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先生の柱 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 みんなは茶柱が立つのは、どうして幸運なこととされるか知っているかな?

 これは一概に確率の低さがかかわっている。おみくじで大吉を引くような、低確率だからね。

 第一に湯のみにお茶の茎が入る可能性。

 ペットボトル入りやティーバックなど、そもそも茎にお目にかかれないまま飲めるケースが増す中、急須を使うケースはあまりない。その急須も、目の細かい茶こしが備わっていると、注ぐときに中を通ってくれない。


 第二にお茶の茎が立つタイミングで口をつけられる可能性。

 お茶の茎には、ところどころ穴が開いている。注いだばかりの時はぷかぷか浮いているが、やがてその穴にお湯が入ってきて、茎が重くなっていくんだ。

 片方だけが重くなり、お茶の液体よりわずかに軽い状態になって、ようやく茶柱が立つ。

 しかしずっとそのままではおらず、やがて立ったまま湯のみの底へ沈んでしまうんだ。茶柱が立つのも、茎の状態によっては数時間もかかるケースさえあるのだとか。


 最近は調整して、確実に茶柱を立たせる商品もあるようだが、昔ながらの方法なら偶然も偶然なのは納得のところだろう。だからこそ、普段は見ないものに臨むなら、少しは注意してもいいかもだ。

 先生の小さいころの話なんだが、聞いてみないか?



 先生は小さいころから、水泳が好きだった。

 スイミングスクールに通ってはいたが、プールという環境が、個人的にあまり好きじゃなかったんだ。

 25メートルとか50メートルとか、大きさの区切られた空間でしか泳げない。

 実際にはコースロープで区切られ、自分が隅々まで泳ぐことなどありえないと分かっていたが、その閉じられた場所が肌に合わない気がして仕方なかったんだ。

 

 だから、休みの日のみならず、平日の学校帰りの時間を使って近所の川で泳いでいた。

 毎日のように水着を持参し、持ち帰り、プールの何倍も広い川で泳ぎまわっていたんだ。

 川にだって幅がある。厳密には限りがあるわけだが、人が作ったものにはあまりない、曲線があるんだ。

 流れの緩やかなところで、どうにかそれに逆らい、支流をのぼろうと考えたこともあった。けれど水中の流れは思っていたより強烈で、だいぶ泳いだはずなのに、潜ったところとたいして変わらないか、かえって押し流されているときもあって、悔しかったっけな。

 でも、その手の逆風もまた、先生をのめり込ませるかっこうのスパイスになっていたんだ。

 

 ――ん? それでも夏の前後くらいしか、入れなかったんじゃないか?

 

 

 いや〜、それがね。先生の入っていた川は、冬でも入ることができる暖かさだったんだよ。

 

 

 こんなことを話しても、他の友達はどうにも納得してくれなかった。

 釣りが趣味の子が同じ時期の川の水に触れたことがあったけれど、とても入れるものじゃないと。

 先生も負けん気が強かった。「だったら、実際に入ってやるから見てみろ」と、その場であおり合戦さ。

 本当に川へ赴き、先生が水着になって川のふちに立った時まで、その子はハッタリだと思っていたらしい。どうせ、ギリギリで何かと言い訳をし、入らないつもりだろうと。

 なにせ午前中にかけて雪が降り、いまは止んでいても空が暗いままなんだ。大半の通行人がダウンやそれに類する上着を羽織りながら、肩をいからせ、こぞって先を急ぐような寒さもあったからね。

 

 しかし、先生は入った。

 ざぶりと何歩か歩み入ると、一気に川の中へ。たっぷり20メートルはあろうかという中州まで1分足らずで泳ぎ切り、胴震いをひとつ。振り返ってにやりと笑って見せる。

 彼の顔は引きつっていたよ。


「どうした? さっきまでのあおりは? お前も泳いで来い!」


 勝ちを確信した先生は、存分にイキる。

 彼はおそるおそる川辺まで来て、かがみ、水に手をつけるも、すぐに飛び上がって震え始める。

 もう一度こちらをにらみ返すや「バカ!」と捨て台詞を吐いて、逃げ出していったっけな。

 その背中を見送り、先生はいそいそと水の中へ潜りなおした。


 正直、中州に立ってさらされる風の方が、よっぽど冷たかったんだよ。

 この川の水は暖かい。夏場ではさほど感じなかったが、この冬になっていっそうそれを確信したんだ。

 確かにあおりを返してやったことは、気持ちが良かった。けれども、あの明らかに冷たさの極みとも思える反応は、どうしても腑に落ちなかったんだ。

 もしかして、先生自身がおかしいのか、とも。



 その日、いつもなら感じる強い流れが、ほとんど水中からなくなっていた。先生はかねてより、何度ものぼろうとしてきた支流を泳いでいく。

 一度、歩いて行方を確かめようとして、叶わなかった。トンネルのように大きく口を開けた土管が途中に居座り、その上を道路が走っていて、追い続けることができなかったんだ。

 トンネルの先は知らない。そこの半径1キロほどを探ったけれど、川が流れ出ているところは見当たらなかった。


 ――なら、泳いで確かめる!



 いま考えると、無謀なことだったと思う。

 土管の中が、もし滝のように急に落ち込んでいたりしたら、戻れないかもしれないのに。

 だけど先生は泳いだ。進むたび、水温はごくごく緩やかにだが、上がっているように感じられたからだ。

 単に、動いたから暖まったという度を超えている。そしてひょっとしたら、この原因を探れるのは、僕だけかもと感じてね。

 あの子が冷たさに震えたんだ。それをものともしない先生は、自分が選ばれた者なんじゃないかと、いくぶん調子に乗っていたんだよ。



 やがて、土管の元まで泳ぎ着き、先生は迷わずに飛び込んだ。

 正直、真っ暗闇を予想していたよ。ところが顔をあげた先生の目に入ってきたのは、数メートル先の頭上にきらめく、緑色の粒だった。

 無数にきらめく、砂のようなそれを先生ははじめ、蛍光塗料か何かと思ったよ。

 しかし、近づくにつれて、それらがさらさらと天井からこぼれ落ちているのを、見て取った。

 妙だと思ったよ。まるでカーテンか何かのように、かなりの量が川の水へ注がれているのに、水にはわずかにもその色が混じらないんだからね。

 もっとその粒の正体を探ろうと、先生は近づいてみた。


 間違いだった。

 頭に肩に、もろに粒を受けた先生は、とたんに激しい痛みを覚えた。

 電気ストーブのてっぺんへ、じかに触れたかと思うほど。すぐに水の中へ潜りこむも、痛みはいささかも治まらない。

 そして、先ほどまでは透明だった川の水へ、わずかに赤いものが混じっている。

 血だ。先生は頭から肩から血を流していたんだ。それが緩やかな流れをもって、先生の視界をわずかに曇らせたんだ。


 来るべきじゃなかった。このままじゃ、体中をやられる。

 すぐ引き返す先生だったが、身体は思うように進まなかったよ。

 上半身が、やけに川底へ向かって沈もうとする。それに伴って足が水面に出てしまい、まともに水をかけなくなっていたんだ。

 先に話したような茶柱のようなかっこうさ。ほぼ逆立ちするような無様な姿で、来た時の何倍もの時間をかけて先生は、ようやく逃げ帰ったんだよ。

 ただ川から上がったとき、頭にも肩にも血が出ている様子はなかったんだけどね。



 ――ん? 先生の両肩がやけに緑色に汚れている?


 ああ、ちょいと熱くなりすぎたか。

 あの時からしばしば、先生の肩は内側からこの緑色が出てくる。おそらく、あのときの粒だ。

 茶の茎と同じように、こいつらがおそらく先生の毛穴から入り込んだ。そして血を追い出し、居座っているのだと思うのさ。


 

 


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