正気に戻って良かったよ
「先程は申し訳ありませんでした」
放課後教室に残った私とハリー、そしてエリーゼに頭を下げたのはティモン様。
流石に色々とまずかったと分かったのだろう。
「俺とユリアはいいから、ちゃんとエリーゼ嬢に説明しろ」
謝罪を受け入れてティモン様の擁護をすると思いきや、意外と真面目な顔をしてハリーはティモン様の背を叩く。
「あ、うん。エリーゼ、すまなかったな」
「何がです?」
「………………」
あ、これ。エリーゼってば結構お冠だったのね。笑顔なのに目が全然笑ってない。
「あ……っと、エリーゼを差し置いて、ミレーヌの買い物に付き合おうとしたりして……でも決して逢引きしようとしていたわけじゃなく、孤児のためにより良い物を選んであげようと思っただけで……」
エリーゼの怒りに一瞬怯んだものの、言い訳がましく話すティモン様にエリーゼが口を開こうとした瞬間、ガンッ! と机を蹴る音がした。
驚く私達に構わず、机を蹴った張本人のハリーがグッとティモン様の胸倉を掴む。
「そうじゃないだろう、ティモン。男としてちゃんと誠意をもて」
「………………」
ティモン様はハリーの迫力に一瞬息をのんだが、クルリとエリーゼに向き直ると頭を下げた。
「本当に悪かった。浅はかな俺を許してほしい。俺の婚約者はエリーゼだけだ」
初めて見るティモン様のそんな姿にエリーゼは目を白黒させていたが、必死なその姿に一呼吸つくと表情をゆるめた。
「分かりました。謝罪を受け入れます。けれど今回だけですよ。こんなに不安な気持ちになったのは初めてです。もう二度と味わいたくない」
エリーゼのその言葉を聞いてパッと顔を上げたティモン様は、顔をクシャリと歪ませてもう一度頭を下げた。
この二人も政略の元の婚約ではあるが、小さい頃から気が合ったのだろう。割と仲の良い姿を見せていた。
少々軽いティモン様を上手く誘導して、周囲との仲を取りもっていたのがエリーゼである。そんなエリーゼをティモン様も憎からず思っていると感じていたが、間違ってはいなかったようだ。
そうするとやはり先程の男爵令嬢との仲は、ゲームの強制力によるものなのかもしれない。
私はハリーと目を合わせて頷きあう。
「ティモン様、今は男爵令嬢の事をどう思われます?」
「え?」
せっかく話が落ち着きそうなのにまた蒸し返す気か、とティモン様は嫌そうな顔をするが、迷惑をかけた手前素直に話さないといけないと、観念したように口を開く。
「その、正直言うと今日会うまでは無邪気で可愛いなと思っていたんだ。俺に対しても孤児に対しても使用人に対しても一切変えない姿は、俺には純粋に見えていた。けれど先程の姿には違和感を覚えた。第一王子に挨拶もしなければ、空気も読まず自分の聞きたい事を聞こうとしてくる態度は、無邪気というよりも貴族としての礼儀を分かっていないように見える」
ああ、ちゃんと理解できていたようで安心した。
彼もまた宰相候補として優秀な頭脳の持ち主であるはずなのだ。だが、男爵令嬢といた時の態度は無能にしか見えず、内心本当に彼を切らなければいけないかと思案した。
「ティモン、はっきり言う。彼女はお前に暗示をかけていた」
「は?」
間髪入れずに、ハリーが爆弾を投下した。
「正確には暗示のようなものだな」
ティモン様は、ポカンとした表情でハリーを見る。
うん、気持ちは分かるよ。ハリーって普段は口調も態度も優しい王子様を気取っているのに、ことこれに関しては直接過ぎるんだよね。脳が追いつけない。前世の影響が出まくってるのかな?
エリーゼが可哀そうな子を見るような目で、ティモン様を見る。
同情はしているが、やはり浮気心を少しでももってしまった婚約者を、いつものように擁護する気にはなれないのだろう。
ギギギッと壊れたブリキの玩具のような動きで、私を見るティモン様。
ごめん、私も力にはなれないよ。ここは脳が追いつかなくても続けよう。ちゃんとフル回転してついてきてね。
「実は俺は大分前から二人でいるお前を観察していた。男爵令嬢の前ではお前はいつものお前ではなかった。しまりのないだらしない顔をした無能に見えていたよ。だから俺はお前の正気を疑った。そうして調べた結果、彼女は呪いの力を持つ黒い石を所持している事が分かったんだ。これには人の心を操る暗示の力が込められているのが判明した」
「………………」
なんだが、ちょっと不憫になった。
だらしない無能ってはっきり言っちゃたよ、この人。
ティモン様が遠くを見つめている。魂が抜けかけているのかもしれない。
「大体、普段からエリーゼ嬢の美貌を目の当たりにしておいて、男爵令嬢に目がいくってどうなんだって話なんだよな。そこからして俺は疑っていたから。言ってはなんだが、男爵令嬢は中の中だと思うぞ」
エリーゼの顔が真っ赤になるのと同時に、ティモン様の顔から表情が抜け落ちた。
うん、ハリー。前世のホストが出ている。いや、ホストは全ての女性に優しいから男爵令嬢を貶しているのは違うか。て事は、これは今のハリーの素って事? なんだが嫌だな。
私はティモン様に話を聞いてもらうべく、大事な部分だけを取り上げる事にした。
「ハリーが色々言っているけれど、大事なのは男爵令嬢が暗示の石を使ってティモン様を操ったって事なのですよ」
ティモン様はハッとした顔をして、ハリーに向き合う。
うん、やっぱり無駄な部分にばかり反応していたようだ。
「ハリー、ミレーヌが中の中だという事はこの際横において、その暗示の石で俺はどうされようとしていたんだ?」
……中の中は否定しないんだね。それよりもティモン様は、事の重大さにやっと気付いたように顔を険しくさせる。
「俺も彼女がどうしたいかなんていうのは分からない。ただ、あのままいけば確実にお前は彼女の虜になるだろう。そうなるとエリーゼ嬢との未来はなくなり、俺のそばにいる権利も失う」
「ちょっと待ってくれ。確かに俺がミレーヌに操られていれば、エリーゼのそばにはいられなくなる。けれど、どうしてお前のそばにもいられなくなるんだ?」
ハリーの言葉にエリーゼをチラリと見ながらも、ほとんど約束された宰相候補としての自分の未来も失うと言われたティモン様は、慌ててハリーに掴みかかる。
いやいや、ハリーに、王子様に掴みかかっちゃ駄目でしょう。それが許される間柄だと本人達も分かっている。だからこそ婚約者が変わるだけでハリーのそばにいられなくなるなどという事が、信じられないのだろう。
ハリーはティモン様の手を払いのけると、真っすぐに彼を見つめた。
「俺は、一方的に婚約を破棄するような輩は信じない」
「!」
「俺達上級貴族の婚約は家と家との約束だ。一個人の感情で許されるものではない。それを一方的に断ると言うならば、俺に対してもいつ裏切るのか分からない。そんな者をそばにおくつもりは微塵もないね」
ティモン様を突き放す姿は、いつものハリーとは思えない。長年そばにいたティモン様も初めて目にする姿なのだろう。顔色はどんどん悪くなる。
「……俺を、見離すのか?」
「だからそうならないように、行動したんだろう。俺だって優秀なお前をみすみす手放す気なんかないさ。男爵令嬢ごときにいい様にされてたまるか」
「ハリー……」
言葉は乱暴だが、手放す気などないと言いきったハリーにティモン様は感動したようだ。
「改めて聞く。お前は、男爵令嬢とこれからも関わりあうつもりか?」
ハリーはティモン様に問う。
「ない。これ以上、エリーゼを傷付けるつもりは一切ない。暗示をかけてくるとなると尚更だ」
きっぱりと答えるティモン様に、やっと表情を緩めるエリーゼ。良かった。どうやらいつもの二人に戻れそうだ。
「ならばできるだけエリーゼ嬢と一緒にいろ。男爵令嬢と二人きりにならなければ、暗示は簡単にはかからない」
「あと、彼女の目は見ないようにしてください」
ハリーが今後の対策法を話す横で、私はもう一つ付けくわえる。これはハリーも知らないようで少し不思議な顔をした。
確かにXXXシリーズでは、ヒロインは全てこの黒い石を所持している。
皆、幼い頃に夢の中でこの石を女神様に授かるというシーンがあり、夢から覚めると現実に手の中にあるこの石をネックレスにして肌身離さず持つ。するとそれまでパッとしなかったヒロインが周りに愛され、慈しまれていくというストーリーだ。
ハリーはその石を覚えていたのだろう。どうやって調べたのかは分からないが、人に暗示をかけられる力を宿す石だと見当をつけ、こうして注意するに至っている。
私も石の存在には気付いていたが、それ以外にもヒロインの目力は半端なく一旦目に涙を溜めたなら、攻略対象者はあっという間に彼女の虜になるという描写を目にしていた。
だから彼女の目にもなんらかの力、シナリオ補正なる強制力を促す力があるのではないかと思ったのだ。
後でハリーのその旨を話すと、そうかもしれないなと頷いてくれた。そして自分もヒロインの目を見ないようにすると笑って約束してくれた。