一人目脱落
二年生の教室が並ぶ廊下に一年生の令嬢が当たり前のように歩く姿は、どこか違和感を覚える。そう思うのは、どうやら一人二人ではないようだ。
皆がチラチラと見つめる中、急に走り出した彼女は満面の笑みで対象者に突撃する。
「ティモン様~♡」
前からやって来る紺碧の髪に涼やかな目元の怜悧な男に、甘えた声を発して飛びつくように近付く。
「何か用ですか、フォイン男爵令嬢?」
いつもならば彼女を見つけると目元を和らげる彼が、今日は鋭い視線のままだ。しかも名前まで……。
不思議に思いながらも、いつもの調子で軽く甘える。
「え? やだな~、いつものようにミレーヌと呼んで下さい。ティモン様」
そう言って彼の腕に自分の腕を絡ませようとしたが、スッと身を引かれてしまった。
「孤児院訪問の学園行事は終了したのです。これ以上、貴方と関係をもつ意味はないかと。あ、エリーゼ。待たせたね、行こうか」
彼は彼女の顔も見ずに冷たく言い放つと、教室から現れた自分の婚約者に満面の笑みを向けた。
「ティモン様、教科書をお忘れですわ」
「あ、しまった。俺とした事が。でも流石エリーゼだ。いつも俺の至らない点に気付いてくれる。嬉しいよ」
「いいえ、婚約者として当然ですわ。私も至らない点をティモン様に助けていただいているのですもの。それにいつもティモン様を見ているのですから、気付かない方が変ですわ」
「それは……照れるな。けれど嬉しい。ありがとう」
「フフフ、いいえ」
二人で顔を赤くしながらも見つめ合い、去っていく姿をヒロインは口をあけて呆然と見つめている。
「ククッ」
教室からその一部始終を見ていたハリーが、私の横で肩を震わす。
「笑わないでください。とりあえずは第一段階突破という事でしょうか?」
「うん、そうだろうね。けれど今のはちょっとやりすぎ。ヒロイン呆然としていたよ。
まだ笑いが止まらないのか、口元に手を当てたままハリーが言う。
「やりすぎって、多分本人達は素なんじゃない。あれからティモン様のエリーゼを見る目が変わってきてるから」
「もともと仲が良かったからね。それでも暗示にかかっていたとはいえ、自分を蔑ろにして他の女にうつつを抜かしていた男を見離さず、正気に戻してくれた彼女を前より愛しく思えるのは当然だろう」
あの会話以降、二人の仲は目に見えて良くなっている。
無理に二人でいるように言わなくても自然と二人でいるのだから、流石のヒロインでもあの間を割って入るのは難しいとみえる。
「このまま、何もなければいいんだけれど……」
私が今後の事を少し不安に思いながら呟くと、ハリーの手がそっと肩を抱く。
「もう少し落ち着いたら、俺達の話もして協力を仰ごうかと思っている」
「お任せ致しますわ、ハリオス殿下」
肩の手をさり気なくおろしながら、笑顔で答える。
人目があるため、ペイっと振りほどけないのが歯がゆい。そんな事しようものならすぐに不仲説が広まってしまう。教室においても気は抜けない。
「……ティモン達みたいにとは言わないけれど、もう少しイチャイチャしてくれてもいいんじゃない?」
ちょっと拗ねた顔で見てくるハリーに、一瞬クラッとした。ああ、もうこの男は。無駄に顔がいい。
「エリーゼ達だって学園内で、無意味に触れ合う事など致しません」
「学園内じゃなければいいの?」
何を言っているんだ、この男は。先日も貴方の私室でベタベタされましたよね。今も隙あらば抱きしめようと手がワキワキしているの、分かっているんですからね。
「……まあ、ティモン達はどうにかなったとして、問題は一年生組が入学してからだよね。まずは入学式の俺の挨拶からのイベントが先かな?」
「ハリー、余りここでそう言う話は……」
次の授業が教室移動のため、教室にはちらほらとしか人はいないのでつい話し込んでしまったが、誰が聞いているのか分からない。この話はここまでにしようと私は会話をとめた。
「これじゃあ今後の相談もしにくいし、卒業までの一年間、どこか部屋を借りるか」
「どうやって? この学園は生徒会もなければ部活もない。お茶会ができるカフェはあるけれど、結構人は多いから密談はしにくいわ。第一借りられたとしてもエリーゼ達を仲間に引き入れてからじゃないと、二人きりでは籠れないわよ」
「分かっている。ティモン達を引き入れるのは時間の問題かな。さしあたり放課後だけでも借りられるように交渉してみる」
交渉って誰と? まあ、いいか。そこら辺の事は、王族権限でも使って動いてもらうとしましょう。
私は教室を移動をするため、ハリーを促して教室を出た。
するとそこには、まだヒロインの男爵令嬢がいる。余りの衝撃に固まっていたのだろうか?
私達が見ないふりをしてそそくさと隣を通り過ぎると、男爵令嬢は突然ハリーの腕を掴む。
吃驚する私と、王子様スマイルを崩さないハリー。
「王子様、ティモン様どうしちゃったんですか? ティモン様は私の事が好きなのに、こんなのおかしいですよ」
「「!」」
今、このヒロインなんて言った? どうしてティモン様が貴方を好きだなんて……貴方の妄想? それとも私達と同じまさかの前世記憶もち?
私は混乱する頭を抱えながら、男爵令嬢を凝視する。
するとそんな私の気配に気付いたのか、ヒロインがニヤリと笑う。
「こっわ~い。マリノチェ様が睨んでる。王子様と私が仲がいいからって、ヤキモチ焼いてるんですか?」
助けて。と言ってハリーに抱きつくヒロイン。
「!」
この男爵令嬢は二作目のヒロインであって、私達一作目のヒロインではないはずだ。それなのに今の状況は?
まだストーリーも始まっていないというのに、このままでは私は悪役令嬢そのものになってしまう。
思わず後ずさりしそうになった私の腰を、誰かが強く抱く。誰かなんて考えもしなくていい。ハリーだ。
ハリーはにこやかに私を右手で支えると、ペイっと男爵令嬢を突き放した。
「不敬罪」
どこから現れたのかザザザッとハリーの護衛騎士が三人、彼女を拘束する。
「へ?」
「学園だからね。騎士達には目立たないように護衛してもらっている。王族にむやみに手を触れた君は、不敬罪で確保ね」
「ええええええ~~~?」
驚くヒロイン。
私達の行動を見ていた周囲の生徒達も、吃驚している。
そういう私も、何がおこっているのか分からない。
「そ・そんな、ちょっとした触れ合いじゃないですか。こんなので捕まってたら、おちおち学園生活もおくれませんよ」
「学園生活をおくるのに、何故王族との触れ合いが必要? 因みに君、誰? 知らない人に抱きつかれたら普通に不審者扱いでしょ。はい、拘束」
「ひええぇぇぇぇ~」
ずるずるずるぅ。
二作目のヒロインは、一作目の王子様により強制退場させられた。
え? これでいいの?
「適当なところで解放してあげて。一応、二度はないという脅しをかけて」
「承知いたしました」
こっそりと騎士に耳打ちして私に向き直るハリーは、とてもいい笑顔をしている。
「こわっ」
つい身を引いて、声に出してしまった。
「え? こんなので怯えられるの? ちょっと寂しいんだけど」
「元ホストの割には、ヒロインに容赦ないよね」
「なんで現世までホスト対応しなきゃいけないの? そんな事していたら勘違い女が調子にのるだけじゃない。前世はいいよ。それが俺の仕事で金になったから。けど現世でのメリットなんてユリアという立派な婚約者がいる以上、微塵もないじゃない」
金、メリットって……この人王子様じゃなかったっけ? ムッとした私は、ついつい可愛くない事を言ってしまう。
「……けど、うちの侍女には優しくしてた」
「ユリアの侍女だからねって、え? ヤキモチなの? 可愛いユリア」
勢いに任せて抱きつこうとしたハリーを、両手で拒む。
「煩い。所詮男爵令嬢は中の中だったから冷たかっただけなんじゃない? 美人だったら分からないでしょう」
「うわっ、信用ない。俺にとって絶世の美女はユリアだけでしょ。婚約してから結構露骨に愛情表現してきたつもりなんだけれどな」
かあぁぁぁ~。
どうしてこの人はこういう……。私は真っ赤な顔を隠すようにクルっと後ろを向いた。
「ユリア……」
後ろから抱きしめるハリーに、私の体はビクリと反応する。そのままハリーのぬくもりを感じていると……。
ジリジリジリッ。
次の授業の合図に、私はハッと我に返る。
「「「うわあ~、遅刻だぁ~!」」」
「え?」
バタバタバタと廊下に残っていた生徒達が、一斉に駆け出した。
しまったぁ~、ここは廊下で、数人とはいえまだ生徒は残っていた。
私が口をパクパクしていると「惜しい、タイムリミット。騎士達が教師に話は通してくれているから、俺達は遅刻にならないよ。けれど、このままここでイチャイチャしているわけにもいかないしね。次の教室に行こうか」と、背を押して歩かせる。
――ちょっと待って。なんでこの人、こんなに余裕なの? もしかして分かってやった?
ジト目で睨みつけると「そんな表情も可愛いよ」と言って頭を撫でてくる。
やっぱり確信犯だ!
私は淑女に許される速度で歩き出す。できればハリーと距離があきますようにと願いながら。
そんな私の背に手を添えながら。ハリーはニコニコとついてくるのであった。