話を聞いて
私付き侍女ケイトは、本日はお休み。代わりの侍女を呼んで冷めた紅茶を入れ直ししてもらう。ついでにお菓子も追加した。腹が減っては戦は出来ぬ。
もぐもぐと食べている間も王子は長い足を組み、優雅にお茶を楽しんでいる。
「ハーブティーだね。ありがとう。落ち着くよ」
「お・お嬢様が二度目をお召し上がる際には落ち着きたい時が多いので、こちらを用意するようにと指示されております。で・殿下のお好みに合いましたでしょうか?」
「流石マリノチェ侯爵家の侍女だね。大丈夫、私もユリアと同じで少し落ち着きたかったからね。ちょうどいいよ」
「落ち着きたかったと仰りますと……あ、いえ、余計な詮索でございました。申し訳ございません」
「いいよ、気にしてない。学園の話をしていただけだから。対人関係は社交界でも学園内でもあまり変わらないからね。お互い苦労するねと婚約者同士で愚痴っていただけさ」
「愚痴るだなんて、殿下がそんな……」
「あれ、見えない? 私は意外と甘ったれでね。いつもユリアに慰めてもらっているんだ」
「まぁ、殿下ったら」
フフフと顔を赤くした侍女が、嬉しそうに微笑んでいる。
流石元ホスト。いや、現王子様といったところか。女の扱いに慣れている。その顔でその誑し発言。こっわぁ~。
「……貴方もういいわ、下がって。私は殿下とお話があるから」
これ以上、ダラダラしていても仕方がないわ。お腹も満たしたし、話の続きを聞こうとハリーと侍女の話に口を挟むと、侍女がサッと顔色を変えた。
「?」
「も・申し訳ありません、お嬢様。失礼いたします」
侍女は慌てて部屋を出て行った。
どうしたのだろうと思っていると前のソファんで寛いでいるハリーから、揶揄う様な声が聞こえた。
「今の、俺と侍女が話しているのをヤキモチ焼いたユリアが、怒って下がらせたように思われたんじゃないかな?」
「え?」
私は慌てて侍女が去った扉の方を向いた。が侍女の姿はもうない。
「やっちゃった~~~~~」
私は悪役令嬢。記憶は戻ってはなかったが、前世の影響からか使用人に対しても無茶な事はした事がない。とはいえ、この悪役面で侯爵令嬢の肩書がある以上、それなりの威厳は保っている。
そんな私が口調を強くすると、たちまち機嫌が悪いと勘違いされてしまうのだ。極力気を付けていたつもりだが、先程の会話で注意が疎かになっていたようだ。
私は無意識に項垂れてしまった。
落ち込む私の頭をハリーが優しく撫でる。
「今頃は侍女達の控室は盛り上がっているだろうね。まあ、いいか。それだけ俺達の仲が良いという事だから」
「いやよ。嫉妬で他者に八つ当たりなんて、悪役令嬢そのものじゃない」
私がハリーを睨みつけて訴えると、とろりとした甘い笑みが返ってくる。
ドキッと心臓が跳ねる。なんで今その顔?
私がアタフタと慌てていると、ハリーが私の隣に移動してきた。
「何? 近い。言っとくけど扉開いてるからね。変な事したら大声出してやる」
私はハリーからできるだけ距離を取り、間にクッションを置きながら睨みつけた。
この世界ではいくら婚約者とはいえ、未婚の男女が二人きりでいるのは外聞上良くない。
侍女や護衛をそばに置くのが常識なのだが、今日はハリーが大事な話があるとさがらせてしまった。ケイトがいれば別だったのだが。
仕方がないので苦肉の策として扉を開けておき、廊下には侍女と護衛を控えさせている。会話は聞こえないものの、大声を出せば駆け付けられるという状態なのだ。
しかし、私の必死な努力も残念ながら顔が赤いままなので、ハリーには少しも通じていないようだった。
「毛を逆立てた仔猫みたいだな。大丈夫。今度は何もしないよ。先程みたいに駆け付けられても話が進まないからね」
先程というのは、キスをされた時の事だ。
思わず声を荒げた私に、侍女と護衛が何事かと部屋に入って来た。ハリーは私の腰を抱き、さらりと『小さな虫がいたんだよ。もう逃がしたから大丈夫。私の婚約者は虫が苦手なんだよ。可愛いよね』と答えた。
なるほどと納得してさがる侍女達に追いすがりそうになるが、腰に回ったハリーの手に力が入るのを私は感じ取っていた。怖い。
そうして今に至るのだが、キスの事を思い出した私がまたもや顔を赤くするとクスッと笑われた。もう、本当に話が進まない。
「ユリアーズ・マリノチェ侯爵令嬢、私は貴方との婚約は破棄しない。そして没落もさせない。私がヒロインを選ぶ事は決してない。これは絶対だ。どうかそれだけは信じてくれないだろうか」
いきなり真顔になったハリーが言う。
突然なんだと思うものの、余りの真剣な態度に言葉が出ない私は「はい」とだけ答えるのが精一杯だった。
そうしてニコリと笑うハリーは、間に置いてあったクッションをどけてソファに深く座りなおす。
「まずは情報を整理しよう。ここは俺達が前世知っている乙女ゲーム〔キスから始まるXXX〕の世界だ。そうして君と俺は攻略対象者と悪役令嬢の婚約者同士。それ以外の攻略対象者は俺の弟、隠しキャラが一人いるだけで他はいない。しかもその弟は、去年他国に留学してヒロインと出会う事はない。目下ヒロインは俺をターゲットにするしかない。が俺は彼女に惹かれる要素が微塵もない。それを承知で動いてくるとなると君との協力の元、回避していかなければならない。そこまでは大丈夫?」
「彼女が、私達と同じようにゲームの事を知っていて動いているとは限らないよね。もしかして知らない場合もあるわ。そこはどう見極めるの?」
「関係ないよ。前世の記憶があろうかなかろうか、俺達の仲を邪魔するなら容赦はしないという事だけ」
ニヤリと口角を上げるハリーの目が笑っていない。ブルリと震える。だから怖いって。
震える私の意識を集中させようと、ハリーは机に人差し指でトントンと叩いた。私は真顔で続きをどうぞとコクコクと頷く。
「それを承知してもらった上でもう一つ提案。あの学園には他の乙女ゲームや小説のヒロイン、メイン攻略対象者、悪役令嬢とそれぞれが存在している。その数俺達を入れて五組」
「………………」
私がゆっくりと首を傾げると、ハリーはとてもいい笑顔で「五組」と右手をパーの形にして、私の目の前に突きつける。
私が再び大声を上げそうになるのを、パーにしていた右手でしっかりと塞ぐ。
「んんっ、んんんっ」
ハリーの手を剥がそうと私が暴れようとすると、彼は「しー」と人差し指を口に持っていく。
「大声出さず、暴れないでいてくれたら手を離すよ」と言うので、私はコクコクと必死で頷く。手を離された瞬間プハーっと息を吐く。苦しかった。
ハリーの手は思った以上に大きく、しっかりと口全体を覆われてしまって吃驚した。どこの盗賊だと睨みつけると、ハリーはごめんと謝った。
「驚くのは分かるけど、これ以上は大声出さないで。今度出されると話の途中で君の過保護な父親に、強制送還されてしまう。それは君だって不本意だろう。とりあえず、しっかりと状況把握だけはしておいた方がいいと思うんだ」
確かに今の私の父上ならば、侯爵令嬢ともあろう娘が立場を忘れて二度も声を荒げたとなると、一緒にいるのが婚約者だろうと王子様だろうと関係なく、追い出すのは目に見えている。
今は大人しくしているが、一度目の騒ぎで執務室で仕事をしていた父上が、階段により近い応接室に移動しているのは、あきらかだ。次、私が騒げば父上が飛んでくるのは間違いない。
私は大きく息をつき、落ち着きを取り戻す。
「……少しお聞きしてもよろしいでしょうか、王子様」
「なんなりと。私の可愛い婚約者殿」
ニコニコと笑う顔をジト目で睨みつけながらも、私は先程の話に戻す。
「どうして、五組もの他のゲームのキャラ達が存在していると分かるの?」
「この〔キスから〕は意外と人気でXXXシリーズとして続編が作られた事は知っている?」
私は前世の記憶をひっくり返す。確かに続編は出ていた。私はその二つしかしていなかったが、友達はそれをとても気に入って、関連物全て押さえたと喜んで見せてくれた。
それがスピンオフのゲームと小説。そうだ、そういうのも含めて五つ。
ちょうどハリーが言っている数と同じだ。ていうか、どうしてハリーはそんな小説まで知っているのかしら? 私は友達が貸してくれたから知っているけれど、本来ならかなりの信者でもない限りそこまでは知らないと思う。
ホストって商売も結構大変なんだな。と思わず同情の目を向けてしまう。
「じゃあ、シリーズ全員のヒロイン達が同時期に、あの学園に存在するって事?」
「そう。シリーズとして本来なら数年の間をあけて、それぞれが存在するはずのキャラ達が、一斉に集結している。気持ちが悪いよね」
「……ごめんなさい。意味が分からない。そうなるとどうなるの?」
「さあ、俺もよく分からない。ただ言える事は五シリーズ全員のヒロインが行動をおこすと、学園内のいたるところで婚約破棄の断罪イベントが当たり前のように行われる。ある意味カオス?」
サアーっと血の気が一斉に下がるのが分かった。
何それ? あんな断罪イベントがあっちこっちで行われるの? マジでカオスじゃない。
「まあ、俺はさっきの発言通りそんな事する気は一切ないから安心してほしいけど、他の奴らは分からないだろう。そうなると何をきっかけに、事態が一変するかも分からない。それこそ学園内だけで収まればいいけれど、社交界にまでその余波が回ると収集が付かない事になる。俺は王族としてそんな混乱は避けなければならない」
思った以上に深刻な状態に、私は言葉を失くす。考えれば確かにそうだ。ハリーの言っている事は大げさでもなんでもない。
たった一つの婚約破棄でも大変な事なのに、それが重なれば社交界に影響が出るのは間違いないのだから。
頬に温かいものが触れる、ハッと顔を上げるとハリーの顔が至近距離にある。
パクパクと口を開け閉めしていると「驚かせてしまったかな? ごめんね」と私の顔を撫でていたハリーの手が遠ざかる。
私は知らず知らずのうちに俯いてしまっていたらしい。
「まあ、そういった意味でもゲームの内容を知っている婚約者殿に、全面協力していただけるとありがたいのですが、お返事は?」
「……全面協力させていただきます」
私の言葉を聞いたハリーが、とってもいい笑顔で私を抱き寄せる。
お礼のハグだそうだ。驚く気力も抵抗する気力もないよ。もう好きにして。