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猫が世界を救った日。  作者: 入口トロ
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40 まさしく『in vitro』の実験中に違いない (紫木望美)

「また会いに来てくださるとは。そんなに恋しかったのですか。奥様が嫉妬なされますよ」

「雑談をしに来たんじゃない」


 取調室に現れた三浦柊一という男は、相変わらず真面目なようだ。


「では何をしに来られたのですか」

「あなたは『in vitro』というラベルのついた、8ミリフィルムのテープを、どこで手にいれた? 灰川聖人の押収品には、なかったはずだ」


「……郵送されてきたんです」

「誰から」

「送り主はベン・ミュラー。手紙が同封されていました」


 だが、後になって確認したら、筆跡は明らかに違うものだった。今にして思えば、きっと、別の誰かが、送らせたものだったのかもしれない。


「内容は?」

「このテープを見てから、灰川聖人はおかしくなった。もしこのテープを見たクローンたちが、同じような罪を犯せば、彼の無実が証明されるかもしれない、と書かれていました」


 三浦柊一は、険しい顔で睨んでいる。


「わかっていて、田中理空にテープを渡したのか」

「だから、実験していたと言ったでしょう」


「仮にもあなたの夫と、同じ遺伝子を持つ子供たちだぞ。なんでそんな酷いことを」

「矛盾したことを言いますね。同じ遺伝子でも、それぞれが自分で考えることができる人間だと、そう主張されていたのは、あなたの息子さんですよ。それが真実とするならば、いくら遺伝子が同じでも、もはや、ただの他人では?」


 人はその時々で、物事を都合良く解釈する。表から見れば白なことも、裏から見れば真っ黒なこともある。


 二面どころではない、人間が望めば望むほど、多面的にその解釈は増えていく。その時々の人の都合で。


「私も見たんですよ。あのテープ」


 三浦柊一の表情に、困惑の色が浮かぶのが見えた。この男でも、自分が得体のしれないものに変わってしまうということに、恐怖を覚えたりするのだろうか。


「ご存知でしたか。あれは見たら、殺人鬼になるテープなんかではありません」


 あの子が、当時の研究者が隠し持っていたデータを掘り出して、いろいろ教えてくれた。とても興味深い研究結果だった。やはり、あの子は優秀だ。


「どういうことだ」

「ただの、感情のリミッターを外すための装置です。本当なら理性で止められる衝動を、止められなくなるように、脳内の分泌物が変化する作用があるようです。映像と音声によるドラッグです」


「……そんなことが可能とは、とても思えないが」


「理屈がわからなくても、使われているものなど、いくらでもありますよ。全身麻酔で人が意識を失う理由も、つい最近、ようやく解明され始めるまでは、ずっと理屈が不明なまま、使われていたじゃないですか。今だって電子レンジの仕組みを知らない子供でも、使ったらどうなるかを知っているから、普通に使っていますよね。それと同じです」


 人間はわからないものでも、好奇心を満足させ、不便を解消するために、利益があるものなら、いくらでも使ってしまう。そういう生き物だ。


 たとえそれに、身を滅ぼす可能性があったとしても。


「あのテープが出来たのは、偶然の産物だったそうです。戦時中に開発されたもので、本来は兵士の戦意を高揚させ、恐怖を消し去るために作ったものだったようですね。人によって、効果は様々だったそうですが、理性の飛んだ兵士は、味方をも殺してしまうことが続出してしまったので、その研究は打ち切られたそうですよ」


 三浦柊一は、頭の中で想像したのか、顔をしかめている。


「そんな危険なものを、あなたは、田中理空に渡したのか」

「危険と言っても、個人差があって、本人次第ですから。彼は自分の欲望に従ってしまっただけです。実際に、同じテープを見た私は、人殺しなんかしていませんよ」


「自分がしたことも忘れたのか。百五十三人もクローンを作っておいて」

「クローンを作り始めたのは、そのテープを見るより前ですよ。私は正気です」

「どの口がそれを言うのか」


 女を殺して食べた料理人と、大量に托卵をした産婦人科医。どちらが、本当に頭がおかしいのだろうか。三浦柊一にとっては、どちらも同じ悪魔というカテゴリに入れられることだろう。


「でも、安心してください。なぜか、あのフィルムの状態でしか、その効果が発揮されないようです」


「どういうことだ」

「データ変換をしたり、ダビングをしたものでは、まったく効果がなかったようですよ」


 研究所での詳しい実験データを確認したが、その理由はわからなかった。


 きっと、あの映像には、今の科学技術では、映し撮ることはできても、コピーできない、高次元の『何か』が、写り込んでいたのかもしれない。


 撮影した場所、人、タイミング、テープ、カメラ、それぞれのなんらかの条件が、偶然揃った時に、たまたま撮れていたとしたら。


 ろくでもないものを作っているという、撮影者側の興奮と嫌悪、快楽と恐怖のように、複雑に目まぐるしく揺れ動いた感情が、『何か』を引き寄せ、フィルムに閉じ込めてしまったのかもしれない。


 今となっては、証明する術はないけれど。


「今回、田中理空が持っていたテープは燃やされていた。なら、もう大丈夫ということか」

「残念ながら、廃墟となった研究施設から盗み出されたのは、一本だけではないようですよ。またどこかで、犠牲者が出なければいいですね。もうすでに、どこかで誰かが、テープを渡しているかもしれませんけど」


 三浦柊一が、心底憎らしそうな目をしている。だんだん、この男を怒らせるのも楽しくなってきた。


「わかっているのか。ベン・ミュラーが、どんな人間であるのか」


 三浦柊一が資料を見せてくる。


「クローンの懸賞金を運営しているサイトの、管理責任者の名前も、ベン・ミュラーだ。クリニックから資金が流出したタイミングで、彼との連絡は途絶えている。どちらも金の流れに使われたのは、仮想通貨KINTAROUだ。あなたは、あの男に利用されていたんじゃないのか」


 私は笑みを浮かべた。

 あの子の予測通りで笑うしかない。


 彼らは面白いように誘導されている。私だって、無意識のうちに、操られ続けているのかもしれない。そのぐらい、あの子は用意周到で巧妙だ。


「わざわざ名前を晒しながら、犯行をするバカはいますか?」

「何が言いたい」


 ベン・ミュラーはずっと、灰川聖人を助けたことを悩んでいた。少年Aの暴走を止められなかったことを、悔やんでいた。


 彼が灰川聖人を助けなければ、彼がテープを渡していなければ、灰川聖人は殺人鬼になっていなかったかもしれない。今頃、私も、こんなことにはなっていなかっただろう。


 ベン・ミュラーさえいなければ、私たちの人生は、大きく変わっていたはずだ。けれど。


「彼こそが、私が一番恨んでいた人間です。でも、あの人もきっと、今は、あの子に使われている、ただの駒でしかないと思いますよ」


「あの子?」

「灰川聖人が残した、大事な子供です」


 だがもう、どうでもよかった。息子を失い、元夫を殺人鬼にされた時点で、私の人生など、どうでもよくなってしまった。


「私が実験しているように、私たち人類を、地球に巣食う細胞のように扱って、遊んでいるモノがいるのですよ」


 無敵の人に怖いものなどない。


「私たちは試験管というガラスの中から、出られない運命なのかもしれませんね」

 まさしく今も、あの子による『in vitro』の実験中に違いない。




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