13-6 猥書
そんな戦闘から離れた廊下をイザは速足で進んでいた。まだ炎は登ってきてはいないが、時間の問題であろう。炎による熱が少しずつ伝わってくる。
「おかしくない? こんなにすぐに民衆が動くなんて」
いつ来てもおかしくないとザントとカシラは予想していたが、イザは民が反抗してくるとは想像もしていなかった。してきたところで、城の外で騒ぐくらいで、こうして城に火をつけるなどは考えもしていなかったのだ。
イザには戦うための魔法は無い。危険を感じた場合はすぐに逃げろとカシラに言われていた。状況はわからないが逃げることを優先しているイザの目の前にザントが現れた。
「イザ、ここにいたんだ」
「ザント! これはどういうことなの!?」
「革命派の民衆が襲ってきたみたい。司書様が騎士を連れて対峙してるみたいだから、ボクもそっちに行ってくるよ。君は逃げて」
「勿論そうするわよ。……もう、まさか王の城に襲ってくるなんて馬鹿じゃないの」
忌々し気に親指の爪を噛むイザにザントは目を細める。
「イザは、この街の図書院で生まれたんだよね? 街の人と関わったりはしてこなかったんだ」
「できなかったわよ。できたとしてもしなかっただろうけど」
「そっか。君は、そういう人なのか」
ザントはそう言って黙り込む。俯いたザントの様子に違和感を覚え、イザは顔を近づけた。だが、その顔に液体がかけられた。
「な……っ、何!?」
咄嗟に口を閉じたが少し口の中に入り込んだ。慌てて吐き出したイザはザントをにらみつける。ザントの手には小瓶が握られており、その中にあった液体をかけられたのだろうと予想がついた。ザントはその小瓶を投げ捨て、イザの肩を掴む。それだけでイザの身体が跳ねた。
「え……」
自分の身に起きたことが信じられずイザが瞠目する。その様子にザントは微笑み、イザの身体を思い切り押した。その力に抗えず、イザは床に倒れこんだ。
「あっ、ひぁあ!?」
床にたたきつけられたことで襲ってきたのは痛みではなかった。チカチカと点滅する視界の中、イザは何が起きたのかと必死に思考する。考えられるのは先程の液体だ。だが、口に含んだのは数滴程のはずだ。そんな量で己の身に変化を起こすというのか。
イザの疑問に答えたのは、ザントであった。
「どう? 君の好きな快感だと思うんだけど」
ザントはそう言ってイザの身体を跨いで立つ。その手には短剣が握られていた。
困惑するイザの視線を受けながら、ザントは笑顔を落とした。
「ボクが薬を作り出せる魔法を覚えているのは知ってるよね? 騎士へのドーピングする薬作れって司書様が言ってたし、君も知ってるよね。でも、ボクが他の薬を作ってるなんて二人とも気付かなかったみたいだったね。ボクが抵抗しないと思ってたのかな」
ザントはイザの腹の上に腰を下ろす。その重みは普段であれば不快のはずだが、イザはその重みに悦ぶ身体に苛立ちを覚えた。
「ボクに飲み物やお菓子を頼んでたよね。警戒もせずに。おかげで少しずつ薬を飲ませることができたよ。毎日毎日、君たちの身体を薬漬けにして、さっきの薬が今までの全部を、潜めていた薬を覚醒させてくれた」
ザントは持っていた短剣でイザの右手首を突き刺した。
「いっだぁあああああぁあ!?」
「痛い? 違うでしょ? 気持ちいいでしょ? 君は気持ちいいことが好きみたいだからさ、痛みを快感に変える薬を飲ませてたんだよ。ね? 気持ちいいって言ってみて? ほら」
カシラが利用するようになってから見ることがなかったザントの笑顔がイザに向けられる。だがその笑顔はただただ怖いものであった。
「こ、こんなことして……っ、ただですむと……ぉっ」
「うん。知ってるよ。ボクが今してることはわかってる。でも君たちが陛下にしたことも知ってる。君がやけにライルを気にしてることも知ってる」
イザに突き刺した短剣を抜く。その痛みも快感としてイザを襲った。ザントは短剣を両手に持ち、イザを見下ろす。
「だから、ボクは君たちを許さない。これ以上、ボクの大切な人に手出しはさせない。ボクが全部、終わらせる」
ザントは短剣を上に掲げる。その剣がどこに突き刺さるか、それに気づいてイザは己の鼓動が早まるのを感じた。
「ま、待って! 謝るから、もう手を出さないから、それは……っ!」
「うん、すっごく痛いだろうね。今のボクは身体強化の魔法もかけてるから、深くまで突き刺せるよ。……君には、すっごく気持ちいいかもしれないね。生きてる内にはもう体験できないぐらいに」
ザントはとても楽しそうに笑い、そしてその瞳は一瞬で冷たい色に変わった。
「喜んで逝ってみせろよ」
そして短剣がイザの心臓めがけて振り下ろされた。短剣を受けたイザはのけぞり、声にならない絶叫が響く。深く突き刺した短剣を力の限り引き抜いて再び突き刺す。それをザントは何度も繰り返した。溢れた血液はザントの両手を、服を、髪までもを染めていく。だがそれをザントは気にしていないようで、ただただその作業を繰り返した。
「ねえ、気持ちいい? 薬を作ったのはボクだけど、流石にどんな痛みも快感に変えられるかは実験できなかったんだよね。ちゃんと声に出して教えてよ。ほら、イザ」
ザントの声に答える声は無い。その行為の回数がわからなくなった頃、ザントはその手を止めた。ザントの下にはイザの身体ではなく、一冊の魔導書が落ちているだけだった。
「なんだ、思ったより耐えれなかったのか」
息を吐き出し、ザントは短剣を放る。魔導書を片手に持って立ち上がり、視線を横に移した。
「君たちは街の人じゃないですね?」
ザントが視線を向けた先にいたのはロプとジュスティであった。
城の中を隠れて移動していたロプ達だが、イザとザントを見つけて思わず隠れて様子をうかがっていた。ジュスティは夢を思い出したのか今にも泣きそうだ。ロプはザントの前に出て、スカートの端を摘み一礼する。
「昨日この街にやってきた旅人ですわ。僕はロプ、こちらは書人のジュスティ」
「書人? 随分年を取っているようだけれど」
「ジュスティは特別な書人なんですの。僕らは書人を探して旅をしております。ここにいる書人が探している書人かもと思い、こうして参りました」
「……これでもいい?」
そう言ってザントは魔導書を投げる。それを受け止め、ロプは中を確認する。短剣によりページは破損しているが、思ったよりも綺麗に刃が通っており文字が全く読めないという事はなかった。あれだけ突き刺していたが、器用にも同じ場所にばかり突き刺していたのだろうか。
「……ええ、この子が探していた書人ですわ。頂いてもいいかしら?」
「革命派のみんながどう言うかによるかな。ボクはもう用はないからいいよ。……他の書人が必要だったりする?」
「いえ、この子だけで僕の目的は達しました」
ロプは魔導書を片手で抱え、ザントに手を差し出した。
「貴方のことは聞いているわ。僕たちが保護するから、一緒に行きましょう」
「……それは嬉しいな。でも、ボクはまだやっておかなきゃいけないことがあるんだ。だから、先に陛下のことお願いしたいな」
ザントはある方向に指をさす。
「陛下はあちらに眠っています。魔法のせいで意識が混濁しているけれど、連れ出すことはできるはずだから、お願い」
そう言って、ザントはロプの横を駆け抜けていった。それを見送ってからジュスティはロプを見る。
「主、いいのでしょうか」
「……少し気にかかるけれど、今は陛下の無事を確認してサンライユさんにでも伝えましょう。早い内に書人を確保できたし、もう少し協力してあげて……」
言いかけて、ロプは口を閉じた。ジュスティが首を傾げると同時に、二人の間を風が駆け抜けていった。風が巻き上げた埃から目を守るように閉じていたが、降り立った気配にロプは目を開ける。そこにいたのはサンライユを抱えたラピュであった。
「ロプ、見つけた」
「……ラピュ、気安く男性を担ぐのはやめてあげて」
ロプの言葉にラピュは不思議そうに首を傾げたが、すぐに抱えたサンライユを床に下ろす。されるがままであったサンライユは青い顔をしていた。
「サンライユさん、大丈夫ですか?」
「……あんな速さで移動したことがなくて驚きましたし、女性に担がれるなんて……」
「担ぎやすい、助かる」
「己の小柄さが憎い」
そう言って両手で顔を覆うサンライユを元気づける言葉は見つからず、ロプは先程得た情報をサンライユに伝えた。
「陛下はあちらにいると先程会った書人から情報を頂きましたわ。恐らくザントだと」
「ザントに会ったのですか? 彼はどこに」
「やることがあると言っていたので別れました。……イザを捕らえたのもザントで」
言っていてふと、ロプは嫌な予感を感じた。
「ラピュ、ジャンは?」
「城入口。司書と戦闘」
カシラの姿はもう見つかっている。先程ザントが向かったのもカシラがいる方向だ。
「ラピュ、僕をジャンの元に運んで。ジュスティはサンライユさんと行動して」
ロプの言葉にジュスティは目を丸くする。ロプは詳しくは説明せずにサンライユに視線を向ける。
「サンライユさん、ジュスティを連れて陛下をお助け下さい。此方のことは気にせず」
「わかりました。……ザントのこと、頼みます」
サンライユの言葉に頷いたロプはラピュの風魔法に包まれ、その場から姿を消した。残されたサンライユとジュスティは急いでステファヌがいるという方向に向かう。
向かった先にあった部屋を片っ端から開けていき、辿り着いたのは一番端の部屋だった。部屋の中は暗闇に包まれており、中の様子がすぐに把握できなかった。ジュスティが明かり魔法を使い、部屋の中が照らされると、ベッドの上に男性が一人横たわっているのが見えた。ジュスティがサンライユに確認の為に声をかける前に、サンライユは彼に向かって走り出していた。
「ステフ!!」
そう声をかけ、サンライユは抱き着くかのような勢いでステファヌの容態を確認する。顔色は悪いものではなく、首筋に手を当てれば脈動が伝わってくる。呼吸も安定しており、ただ眠っているのがわかった。
「よかった……本当に、よかった……!!」
涙を浮かべてサンライユはステファヌの手を握りしめる。その姿は国王と騎士というより親友の再会であった。その様子にジュスティは微笑し、しばらく二人を見守っていた。




