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書は人の夢を見る  作者: ほしぎしほ
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11-5 縁書

 ヴィクトル・カルシット・ヴェトラート。彼は領主の子供としての意識が高い子供であった。

 いずれは自分が領主になることを受け入れ、その為の学習を厭わずに行う、我慢強い子供であった。

 成長し、領主の役を引き継いだヴィクトルはその数年後に貴族の女と結婚した。ビオランという女に対しヴィクトルは恋愛感情は持てなかったが、妻としてできるだけ良くしようとしていた。恋愛感情を持っていなかったのはビオランも同じな様で、ビオランはただ領主の夫が欲しかっただけだったようだ。

 プライドが高いビオランは無駄遣いを良くする女であった。ヴィクトルがそれに対し諫めることはあったが、ビオランがその言葉を聞くことはなかった。

 ビオランとの生活はヴィクトルにとって苦痛であった。だが、ヴィクトルはそれを耐え、せめてもの気分転換にと身分を隠して町に繰り出した。

 その際に、ヴィクトルは運命の出会いを果たしたのだ。


 陽光のように輝く金色の髪に、控えめに輝く赤い瞳。ほんわかと笑うその姿はヴィクトルに癒やしを届けてくれた。

 彼女はマリア・ハーゲルナイト。ただの町民であった。

 マリアに心を惹かれたヴィクトルは、経験した事の無い気持ちに戸惑いながらも、マリアに近づこうと話しかけていた。話していくうちにマリアの内面を知り、そのすべてが愛おしいと思うようになっていた。

 それからヴィクトルは屋敷を抜けてマリアに会うようになっていた。マリアもヴィクトルに恋心を芽生えており、2人が恋仲になるのは早かった。

 この町ではまだ珍しいカメラを持った旅人に会い、2人の写真を撮って貰った。その写真を2枚買い、お揃いのロケットペンダントに入れて大切に身に着けていた。

 幸せな時間であった。だが、このままではこの時間が続かない事をヴィクトルは知っていた。マリアにはまだ自分の正体を伝えていない。伝えた後も、マリアが変わらず接してくれるか不安があった。

 そんなある日、マリアの両親が事故で亡くなった。1人で生きるために仕事を探しに町を出ることを考えているというマリアに、ヴィクトルはそれを引き留めて己の正体を伝えた。そして「自分の屋敷で働かないか」と提案したのだ。

 マリアは最初は驚いた様子であったが、ヴィクトルの提案を受け入れ、屋敷のメイドとして働き始めた。ヴィクトルが領主で、妻がいると知ってから、マリアはヴィクトルに対して距離を置くようになってしまったが。

 ヴィクトルは正体を明かしてしまったことを後悔したが、それでもマリアが自分の傍で生きてくれるならと、今の関係を受け入れた。

 だが、その我慢も簡単に切れてしまった。

 マリアがヴィクトルの部屋を掃除に来た時だった。屈んだマリアの襟元からお揃いのロケットペンダントが零れ落ちるように姿を現わしたのだ。それをヴィクトルが目撃し、マリアは慌ててロケットペンダントをその手で隠した。その様子は、ヴィクトルが秘めた恋心に火を付けるのに十分であった。

 マリアはまだ自分を慕ってくれている。それがわかったヴィクトルは衝動のまま、マリアを抱き締めた。マリアもそれに抵抗する事無く、ヴィクトルを受け入れたのだ。


 そうして約1年後、アニエスが生まれた。マリアは他の者には父親のことは言わなかった。アニエスの父親がヴィクトルである事は、ヴィクトルとマリアしか知らなかった。

 アニエスが生まれて数年して、マリアは屋敷での住み込みではなく、町の端に建てられた家に住むようになった。今までは同年齢だからとアニエスはレニエの遊び相手となっていたのだが、カルシットの者しか持たないはずの薄墨色の瞳を持ったアニエスに、ビオランがヴィクトルが父親なのではないかと疑念を抱き、アニエスに対して害をなすようになったからだ。

 アニエスは何もわからずに家に住み始めたが、特に苦労は無かった。町を自由に遊び回ることができるようになり、訪れた図書院でアンジューに出会って友人となった。

 母と2人だけの生活となったが寂しい事も無かった。そんな時に、マリアが持っていたロケットペンダントの中身の写真を見つけた。ヴィクトルと仲睦まじく並んでいるその姿をマリアに問えば、ヴィクトルがアニエスの実の父親なのだと教えられた。


「お父さんは、いつか私たちを迎えに来てくれるって約束してくれているのよ。アニエスも良い子にして待っていようね」


 この家もヴィクトルが用意してくれたもので、毎月お金もくれてるのよ。と笑うマリアに、アニエスも自分に父親がいるのだと嬉しくなった。何より、母との秘密が作れたことも嬉しかったのだ。

 アニエスがヴェトラートの学校に通う歳になり、学校でレニエと再会することができた。前は一緒に遊んでいたので、アニエスは再会を喜んでレニエに近づいたのだが、レニエはそんなアニエスを叩いた。

 昔はレニエもアニエスを友達として好んでいた。だが、アニエスが屋敷から出た頃に、ビオランがレニエに伝えたのだ。アニエスがヴィクトルの子供であることを。そして、いつかレニエからヴィクトルやこの屋敷を奪ってしまうと囁いたのだ。

 ビオランの言葉を信じたレニエはアニエスを苛めるようになった。マリアが卑怯な手を使ってヴィクトルを騙し、できた子供がアニエスだと、嘘をついて仲間を増やした。

 そうして、学校ではアニエスの味方はいなくなった。

 書人は学校に通うことはできず、アンジューは学校から帰ってきたアニエスから話を聞く事しか出来なかった。

 それでも、アニエスは耐えていた。

 いつかヴィクトルが迎えに来てくれると信じて。もし自分が何か言ったら、苛めてくる皆の生活を乱してしまうのではないかと思って。

 そんな学校生活が終わりかけた時、マリアが病気で亡くなった。

 最期まで、マリアはヴィクトルが迎えに来ると信じていた。

 マリアが亡くなった次の日にヴィクトルは家にやってきた。マリアとの別れに涙を流すヴィクトルの姿に、迎えに来るのが遅いとアニエスは怒るつもりだった。それでも、これでもう待たなくていいのだと安心していた。

 だが、ヴィクトルは迎えに来たわけではなかったのだ。


「……お父さんは、お母さんとの約束を忘れたの?」


 アニエスがそう聞くと、泣きはらした目のまま、ヴィクトルは首を横に振った。


「勿論憶えている。マリアが亡くなった今でも、アニエスだけでも迎えたいと思っている」

「なら、なんで?」

「……今はまだ、ビオランと別れられない」


 ビオランの生家もまた貴族の家で、そちらから支援を受けている状況だった。今はまだその家との繋がりを切るわけにはいかないと、ヴィクトルは語った。


「だが、絶対に迎えに来る。これからも生活費は渡す。だからアニエス、待っていてくれ」


 ヴィクトルは真っ直ぐにアニエスに視線を向ける。その目が嘘をついているようには見えなかった。


「……うん。わかったよ」


 だが、アニエスの冷めた心を温めるにはいかなかった。


 学校を卒業したアニエスは働き始めた。ヴィクトルからもらっている金は使わず、自分が働いて得た金で生活していた。

 飲食店で働かせてもらっていると、旅人とも会話する機会があった。その中でアニエスは旅をする上での注意することやどんな町があるのかを知った。

 その知識を元に、ヴィクトルからの金を使ってこの町を旅立つのを目指していたのだ。

 目指していたのに、気まぐれで町に出ていたレニエがアニエスを目撃したことで、変わってしまった。

 レニエは楽しそうに働くアニエスに腹を立てていた。屋敷では両親の仲は冷え切っており、ヴィクトルは昔ほどレニエを可愛がらなくなっていた。その苛立ちが、幸せそうにしているアニエスの姿を見て爆発したのだ。

 数人の男を連れて、レニエはアニエスの家を訪れた。驚くアニエスを男に指示して拘束させた。

 アニエスの自分と同じ薄墨色の瞳に怒りが湧き立ち、レニエはアニエスの前髪を掴み引っ張った。


「あんたがいなければ、お父様もお母様も仲良くいられたのに。あんたたちがお父様にしがみついているのが悪いのよ!」


 それはアニエスのせいではないと、レニエ自身もわかっていたはずだ。だが、誰かのせいにしておきたかったのだろう。

 レニエは学校でアニエスのいじめを手伝っていた者達を呼び出し、彼らの手を借りてアニエスの身体を痛めつけた。できない者は裏切者だとして、領主の権限を使い弾き者にすると脅した。

 アニエスを不幸にすれば自分には幸せがくると信じていたのだ。

 だが、捨て置かれたアニエスを書人のアンジューとアニエスの様子を見に来たヴィクトルが見つけた。

 そしてアンジューとヴィクトルが書人とスピンの関係だった。それが、ヴェトラートにいる若者達の人生を変えてしまったのだ。

 アニエスをヴィクトルが保護して屋敷に連れ帰った。それに反対したビオランは、謎の怪我を負ったレニエと共に追い出された。

 レニエとアニエスの生活が逆転した。

 自分を傷つけた者たちにはアニエスにしたのと同じ怪我を負っている。そうアンジューに聞かされたが、アニエスは何も反応を返せなかった。自分の所為で沢山の人の生活が変わってしまったのかと絶望をした。

 自分がされたことをアニエスはほとんど赦していたのだ。レニエが言ったことが間違っていないとアニエスは思っていた。

 自分がいなければレニエは両親と共に普通の生活が出来ていた筈なのに。

 自分がいなければ、レニエは人を苛めることもなかっただろうに。

 なのに、こうして父と共に過ごせることに幸せを感じている自分がとても嫌いだった。

 今の生活が離れがたく、ヴィクトルもアンジューも止められない自分が、酷く醜く思えていた。




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