6 私は何の罪で裁かれるのだろうか (白雪姫乃)
私が泣き止むのを、静かに見守っていた刑事は、「すみません。仕事なもので」と、申し訳なさそうに言う。
小さなビニール袋を見せてきた。
「こちらなんですが、お姉さんのもので、よろしいでしょうか」
中に入っているスマートフォンには、見覚えのあるカバーがついている。キラキラと光を反射する、スワロフスキーのガラスを使ってデコったデザインのものだ。
うちで飼っている真っ白なチワワをモチーフにして、私が姉のために作ったものだから、世界に一つしかない。
「……はい」
とても信じられない気持ちで、認めたくはなかったが、間違いなく姉のものだ。
「お姉さんから、連絡とかなかったですか」
私はスマートフォンをポケットから出す。確認すると、姉からの着信記録があった。
接客中にかかってきたのは、姉のものだったようだ。刑事が画面を覗き込む。
「何か伝言のようなものは」
「残ってないです。私が出る前に、すぐに切れてしまって」
刑事は着信のあった時刻をメモっている。
あの時、すぐに出ていたら、姉と話が出来たかもしれないのに。もし本当に事件に巻き込まれたのだとしたら、私に助けを求めて、電話してきたのではないのか。
スマートフォンには血がついている。まさか姉も。
私の視線を読んだのか、袋をしまいながら言う。
「お姉さんの血ではありませんよ」
少しだけホッとした。
だが、ならば、この血は一体、誰のものだ。
「今、詳しく調べているところですが、田中家の息子さんの、どちらかの血液である可能性が高いと見ています」
じゃあ、もしかして。
「その二人が疑われているってことですか」
「まだわかりません。ただ……」
「ただ?」
「現場で発見された血液のDNAが、通常では滅多にない、二種類のDNAを持っているキメラ状態だったんですよ」
「キメラ状態?」
「ごく稀にいるらしいんです。二卵性双生児になるはずが、胎内で融合・合体して生まれてくるとか、輸血や臓器移植、骨髄移植なんかで、ドナーのDNAが混ざって、キメラ状態となる例があるみたいなんですが……」
刑事は難しい顔をした。
「やっかいなことに、そのキメラDNAが、今現在は、存在するはずのないDNAでした。まるで亡霊が蘇ったみたいに。狐につままれたような気分ですよ」
存在するはずのないDNAって。
「どういうことですか」
「すでに死んだはずの死刑囚と、同じDNAだったんです」
「死刑囚が犯人ってことですか?」
「まさか。でも、もしそうだったら、逮捕するのは難しそうですね。すでにいない人間なんですから」
「……手錠をかけても、すり抜けるからですか」
私の言葉を聞いて、刑事が小さな笑みを漏らす。
「その調子です。想像力の働く人間は強い。あなたがちゃんと生きている証拠だ」
私をまっすぐに見据えてくる。
「亡霊だけじゃない。絶望している人に、手を差し伸べても、相手に掴む力がなければ、その手をすり抜けて落ちてしまいます。これまで何度も、そういう場面に遭遇してきました。事件が起こってからでは、我々に救えない命もたくさんあります。だからこそ、今が大事です」
刑事の目は、誠実で力強いものだった。
「被害にあった人に、あれこれとお話を聞くのは、本当に申し訳ないことだとは思っています。ですが、お姉さんを助けるには、あなたの力が必要です。ご協力願えますか」
「……はい」
今の私には、この人を信じて、協力するしかないようだ。
「今日、ご両親とお姉さんが、田中家を訪問された理由は、ご存知ですか」
「来月、姉が結婚する予定だったので、そのご挨拶にということだったはずですが」
「結婚を。それは……お気の毒に」
声のトーンが、柔らかくなった。根っこは悪い人ではないのかもしれない。
「あの、婚約者の人なら、何か知ってるのでは」
「残念ながら、田中家の息子さんは、お二人とも、まだ連絡が取れていません」
「なら、あちらのご両親に聞いてみては」
「無理なんです。田中さんのご両親も、ご遺体で発見されましたから」
「え……」
「同じような傷が残っていたので、同一犯によるものと思われます。ですが、行方不明になっている三人も、何か事件に巻き込まれた可能性があると見ています」
四人が死んで、三人が行方不明って。
何がどうなっているのか。
まったくもって意味がわからなかった。
防犯カメラを調べていた制服警官が、刑事に声をかける。
「見てください。これ、似てませんかね」
刑事が映像を確認しに向かう。
制服警官が再生していたのは、あの少年がPCを壊していた部分の映像だ。
刑事がちらりと、私を見た。
「もしかして、この彼が、さきほどの取り込み中の理由ですか」
「そう、そうです。この子が急に壊して、追いかけてたのに」
「なるほど。それはすみませんでした」
今となっては、そんなことは、どうでも良いと感じるぐらいには、何もかも状況が変わっていた。
刑事は少年の顔が見える位置で、画面を止めて拡大をした。胸ポケットから写真を出して、見比べている。
「確かに、似てるな」
顔を上げた刑事が聞いた。
「この少年のこと、何かご存知ですか」
「いえ、知ってるってほどでは。さっき来た、お客さんです。8ミリフィルムのテープを取り返しに来たって」
「8ミリフィルムのテープ……ですか」
「データに変換したあとだってわかったら、急に、あんなことを」
「そのテープかデータは見られますか」
「テープは本人に渡しましたけど、データは……」
私は地面の残骸を指差した。もう時すでに遅しだ。
PCの残骸を確認して、刑事はアイタタというような顔をした。
「ハードディスクごと持って行ったのか」
刑事はスマートフォンで電話をして、鑑識を要請したようだ。
「彼はどこに行くとか、言ってませんでしたか」
「さぁ、逃げて行ったのは、駅があるほうですけど」
制服警官に「近くの防犯カメラを洗ってこい」と指示を出している。
「受け渡し時に、彼は名乗ったりしませんでしたか」
「確か、田中……って」
刑事だけでなく、店内を調べていた制服警官たちも、一斉にこちらを見た。
「その子が、どうかしたんですか」
「行方不明になっている息子さんの弟、田中神威に、背格好がよく似ているんです」
「え?」
無線を聞いていた制服警官が、刑事に駆け寄ってきて伝言をする。
「兄の田中理空の経営するレストラン『ブランシュ・ネージュ』を当たっていた者から連絡が」
その『ブランシュ・ネージュ』という名前に、既視感があった。そうだ。届いた荷物の送り主だ。
「さきほど、食料倉庫から、人骨が多数、発見されたとのことです」
「人骨?」
レストランで、人骨がって、どういうことだ。
その骨は、誰の骨なのか。わからない。考えたくない。
制服警官が、少し言いにくそうな表情をして、刑事にささやくように報告する。
「女性のご遺体の……一部も発見されたと」
「……わかった。すぐに向かうと伝えてくれ」
遺体の一部って。まさか。そんな。
刑事は困ったような顔をして、無骨な手を差し出した。
「状況が飲み込めずに、大変お辛いとは思います。ですが、事件を解決するためには、できることから、一つ一つこなしていかないとなりません。これからご遺体の確認をしていただきたいのですが、ご同行願えますか」
「……はい」
その手を取り、椅子から立ち上がろうとするが、足から力が抜けて、まともに立てなかった。
「ちょっと、失礼します」
刑事が軽々と私を持ち上げた。人生で初めてのお姫様だっこが、こんな最悪の日でなくてもいいだろうに。あんまりだと思った。
覆面パトカーに乗せられると、車が動き出し、店が遠ざかっていく。見慣れたその店も自宅も、見た目はまったく変わらないのに、中に住んでいた人間は、昨日までとは何もかもが違う。
これから父と母の死んでいる姿を、確認しに行くなんて。もし、レストランで発見されたという女性が姉だったら。考えたくなかった。あまりにも現実感がなかった。
不意に、少年の言葉を思い出していた。
『なら見逃してあげるよ。でも、そのほうが地獄が待ってるかもしれないけど』
これが、彼の言う地獄だったということなのだろうか。
まるで予言するみたいに。
どうして、あの少年があんなことをしてまで、逃げたのか。まったく意味がわからなかった。
私の頭の処理限界を超えている。あの少年に地面に叩きつけられたPCみたいに、今にも壊れてしまいそうだった。
ずっと当たり前の日常が、明日も続くと思っていたのに。
わけがわからない。一体、私が何をしたというのか。こんなに酷い目にあうようなことを、何かしたのだろうか。
考えても仕方がないことばかり、頭の中をグルグルと巡っている。
何がいけなかったのか。私が店に来たご老人やお客さんたちを、怒らせたからか。それとも。
ふいに、頭に浮かんだのは、シンデレラの落としたガラスの靴だった。王子様に拾ってもらえたはずの姉の靴は、今どこに行ってしまったのか。
シンデレラも、王子様も、ガラスの靴も、みんな消えてしまった。
もし、小さい頃に私が、シンデレラに出てくる魔法使いにお願いした、『姉が酷い目に遭うように懲らしめてください』という祈りが、今頃になって叶えられたのだとしたら。
私は何の罪で裁かれるのだろうか。