11-2 縁書
ヒデリからもらった地図を頼ってヴェトラートの町を歩いて行くと、周りの建物に比べて大きな屋敷が目の前に現れた。金属の柵で囲まれた屋敷に目を奪われているジュスティを置いて、ロプは門の傍に立つ従者に近づいた。
緑色の長髪を首の後ろに括っている従者はロプが近付くと警戒するように鋭い視線を向けてきた。それにロプは笑顔で返してやる。
「初めまして。僕は今日この町にやってきた旅人のロプと申します。図書院の司書様に、ヴェトラートの領主も書人を持っていると聞いてきたのですが、領主様はいらっしゃいますか?」
ロプの言葉に従者はただ首を横に振る。そして何も言わず、門を開けて中に入り、しっかりと施錠してから屋敷に向かって歩いて行ってしまった。
「……会話もしてくれないのか」
唖然としているロプの背後からジャンが従者の背中を見つめる。ロプはため息をつき、ジャンに向き合った。
「あの従者が悪かったと思うべきかしら。ジャン、待っていてもいいと思うかしら?」
「いや。明日に改めた方がいいと思う。あれは別に誰か呼びにいったようではなさそうだし」
なんだったらずっとここにいたら塩でも撒かれそうだとジャンはロプの背中を押す。ジャンの言葉に仕方なく従い、ロプ達は領主の屋敷から離れて行った。
ヴェトラートの町で宿をとり、宿屋の近くの飲食店でジュスティ達は夕食をとっていた。飲食店にはジュスティ達のような旅人や住民が入り混じっているようだが、住民はやはり視線を気にしているようであった。
「明日、違う従者が立っているようであればまた行ってみましょうかね」
ロプの言葉にジャンは眉を寄せる。
「あの従者が悪かったならいいんだけどな。……領主自体が人と会うことを避けてたらどうする?」
「その時は……なんとしてでも入るわ。折角いるってわかっているのに、無視はしたくないもの」
「まあ、そうだよなぁ」
いざという時は領主だったことを利用してなんとかするしかないか、とジャンが考えていると、給仕の女性が近付いてきた。
「あ、あの……お話が聞こえてきたのですけど、領主様にご用事があるんですか?」
女性からジャンにロプは視線を移す。相手は任せるということだと理解し、ジャンは女性に笑顔を向けた。
「ええ。自分達は書人を探して旅をしているんです。それで領主様が持っている書人を見てみたくて」
「そうなんですか……。その、あまり領主様の屋敷に近づかない方がいいですよ」
女性はジャンの微笑みに顔を赤らめる余裕もないようで、暗い表情のままそう言った。そんな女性にジャンは首を傾げた。
「どうしてでしょうか? 領主様は余所者が嫌いな方ですか?」
「いえ、そういうわけではないんです。その……」
女性は辺りに視線を向けてから、声を潜める。
「数年前に、領主様のご息女が酷い姿になられたんです。そして、ご息女は領主様の奥様と共に領主様に捨てられまして……」
「捨てられた?」
「はい。この町の端にあるボロ小屋に住んでいるそうです。それと、ご息女様の友人や、彼女と繋がりのある若者たちも怪我を負いまして……。それが恐らく領主様の傍に居る書人のせいなんじゃないかって皆が噂しているんです」
書人が原因、その言葉に食事に集中していたロプがその手を止めた。
「何故、書人が原因と?」
「その……書人が領主様の元に来た頃からですし、不思議なことにその頃に受けた怪我がなかなか治らないんです。不思議な事は大体書人のせいなんじゃないかって言われていたので」
「貴女の右の小指の怪我もそうなのかしら?」
ロプに指摘され、女性は驚いて自分の指を見る。右の小指には包帯が巻かれていた。
「え、ええ……そうよ。じゃあ」
そう言って給仕の女性はそそくさと仕事に戻っていった。まるで怪我のことは隠していたかったかのようだ。
ロプの横で話を聞いていたジュスティは口の中のものを呑み込んでからロプを見る。
「人に害をなしているというのであれば、すぐになんとかしないといけないのではないですか?」
「そうね。それを理由に入りやすくなるかもしれないわ。明日もすぐに向かいましょう」
そう言ってロプはジャンを見るが、ジャンは何か考え込んでいるのか下を向いている。
「ジャン?」
「え、ああ。どうした?」
「僕らは明日すぐに領主の屋敷に向かいます。それでいいでしょうか」
「いいぞ。それは任せるよ」
それじゃあ、と言ってロプとジュスティは席を立ち、先に宿屋に戻っていった。
それを見送って、残されたラピュはジャンを見る。
「ジャン、何気になる?」
「うん……。なんか違和感があるんだよなぁ」
ジャンは少し考えてから、先程の給仕の女性を呼んだ。女性は丁度手が空いていたのかすぐにやってきた。
「お待たせしました」
「おすすめのデザートを2つ。あと、さっきの話をもう少し聞きたいんだけどいいかな?」
ジャンの言葉に女性は眉を寄せ首を振った。これ以上言う事がないのか、言いたくないのかは判断できなかった。
「じゃあ、詳しく教えてくれる人を紹介してくれると嬉しいな」
引き下がらないジャンに女性は少し考えてから答えた。
「なら、図書院の司書様であれば、教えて下さると思います」
□ □ □
翌日。ジャンとラピュはジュスティ達よりも早く起きてすぐに図書院に向かった。
図書院では幼い書人達が迎えてくれて、ヒデリに会いに来たと伝えると、すぐに呼んできてくれた。彼らがやけにラピュに懐いているので不思議に思っていると、ラピュは少し目を細めてみせる。
「昨日、遊んだ。仲良しなった」
「ああ、だからか」
ヒデリの様子が気になってその光景が見れなかったことにジャンは後悔する。幼い子に囲まれているラピュだなんて、とても聖女であっただろう。話を聞いた後でその様子を見させて貰おうか。
そう考えているとヒデリがやってきた。
「お待たせしました。どうかされたのですか?」
「朝早くに申し訳ありません。領主の元に行った書人に関して、噂を聞いてしまいまして。ヒデリさんであれば詳しいとお聞きし」
「アンジュー姉ちゃんのこと?」
そう答えたのはヒデリの傍に居た書人だった。
ラピュが書人と視線を合わせるようにしゃがむ。
「アンジュー?」
「うん。遊んでもらったりはしてないけど、かっこよくて覚えてるよ」
「そうなんだ」
書人とラピュの様子を見て、ヒデリは溜息を吐く。それからジャンに視線を戻した。
「ここではなんです。場所を変えましょう。……皆と先に朝食を食べていてください」
ヒデリの言葉に書人は頷き、どこかに走って行った。
それを見送ってからヒデリはジャンとラピュを近くの部屋に案内した。中に置かれたソファにジャンとラピュが腰掛けるのを見てから、ヒデリは口を開く。
「……他の子たちにアンジューのことを聞かれては困ります。お二方はアンジューがしたことを知りたいのでしょう?」
ヒデリはポケットから飴玉を取り出し、口の中に入れる。それを見ながらジャンは頷いた。
「ええ。その書人が人に危害を加えているなら問題なのではないですか?」
「いえ。噂で言っているように、屋敷に近づいたぐらいで害は与えられません。あの様子であれば、被害に遭う者も増えないでしょう」
「どういうことですか?」
ヒデリは口の中の飴玉を右から左に動かしてから言う。
「噂なぞ、悪意のある者が苦し紛れに流しただけということです」
そして、ヒデリはアンジューのことを伝えた。
それを全て聞き終わったジャンとラピュはヒデリに礼を伝えると図書院を飛び出した。