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猫が世界を救った日。  作者: 入口トロ
31/46

31 私は何もわかっていなかった (白雪姫花)

 田中理空くんと付き合い始めた頃に、弟の神威くんが登校拒否をして、引きこもりをするようになったのは、きっと何かわけがあるのだと思っていた。


 来月には、私たちの結婚も決まっている。いずれ義理の弟になる子だ。なんとか元どおりの生活を送ってほしい。


 そう願って、お節介かもしれないが、SNSで他人のふりをして、いろいろアドバイスをしたりもした。


 結局、まだ学校には行けていないものの、少しずつだが、料理のための買い物をしたり、兄が開店準備をしているレストランに足を運んだりと、徐々に外に出る機会が増えているようだった。


 だから少しずつでも、良い方に向かっていると思っていたのに。


 田中さん家から届けられたという、あの8ミリフィルムのテープを見て、とても驚いた。カエルを始めとして、小動物を解体するような映像が、いくつも記録されていたのだ。


 中にはもっと猟奇的な、自主制作映画みたいな古い映像も混じっていたが、あれは誰かにもらったものなのだろうか。


 あんな残酷な映像を見て、感化されてしまったのかもしれない。


「さぁ、全部、本当のことを話して。悩んでることがあるなら、なんでも聞くから」


 部屋に入ってきた神威くんは、なかなかベッドに座ろうとしない。


「見たのは姫花さんだけ?」

「最初に変換したデータを見たのは父で、それを母と私に相談してきたの」

「そう……なんだ」


 神威くんは顔をしかめる。


「で、どうするの」

「あの映像は、警察に提出するつもりだから」


「なんで」

「君のやってることは、犯罪行為なんだよ」


「ただの……器物損壊でしょ」

「そういうことじゃなくて」


「外科医なんでしょ。あなただって、毎日、人のこと、いっぱい切り刻んでんのに。助けられなかった患者を、殺してるじゃないか」


 当たり前のようにやっていることが、その言葉で、急に地面が抜けていくような感覚に見舞われた。


「どうせあなただって、初めて本物の人間の体に、メスを入れたとき、興奮してたんじゃないの。それと何が違うの」


 研修医として、本番を経験した時を思い出していた。


「医者はいっつも、何かを切り刻んで、実験したり研究したりしてるじゃない。普通の人は、そんなことやれないよ。人を切るのが、楽しいからやってるんじゃないの」

「そんな……こと」


 違う。そんなはずはない。楽しんでなんていない。

 でも、本当にそう言い切れるかどうか。


 これまでに、手術がうまく成功した時に、興奮していなかっただろうか。一度たりとも? 絶対に?


 自分の記憶と感情に、自信が持てなかった。


「大人がやってるのに、どうして子供がやったらダメなの。なんでぼくだけ、警察に行かなきゃいけないの」

「それは、私たちがやってるのは仕事……だから」


「じゃあ、ぼくだって、仕事だって宣言したら許されるの? 食肉の解体業者の人や、ジビエ料理をしてる人は、毎日のように動物をさばいてるし、でもそれが、仕事だったら許されるんだよね。普通の人からしたら、とても残酷なことをしているのに。なんで許されるの」


「きちんと資格を取って、やってるから」


「でも、昔の人は、そんな資格なんてなくても、みんなが山で狩りをしてたよね。大人だけじゃなくて、子供だって、獣を殺してたでしょ。魚なんて、今でもみんな、日本人なら、活け造りなんてこともしてるし、生で食べたりしてるよ。ほかの国の人からしたら、すごく残酷なことをしてるのに。でもなんで、ぼくが動物の解体をやったらだめなの」


 神威くんは、目を輝かせるようにして話している。けれど、その身振りは、やけに芝居じみていた。


「ぼくだって、大事な研究をしてるんだよ。将来、料理人になりたいからさ」


 追い詰められて自供する犯人のように、興奮しているということなのか。よくわからない。


「どのぐらい切り刻んだら死ぬのかを、ちゃんと記録して、どの部位をどんな風に調理したら、美味しくなるのか。いっぱい研究してるんだから。もちろん殺した動物は、きちんと食べて無駄にしてないよ」


「そういう……問題じゃないから」

「じゃあ、どういう問題なの」

「とにかく、あんなことは、もうやめなさい」


 神威くんは、噴き出すように笑う。


「それっておかしくない?」

「おかしいって、何が」


「ぼくだけ、ずっと続けてることをやめるって、変でしょ。一方的に、こっちだけ不利益を被るのって、不公平じゃない?」

「不公平って言われても」


「だったらさ、あなたも譲歩してよ」

「譲歩って何を」


「あいつと結婚するのやめて、ぼくと結婚してよ。そしたら研究するのやめてやってもいいよ」

「そんなこと……できるわけないでしょ」

「じゃあ、ぼくもやめない」


 私はイラついて、ベッドから立ち上がる。


「なんでそんなこと言うの」

「それはこっちのセリフだよ。ぼく、ずっとあなたのこと好きだったのに」


 神威くんの目には、涙が浮かんでいた。


 全然、知らなかった。

 そんな、まさか、私のことを。


「知ってたよ。あのガラスの靴のアイコンで、ぼくのこと、ずっと励ましてくれてたアカウントって、姫花さんでしょ」

「え?」


 ガラスの靴のアイコン?

 私が使っていたのは、うちで飼っているチワワの画像を使ったアカウントだ。


「出来がいい姉妹のせいで、苦労してるなんて、嘘までついて、ぼくのこと慰めてくれてたんでしょ」

「違う。それは私じゃ……」


 確か、妹の裏垢が、ガラスの靴をモチーフにしたアイコンではなかったか。


「でもそれって、どうせ、あいつに頼まれて、仕方なく、やってただけってことだよな」

「そう……じゃないっ」


「もういいよ。だったら、最後の実験をしてやるよ。あなたが悪いんだからね。全員を道連れにして、ぜーんぶ終わりにしてやる」


 神威くんは、部屋を出て行ってしまった。

 説得することはできなかった。


 全員を道連れって、どういうことなのか。これ以上、良からぬことを考えていないといいけれど。


 それに、あの映像はどうしよう。

 本当に警察に提出して良いのだろうか。まずはみんなに相談してみたほうがいいのかもしれない。


 小さなため息をついてから、部屋を出た。




 一階に降りようとした時、変な匂いがした。


 病院で定期的に感じる、あの鉄臭さ。慌てて階段を駆け下りると、居間に通じる通路に、弟の神威くんが両手を挙げて立っている。


「来るなっ!」


 泣きそうな顔で、私を見た神威くんが、必死に叫んでいる。手にはフォークが握られている。


「いてぇだろ、神威。フォークは人間を刺すものじゃないんだぞ」


 声がしたのは、居間の方からだった。


「本当にお前はバカだな。人を刺す時は、刃物のほうがいいに決まってんだろ」


 廊下に出てきた理空くんの手には、料理庖丁が握られていた。その手は、真っ赤な血で塗れている。


「やっぱり、お高い庖丁は、本当によく切れるな」

「何を……しているの」


「婚約祝いに買ってもらった、すごい庖丁なんだよ。職人の名前とか刻まれてるやつ。ほら、このライン、惚れ惚れするでしょ。いつか人間で試したいと思ってたんだ」


 居間には、私の両親と、理空くんたちの両親が、血まみれになって倒れていた。部屋中に血が飛び散っている。


 一瞬、何がどうなっているのか、さっぱりわからなった。


 あんなに病院で、血を流している患者を見ているのに。

 あれほど手術室で、大量の血液を見ているのに。


 体のあちこちを切り裂かれている両親を見て、明らかに血圧が上昇している。まるで初めて手術をした日のように。


 思い出した。そうだ、私は興奮などしていなかった。

 自分の手が、誰かの命を握っているという運命の重さに、恐れおののき、手が震えていただけだ。


「あのテープのこと、うちの両親にまで、べらべら喋り出すからさ。しょうがないだろ」


 あの日、手術室で先輩に言われたように、何度も深呼吸をして、脈を整える。だが、あの時のように、平常心に戻ることはなかった。


 いくら落ち着こうと思っても、ずっと耳鳴りがして、地面が揺れているみたいな感覚が続いていた。


「黙っておけば、こんなことにならなかったのに。沈黙は金なりって、知らないの?」


 理空くんが、私に同意を求めるように、こちらを見てくる。その目は、正気ではなかった。


「ぼくをそんな目で見ないでくれよ。これでもずっと、必死に我慢をしてたんだ。褒めて欲しいぐらいだ。なのに、もう無理だ。全部終わりだよ」


 弾けるように笑っているのに、理空くんの表情は、とても苦しそうだった。


「そうだ。ここにいる三人が知ってるってことは、妹の姫乃ちゃんも、見ちゃったのかな。だったら、殺しに行かなきゃな」


 ダメ。やめて。それはダメ。

 私はスマートフォンを取り出して、妹に連絡しようとしたが、彼の血のついた手で奪われた。


「ダメだよ。ズルしちゃ」

 逃げようとしたが、理空くんに腕を掴まれて動けない。


「これから襲われますなんて、先に知らせたら、面白くないだろ」

 理空くんが私を羽交い締めにして、包丁を首元に突きつけてきた。


「やめろっ」


 私たちの方へ、近づいてこようとした神威くんは、蹴り飛ばされた。壁に激しくぶつかり、そのまま倒れて、動かなくなった。


 信じられない。どうしてこんなことに。


「だって、君たちが悪いんだから。そんなに、ぼくの一部になりたかったの?」


 やっとの思いで、声を絞り出した。


「あの映像……あなたがやったの」

「だったらどうする?」


 私は何もわかっていなかった。




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