3 普通ってなんだよ (白雪姫乃)
こんな日に限って、結構お客さんが途切れない。その後も、何度も客をイラつかせて、失敗しまくった。
いつもならSNSの裏垢で、むちゃくちゃ愚痴っているところなのに、それをする気力すらない。
もう嫌だ。やっぱり向いてない。
私は昔から、臨機応変にということが、とても苦手だった。
予測不能なことが起こると、途端にパニックになって、頭が真っ白になってしまう。順番にひとつずつ片付ければいいことですら、その順序すらわからなくなる。
だから私には、接客なんて無理だって言ったのに。
何が「普通に対応すれば、いいだけ」なのか。
普通ってなんだよ。その普通ができないから困っているのに。
いつもそうだ。絶賛浪人中の私と、さくっと帝都大に現役合格して、外科医になった姉の考える普通は全然違う。それがわかっていない。
大体うちの親戚連中に、帝都大に入った人なんて、姉以外は一人もいないし、両親だって高卒だ。
明らかに、トンビが鷹を産んでる系がすぎるのでは。
おかげでこの私まで、「あなたも妹なんだから、やればできるはず」なんて変に期待されて、どう考えても無理すぎる、帝都大を受けさせられて玉砕。
滑り止めの大学は、ことごとく風邪を引いて、受けることすらできずに終了。あえなく浪人する羽目になった。
完全に、私の人生は出鼻をくじかれた。
どんな奇跡が起ころうが、今後も姉の高みまで、這い上がることはできそうもない。
始まる前から終わってるって、どういうことだ。
なんでもできる姉妹が、目の前にいるのって、地味に不幸だ。
相手が死ぬまで、目の上のたんこぶが、永遠に目につくところにあるのだから。ものすごい迷惑をしている。
考えてみれば、私の人生のピークは小学校だった。
姉と同じエスカレーター式の進学校に、入学を決めた頃までは、「姉のような神童かもしれない」と、みんな思い込んでいた。私だって、勘違いしていた。
だがそこが最高到達点だったのだ。
小学、中学、高校と進学する度に、「あの姫花さんの妹か」と言われて、勝手に期待されて、勝手にがっかりされる。プレッシャーに弱くなり、自尊心はダダ下がりで、自信は木っ端微塵に吹き飛んだ。
小さい頃は、姉だけが褒められる度に、何度も思ったものだ。
『お姉ちゃんなんか、いなかったら良かったのに』
もちろん普段は、仲が良いほうだと思う。けど、やっぱり、ずっと負け続ける人生はしんどいものだ。
だから、いつも祈っていた。
童話のシンデレラみたいに、魔法使いがやってきて、素敵なドレスやガラスの靴をくれますように。私を選んでくれる王子様が現れますように。姉が酷い目に遭うように懲らしめてください。
なーんてことを思いながら、ずっと素敵な王子様を待っていたのに。ほら、あそこに飾ってある家族写真の、イケメンの彼みたいな王子様を。
額縁の中で、警察官の制服を着た凛々しい父親と、着物姿の綺麗な母親に挟まれて、にっこりと笑っている少年は、童話の世界から抜け出してきた王子様みたいな美少年だった。
あんな王子様が、私を探しにやってきてくれたらな。そんなことをずっと夢見ていた。
けれど、もちろん、奇跡は起こらなかった。
王子様に見初められて、綺麗なガラスの靴をもらって、お姫様になったのは姉のほうだった。名前に『姫』が入っているのは、私の姫乃も同じなのに。不公平だ。
姉は、来月には挙式も決まっている。ウエディングドレスの試着にもついていったが、本当に姉は、お姫様みたいに綺麗だった。
なのに私は、ずっと灰かぶり姫のままだ。実際には姫ですらない。今は、ただのしがない浪人生だ。
人生設計、間違えすぎだと思う。
いくら祈ったところで、人生は変わらない。やっぱり他力本願というのはダメなのだろう。そんなに人生甘くないようだ。
童話みたいな、人生大逆転なんて、そうそう起こらない。
でも、大きくなってから、グリム童話のシンデレラでは、いじめをしていた姉の二人には、かなり残酷な運命が待っていたことを知って、ぞっとした。
姉たちはサイズの合わないガラスの靴を、無理やり履くために、足のつま先やかかとを、継母にナイフで切られて、血まみれにされたり、シンデレラの結婚式の日には、最後は白い鳩によって、姉たちの両目が潰されたりもしたらしい。
やっぱり、本来ならありえない奇跡を使って、幸せになるためには、代償みたいなものが、必要だというのだろうか。
そんな恐ろしい話だとも知らずに、若気のいたりとは言え、シンデレラを妄想しながら、こっそりと頭の中で、姉の不幸を祈っていたのは事実だ。
子供って本当に恐ろしい。
もう時効だとは思うけれど、今のところは、姉の人生は順風満帆だから、きっと私のお願いは、天には届かなかったのだろうと思う。耳が遠めで仕事をさぼりがちな神様グッジョブ。
むしろ私は、文句ばっかり言って、自分で努力もせず、人の不幸なんて願ったりしていたから、こんな残念なことになっているのかもしれない。
おかげ様で、今の私は、立派なやる気なし子に仕上がった。
どうせ努力したって無駄だという、もう一人の私が、常に横からツッコミを決めてくる。それはもう、芸歴五十年の熟練漫才師並みの的確さで。
だって、しょうがないじゃないか。大きすぎる壁が、目の前に広がっていたら、自分にできることなんて、諦めることぐらいだ。だからこそ、もう今後は、ひっそりと生きていきたいのに、そうもいかない。
両親がカメラ屋なんてしてるせいで、竜宮商店街のご近所さんとの付き合いは古いし、みんなが私の浪人生状態を知っているからだ。
「あれ、今日は、姫乃ちゃんが店番してるんだね」
店の前を通ったのは、近所の喫茶店のマスターだ。白いシャツに黒いベストという、いかにもなマスターっぽい服装が似合う、ダンディーなおじさまだ。
サンドイッチやナポリタンなどの軽食を、馴染みのお店に配達した帰りだろうか。
「みんな……出かけてて。相手の家に挨拶に」
「そうか。お姉ちゃんは、来月、結婚だったね。いろいろ忙しいかもだけど……姫乃ちゃんも、勉強、頑張って。応援してるから」
マスターは少し困ったような顔をしてから、店に戻って行った。
まただ。ご近所さんの相手がみんな、無意識のうちに、心の中で、姉の晴れやかな人生と比べて、私を哀れんでいるような気がしてしまう。
いつものことだ。そんなの、ただの被害妄想だってわかってる。それでも気にしてしまうものなのだ。
だから劣等感や嫉妬って感情はやっかいだ。
あのなんとも言えない、生暖かい眼差しが辛い。
お願いだから、本当にみなさん、やめていただきたい。姉を思い浮かべてから、私を見て、大きなため息をつくの。
わかってるから。自分がとんでもなく残念なことぐらい、この私が、一番わかってるってば。
できることなら、今すぐ透明人間になってしまいたい。そのぐらいに、存在を消して生きていたい。白雪姫花の妹でなければ、もう少し、普通の人間に育ったかもしれないのに。
相手が消えないのなら、こちらが消えるしかない。そんなことをちょっと考えたこともあった。
受験ですべて失敗したことがわかった日が、そのピークだった。
けど、今消えたら、ずーっと、可哀想な妹として、みんなに記憶されて死ぬことになるけど、それでいいのって、SNSである人に言われたことがある。
確かに、それってなんか惨めすぎる。せめてひとつぐらい、姉に一泡吹かせてからじゃないと、死んでも死にきれない。
それにその人の配信した動画のおかげで、死なない理由が一つできた。
だから、とりあえず今は、ひっそりと浪人生として、しばらくは頑張って、生きて行くつもりだったのに。
どうあがいても、大したことのない人生を歩むのだとしても。どうせまた受験に失敗して、店を継げと言われ、どうせろくな恋愛もできないまま、結婚もできずに、幸せな姉夫婦を横目に、どうせ一人で死んでいくんだろうけども。
ってほらまた、熟練漫才師がツッコミを繰り出してくる。どうせ、どうせ、どうせってうっせーよ。黙れよ、中の人。
でも、実際問題、こんなポンコツ状態では、もし進学を諦めて、店を継ぐにしても、接客業に向いてなさすぎて、泣けてくる。
いつかすごいロボットが、勝手に接客してくれる時代がこないかなとか思ったりもしていたけれど、そんなことになったら、きっと私の存在意義自体もなくなりそうだ。
だからやるしかないのだけれど、すでに心が折れている。
三人が帰ってくるまで、私は一人で耐えられるだろうか。もう、お店閉めちゃおうかな。
ダメな感じのことを考えながら、姉のお下がりのスマートウォッチを見ていたら、鳩時計が鳴って、ビクッとする。
お店に昔からある古い時計だ。急に大きな音がすると、びっくりするからやめてほしい。
いつの間にか、十二時を過ぎていた。シンデレラの魔法が解ける時間だ。あれは深夜の十二時だったけど。針が指しているのは同じ数字だ。最初から魔法がかかっていない私には、関係ない話だけども。
鳩時計は、なんだか時代遅れなデザインだった。わざわざ業者さんが来て、修理をしているのを見たこともあるが、そろそろ新しいのに買い替えればいいのに。
時計横のプレート部分には、『紫木クリニック』と書いてある。付き合いのある病院から、もらったものなのかもしれない。だから捨てるに捨てられないのだろうか。
プレート下には、鳥の巣に大きな卵が入っている紋章もついている。巣の周りには『sulucuc』と書かれているが、知らない単語だった。頭の良い姉ならわかるのだろうか。
お腹がぎゅるると鳴る。
慣れないことをしすぎて、お腹も空きまくりだ。そろそろお昼ご飯にしよう。どうせ一人なんだし、ピザとかお寿司とか、勝手に出前して食べちゃおうっかな。
でも、冷蔵庫を確認してからにしよう。何か、お母さんが用意してくれてるかもしれないし。
しばらくお客が切れたタイミングで、自宅にしている二階に上がる。洗濯の終わったニットを陰干ししてから、冷蔵庫を開けると、見慣れない小さな発泡スチロールの箱が入っていた。『ナマモノ』と書かれたシールが貼られている。
伝票の送り主の部分が『ブランシュ・ネージュ』となっていた。うちの店宛てに届いているということは、両親か姉が、何か注文でもしたのかもしれない。私に内緒で、また何か美味しいものでも、食べようとしていたのだろうか。
そっと、箱を開けてみる。ガラスの鍋に入っているのは、大きめの野菜や肉がゴロゴロと入っているシチューだ。お母さんが作るやつと違って、なんだかオシャレな感じで、すごく美味しそうだ。
唾を飲み込む。どうせ三人は、食事会も兼ねてると言ってたから、今日はもう食べられないだろうし、私が食べちゃってもいいんじゃなかろうか。
でも、一応、両親か、姉に確認したほうがいいのかな。
スマートフォンを取り出そうとした時、接客中にかかってきた電話を、取りそびれたなと思い出した。すぐに切れてしまったけれど、あれは誰からだったのだろう。
だが、確認する直前、客の訪問を知らせる音が鳴った。
「はーい、今、行きまーす」
慌てて階段を駆け下りると、カウンターの前で、じっとこちらを見ている少年がいた。