婚約破棄成立、やったね
「どういうつもいりだい、マリアーヌ」
「どう、とは?」
「とぼけないでよ。婚約破棄の事だよ」
「それでしたら父から、アロウェン伯爵との話は済んだと聞いております。もとより父同士の話で成立した婚約。アロウェン様も別に不都合はないでしょう?」
「ないよ。あるわけないじゃない。元々父上が頼むから承諾しただけだもの。けれど、なんで僕の方が言われなきゃいけないの? 言うなら僕の方からでしょ」
「でしたら早く仰ればよかったのに。言葉にされなかったのはご自分の責任では?」
「慰謝料の出し惜しみしたんでしょ」
放課後、イルミスに呼び出された裏庭では、マリアーヌを睨みつけながら文句を言っているイルミスの姿があった。
しかし、いつもと違いマリアーヌも言われっぱなしではなく背筋を伸ばし、ちゃんとイルミスの目を見ながら言い返している。その姿も癪に障るのだろう。益々声を荒げるイルミスに、堪りかねたナーシャが口出しする。
キッとナーシャを睨みつけるイルミス。
「失礼な事を言うな! あんなはした金。そもそもなんで君までここに居るのさ? 僕はマリアーヌに来いって言ったんだよ」
「一人で。とは仰ってませんでしわたわよ」
「そんなのわざわざ言わなくても分かるでしょ。馬鹿なの? ああ、馬鹿だったね。女は本当に馬鹿だ。そんな馬鹿の頂点に立つのが君だったね、マリアーヌ。僕よりでかくて可愛げもない女のクセに、気が利かないわドジだわ鈍いわで、本当笑えたよ。そうそう、先日も人前で男に突き飛ばされて、そのままスッ転んでいたっけね。淑女が聞いて呆れるよ。全くもって無様だった」
「……彼女に庇ってもらって、よくもそこまで言えたもんだ」
スッと木の影から現れたのは、グレーの髪にハシバミ色の瞳を持つ男子生徒。
イルミスは眉を寄せると、その男の顔をジッと見つめる。どこかで見覚えが……そう、今の話に出てきたマリアーヌを突き飛ばした男だ。名前は確かドット・フェルラリー。子爵家の嫡男だ。
そう気付いたイルミスは、後ろの木にドンっとぶつかる。
そうして怯えたようにフルフルと震えだすと、媚びたような目つきでドットを見上げる。
「な・何? メモリーの件は誤解だって分かったでしょ? 僕は彼女の願いを叶えてあげただけ。君もその事には納得したよね。あ、僕じゃなくマリアーヌに用事? だったら早く言ってよ。そうだね、彼女生意気だったもんね。女のクセに僕達の話にでしゃばってきてさ。うん、分かるよ。ならマリアーヌに……」
「彼女の名前をお前が呼ぶな! 汚らわしい! もう婚約は解消されている。彼女とお前はなんの関係もない!」
ドットの怒声にビクッと肩を揺らすイルミス。
そんな彼を無視してマリアーヌのそばによるドットは、胸の前で組んでいたマリアーヌの両手を己の両手でそっと包み込む。
「怖かったね、よく頑張った。もう大丈夫だよ。ナーシャ嬢もありがとう」
「……ドット様」
「間に合ってくれて良かったです」
涙目でドットを見つめるマリアーヌと、ヘラリと笑うナーシャ。
そうして労わりの目を女性二人に注ぐと、背に二人を庇いイルミスに対峙する。
「君は、人によって性格を変えるようだけど、マリアーヌはもう君とは一切かかわりはない。その態度もやめてもらおう」
そんな二人のやり取りを見ていたイルミスは、最初は呆然としていたものの、段々とその顔を朱に染めていく。
「なっ、もしかしてお前達……なんて破廉恥な。僕という婚約者がいながら、他の男に色目を使うなんて、マリアーヌ、この売女! 恥を知れ!」
聞くに堪えない暴言を吐くイルミスに、ドットは顔をしかめながらイルミスに声を張り上げる。
「お前が言うな! しかもなんて下品な……。行こう、マリアーヌ、ナーシャ嬢。こんな奴にもう金輪際関わる事はない」
「最後まで残念です、アロウェン様」
「仕返しなんて考えない方がいいですよ。こちらには貴方が知らない強い味方がいますので」
そう言って三人は、イルミスの前から去って行った。
残されたのはイルミスただ一人。
……どういう事だ、これは……?
昨晩、屋敷に戻った父に突然書斎に呼び出された。
父との会話らしい会話などここ最近はほとんどなかったし、ましてや父の書斎に呼ばれるなんて事、マリアーヌとの婚約の話をされて以来だ。
僕はなんの用だと訝しく思いながらも部屋に入り、忘れかけていた父の顔を見る。その顔にはなんの感情もなく、フォンデュ伯爵からの婚約破棄の要望が綴られた手紙と書類を、目の前に放り投げられた。
意味が分からず呆然とその書類を見つめていると、マリアーヌ嬢から何か聞いているか? と聞かれたので首を横に振る。そうか。とただ一言言うと、そのままもう部屋に戻っていいと言われた。
別にどうでもいい事ではあるが、自分の事だ。結果は気になる。一応父にどうするのかとたずねると、承諾する。慰謝料もそれなりに見合った額だと言われた。
そうしてあっさりとマリアーヌとの婚約はなくなった。
三年ほどの付き合いとはいえ、将来お前の妻になる女だと言ったのは父上だ。
僕よりでかくてつまらない女だが、顔は悪くなかった。それに何より従順な女だった。僕の言う事を黙って聞く姿は、他の女よりはマシに見えた。なのに、それなのに、あんな男に色目を使うなんて……。
フツフツと怒りが沸いてくる。
今日わざわざ呼び出してやったのは、今頃自分の愚かな行いに後悔しているだろうと思ったからだ。
婚約破棄なんて、どうせ僕が最近相手してやっていないから拗ねただけだろう。女なんて馬鹿で傲慢で強欲なんだから、そんな我儘を一々本気にして書類を用意するなんて、フォンデュ伯爵もいい面の皮だ。
情けないな。仕方がないから、ここは優しい僕が少しだけ歩み寄ってやろう。泣いて縋れば話ぐらいは聞いてやろうと、そう思って機会をくれてやったんだ。
それなのに、そんな僕の優しさを踏みにじり、あんな男に庇われて嬉しそうにするなんて貞操観念のない、とんだ尻軽女だった。
――このままでは済ませない。
そういえばそばにいた変な女が、最後におかしな事をいっていたな。
仕返し? そんなもの、僕がわざわざするものか。あんな女に未練はない。……だけど、僕を慕っている者がこの話を聞いたら? 勝手に怒って暴走ぐらいはしちゃうかもね。ああ、そんな事僕には一切関係ない話だけれど……。




