イベント?
ガコンッ。はぁ、はぁ。
「い・イルミス様、これでいいですか?」
ゼイゼイと息を切らせながら、自身の頭ほどの大きさの石を裏返しにした四作目のヒロイン、メモリー・ディアス子爵令嬢は、後ろで木にくっついている虫を眺めていた四作目の攻略対象者イルミス・アロウェン伯爵令息に、汗を流しながら満面の笑顔で振り返る。
「あ、できた?」
そう言って、彼は彼女の顔も見ずにまっすぐに石の方に行くと、そこにくっついている虫達を見て、目を輝かせた。
「うわぁ、珍しい子達がいっぱいいるよ。可愛いなぁ。メモリーも見て見て」
「……イルミス様、あの、とっても重かった、です」
「うん、ご苦労様。それよりもこの紫の子、いつもは緑なのに石の裏に隠れると色が変わるんだね。凄いなあ」
イルミスは必死で石を転がしたメモリーにはチラリとも視線を向けず、口だけで労うと虫に夢中になる。
メモリーはまだ肩で息をして額の汗を拭っているが、一向に気にする気配はない。
「……イルミス様、手が汚れてしまいました」
「手袋持って来てないの? 馬鹿だなぁ。仕方がない、これ貸してあげるよ。ちゃんと洗って返してね」
メモリーの前にニュッとハンカチが差し出される。一瞬微笑んだ彼女は次の瞬間、固まった。
そのハンカチは、お世辞にも良い品とはいえないごわごわの布だった。しかもよく見ればうっすらと汚れている。
押し付けられるそのハンカチを、親指と人差し指で摘まむ。幸い虫に夢中な彼は、そんな彼女の行動を見ていない。
「……これ、イルミス様が普段使っているのですか?」
「そうだよ。手袋がない時、不意に見つけた虫を捕まえる時に使うんだ。一年ぐらいは使っているかな?」
バッとハンカチを捨てそうになったメモリーだったが、流石にまずいと感じたのか「ホホホ」と笑って、そのままイルミスに押し返す。
「大丈夫です。叩いたら取れました。それより今は私が石を転がしましたが、いつもはイルミス様がご自分でされるんでしょ? 今日は何故されなかったんですか?」
メモリーの言葉に。イルミスは不思議そうな顔をする。
「え? 僕そんなのした事ないよ。伯爵令息の僕がそんな力仕事なんてできる訳がないでしょ。僕の絹のように滑らかな肌が傷んじゃう」
「……それじゃあ何故、子爵令嬢である私に?」
その言葉にイルミスはムッとした表情をしたかと思うと、プッと膨れた顔で立ち上がる。
「森の虫を見たいって言ったのは君だよね、メモリー。だったら君がやるのは当然でしょう。君、僕より力ありそうだし。何? 文句あるの? だったら今すぐ帰ろうか?」
気分を害した事が分かったメモリーは、慌てて両手を左右に振る。
「え、そ・そんな、別に文句なんかじゃ……ただどうしてかなって思っただけで」
「そう? じゃあ君もごらんよ。この虫可愛いよねぇ」
コロッと表情を変えたイルミスは、メモリーの隣に座ると虫を指差して笑顔で話す。汗をダラダラと流すメモリーは、頬を引き攣らせながらも口角を上げる。
「ほ・本当だ。可愛いなあ~。わ~い」
……ヒロインが健気過ぎる……。
私達は学園の裏にある森に、イルミス様とメモリー様のイベントがあった事を思い出し、そこよりも少し離れた監視小屋から様子を見ていた。
ちょうど崖の上に立つこの小屋は、二人からは見えないようだが、こちらからはバッチリな上に会話までしっかり聞こえた。二人の地声が大きいという事もあるのだろう。
しかし、これは……。
「……なあ、本当にあの子とあいつの仲を取り持つのか? 俺、なんだがいたたまれないんだが……」
「私もだ。二人がこれを心底望んでいるようには見えない」
「私も……マリアーヌ様の為を思うなら、この二人が一緒になってくれるのが望ましいのですが、これでは彼女も不憫過ぎるのでは?」
「彼に女性は無理です。変態爺に嫁がせましょう。それが一番平和です」
ティモン様が窓から二人を眺めたまま、眉間に皺を寄せる。隣で続くようにダリアス様も、口元に手をやり辛そうな表情を取っている。
そんなダリアス様の背にそっと手を添えながら、バーバラも同意見だと述べる。
全員の言葉を省略に省略したエリーゼが、最終手段を述べる。
エリーゼ、笑顔が怖いですって。
『どう見る、ユリア?』
ハリーが私の耳元に囁く。くすぐったい。
『攻略対象者が彼しかいないから我慢してるって感じよね。噂を聞く限りでは彼女も他のヒロインと同様、好き放題やっているようだけれど、これに関したらイルミスの方が上手って事なのかな? けど彼ってあんなハチャメチャな性格だったっけ?』
私は耳元にあるハリーの顔を押しのける。近過ぎる。やめれ。
ハリーは笑いながらも、そのまま素直に離れてくれた。
『彼の家庭環境が、小説とは少し変わっているようなんだよな』
何、それ? と聞こうとしたところで「何二人でコソコソと話してるんだ?」とティモン様に突っ込まれたので、ハリーが皆に聞こえるように説明を始めた。
「彼イルミス・アロウェンがあのような性格になった一端が、もしかしたら彼の幼児期に関わっているかもしれないなと話していただけだ。アロウェン伯爵は、彼が三歳の頃から王都で愛人と暮らしていたらしい。彼と母親は領地に捨て置かれていた。彼が父親と再会したのは、母親が亡くなった十二歳の時だそうだ。それまでの九年間、彼は夫に去られた母親からの歪んだ愛情を一身に注がれ、また屋敷にいる使用人も伯爵がいない領地を夫人と切り盛りしながら、彼を当主のように崇めながら育てていた。その為何においても自分が一番で、自分が一番可愛いと今のような彼の思考になったのではないかと考える」
それは乙女ゲームの小説にはなかった初めて聞く内容だった。
小説では、彼は両親に可愛がられ何不自由なく育てられた。ただ一つ問題があるとすれば。親と周囲からの期待が高すぎた点だろう。
一人息子、跡取り息子と期待されその容姿で人々を虜にする彼が、学園に入れば人気者となり、一学年上の王子様にも気に入られ、取り巻きとしてそばに侍るであろうと信じられていた。
現実は、確かに彼の容貌は一際輝いており学園でも不動の人気を築いたものの、王子とは学年違いという事もあり中々そばに寄る事ができなかった。
その事が次第に彼のコンプレックスとなっていく。そしてそれを上手くついてきたのが、ヒロインである。
得意な天真爛漫さを武器に、彼と王子を対面させたのだ。なんの事はない。木に登り、王子の近くに落ちた。それを彼が助けるという茶番を演じる。
あらかじめヒロインが、攻略対象者を木の下に待機させておいて、その少し上から飛び降りた。
普通で考えれば四作目の攻略対象者は、女の子と見間違う風貌をしている。いくらヒロインが小柄とはいえ、彼に彼女は支えきれない。だから彼女は、王子の位置からは落ちたように見せ、実は少し上から自分で飛び降り、彼に転ばないように支えてもらうだけにしておいたのだ。
純粋にこんな策略を練るヒロインってどうかなと少し疑問に思うものの、四作目は小説だから攻略対象者の為なら少々戦略を練るヒロインでも、かえって逞しくていいのかな?
結局、彼の華奢な風貌からは想像できない事態を目の前で見せられた王子は、すっかり彼に興味をもち、取り巻きの一員に加える。
そうして彼の持ち前の明るさから、彼は王子のお気に入りとして、学園を卒業した後も王子の側近として城勤めをする事となる。
もちろん、ヒロインは感謝する攻略対象者と結婚し、何不自由なく幸せに暮らすというハッピーエンドで締めくくる。
「王子、ボンクラか?」とは四作目の小説の内容を話し合っていた時のハリーの意見だ。それに対して私が大きく頷いたのは、間違いない。
「分からなくもないが、同情する余地はないね。父親はそばにいなくても、大切には育てられたのだろう。それに周りの影響があったにしても、彼がああなったのは彼自身の問題だ」
「そうだな。彼には虫という心の拠り所もある事だし、これからも好きに生きてもらおう。それよりも、こうなるとメモリー・ディアス嬢に押し付けるという事もできなくなったな」
ダリアス様が一刀両断にする。まあ、そうだね。いくら異常な愛着を受けたとしても、ナルシストになったのは本人の考えだし、その性格を私達が矯正する必要はないものね。
私達がやるべき事は、如何にして現婚約者マリアーヌ様を逃がしてあげるべきかって事だけ。だけどこれが一番難しい。ハリーが言うようにヒロインに押し付ける事もできなくなった今、どうしようか……。
私達は狭い小屋の中、頭を捻らす。外では能天気な攻略対象者とカラ元気なヒロインの声が森中に響いていた。




