機械のように命令をこなしている。


「見つけたな」


低い声が響いた。


壁の陰から現れたのは、ボロをまとった青年だった。だが、その瞳は澄んでいて、ただ一言をつぶやいた。


「俺が、依頼主だ」


そう名乗った青年は、自らを“ノーム”と呼んだ。年の頃はタクヤたちと同じか、少し若いくらいだろう。ボロボロの服に油と血がこびりつき、その身体には、かつての拷問や実験の痕跡が刻まれていた。


「この町は、奴隷制を否定してない。巧妙に隠してるだけで、根本的には人を部品として使う仕組みのままだ」


ノームは壁の隙間から、稼働する作業場を示した。そこでは笑顔を浮かべた人々が、淡々と作業を繰り返していた。完全に感情が抜け落ちている。まるで、笑顔の仮面をかぶった機械のようだった。


「魔術的強制と精神操作。それを幸福処置って名付けて、町中に配ってる。信号塔を使ってね」


リアナが青ざめた顔で言った。


「そんな……」


「しかもこの町の笑顔データは、周辺の都市へ輸出されてる。理想郷の実績としてな」


フェリスは静かに震えていた。知識で知っている魔法の悪用が、ここに生きていたのだ。


タクヤはゆっくりと息を吸った。


「……この施設を止める。市長の手法が、最善ではないと証明する」


「可能か?」


ノームが静かに問いかける。


タクヤは頷いた。


「便利屋は壊すことより、直すことが得意なんでね」




行動は夜明け前に決行された。


まず、フェリスが魔力制御塔に侵入。笑顔信号を発する魔術炉の構造を調査し、強制命令の波形を無効化する補助魔法を設定する。


「今の波長に逆相をぶつけるわ。少しの間だけ、強制が解ける」


その間に、タクヤは作業場に潜入し、奴隷たちに選択の余地を与える。


「今から、君たちは自由だ」


一人、また一人と表情を取り戻し、呆然と立ち尽くす人々。中には泣き崩れる者もいた。


リアナは町の議事堂へと向かい、証拠の提出と同時に、市長職の一時停止を提案する。


「あなたのやっていることは平和ではありません。虐げられる側が見えない構造の上に立つ理想は、ただの独裁です!」


エンゼル市長は……笑顔を崩さなかった。


「君たちは誤解している。彼らは望んで働いているんだ」


「洗脳しておいて、何を言うか!」


「いや、本当に望んでいたさ。笑顔になれば、苦痛は感じなくなるから。あれは優しさなんだよ」


その歪んだ言葉に、リアナは剣を抜いた。


しかし――


「止めろ、リアナ」


背後からタクヤが言った。


「彼を倒しても意味がない。この町の仕組みを変えるんだ。力じゃなくて、選択で」


そう、これは戦争じゃない。


だからこそ、タクヤは市長に向かって宣言した。


「この町の人々に、本当の選択肢を提示する。奴隷じゃない社会を、ここで試す。それが僕たち便利屋のやり方だ」


静かだった議事堂に、かすかに拍手が起きた。


それは最初は小さく、やがて大きなうねりとなって広がる。


ノームがそっと呟く。


「……変わるかもしれないな、この町」


そして、夜が明ける。


今度こそ、自由な笑顔を浮かべた人々の声が、町に満ちていくのだった。


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