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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

透明な好感度

作者: トリスタ

「……え、なにあいつ。陽キャ?」


高校3年の登校初日の朝、靴箱の前で、俺は素で立ち止まった。


髪は軽く金がかってて、イヤホンぶら下げたまま、ネクタイもしてない。

シャツの第二ボタンは開けっぱなし、口元にはミントタブレットのケースを咥えてる。

しかも、すれ違った女子たちがそろって振り返ってる。

きゃー、とか、うそやば…とか、小声でささやく声が耳に入ってくる。


……え、なにこれ。まじで今までで一番派手じゃない?


その男子生徒――つまり“今年の転校生”は、俺の前を通り過ぎるときに軽く顎で会釈してきた。

「おはよ」って、低い声。くっそ爽やか。

あ、こりゃモテるわ。てか、絶対モテに来たでしょ。

はいはい、これは間違いなく“今年の主人公枠”ですね。おめでとうございます。


名前は、柊慎也(ひいらぎしんや)。今日から俺の“担当”になる転校生。


──で、俺の名前は真柴(ましば)いおり。

この学園で、“そういう役目”をやってる。


この学校には、たまにどこからか“特別な転校生”が現れる。

そいつはやたらと女子にモテて、誰かと恋に落ちて、そのままこの世界で仲良く暮らしていく。

細かい仕組みは俺も知らない。

ただ、そういうものなんだよ、っていう話。


で、俺の役目は、その“主人公”の親友枠。

家系で引き継いでる持ち回りみたいなもんで、うちの姉貴も、いとこたちも、みんなこの仕事してきた。

仕事っていうとアレだけど、案外悪くない。というか、楽しい。


ヒロイン候補の子たちから情報集めて、

「今日は購買であのパンが出るらしいよ」とか、

「どうやら図書室で話しかけるとイベント起きるかもよ~?」とか、

そういうヒントを渡して、

主人公とヒロインが仲良くなるのを見守る。


で、2人がくっついた時のあの空気!最高!

まじで俺って恋の神様~!ってなる。


去年も、主人公とある子が結ばれてさ。

最初は全然話せない子だったのに、徐々に距離が縮まって、

気がついたら放課後に並んで歩くようになってて。

「ありがとう」って言われたとき、

なんかこう……胸の奥がふわってあったかくなるの、分かる?


いや、ちがうよ?好きだったとかじゃないからね!?

俺はあくまで、恋を応援する側。

誰かが幸せになるのを見てるのが好きなの。そういうポジション。


……だったはず、なんだけどな。


今年の慎也くんは、ちょっとだけ、やばいかもしれない。


◇◇

教室が、ちょっとざわついた。


担任が「今日からこのクラスに転入してくる子がいます」と言った瞬間から、

女子の目の色が変わったのがわかった。

なんだろうな、あれ。

恋愛イベントの鐘が鳴ってるみたいな空気。


「柊慎也です。よろしく」


それだけ言って、慎也くんは手短に挨拶を終えた。

ふてぶてしいってほどじゃないけど、妙に落ち着いてる。目が据わってる。肝がすわってる。

うん、やっぱ陽キャオーラすごいな。


「柊の席は、真柴の隣だ」


はい、来た。

というわけで、親友ポジのお出ましです。


「真柴いおりです、よろよろ~」

軽く手を上げて、隣に座った慎也くんに笑いかける。


「……よろしく。真柴」


「いおりでいいよ~。真柴ってなんか敬語っぽくてくすぐったいし」


「じゃあ、いおり。よろしくな」

「おっけ!じゃあ俺も“慎也くん”って呼ぶね、よろしく~!」


慎也くんは、少し肩を揺らして笑った。


「距離感、近いな」

「転校生ってさ、最初不安じゃん?こっちが壁作ったら、より緊張させちゃうし」

「へえ。慣れてんな」

「まあね。転校生と仲良くなるの、得意なの俺」


慎也くんはそこでまた笑って、「お前、やたら親しみやすいな」って言ってきた。

本当に軽い、悪気のない調子だったけど、

ちょっとだけ、鋭いとこ突かれた感じがして、俺は一瞬まばたきを多めにした。


「……そう?前世が犬だった説ある」

「わんこ系か」

「やめろ~女子ウケ狙ってるみたいなワード出すの」


そのやりとりの間も、慎也くんは周りの様子をちらちら見てた。

後ろの席の子たちのささやきとか、前の女子がちょいちょい後ろ向いてくる視線とか。


「なんかさ、このクラス……女子の視線すげぇな」

「だね~。転校生は貴重だから、まあ物珍しいってやつよ」

「それだけじゃなさそうな気もするけどな」

「え?」

「いや、なんかちょっと……“用意されてる感”あるっていうかさ。イベントっぽい空気っていうか。……いや、ごめん。言ってて俺が恥ずかしくなった」

「はは、慎也くんって意外とロマンチスト?」


笑い合いながら、俺は内心でひとつ感心していた。

──察しのいいタイプだな、今回は。

こりゃ、ヒロインとくっつくのも早そうだ。


◇◇

「いおり、学食ある?」


慎也くんが、昼休み開始と同時に俺の席の横に顔を出した。


「あるよ~。定食とラーメン系がメインだけど、パン派は購買かな。どっち派?」


「んー……今日はまだ様子見したいし、そっちついてっていい?」


「もちろん!初日サービス、案内付きです」


俺は立ち上がって、彼の背中をぽんっと押す。


こうして改めて並んで歩くと、慎也くん、顔がいい。


目元が涼しげで、睫毛が長くて、鼻筋もちゃんと通ってる。

でも“きれい”ってよりは、“ちゃんと男前”。

そこにあのちょっと砕けた喋りが乗るから、壁を作らないのにちゃんとドキドキさせる系。

……あれ?女子の反応、もしかして正解だったんじゃね?


「女子、多いな」

「だね~。この時間、購買も戦場だからね」

「戦場?」

「人気のパンすぐなくなるよ?メロンパンとか、生き残りたいなら急げ~」


そんなふうに軽口を飛ばしていると、廊下の端のほうで、

ふわっと髪の長い子が落ちたプリントを拾っているのが見えた。


「あ、あの子……あの子いいかも」

「ん?」


慎也くんが小さく立ち止まる。俺も足を止めて、彼の視線の先を見た。


「さりげなく手伝って、プリント集めてあげたりしたら、印象よくなると思うな~」

「なるほど?じゃあ、行ってくる」


冗談半分みたいな笑顔で、慎也くんはそっちに歩き出した。

おお、さすが。躊躇がない。


去年の“主人公”は、人と話すのも精一杯で、俺が一歩ずつサポートしてたけど……

慎也くんは、もう“親友ポジ”いらないんじゃ?ってくらい、自然に女の子に近づいていく。


それでいて、妙に馴れ馴れしくもなくて、距離感もちゃんとしてる。

気配りできるのに軽すぎないし、フレンドリーなのに押しつけがましくない。

一言で言うと──つよい(確信)。


なんだこの主人公。完成度高すぎでは。


しかも、ちょっと俺とのノリも合うのがずるいんだよな。

向こうからの反応がすっと返ってくるから、テンポがいい。

まるで、もうずっと前から一緒だったみたいに“親友”になれる気がする。


……あれ、これ俺、楽しくなってきてるかも?


慎也くんが、さっきの子――白河こはるに話しかけたのはほんの数分。

プリントを拾って渡して、少し会話をして、軽く会釈して戻ってくるまで、まさにお手本のような一連の流れだった。


見てるこっちが「はえー……」ってなるくらい、スマートだった。

いや、ほんとに。攻略本に載っててもおかしくないやつ。


「行くぞ、いおり。昼、案内してくれるんだろ?」


「はーいはーい、ナビゲーターついてますよ~慎也くん」


並んで学食に向かって歩きながら、俺は軽く肩をすくめた。


「さっきの子、白河こはるって言ってね。お隣のクラスの子。

 ふわっとしてるけど成績はいいし、動物系にちょー弱いって噂。

 猫が鳴いてたら一発で振り向く系女子。ちなみに購買のあんぱんが好き」


慎也くんは、すぐには何も言わなかった。

トレーを取り、メインを選び、ご飯をよそって、最後に味噌汁を手に取る。

俺と並んで窓際の席に腰を下ろしてから、ぽつりと一言。


「……ずいぶん詳しいな」


「え、まあね?情報収集って大事だし。知ってて損はないでしょ」


俺は笑って返しながら、コロッケにソースをかけた。

別に怪しいこと言ったつもりはない。

ただ、こういうのをサラッと出すのが、案内役の心得というやつで。


「人の好みとか、好きなものとか、どうでもいいところで好感度って上がるもんだからさ。

 やっぱ“あ、この人のことちゃんと見てくれてる”って思わせるの、大事だよね~」


慎也くんは味噌汁を一口飲んで、箸を置く。

ほんの一瞬だけ、目を細めて、俺の顔を見た。


その目がなんとなく“見透かしてる”ような気がしたけど、俺は特に気にせず話し続けた。


「こはるちゃん、前に捨て猫拾ってこっそり飼ってたら先生にバレそうになっててさ。

 ばれたらヤバいから逃がそうとしたけど、泣きそうになってたらクラスの子が家族に引き取らせたらしくて。

 めでたしめでたしって話!いい子だよ、ほんと」


「……そうか」


短くそう返したあと、慎也くんはまた静かに箸を動かし始めた。

相変わらず、口数は少ない。でも、それが嫌な感じじゃないのは、あの顔のせいかもな。

静かに笑うと、なんかこう、“王子様っぽさ”が出るんだよなあの人。


──けど。


そのときの彼の沈黙が、ほんの一瞬だけ長くて、

俺はなんとなく「話しすぎたかな?」なんて思ったりもして。


でもすぐに、「この味噌汁、悪くないな」ってひと言で空気が戻って、

俺も「でしょ!出汁がちゃんとしてるの、ここの食堂」って調子を戻した。


……気のせいだよね。うん、きっと気のせい。


慎也くんが、何かに気づいたとか、考えてるとか。

まさかそんなこと、あるわけ──


◇◇

夕焼けに照らされた昇降口を出ると、校庭をかすめる風が少しだけ涼しく感じた。

一日を終えた空気に、なんとなく肩の力が抜ける。


「ふぅー、初日終了。お疲れっした~」


俺が背伸びしながら声をかけると、隣を歩く慎也くんがちらりと目を向けてきた。


「お前は疲れてなさそうだな」


「ふっふーん、俺はこれが仕事みたいなもんだからね~。……いや、仕事って言うとアレか。趣味?いや、使命?」


「どれだよ」


「ぜんぶ!」


軽口を飛ばしながら、校門へ向かう道を並んで歩いていく。

すると、俺はふと思いついて口を開いた。


「ねえ慎也くん、こっち曲がるとテニスコートあるんだけど、ちょうど今、練習してると思うんだよね」


「テニス?」


「うん。火野つばさちゃんって子がいるの。元気系のショートカットで、スタイルもいいし、明るくて話しやすいよ。

 ちょっと天然入ってるけど、それもまた可愛いって評判。……慎也くん、ああいうタイプ好きそうじゃない?」


俺がそう言うと、慎也くんは一歩歩みを止めて、ポケットに手を突っ込んだままこちらに顔を向けた。


「……お前って、そういうこと自然に言うよな」


「ん?」


「なんつーか……手際が良すぎる。タイミングも内容も狙ってるみたいだ」


俺は冗談っぽく笑って肩をすくめた。


「だって“好感度”ってタイミングが命でしょ?

 今動いたら、あの子きっといい反応返してくれると思うんだよね~」


その時だった。


慎也くんがふっと口元を緩めて、低い声でぽつりと呟いた。


「……つまり、お前は“親友ポジ”ってわけだ」


その言葉に、俺は一歩足を止めてしまった。


「……え?」


一瞬だけ、本当に何のことか分からなかった。

でも、慎也くんの目は本気で、冗談を言ってる感じではなかった。


「今日の女子の反応。やたらと盛り上がってたよな、俺が挨拶したときとか」


「……う、うん?」


「で、お前。俺が誰と会話したとか、何が起きたか、全部把握してる。

 しかもタイミングよく“こうするといい”ってアドバイスしてくる。

 今日だけで、もう何人かの女の子の特徴も話してくれた」


「え、え~と……?」


「俺の兄貴、昔そういうギャルゲーやってたんだよ。

 “転校生が来ると、ヒロインたちがざわついて、親友ポジがサポートしてくれるやつ”」


「……」


「で、ヒロインの名前って、たとえば──白河こはるとか。火野つばさとか。あと、……桐谷、なんとか?」


心臓が、きゅっと音を立てた気がした。


俺は笑いながら誤魔化そうとするけど、言葉が出てこない。

慎也くんはそれを確認するみたいに、俺の目を見つめてくる。


「兄貴が言ってただけだから、詳しくは知らない。

 でも、今日一日見ただけでわかったよ。これ、ゲームだろ。

 ……で、どうなんだ。隠しルートとか、あるのか?」


そう聞いてきた慎也くんに、俺はちょっとだけ笑って、肩をすくめた。


「ないよ、たぶん。ううん、たぶんだけどね。

 でも、これは“ゲーム”じゃないし……ここで起きてることは、ちゃんと現実だよ」


「現実?」


「うん。去年の“主人公”も、今も隣のクラスにいて、付き合ってる子と普通に登下校してる。

 手とかつないで、めっちゃラブラブ。

 あれ、最初は“誰とも喋れないです……”って感じだったのにさ。

 だからさ、ここで恋をしたら――ちゃんとそのまま続いてくんだよ。

 消えたり、エンディングで終わったりなんかじゃなくて、ちゃんと」


慎也くんは少しだけ黙ったあと、

「ふーん」って言って、目を細めた。


そして――口元を、にやっと持ち上げる。


「面白そうじゃん」


俺はつい、へらっと笑い返した。

そしたら、慎也くんがふっと前を見て、

さらっと、まるで何でもないみたいに言った。


「……いおりみたいなやつが、親友ポジでよかったよ」


その瞬間、

心臓が跳ねて、顔に熱がのぼるのがわかった。


「っ……や、やめてよそういうの!まじで、ほんと、心臓に悪いから!」


「事実だろ?」


「し、知らないし!今のナシ!聞かなかったことにして!」


視線を逸らして、前髪をぐしゃっとかき上げる。

何気ないふりをして、少し早足になる。


──夕日が、ちょうどいい具合に赤かった。

たぶんそれのせいで、顔が熱いんだ。うん、きっとそうだ。

そういうことに、しておいた。


◇◇

「……よし、案内しよっか。テニスコート」


照れ隠しと切り替えを兼ねて、俺はなるべく自然な声で言った。

慎也くんは「行こうか」と軽くうなずいて、俺の横に並ぶ。


校舎裏を抜けてテニスコートへ向かうこの道、

今年もまた、この季節が来たんだなって、少し思った。


春の空気は、まだ冷たさを残していて、

でも陽射しだけはしっかり眩しくて。

制服の袖に光が落ちるたび、じんわりと気持ちが引き締まる。


高1の春にこの道を初めて歩いてから、今年で3回目。

そう、俺は3年連続で“親友ポジ”を担当してる。


そして今年も、また“物語”が始まった。


テニスコートに着くと、つばさちゃんはサーブ練習の真っ最中だった。

ポニーテールを揺らしてラケットを振る姿は、眩しくて、まっすぐで、見てるだけで元気をもらえるような――

そんな子だ。


慎也くんは、柵越しに軽く声をかけると、

つばさちゃんは笑顔で応じてラケットを持ったまま近づいてきて、ふたりは自然に会話を始めた。


内容までは聞こえない。

でも、見ればわかる。


距離感、目線、反応、笑い方。

その全部が、すでに“好感”でできてる。


……いや、これはもう立ってるな。フラグ。


というか、立ちすぎじゃない?


つばさちゃんの笑顔、完全に“気になってる”モード。

あんなテンポよく話してるの、なかなか見ないし、

慎也くんの方もまったく引いてなくて、むしろ乗ってる。

……慎也くんの対応力、高すぎ注意。


ふぅ、と小さく息を吐いて、スマホを取り出す。

進行メモを開くのは、今年に入ってこれが初めてだった。

•火野つばさ:初回接触 → 好感触。

 好感度:C前後? 開始位置高い。

 テンポも距離感も申し分なし。


メモを保存したあと、ふと、いとこに言われたことを思い出す。


──「ねえ、いおり。“全ヒロイン落としたときだけ”出るルートって知ってる?」

「なにそれ、都市伝説?」

「いや、マジで。しかも、いっちばん危ないやつ。修羅場どころか……あのときは怖かった」


殺傷事件になるようなことは、さすがに今まではなかった。

でも、たしかにこの世界は感情で動いてる。

人の想いが、誰かの未来を決めてしまう場所。


慎也くんは察しがいい。反応が速い。

こはるちゃん、つばさちゃん、次の誰か――

全部、うまく進めてしまいそうな気がして。


できれば、そんな危ないルートは選ばないでほしいなって、

ちょっとだけ、そう思ってしまった。


もちろん、俺が何かを強制できるわけじゃない。

“親友”はあくまで、ヒントを渡す役。

選ぶのは、主人公だ。


でも。


――いおりみたいなやつが、親友ポジでよかったよ。


さっき慎也くんに言われた言葉が、

今になって少しだけ重く響いていた。


◇◇

登校2日目の朝。

教室の空気は昨日よりも、なんとなくやわらかくなっていた。


たぶん、みんなもう“柊慎也”という存在を受け入れ始めてる。

……まあ、あの顔で、あの対応力だもんな。そりゃそうか。


「おはよ、いおり」


今日も変わらず、慎也くんは俺の隣の席に座って、自然に声をかけてくる。

まるで、ずっと前からそうだったみたいなテンポで。


「おはよ~慎也くん。あー、今日も女子の視線集めてますねぇ~?」


「気のせいだろ」


「いや、気のせいじゃないよ、マジで」


実際、前の席のこはるちゃんが、

ちょっと声をかけに来たときの空気、ぜんぜん違った。


昨日は“転校生と話す”って感じだったのが、

今日は“話したくて来た”って感じ。


声のトーンが柔らかくて、

ちょっと照れてるのがわかる。


……うん、これは進んでる。フラグ、着実に育ってる。


俺はこっそりスマホを取り出して、進行メモを開く。

•白河こはる:2日目 → 話しかけに来る

好感度:C+相当?目線&声に変化あり

慎也くんの返し、安定


「今日の昼、屋上見てみない?」

と、俺は慎也くんに声をかけた。


「なんかいるのか?」


「うん。放送部の子が毎日お昼に来てるんだよね。湯川あやめちゃんって言って、長い黒髪でイヤホンしてる子。

 あんまり人とは話さないけど、音楽作るのが好きで、

 昼休みはひとりで自作BGM聴いてること多いの。

 邪魔しなきゃ、話しかけても悪く思われないと思うよ」


「……ふーん。あの廊下で前通った子か」


「そう、それ。印象残ってたなら、たぶん相性悪くないと思う」


俺は慎也くんの表情をちらっと見た。

口には出さないけど、すでに彼は“次に誰に会うか”を考えてる気がする。


──この調子でいくと、本当に全部のヒロイン、落としかねない。

それはつまり、あのルートの入り口が見えてくるってことで。


ちょっとだけ、背中がざわつく感じがした。


昼休み。

案の定、あやめちゃんは屋上の端っこにいた。


イヤホンをつけたまま、お弁当を開いて、外をぼんやり眺めている。

静かだけど、どこか凛としてて、やっぱり“いい子だ”って思う。


慎也くんはしばらくその様子を見て、

何も言わずに引き返した。


その後ろ姿を見ながら、俺は進行メモをまた開く。

•湯川あやめ:観察済み。接触なし

 慎也くん、様子見中

 表情に迷いあり?要確認


「……全部落とす気?」


俺がポツリとつぶやくと、慎也くんは横目で俺を見る。


「止めるか?」


「止められないよ。選ぶのは主人公だ。」


それがこの世界のルールだ。

俺たちは、選択を促すことはできても、

選ぶことはできない。


慎也くんはゆるく笑って、空を見上げる。


その横顔が妙に静かで、

ちょっとだけ、やるせなくて。


俺はなぜか、進行メモを閉じるタイミングを一拍、遅らせた。


◇◇

登校から数日が経った。


慎也くんは、驚くほど順調に“攻略”を進めていた。


こはるちゃんとは、すでに朝の挨拶どころか、

昼休みに一緒に購買へ行くようになってるし、


つばさちゃんには部活終わりに「フォーム見てくれる?」って声かけられて、

そのままラリー付き合ってたりするし、


あやめちゃんも、最初は無言だったのが、

今では「これ、好きなBGMなんです」と、

慎也くんにだけイヤホンを片方渡してるって話を聞いた。


──やばくない?これ。


俺はスマホの進行メモを開いて、ぽちぽちと更新を入れていく。


•白河こはる:好感度 → A

※購買同行。会話頻度高

•火野つばさ:好感度 → A-〜A

※放課後接触複数回あり。体育祭委任チャンス?

•湯川あやめ:好感度 → B+〜A未満

※音楽共有イベント進行中。本人の感情揺れ出てきてる


「……順調すぎない?」


そうつぶやいて、俺はベンチに座っていた慎也くんの隣に腰を下ろした。


「ちょっとは悩みなよ~主人公くん。俺の助言、全部的中してるじゃん」

「感謝してるよ。……いおりがいなかったら、正直ここまで来てなかった」

「……うっわ、そうやって素直に言うのやめて?照れるから」


俺は笑いながら、わざと前髪をくしゃっとかき上げた。


でも、心のどこかでは思っていた。

――これ、ほんとに“全部”いっちゃうかもなって。


その瞬間、教室のドアがスライドして開いた。


「おっはよ~、慎也くん」


甘ったるい声が、空気をすっとすべり込んでくる。


俺が反射的に顔を向けると、

そこには、桐谷ひよりがいた。


長めの巻き髪、きっちりメイク。

スカートは校則ギリギリ。

制服は着てるのに“着こなしてる”って感じの女の子。


なのに、笑顔だけは、誰よりも無邪気そうに見える。


「今日もかっこいいね~。ねぇ、昨日言ってた映画の話さ、今度もっと聞かせて?」


そう言って、慎也くんの机に手をかけ、

わざとらしく身を乗り出す。


──出た。

桐谷ひより。小悪魔系、天然風、人懐っこいけど手強いタイプ。


「……なんで昨日の映画の話、知ってんの?」


「えー?だってー、山田くんと話してたじゃん?聞こえちゃったんだもん」

「そっか」

「そっ♪ でねー、わたしもその映画好きでさ~」


俺は、机に肘をついたまま、ふたりのやり取りを眺めていた。

こういう子、正直ちょっと苦手なんだよな……。

悪い子じゃないのはわかるんだけど、

なーんか、「場の空気を自分中心に引き寄せる」タイプって疲れる。


でも――彼女は、確かに“ヒロイン”だ。

そして慎也くんは、今、間違いなくその“空気”を引き寄せてる。

またメモを開く。


•桐谷ひより:初回接触 → 自発接近/情報収集済み?

好感度:Bスタート

※警戒要注意。展開早い可能性あり


──さて、これで全員出揃った。

ここからが、本番だ。


俺はスマホを閉じて、深く息をついた。


◇◇

放課後、チャイムが鳴ってすぐ。

俺がカバンをまとめていたら、教室のドアがまた軽やかに開いた。


「ねぇ慎也くん。今日ヒマ?カフェ行かない?駅前にさ、限定スイーツ出てるんだって~!」


桐谷ひよりだった。

相変わらずの甘い声で、慎也くんの席に軽く体を傾けて、

そのまま机に手をついて身を寄せる。


「お前、甘いの好きだっけ?」


慎也くんは少しだけ目を細めて、質問の返し方はいつもと変わらない。

でも、その視線の先にちゃんと“興味”があるのがわかる。


「好きだよ~。慎也くんは?甘いのいける人?」


「まあ、普通に」


「じゃ、行こっ!決まり!」


「……はえぇな」


俺はそのやりとりを見ながら、いつもの“親友モード”を保ったまま、

後ろからさらっと口を挟んだ。


「カフェって、あのフルーツパフェのとこ?あそこ結構混むから、今からならちょうどいい時間かもよ」


「でしょ~!やっぱいおりくん話早~い!」


ひよりが振り返ってウインクしてくる。

……俺、なんでウインクされたんだ?


慎也くんは立ち上がりながら俺に視線を寄越してきた。


「じゃ、行ってくる。……ありがとな」


「うん、いってら~」


俺は笑って、手を軽く振って見送った。


……の、だけど。


背中が見えなくなった瞬間、

胸のあたりに変な引っかかりが残っていた。


違う。これは“修羅場ルート”への不安とかじゃない。

今のところ、好感度の動きは想定内だし、

バランスも崩れてはいない。


なのに――


なんで、こんなにモヤっとするんだろ。


俺はベンチに一度腰を下ろして、

スマホの進行メモを開いた。

•桐谷ひより:デートイベント発生

好感度 → A未満予想。次フラグ:夜の連絡?


とりあえずそう書いて、保存ボタンを押しかけて――

やめた。


なんとなく、指が止まってしまった。

そのまま、画面を閉じて、顔の前に手を置く。


風がちょっと冷たくなってきてて、

なんだか、季節よりも早く夕方になったみたいだった。


夜。

布団の中でスマホを握ったまま、俺はまた画面を見つめていた。


SNSを開いて、流れてくる動画をぼんやり眺めて、

進行メモを開いては閉じて、ため息をついて、

もうかれこれ30分は、何もしてないに等しい時間を過ごしてる。


モヤモヤする。

理由はわかってるようで、よくわかってない。


慎也くんが桐谷ひよりと、カフェに行っただけ。

イベントとしては順当で、進行としても文句なし。

俺がいつも通り、後押しして、うまくいった。

それだけ。


それだけ、なのに。


そのとき。

スマホが軽く震えた。


《柊慎也:通話》


「……え?」


一瞬ためらってから、指を滑らせて通話に出る。


「──もしもし?」


『ああ、出た。寝てた?』


「いや……寝れなくて。どしたの?」


『いや、ふと思い出しただけ』


『お前、甘いの好きだったよな?』


「……え? なにそれ、急に」


『この前、購買でパン選んでたとき、

 チョコだのカスタードだの、すげー悩んでただろ』


「う……そ、それは……っ」


思い返せば、たしかにかなり迷ってた。

“どっちも捨てがたい”って本気で悩んでた自覚はある。


『でさ、インスタでたまたま見つけたんだけど、

 駅前に、パフェとかパンケーキの店できたっぽい。

 見た目、すげー派手。……行ってみるか?』


「……俺と?」


『他に誰がいる』


その言い方があまりにも自然で、

俺の中のモヤが一瞬で吹き飛んだ。


『今週末、空いてる?』


「っ……う、うん。空いてる。行く……!」


『じゃ、決まりな。あとでURL送る』


「……ありがと」


『……なんでお前がお礼言ってんだよ』


「……知らないよ、もう」


慎也くんは小さく笑って、それから少しの沈黙。


『じゃあ、またな。寝ろよ、ちゃんと』


「うん、おやすみ……」


通話が切れたあとも、耳に残る声が、頭の中でぐるぐる回る。


気づけば、スマホを胸の上に置いたまま、

目を閉じていた。


さっきまでのモヤモヤなんて、跡形もなくて、

でもその代わりに――


「……俺、なにやってんだろ」


ぽつりと漏れた声に、答えは返ってこない。


でも、

あの声を聞けてよかったと思ってる時点で、

もうとっくに、俺の中では始まってたのかもしれない。


◇◇

放課後の教室に、甘くて軽い声が飛び込んできた。


「ねぇ、慎也くん。週末さ、またあのカフェ行かない?」


桐谷ひよりが、笑顔で慎也くんの机に手をつく。

制服の袖からのぞくブレスレットが、夕陽にきらっと光る。


「前回のいちごのやつ、今週末で終わっちゃうんだって~。ね、行こ?」


慎也くんは一瞬だけ、目を伏せてから言った。


「……悪い。もう予定入ってる」


「えっ、そっか。残念~……」


ひよりは笑顔を崩さなかったけど、

一瞬だけ、声のトーンがほんの少しだけ沈んだ気がした。


俺は、そのやりとりを斜め後ろから聞きながら、

胸の奥がずん、と重くなった。


“予定”──それって、俺と行くスイーツカフェのことだ。

この前、通話で約束したやつ。


頭ではすぐに理解できた。

でも、心のどこかがチクリと痛んだ。


……あのカフェは、ひよりとのデートイベントとして用意されてたはずだった。

条件も好感度も、タイミングも整ってた。

イベントは、発生してよかった。


俺は、恋のキューピッド。

選ぶのは主人公で、俺はその道筋を示すだけ。


だったら――


「……“俺のことはいいから、行ってこいよ”って、言うべきじゃんか……」


唇を噛んで、心の中でつぶやいた。


でも、言えなかった。


どうしても、声に出せなかった。


慎也くんが、俺との予定を「入ってる」って言った瞬間、

少しだけ、嬉しいって思ってしまった自分がいたから。


こんな感情、案内役としては絶対に持っちゃいけないのに。


「……でも、1日くらい。たった1日だけ。俺と遊んでも、いいよな」


小さく、小さく、心の中で言い訳する。

これは親友としての付き合い。

そう――“親友だし”、だから、って。


なのに、

どうしてだろう。


自分でついたその言い訳が、

一番、胸に刺さるんだ。


週末。駅前のカフェは、思ったよりも混んでいた。

並びながらメニューを眺めて、俺はちょっとだけ冷静になってしまう。


「……なあ慎也くん、俺らってさ、男二人で……こう、スイーツカフェって……」


「今さら?」


「いやだって、周り見てみ?女子とカップルしかおらんて」


「いいじゃん、俺たちもカップルっぽく見えるかもよ」


「やめろ、冗談でもやめろ!」


言いながら赤面して、前髪をぐしゃっとかき上げる。


……けど、

心のどこかでは、“そう見えるかも”って一瞬想像してしまった自分がいる。


席について、運ばれてきたプレートを見て、俺は目を見張った。


「うっわ、なにこれ……!パフェでか……!いちごのタワーじゃん……!」


「お前、こういうの好きなんだろ?」


慎也くんはあくまで普通に、俺の顔を見てそう言う。


「す、好きだけど!改めて見るとなんか……テンション上がる……!」


スプーンを握って、パフェのいちばん上の生クリームに突撃する。

口に入れた瞬間、幸せすぎて思わず笑ってしまった。


「うっま……やば……」


「幸せそうだな」


「ん~ん……幸せ……!」


夢中で食べてたその時だった。


「……ついてるぞ」


慎也くんの指が、俺の口の横にすっと伸びて、

親指で、やさしくホイップをぬぐった。


「……へっ?」


「口の横。クリーム」


何気ない動作なのに、

慎也くんの指先が、

そのあとのニヤリとした笑顔が――

反則級に、かっこよかった。


「っ……え、ちょ、やめろやばい……!」


顔を手で覆って、必死に前を見ないようにする。

頬が一気に熱くなって、心臓も跳ねるみたいに暴れてる。


「お前、照れすぎ」


「て、照れるわ!!なんだよ今の!!」


「いや、普通に拭っただけだけど」


「“だけ”じゃねぇだろぉぉお!!」


――冷静に考えたら、

男二人で、スイーツカフェで、顔にクリームつけて、

それを拭われて、かっこいい笑顔されて、心臓ばくばくとか。


恥ずかしすぎる。ありえない。


なのに。


「……っ、でも、もうどうでもいいや……」


ここに来てよかったって、

素直に、そう思ってしまった。



「はー……食べた食べた……」


カフェを出たあと、俺はお腹を軽くさすりながら歩道に出た。

心なしか、歩き方がふわふわしてる。

それくらい、あのパフェは最高だった。


「お前、パフェとパンケーキ両方いくのは欲張りだろ」


「だって……どっちも食べたかったんだもん……」


慎也くんは笑って、袋に入ったテイクアウトのチーズケーキを揺らした。

あれ、家で食べるらしい。甘党かよ、と思いながらも、

なんかちょっと嬉しい。


駅までの道をのんびり歩いていると、

ふと慎也くんが、ポケットに手を突っ込んだまま、ぽつりと口を開いた。


「……なあ、いおり」


「ん?」


「今、あの子たちの好感度って、どのくらいなんだ?」


俺は思わず吹き出しそうになった。


「なに急に。なんでそんなRPGのステータス聞くみたいに訊くの」


「気になるだろ。どこまで進んでんのか、知っときたい」


俺は肩をすくめて笑いながら、手を後ろに組む。


「だいたいは分かるよ。顔の表情とか、言葉の端とかで。

 長くやってると、そういうのが“分かる”ようになってくる。

 ……まぁ、これは職業病ってやつ?」


「ふーん。……じゃあ、ヒロインじゃない子の好感度ってのも、分かんのか?」


「……え?」


少しだけ、足が止まりかけた。


でもすぐに、

「さすがにそれは分かんないな~」って笑いながら答える。


「攻略対象に設定されてない子は、基本的にイベントも起きないし。

 見えないというか、そもそも“測れない”感じ?

 だから、気にしなくていいよ」


慎也くんは「そっか」とだけ言って、

それ以上なにも訊いてこなかった。


俺も笑ったまま歩き出す。


……けど、その瞬間、

どこか遠くの記憶が、ふっと浮かんだ。


──隠しルートとか、あるのか?


慎也くんが、転校してきた初日に言った一言。


その時は冗談だと思って流した。

ゲームっぽい空気に気づいて、ふざけて言っただけだって。


でも今、その言葉が妙にリアルに胸に残ったのは、

きっと、今日のデートが“楽しかった”から。


本気で楽しかった分、

“これがもし、彼にとってのイベントのひとつだとしたら”って、

そんな想像が、怖くなったのかもしれない。


「……なに考えてんだ、俺」


自分にそう言って、頭を軽く振る。


冗談だ。あの時の言葉も。今日のことも。


──たぶん、全部。


◇◇

昼休み、慎也くんの席は空いていることが多くなった。

最初のころだけ、俺と一緒にお昼食べたりしてたけど、

今はもう、つばさちゃんの隣だったり、

こはるちゃんと購買に行ったり、

あやめちゃんと廊下の隅でイヤホンを分け合っていたりする。


それが、自然になっていた。


俺は、進行メモをつける。

好感度の上がり具合、イベントの傾向、次に起こりそうなこと。


すごいな、慎也くん。

どの子とも、バランスよく進めてる。


……それは、案内役としては誇らしいことのはずだった。


──週末、カフェの前を通ったら、

こはるちゃんと一緒にフルーツタルトを食べてたのを見かけた。

翌週はつばさちゃんとボウリングのチラシを見ていた。

そのまた翌日には、

あやめちゃんが自作のサントラをUSBにまとめて渡していた。


それでも、

夜になると、たまにLINEがくる。


いおり、今ひま?


通知が鳴るだけで、心臓が跳ねる。


通話を繋ぐと、慎也くんの声が、あのままのテンションで届いた。


『なあ、いおりって、いつから音ゲーやってんの?』

「……なにそれ急に」

『この前言ってたじゃん。ゲーセンでマジ叩いてたって』

「あ~……中学から。姉ちゃんの影響」


『へぇ。やってる姿想像つくな』


「やめろ恥ずかしい……!」


『あ、そういやこの前買ったプリン、めっちゃうまかった。お前の好みに近いやつだったわ』

「え、なにそれずるい、どこで売ってたの?」

『あの駅前の小さいコンビニ。今度買ってくか?』


「……買ってくれるの?」

『おう。甘いの得意分野だからな、俺』


そう言って笑う声に、スマホ越しでもなんとなく笑ってしまう。


くだらない話ばかりだった。

でも、そういうのが嬉しかった。


ヒロインたちとの進行は、日中ずっと続いている。

俺が介入するまでもないくらい、順調で、楽しそうで。

そのどれにも口出ししない代わりに、

夜の数十分が、俺のものになる。


……それでいいって、思ってる自分が、情けないくらいに嬉しい。


でも、

どこかで思ってしまう。


この時間が、もし“イベントのひとつ”だったら。

 もし、俺も“ルートの途中”だったとしたら。


そんなことを思った瞬間、胸がぎゅっと締まる。


通話の終わり際、

慎也くんが「またな」と言って通話を切ったあと、

俺はスマホを胸の上に置いて、目を閉じた。


この時間が、ずっと続けばいいのに。

言えないけど、何度も、そう思ってしまった。


◇◇

金曜の放課後。

昇降口を抜けて校門へ向かう途中、

ふと視線の先に、見慣れた後ろ姿が見えた。


慎也くんと、桐谷ひより。

ふたり並んで歩く背中が、夕陽の中でゆっくり動いていく。


その瞬間、俺の足は自然と止まっていた。


呼び止めようとしたわけじゃない。

用事があったわけでもない。


ただ、名前を呼ぶことなく、

少し距離を空けて、

その背中を、目で追ってしまっていた。


聞こえてくるひよりの声は、いつもより少し柔らかかった。


「ねえ、今日ちょっとだけ寄り道しない?」

「話したいことあるし……行きたいとこ、あるの」


楽しそうな声だった。

慎也くんも、それに応じるように軽くうなずいていた。


ただそれだけのやりとり。

きっと、誰が見てもなんてことない。


なのに、

そのときの俺には、

まるで、“ふたりだけの世界”ができあがる瞬間みたいに見えた。


──追いかけたわけじゃない。

ただ、見かけただけ。

偶然、目に入っただけ。


そう、自分に言い聞かせながらも、

なぜか、歩く方向を変える気になれなくて。

ほんの少しだけ、距離を保ったまま──その背中を追っていた。


ふたりが向かったのは、学校から少し離れた小さな公園だった。

木々に囲まれた遊歩道と、花壇に沿って並ぶベンチ。

夕暮れ時、通る人も少なくて、空気がやけにやわらかかった。


俺は、そのあとを、ただ黙ってついてきていた。


──別に、追いかけたわけじゃない。

本当に、偶然だ。……ってことに、しておきたかった。


それでも、気づいていた。

何か、嫌な予感がしていた。


胸のどこかが、警告音みたいに小さく鳴っていた。

「見ない方がいい」「引き返せ」って──

ずっと、何かが囁いてたのに。


……それでも、目を逸らせなかった。


少し距離を置いた場所、木の陰から、ふたりの姿が見えた。


ベンチに並んで座る慎也くんと、ひより。


「……ねえ、慎也くんってさ」


ひよりの声が小さく届いた。

けれど、続く言葉はなかった。


「……やっぱ、やめた。

 今なら、言葉にしなくても伝わる気がするから」


そのまま彼女は、そっと体を傾けた。

横に並ぶ慎也くんへ、

静かに顔を近づけて──頬に、唇を触れさせる。


それは、唐突でも情熱的でもない、

でも明らかに、気持ちを伝えるキスだった。


慎也くんは驚くでもなく、拒むでもなく、

ただ、ひよりの前髪を静かに指先でなぞった。


夕陽の中で、ふたりの時間だけが、

やけにゆっくり流れているように見えた。


俺は、その光景を、

息を殺して、影から見ていた。


手のひらがじんわり汗ばんでいた。

喉が詰まって、何も飲み込めなかった。


──ああ、やっぱり、見なきゃよかった。


そう思ったときにはもう、

胸の中が、ぐちゃぐちゃに壊れかけていた。


どれくらい、時間が経ったんだろう。


ひよりが慎也くんにキスして、

そのまま笑いながら手を振って、道の先に歩いて行ったあと。


俺は、そのまま木の陰で立ち尽くしていた。


足が、動かなかった。


動こうと思えば、動けたはずだった。

でも、あの瞬間から、何もかもが変にスローモーションになって、

次の一歩が踏み出せないままだった。


──なのに。


「おーい、いおりー?」


その声が聞こえたとき、心臓が跳ねた。


え? なんでこっちに来てるの?

まだ顔がまともに戻ってない。呼吸も整ってない。

バレる。絶対バレる。


「……あ、やっべ」


一歩でも後ろに下がろうとして、

けどその前に、慎也くんがもう目の前にいた。


「なんだ、お前いたのか。声かけりゃよかったな」


「は!? あ、え、いや、ちがっ……たまたま! そのっ、帰り道で……!」


頭が真っ白で、言葉がぐちゃぐちゃで、

とにかく、いつも通りを演じなきゃって、それだけでいっぱいだった。


「……で、さ。順調じゃん! あの感じ、もう告白秒読みってやつ?」


笑った。

口角をぐっと引き上げて、声のトーンも明るめに。

たぶん、ちゃんと“いつもの俺”に見えたはず。


「なに急に。……うるせぇよ」


慎也くんは軽く笑って、いつもの調子で返してくれる。


ああ、これで大丈夫。

バレてない。


「じゃ、俺ちょっと用事あるから! 先行くわー!」


間を空けずに背を向けた。

全力で逃げるみたいに、その場を離れた。


後ろから呼び止められないように、

手だけを振って、振り返らずに歩いた。


──情けな。

でも、あのままいたら、

きっと泣いたかもしれない。


俺は、自分の気持ちに必死すぎて、

誰かの視線が向けられていたことに、気づけなかった。


もう少しだけ離れた場所で。

夕暮れの陰に溶けるように立っていた“誰か”が、

そのやりとりのすべてを見ていたことを──


……俺は、知らなかった。


◇◇

気づいてしまったのは、あの日だった。


あのキスを見て、

胸の奥がどうしようもなく痛くなったあの日から、

全部、変わってしまった。


進行メモは、開こうとして指が止まる。

“誰かといい感じ”だなんて言葉、

いまの俺には、ただのナイフだ。


アドバイスも、うまく出てこない。

どこで会えば好感度が上がるかなんて、頭ではわかってるのに、

言葉にすると、喉が詰まる。


昼休み、慎也くんがヒロインのひとりと笑いながら話してる姿を見かけた。


それだけで、目をそらした。


「……俺、何やってんだろ」


そうつぶやいても、正解なんて返ってこない。


教室に戻れば、慎也くんが俺の隣の席を見て、

ほんの少し眉をひそめる。


「いおり、最近テンション低くね?」


「……え? そんなことないし? 気のせいでーす」


笑顔を作るのに、

以前より一拍、余計に時間がかかる。


それを慎也くんが気づいてるのか、気づかないふりをしてるのか、

いまの俺には、わからなかった。


廊下の端。

掲示板の前でプリントを眺めてるフリをしてたとき、

後ろから声をかけられた。


「おい、いおり」


びくっと肩が跳ねる。


振り返ると、慎也くんが俺のすぐ後ろに立ってた。


「……な、なに?」


「最近、お前俺のこと避けてね?」


ズバッと言われて、思わず視線を逸らす。


「そんなことないけど? いつも通りでーす!」


「いやいや。

 電話もでねーし、アドバイスも雑になってるし。

 進行メモだって、最近更新されてねぇぞ」


「え、見てたの!?」


「当然。俺のこと、ちゃんとサポートしてくれるんだろ?」


くっと口角を上げたその顔が、

いつも通りなのに、やたらまぶしく感じた。


「……心配、してんだよ」


その一言が、胸の奥にぐさっと刺さる。


「……じゃあ、今度。どっか行くか。甘いやつ食ってもいいし、ゲーセンでも」


その瞬間、

嬉しくて、息が詰まった。


あ、やばい。

今、顔、絶対に赤くなってる。


「……う、うん、行こうか、な」


目をそらしたまま、なんとか声を絞り出す。


でもその直後、

頭のどこかで、ひとつの記憶が蘇った。


──“隠しルートとか、あるのか?”


慎也くんが、最初の頃にふざけて言った、あの言葉。


それが、今になって鋭く突き刺さってくる。


……もし、俺の好感度が上がってるから。

そういう数値で、彼が俺を“選んで”るとしたら。


「……や、やっぱさ、予定合えばね~?」


軽く笑ってごまかして、

プリントを鞄に押し込むふりをする。


どうしてこんなに嬉しいのに、

どうして、こんなに怖いんだろう。


◇◇

昼休みの終わり。

次の授業まで少しだけ時間があった。


人の少ない階段裏の廊下で、俺はただ空を眺めていた。


この頃、なるべく彼の姿を見ないようにしてた。

進行メモも開かない。

ヒロインたちの進行状況なんて、知りたくなかった。


でも、“アドバイザーのさだめ”なのか──

どうしても、見てしまう。


視界の端に、慎也くんと、こはるちゃんの姿が映った。


笑っていた。

まっすぐ、こはるちゃんの目を見て。

ふたりの距離は近くて、

こはるちゃんは少し照れて、髪をいじっていた。


それだけで、

心臓が、ギュッと縮こまったみたいに痛む。


──やだな。

なんでまた、見ちゃったんだろ。


足を引き返そうとして、身体をひねったそのときだった。


廊下の奥。

掲示板横の柱の影に、制服のスカートが揺れたのが見えた。


あやめちゃんだった。


……なんで、そこに?


直後。

その手元で、なにかがきらりと光を反射した。


それが何かを理解するのに、数秒かかった。


──ナイフ。

折りたたみ式じゃない。

細くて、鋭くて、

持ち慣れているような手つきだった。


空気が、一瞬で冷えた。


あやめは、無表情だった。


でも、瞳の奥が、

なにかが“切れてる”ような光を宿していた。


……修羅場ルート。

あれは、いとこが言ってたやつ。

全ヒロインの好感度が高いときに、

一定条件を超えると突入するっていう……


「……うそ、でしょ」


その言葉が口から漏れた時には、

すでに彼女の身体が、ふっと動き出していた。


──走り出す。

目の前には、慎也くんとこはるちゃん。


間に合わない。

叫ぶ暇もない。


「っ、待っ──!」


気づけば俺の身体が、

自分の意思より先に、動いていた。


走っている途中、風の音が耳を削いだ。


視界の先で、慎也くんが振り返る。

こはるちゃんが何かを言おうとしてる。

でも全部、スローモーションに見えた。


あやめちゃんの腕が振りかぶられる。

細身のナイフが、光を反射してヒュッと音を立てた。


──間に合わない。


でも、間に合わないままでも、

それでも、飛び込んだ。


慎也くんとこはるちゃんの間に、自分の身体を滑り込ませるように。


「っ──!」


刃が肌を裂いた感触が、遅れて伝わる。


腹の横を、鋭い痛みがかすめていった。


ほんの一瞬、呼吸が止まる。

肺がうまく動かず、身体の奥に冷たい圧が広がった。


足元がぐらりと揺れる。

視界が急に遠くなって、身体の力が抜けていった。


「いおり!!」


慎也くんの声が耳に届く。

でも、その声も、少しずつ遠くなっていく。


掴まれる腕の感触だけが、まだ熱くて、

それが少しだけ安心だった。


目の前が暗くなっていく中で、

最後に見えたのは──


泣きそうな顔をした慎也くんだった。


「ああ……こんな顔、させたくなかったのに」


そんなことを、

思ったか、思いたかっただけかもわからないまま──


意識は、すっと落ちていった。


◇◇

どこか遠くで、機械の電子音が鳴っていた。


重たいまぶたをゆっくり開けると、

真っ白な天井と、鈍い光が視界に差し込んできた。


──あ、病室か。


思い出すよりも先に、

身体のあちこちが痛いって教えてくれた。


腹が、ずきんと鈍く痛む。

息を吸うのも、ほんの少しだけ苦しかった。


「……いおり」


その声が聞こえたとき、視線を横に向ける。


椅子に座って、頭を垂れていた慎也くんが、

気づいたように顔を上げた。


その目の端が、赤くにじんでいた。


「……っ、お前……!」


勢いよく立ち上がると、

ベッドの端に手をかけて、ぐっと身を乗り出す。


「良かった……マジで、良かった……!」


そう言いながらも、

慎也くんの顔には、安堵と、それ以上の何かが混じっていた。


「ごめん……俺……ほんと、ごめん……」


「……なんで、謝んのさ。俺が勝手に……」


「ちがう。

 ……お前がいなくなるって思ったら、

 ほんとに、怖かったんだ」


その言葉が、

ぼんやりしてた頭の奥に、じんわりと染み込んでいく。


慎也くんの手が、そっと俺の手の上に重なった。

その手が、少しだけ震えていた。


「……あやめは、警察に保護された。

 詳しくは言えないけど……もう、戻ってこないと思う。

 学校にも、たぶん二度と」


そのあとのことは、

慎也くんはあまり話さなかった。

話せないようにも見えた。


沈黙が落ちた病室に、

控えめにノックの音が響いた。


「──失礼します」


看護師と一緒に、俺の親が入ってきた。


「いおりっ……!」


名前を呼ばれて、

ふっと、現実が戻ってきた。


慎也くんは、少しだけ俺の手から身を引いて、

「……また来る」とだけ言って、病室を出ていった。


言葉にできなかったものたちは、

全部、そのまま残っていた。


◇◇

退院してから数日が経った。


痛みはほとんど引いて、

学校にも、そろそろ戻れそうだと医者に言われて──


俺は、久しぶりに制服に袖を通した。


教室の扉の前で、一度だけ深呼吸する。

いつもどおり、何事もなかったように。

笑って、普通の顔で。

それだけが目標だった。


「……おはよーございまーす」


教室に入った瞬間、

ふっと、空気が変わったような気がした。


誰かが「おかえり」と小さく声をかけてくれて、

何人かが手を振ってくれた。


でもそれ以上は、なかった。


──あれ。


おかしい、と思ったのは、

目線の先に、慎也くんを見つけたときだった。


いつも通り、窓際の席に座っている。

制服の襟元は相変わらず緩くて、

足を組んで、ぼんやりと外を見てる姿は、

どこから見ても絵になっていた。


……なのに。


その周りにいたはずの、

ヒロインたちの気配が、今はない。


完全にいなくなったわけじゃない。

視線は、ある。

でも、少しだけ、離れている。


──あの感じ、知ってる。


去年、担当してた“主人公”が、

ヒロインと恋人同士になったあと。

そのとき、周囲の女の子たちは、

こんなふうに“熱”を引いてた。


みんな、気づいてるんだ。

「あ、この人はもう、誰かとくっついたんだ」って。


まさか──


「……っ」


胸の奥が、ギュッと締めつけられた。


痛みじゃない。

けど、それよりも苦しい気がした。


──誰?

誰なんだ。

俺の知らない間に、慎也くんは……誰かと……


思考が渦を巻く。

でも声にはならない。


俺は、自分の席に向かいながら、

ぎこちない笑顔を浮かべて、

ただ、何も知らないふりをした。


「……おかえり、いおり」


その声は、斜め後ろから届いた。

教室の窓際、いつもの席に座っていた慎也くんが、

机に頬杖をついたまま、俺の方を見ていた。


「えっ……あ、うん。戻りました」


思わず噛みそうになりながら返すと、

慎也くんはふっと笑った。


それが、なんか……妙に、甘い。


「無理してんの、バレバレ」


「してないってば」


椅子に座りながらそう返すと、

「へー?」って、気のない声で返される。

でも、表情は優しくて。

それがまた、心臓に悪かった。


こはるちゃんが近くでノートをまとめていた。

ちらっと様子をうかがったけど、

とくに慎也くんのことを気にしてる風でもなく、

まるで……何もなかったみたいな顔をしていた。


──違う。

こはるちゃんじゃない。


じゃあ……つばさ? ひより?


答えの出ない疑問が、

胸の奥で渦を巻いたまま、消えてくれなかった。


でも、

慎也くんの笑顔は、俺に向けられていて。

前よりも、ちょっとだけ、近く感じた。


それがまた、

困るほどに、嬉しかった。


◇◇

昼休みも、放課後も、

いつの間にか、また“ふたりでいる”のが当たり前になっていた。


「ナポリタンでいいの? 病み上がりなのに」


「好きなの。……ってか、前も一緒だったじゃん」


「まーな」


慎也くんは、俺のトレイからフォークをひょいと取って、

「味見」って言いながらひとくち食べて返してきた。


そんなの、

前ならなんとも思わなかったのに。


今は、顔が熱くなるばかりだった。


放課後。

下駄箱で並んで靴を履いていると、

「じゃ、一緒に帰るか」と自然に言われた。


もう断る理由も、断る気もなかった。


──でも。


ずっと、胸の奥でぐるぐるしてる。


誰?

誰と付き合ったの?

なんでそんな顔で俺に優しくするの?


我慢できなくなったのは、

帰り道、信号待ちの横断歩道。


「……ねえ、慎也くん」


「ん?」


彼はポケットに手を突っ込んだまま、振り向く。

その目が、ちゃんとまっすぐ俺を見ていた。


「……誰かと、付き合ったの?」


風が吹いた。

街路樹の葉が揺れる音が、やけに大きく感じた。


慎也くんは、ふっと目を細めて、

それから急に、真剣な顔をした。


「──俺、もう“攻略”とか“ゲーム”とか、やめた」


静かな声だったけど、強い響きだった。


「これ以上、好きなやつ困らせたくねーから」


サラッと、

まるで何でもないことみたいに、そう言って歩き出した慎也くんの背中が、

やけに、遠く見えた。


好きなやつって──誰。


──まさか、まさかって思いながら、

それでも、心臓がうるさくなって、追いつけそうになかった。


ベッドに入って、電気を消した。


けど、目を閉じても、

さっきの言葉が、ずっと頭の中をぐるぐるしてる。


──好きなやつ困らせたくねーから。


あの声。

あの目。

あの言い方。


あれって──

もしかして、俺のこと?


……いや、でも、なんで急に。

なんで、そんなこと言ったの?


しかも、あんなふうにサラッと。


“告白”って感じじゃなかった。

でも、でも──


本気みたいに聞こえた。

ずっと、俺のこと見てた気がした。


布団の中で、枕に顔を埋める。


「……うれしいじゃん、そんなの……」


こっちだって、ずっと苦しかった。

怖かった。

でも、好きで。

ずっと、そばにいたくて。


言いたい。

言いたいのに。


胸の奥で、別の声が引き止めてくる。


──俺、隠しルートかもしれないじゃん。


冗談みたいに、最初に言ってたあの言葉。

今も、どこかに引っかかってる。


“好感度が高かったから”

“他に誰も選べなかったから”


──もし、そうだったら?


心臓がまた、ぎゅってなる。


目を閉じたまま、息を吐く。


たぶん、今夜は眠れない。


◇◇

朝教室に入った瞬間、

慎也くんが俺の隣の席にぐいっと椅子ごと寄ってきた。


「おはよ、いおり。……なんか髪、寝癖ついてんぞ」


「え、うそ……どこ……?」


「ここ」


指先が、俺の前髪をふわっとすくって整える。


めっちゃ距離近い。

というか、顔近い。

というか、近すぎて心臓止まるかと思った。


「……な、なにしてんの」


「んー、可愛かったから」


「はっ!?」


口が開きっぱなしになる。


けど慎也くんは何食わぬ顔で、

俺の机の上に自分のサンドイッチを置いた。


「ツナと卵、どっちがいい?」


「え、なんで俺が選ぶの」


「どっちも好きだろ?

 んで、こっち選んだらあーんしてやるから」


「いやいやいやいや!!」


「ほら口、開けて?」


「ま、待っ──、んむっ……」


言う前に、

卵サンドが本当に差し出されて、

俺はもう反射的に受け入れてしまっていた。


机の下で、膝が勝手にくっついてて、

慎也くんはそれも自然に受け入れてて、

……もう何がどうなってんのかわからない。



昼休み、

買ってきたプリンのフタをぺりっと剥がして、

スプーンを取り出そうとしたときだった。


「お、それ美味しそう」


隣からひょいっと身を乗り出してきた慎也くんが、

俺のプリンを覗き込んできた。


「一口ちょうだい」


「え、やだ。俺のだし」


「ケチー。じゃあさ……」


そう言って、

慎也くんはスプーンをひとすくいして、

俺の口元に差し出した。


「こっちが先。いおりが先に食べて」


「え、なんで」


「いいから。ほら、あーん」


むちゃくちゃ甘い笑顔で、

目を細めて、

まるでヒロインにするみたいな顔で見てくるから、

断れなくて──


「……あ、あーん……」


口を開けた。


とろっとしたプリンが舌に広がる。

それを飲み込んだ瞬間、


「よくできました」


そう言って、

慎也くんが俺の頬に、

軽く──ほんとに軽く、キスをした。


「……っ、は!?!?!?!?」


「ん、お礼。くれたから」


「いやくれてないし!?!?!?」


「気持ちが大事」


どこがだ。

まったくもって意味がわからない。


けど、

顔が、耳まで真っ赤になってるのが自分でもわかった。


◇◇

帰り道、

いつもの道が、やけに長く感じた。


慎也くんはいつも通り──いや、それ以上に優しかった。


歩くとき、俺の歩幅に合わせてくれるし、

交差点で手を引っ張られたときなんか、

それだけで心臓がドクンと鳴った。


なのに。

こんなにも甘いのに。


胸の奥が、ぎゅうっと締めつけられて、苦しくて。


──信じたいのに。


──信じられない。


「……なあ」


慎也くんがポケットから手を出して、

俺の腕にそっと触れた。


「元気なくね? プリンのときは顔真っ赤だったのに」


からかうみたいな言い方。

でも、顔は真剣だった。


「……っ」


言葉が出なかった。


目の奥が、熱くなって。

唇が震えて。

胸が、ズキズキして。


「……無理だよ、慎也くん……」


「え?」


「そんなに優しくされたら……

 嬉しいのに、……苦しくなるんだよ……!」


ぐしゃっと音がするくらい、感情が崩れた。


勝手に涙があふれて、

視界が滲んで、

前がよく見えなかった。


「……ほんとに俺のこと、好きなの……?

 それとも……好感度とか、隠しルートとか、そういうの……?」


慎也くんの影が、

俺の前に立って、

そっと両肩に手を置いた。


「信じたいのに、信じられないんだよ……

 俺……怖いんだ……っ」


言葉が詰まって、

声もぐちゃぐちゃで、

どう聞こえてるのかもわからなかった。


でも、もう、

止められなかった。


いおりの肩をそっと抱いたまま、

慎也は静かに、でもしっかりとした声で言った。


「……涙、拭けよ」


自分の袖で、いおりの頬をそっとなでる。

その仕草が優しすぎて、また涙が出そうになるけど、

もう、いおりの目は慎也から離せなかった。


「俺、たぶん最初、完全にゲームだと思ってた」


慎也は、空を見上げて小さく笑った。

でもその笑みは、どこか苦くて。


「現実って言われてもさ。

 あんなに分かりやすく好感度上がってくし、

 選択肢次第でイベント起こるし。……正直、楽しかった。

 女の子たちと遊ぶの、飽きなかったし。

 “これがこの世界のルールなんだ”って、そう思ってた」


いおりは、息を呑んだまま、何も言えなかった。


「でもさ、気づいたら……お前と話すの、

 意味もなく楽しくて。

 女の子と遊んでるときも、

 “これ、いおりだったらどう言うかな”とか、そんなことばっか考えてた」


「……っ」


「避けられるようになって、めちゃくちゃ気になって。

 なんかムカついたり、焦ったり。

 でも、それもごまかして、

 “女の子相手なら簡単に進むし”って、適当に回してた」


言いながら、慎也はふっと目を伏せた。


「でも──あの日、お前が俺の前で刺されたとき」


その声に、いおりの肩が小さく震えた。


「マジで、世界がひっくり返った気がした。

 “これは現実だ”って、やっとわかった。

 人はほんとに、簡単にいなくなるんだって思った。

 怖かった。めちゃくちゃ、怖かった」


慎也はもう、真っすぐいおりを見ていた。

その瞳には、迷いがなかった。


「……だから、もうゲームとか、攻略とか、そういうの全部やめた。

 俺が好きなのは、お前だって、気づいたから」


いおりの目から、またぽろっと涙が落ちた。


でももう、さっきみたいに苦しい涙じゃなかった。


「……ほんと、に?」


「何度でも言ってやるよ。俺は──いおりが好きだ」


いおりの喉が、小さく鳴った。


目元を覆う手が、わずかに震えていた。


「……隠しルート、とかじゃなくて……?」


その声は、ひどくか細くて、

でも、今のいおりの全部が詰まっていた。


慎也の表情が、一瞬だけきょとんと崩れる。


「……は? 隠し……なに?」


「……っ、だから……っ」


いおりは勢いよく顔を上げた。

涙で目の縁が赤くなってるのもそのままに、

目をそらさずに慎也を見た。


「ずっと……ずっと前から、俺……慎也のこと、好きだったんだよ……!」


慎也が、目を見開く。


「でも俺は親友ポジで、慎也の恋を応援しなきゃいけなくて……

 なのに……優しくされるたびに、

 “これって俺の好感度が高いから?”って……

 “隠しルートだから狙われてるだけなんじゃないか”って……

 どんどん、好きなのに、不安で……」


震える声で、詰まりながら、でも言葉を止めなかった。


「一緒にいるのが嬉しいのに、

 近づくのが怖くて……

 信じたくて、信じられなくて……!」


いおりの瞳から、またぽろっと涙がこぼれた。


その瞬間、

慎也がふわっと笑った。


「……お前、ほんっとめんどくせぇな」


そう言いながら、

その手が、そっといおりの頬を包んだ。


「でもさ。……それでも、俺はお前が好きだよ」


短くて、まっすぐで、ずるいほど温かい言葉だった。


「ゲームとか、隠しルートとか、そういうの、

 ほんとどうでもいい。

 俺が好きになったのは、“お前”だから」


指先が、そっと涙を拭う。


「……いおりが、好きだ」


言い終えたその顔が、

少しだけ照れてて、でもどこまでも真剣だった。


いおりは、小さく息を呑んで、

ほんの少しだけ迷ってから──


「……俺も、好きだよ」


その言葉は、今まででいちばん素直に言えた。


次の瞬間。

慎也がいおりの手を引いて、

そっと唇を重ねた。


静かで、柔らかくて、

あたたかい、初めてのキスだった。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

読んでくださった皆さんの時間が、少しでも楽しいものになっていれば幸いです。

感想やご意見などいただけると、とても励みになります。

また、どこかの物語でお会いできたら嬉しいです。

ありがとうございました。


2025/05/02

トリスタ

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