13-7 猥書
カシラはその姿からは予想できないほどに剣術に長けていた。ジャンも不得意ではないのだが、どうしても致命的な一撃を与えることができずにいた。ライルからの魔法の手助けもあり、隙がないわけではないのだが、どうしてもカシラの方が上手であった。
「全く、困ったものですね」
お互いの刃をぶつけ合い、顔が近づいたときにカシラは口を開いた。
「私も魔族ですから、貴方に魔法を使っているのですけれどねえ。何故効かないんでしょう」
「魔法?」
「ええ。性別関係なく、私に惚れてしまう魔法です。騎士の一部もそれで言うことを聞いてくれてますが」
「そんなの」
ジャンはカシラの刃を押しのけ、少し距離を置いてから自信満々に言う。
「俺がラピュに心底惚れてるからな。他の奴になびくはずが万が一にも無い」
どやぁ、と効果音がつきそうな程にジャンは迷いも照れも何もなく言ってみせた。それに対してカシラは何も言わず、息を吐き出す。
「貴方も、この国に関係ないのであれば関わらなければいいのに。この後私は大人しく魔国に帰るつもりですよ?」
「信じられない、ってのもあるが、人事には思えないってのが大きいかな。……こうして旅をしていて、俺だけじゃないって安心を覚えると同時に、己の愚かさも改めて認識した」
だから、とジャンはカシラを睨みつけた。
「平和を乱すような奴らを許せないし、抵抗しようと頑張るやつらを助けてやろうって思ったんだ。だからあんたを俺が倒す」
「……今なお、私に大した傷を与えていないのによく言いますね」
「そうだな。正攻法じゃ、駄目だってことはわかってはいたが」
ジャンは息を吐き出し、大剣を構えなおした。
「仕方ない。本気出させてもらう」
そう言ってジャンは床を蹴った。先程よりも速い動きであったが、カシラは顔色を変えず、ジャンの振り下ろした大剣を避ける。そして隙をみせるジャンの首めがけて刃を振り下ろそうとした。だが、ジャンは避けられることはわかっていたのか、大剣から片手を離し、身体を捻る。カシラの剣がジャンの肩をかすめていくが、ジャンは気にせずに左手をカシラに向けて突き出した。その手にはラピュが愛用している短剣が握られていた。
カシラの悲鳴が響く。ジャンは短剣を引き抜いて床に転がった。急いで顔を上げれば、カシラは右目を抑えている。だが、目の痛みに苦しんでいるだけで、倒れる様子はなかった。
「……っ、どこで、この情報を知ったのかしりませんが、残念でしたね」
ジャンは舌打ちをして、床に転がった大剣を手に取る。此方が魔族の弱点を知っているとバレてしまったがまだチャンスはあるはずだ。焦る気持ちを落ち着かせ、再び剣を構えた時だった。
「司書様!」
ジャン達が戦っている玄関ホールは吹き抜けになっていた。豪華な階段を上った二階部分から声がしたかと思うと同時に、何かの粉末が上からかけられた。咄嗟に反応できず、それを吸い込んだジャンは身体に痺れを感じ、立っていられずに膝をつく。近くにいたライルも同じように床に倒れたが、必死にその顔を上げた。階段から降りてきたのはザントであった。
ザントの合図を知っていたのか、カシラは袖で鼻と口を覆っていた。カシラに近付いたザントは慌てた様子で言う。
「イザが捕縛されました。他にも革命派が集まってきてます。一度退却しましょう」
「……っ、イザを捕らえられたのは困りますね」
カシラが苛立ったように剣を握り、動けなくなったジャンに近付こうとしたが、それをザントが止める。
「司書様! 今は急いでください! 相手も書人を持っています。ボクらで食い止めきれるか……」
ザントの言葉にカシラは舌打ちをし、その場から去る。ザントもその後を追おうとしたが、その視線をライルに向けた。
「……、ザントっ」
ライルがザントに震える手を伸ばすが、ザントは微笑んで小さく手を振った。そしてカシラの後を追いかけていく。
カシラとザントは中庭に出た。中庭は炎が届いておらず、炎に包まれる城をザントは見上げた。
「惜しいですが、イザは諦めましょう。……結局、人間は書人の力がなければ大したことがないとわかりました。これなら魔王様が復活なされば、人間の国は簡単に落とせるでしょう」
カシラはジャンに潰された右目に忌々し気に手を当てる。そんなカシラを見上げてザントは眉を寄せる。
「これからどうしますか?」
「私は魔国に逃げます。ザント、貴方は好きにしなさい。主の元に戻るでも、逃げるでも」
「……わかりました。好きにさせてもらいます。でも、最後に司書様」
ザントは少し言いにくそうに視線を彷徨わせていたが、決意を固めたのかまっすぐに司書を見つめた。
「手を握りたいです。これが最後の別れになるでしょうから。……ちゃんと司書様が生きてるって実感したくて」
ザントの言葉に少し警戒していたカシラであったが、それぐらいならと手を差し出した。
「貴方はこんなことをしたくないかと思ってました」
「……正直なところ複雑な気分ですが、それでも司書様はボクらを育ててくれた人だから。お別れならちゃんとしたいんです」
ザントは差し出されたカシラの手を握る。温もりを感じたいというように強く握られ、カシラは苦笑する。そんなカシラを見上げていたザントは、その手を自分に引き寄せるように引っ張った。その思わぬ力にカシラは前のめりになる。近づいたカシラの顔を両手で包むように挟み、ザントはカシラの左目に口を近づけた。
「最期に、ボクの姿を焼き付けて下さいね、司書様」
カシラが魔族であった。そのことはザントにとってショックが大きく、そしてカシラがインデュトリアを崩壊させようとしていることに怒りを覚えた。だが、司書は書人にとっては親のような存在だ。そんな人を簡単に嫌えず、簡単に殺す事もできない。そのことに悩んだザントは、自分も薬を飲むことを決めたのだ。気分を高揚させる、己を狂わせることができる薬だ。狂ってしまえば親をも殺せるだろうと。
そうしてザントは少しずつ己を狂わせ、イザとカシラにも少しずつ薬を与えた。イザには痛みを快楽に変える薬を、カシラには警戒心を薄れさせる、判断を鈍らせる薬を。どんな薬でもザントには作れた。スピンであるステファヌに触れさえしていれば、望む薬が作れたのだ。例えステファヌに正常な意識がなくとも。
ステファヌはイザの傀儡魔法により、イザの人形と化していた。時々魔法が薄れるのか、正常に戻ったステファヌは自分の現状に嘆き悲しんだ。その姿が辛く、ザントはステファヌにも睡眠薬を処方した。眠っているステファヌをイザが好きにしていたのは腹が立つが、動くのは自分だけで充分だと思っていたのだ。
カシラの正体を知ったのちに、八歳の誕生日を迎えて新しい魔法を覚えた。カシラは興味がなかったのか確認はしてこなかったのが幸いした。
カシラをどうしたら殺せるのか、ザントにはわからなかった。心臓を刺したぐらいで死なない。ならもう、塵と化せばいい。
――爆発によって、身体の全部を損傷させて、バラバラになれば流石に死ぬんじゃないか。
そう考えたザントの願いを受けて覚えたのは、爆発魔法だった。
ロプとラピュが玄関ホールに辿り着き、倒れているジャンとライルに気付いた。
麻痺薬によるものと気づき、ロプはポシェットからアンドレアスの魔導書を取り出し、白紙魔法によって麻痺を白紙に戻した。動けるようになったジャンがカシラのことを伝えようとしたが、その前に外から爆発音が聞こえてきた。三人はその音に驚いたが、動けるようになったライルがすぐに走り出した。
城の間取りは把握しているライルはすぐに中庭に辿り着いた。中庭は木々が倒れ、火が植物を焼いていた。その火が己の呪炎魔法の火ではないことに眉を寄せながら、ライルは急いで中庭を歩く。そしてやけに開けてしまった場所に男の遺体が倒れていることに気付いた。急いで駆け付ければ恐らくカシラではないかとライルは判断した。恐る恐るカシラの左目を確認したが、左目は焼け焦げてしまっているようだった。そして、その側に何かが落ちていることに気付き、そちらに目を向けた。それも火がついており、白いページを焼いていた。それを見て、ライルは瞠目し、急いで両手でその火を消そうと叩く。
「ザント!! ザントを燃やすな!!」
その魔導書はほとんど本としての原型は残っていない。だが、それでも残り少ないページが残るようにライルは必死に火を消そうと手を動かす。己も燃えてしまうかもしれないという恐怖を不思議と感じなかった。それよりも、ザントがいなくなるという恐怖がライルを襲っていた。
ザントとライルはインデュトリアの図書院で生まれた。新たな書人が現れることは頻繁にはないのだが、同じ日、同じ時に二冊の書人が現れた。それがザントとライルであった。人間であれば双子と呼べる関係だろう。二冊はとても仲が良く、いつでも共にいた。怒りっぽいライルをザントが宥め、控えめなザントをライルが引っ張っていた。
主に憧れた二人は同時期にステファヌとサンライユに出会った。ステファヌとサンライユは親友同士で、顔を合わせる事は多かった。それぞれと暮らすことになったザントとライルは四六時中一緒にはいられなくなってしまった。それでも、二人の仲は変わらなかった。お互いに主を支え合おうと決意を固めていた。
だというのに、何故自分はザントを憎んでしまったのか。何よりも大事で、何よりも信頼していたのはザントであったはずなのに。
火を叩いていたライルの手を追いかけてきたロプが止めた。ライルが驚いてロプに顔を向ける。いつの間にかその目には涙が溜まっており、ロプの顔は歪んで見えた。ロプはライルに首を横に振ってみせ、ライルの手を魔導書から避けてやる。
火はもう消えていた。それでも、もうそれは本ではなくなってしまっていた。
インデュトリアで起きた革命は革命派の勝利に終わった。捕らえられた国王に関しては、操られていた事、そして本人に反省の意があるからと国王の座からは降ろされなかった。政治に関しては国民からの代表者複数人も参加して取り決めていくことになった。その中にはサンライユも参加することになったそうだ。
国王を操り、街を陥れようとした者は既に命を落としており、インデュトリアの今後に関してはしばらく心配することはないだろう。
インデュトリアから近い駅にロプ達とサンライユとライルがいた。
「本当は陛下も見送りを希望しておりましたが、まだ起きられる状態じゃなくて。自分たちだけの見送りですみません」
そう言って頭を下げるサンライユにジュスティは二人の関係を思い出して目を細めた。
目を覚ましたステファヌは革命派の前で頭を下げた。傀儡魔法により操られている間も意識はあったようで、己がしたことを後悔していた。処刑しても構わないと言ったステファヌに反対したのがサンライユであった。
「皆さんは、これからどちらに?」
「最終的には魔国に行くつもりですわ。……危険は承知の上よ」
ロプの言葉にサンライユは首を横に振る。
「止めるつもりはありません。……ここ最近は魔国からラウデ王国への攻撃に変化はありません。国境付近では変わらず魔物が襲ってきているようなので、お気をつけてください。何かあれば自分の名前を出せば悪い事はないでしょう」
「ありがとうございますわ、サンライユさん」
ロプの言葉にサンライユは微笑みを返した。そして黙っていたライルの背中を優しく叩いてやる。ライルはサンライユに視線を向けてから、決意を固めるように頷いてから口を開く。
「あのさ、イザの魔導書なんだけど」
「何か気になる事でも?」
「その……イザって図書院の皆と離れて過ごしててさ。オレ、イザが閉じ込められてたの知ってたんだ。かくれんぼしてたら偶然イザを見つけて」
ライルはずっと抱えていた瓶に視線を落とす。その中には紙の燃え滓が入っていた。
「イザは悪くなかったとは言わないけど、イザも辛い目にはあったと思うんだ。だから、大事にしてやって欲しいなって思って」
ロプは何度か瞬きをしてから、ライルの頭を撫でた。その手にライルは驚き、鬱陶しそうに頭を振る。
「何するんだよ!」
「いえ、優しい子だと思いまして。……大丈夫、僕が集めた書人は大切にするように依頼主に伝えるわ。だから安心して」
ロプの言葉にライルは小さく頷いた。
やってきた汽車にロプ達は乗り込み、汽車が出るその時までサンライユとライルは手を振って見送ってくれた。ジャンとラピュ、ジュスティは見えなくなるまで車窓から身を乗り出して手を振り返し、席に座った。それを確認してからロプは口を開く。
「さて、ここから先は魔国に近くなるから魔物も現れるし魔族にも会うかもしれないわ。それでも行ける?」
「ロプ、ここまで来ておいて聞くなよ」
「うん。行くしか、ない」
ジャンとラピュが肩をすくめてみせる。ジュスティは胸に手を当てて微笑んだ。
「主が進むのならば勿論ついていきます。……どんなものが待っていても」
三人の答えにロプは満足げに頷いた。
ジュスティは座席に座り直し、改めて己の目的を思い出す。自分を育ててくれた司書が魔族であったことはショックだ。だがそれで自分の未来が変わるわけではない。立ち止まるわけにはいかないのだ。




