11-3 縁書
一方、ロプとジュスティは既にいないジャンとラピュに不思議に思いながらも、領主の屋敷にやってきた。
探しに行こうかとも思ったが、「先に行っていろ」という書置きを見つけたために、用事を済ませることを優先させたのだ。
屋敷の門を守るのは昨日とは違う従者であった。
ロプは従者に近づき、スカートをつまんで頭を下げて見せた。
「失礼。書人を求め旅をしております、ロプ・ラズワルドと申します。書人を所有しているとお聞きし、領主様にお目通りをお願いしたいのですが」
「旅人様でございますか。確認して参ります。少々お待ちを」
そう言って従者は屋敷の中に入っていく。従者が入っていったのを見てからロプはジュスティを見る。
「昨日の従者が問題だったみたいね」
「そうですね。すんなりと書人を渡してくれるといいのですが……」
少し待つと従者が戻って来た。
「ヴィクトル様もお会いしたいとのことです。どうぞ、こちらへ」
門が開かれ、ジュスティとロプは従者の案内で屋敷の中に入っていった。
入れ違うように、屋敷の前にジャンとラピュがやってきた。門の前に誰もいないのを見てジャンは舌打ちをして屋敷を見る。
「宿にももういなかったし……、屋敷の中に入ったのか?」
中に入ろうにも外には従者の姿もなく、柵は高いので侵入は不可能だろう。叫んでみようかと思ったジャンだったが、その身体が浮き上がる。
「わっ!?」
「黙って」
風魔法を使って自分とジャンの身体を浮き上がらせたラピュは、危なげなく柵を乗り越えて屋敷の敷地内に侵入する。無事に地面の上に戻るが、ジャンの鼓動は早い。理由は空を浮いていたからか、ラピュの大胆な侵入にときめいたからかはわからない。
不法侵入ではあるので、隠れながらロプ達を探そうとジャンが提案しようとしたが、ラピュがとある方向を見て警戒していることに気付いた。
「何者だ」
自分達のものではない声に、ジャンは息を呑んだ。
□ □ □
部屋に案内されたロプとジュスティを迎えたのは1人の男性だった。薄いワイン色の髪を後ろに流し、顎には髭を蓄えている。薄墨色の瞳をロプに向けて、男は口を開いた。
「初めまして旅人さん。ヴェトラート領主、ヴィクトル・カルシット・ヴェトラートだ。……皆は領主と呼んでいる」
「初めまして。ロプ・ラズワルドと申します。後ろの者はジュスティ・ガイラントですわ。……彼も書人ですの」
ロプからの説明に、ヴィクトルは驚いた視線をジュスティに向けた。
「書人……。だいぶ年を取っているように見えるが」
「この子は特別ですの。……ヴィクトル様も書人を所有していると聞き、お話を伺いにきましたの」
「ふむ」
ヴィクトルはジュスティを頭から足元まで見てから、ロプに視線を戻した。
「僕はとある方から依頼を受け、書人を探しております。その書人は特別な力を持つ子なのですが、この町の図書館には当てはまる子がいませんでした。司書からヴィクトル様が書人を所有していると聞いたので、こうして訪れました」
「……私が持つ書人が貴女の探している書人であれば、譲渡を頼まれるのだろうか?」
「ええ。そうですね。もちろんタダとは言いませんよ」
「いや、何を払われても断らせて頂く」
簡単には頷かないであろうことはロプもわかっていた。ロプはところで、と聞いた噂を口にする。
「この町の皆さまは、この屋敷に近づかないようにしているようですね。……この屋敷に近づくと危険だという噂をお聞きしましたわ。それが、書人が原因しているのではないかと、皆さん怯えているようすでございました」
「……何が言いたい」
否定する様子はないが肯定する様子もない。ロプは笑顔を作った。
「領主さまが、民を怯えさせて良いのかと、思ってしまいますの。僕は書人によって人が変わってしまった領主を見たことがありますので、心配なのでございますわ」
ここにジャンがいたらこっそりといじけていただろう。だがその事実は領主相手に揺さぶりをかけるにはいい材料だ。
ヴィクトルはただ黙っていた。変わらない表情は何を考えているのか、ロプにもジュスティにも読めなかった。
ロプが改めて書人を渡すように言葉を吐こうとしたが、離れた場所から少女の声が聞こえた。その声が耳に届いたヴィクトルは先程までの無表情が嘘のように顔色を変えた。
「アニエス!?」
そう叫んで、ヴィクトルは部屋を飛び出していった。残されたロプとジュスティは顔を見合わせてから、ヴィクトルの後を追った。
□ □ □
庭に侵入したジャン達の目の前に現れたのは、昨日門の前で会った従者であった。
ジャンが何か言おうと口を開くが言葉が出なかった。明らかに自分達が不法侵入者であり、誤魔化す言葉も何も出てこない。どうやって切り抜けるかと必死に脳を働かせているのを他所に、ラピュが従者を見て目を丸くした。
「……貴方、書人?」
ラピュがそう言うと従者の表情がさらに険しくなる。そして懐からナイフを取り出し、ジャンとラピュに向けた。それを見てジャンが慌てて両手を挙げる。
「ま、待ってくれ! 俺たちは別に害を与えるつもりはなくて」
ジャンがそう言っている間に、ラピュが動いていた。素早く従者に接近したラピュの手には短剣が握られており、振り上げた短剣が従者のナイフにぶつかり、ナイフが宙を舞った。
従者は焦った様子もなく、短剣を握るラピュの腕を掴む。そして背負うかのようにラピュの身体を持ち上げて投げた。ラピュが地面に叩きつけられ、手から短剣が離れる。落ちた短剣は従者が蹴り、離れさせる。ラピュは短剣を追わず、従者から離れて立ち上がった。
2人の視線がぶつかり、しばらく2人の呼吸音だけが場に響く。
そして、2人の足に力が籠り、草が踏みしめられる音を消すように、少女の声が響いた。
「やめて、アンジュー!」
強く響いたその声に、従者の動きが止まる。
アンジュー、その名前は図書院で聞いた書人の名前だ。
ジャンが声がした方を見ると、金髪の少女がこちらに近づいてきていた。仕立ての良いドレスを身に纏っていることから貴族の者であろうが、裾の長いドレスにどこか手間取っているように見える。
ジャンの視線に気付いたのか少女がジャンに視線を向ける。それに気付いてジャンは慌てて一礼する。
「突然の訪問申し訳ございません。俺はジャン・マラキット・レドンテと申します」
「……ジャン、さん。私はアニエス・ハーゲルナイトと言います」
領主の血縁者はその名の最後に領地の名前を持つ。だが彼女はその名前を名乗らなかった。彼女は貴族ではない。それに気付いたジャンは彼女がきっかけになった子なのだと理解した。
「誰だ!」
屋敷の中から駆け付けたヴィクトルの声が庭に響く。ジャンがヴィクトルに視線を向け、ヴィクトルの後ろから駆け付けてきたロプとジュスティの姿に少しほっと息を吐き出してから姿勢を正した。
「勝手に入り込んだ事、謝罪致します。ヴェトラート領主、ヴィクトル・カルシット・ヴェトラート様とお見受け致します。私はジャン・マラキット・レドンテ。レゲ・フラーテウス王国レドンテの元領主です」
元の言葉はわざと小さくしてジャンは名乗る。ヴィクトルは同じ貴族相手とわかってか、先程より警戒は薄れたようだった。しかしアニエスの隣に移動し、ジャンから離すようにアニエスの前に腕を伸ばした。
「レゲ王国の者が何用でここにいる?」
「私はそちらのロプ・ラズワルドと共に旅をしております。ロプは書人を求めて旅をしておりますが、私はそれを止めるために屋敷にお邪魔いたしました」
ジャンの言葉に、ヴィクトルの後から近づいてきたロプが眉を寄せる。
「止める? 何を言っているのジャン」
「そうですよ、止めるのはこちらの方々では」
ジュスティの言葉にジャンは首を振った。
「俺たちは噂を聞いて、書人が町の者に危害を加えたと思ってたけど……。アンジューの魔法と、何があったのかを、あの司書が教えてくれたよ」
ジャンはヴィクトルの背中に隠れるように立っているアニエスを見つめる。
「アニエス嬢が受けた傷を、ただ加害者に返しただけだそうだ」
ジュスティが目を瞠る。ロプは表情を変えていないが、何も言わないのは驚愕しているからだろう。ジャンがそう判断してヴィクトルに目を向けると、ヴィクトルは笑っていた。
「その通りだ。私はただアニエスを害した者を罰した。同じ事をその身をもって体験させた。そして、その罪をすぐに赦すつもりは無い。絶対にな」