2 生まれてくる場所を間違ったのかもしれない (白雪姫乃)
「ちゃんと聞いてますか?」
口調は丁寧だが声質が変化した。丸メガネをかけたご老人のイライラした様子がじわりと伝わってくる。温厚そうな白髪の老紳士をここまでイラつかせる私も、なかなかだと思う。
もちろん褒めてない。反省している。
でも全然、話が違うじゃないか。店番なんて簡単なお仕事だと言われたのに。
初めてのお客さんでこれでは先が思いやられる。
「すみません。もう一度、お願いします」
「ですから、古いフィルム写真をデジタルデータにしてほしいんです」
うちは古くからカメラ屋をやっていたが、それだけで食べていけないからと、幼い姉が両親に勧めて、データ変換サービスとやらをやるようになったらしい。
大手販売店よりも先に始めたそうだから、先見の明があったというやつだろう。要するに姉は、私とは違って、小さな頃から優秀だったというわけだ。残念ながら、機械オンチの私には、チンプンカンプンだ。
「ご存知ありませんか。JPEGに変換したデータをですね」
「じぇ、じぇいぺぐ……ですか」
いきなり、何のことだかわからない。
前もって姉に説明を受けているはずなのに、綺麗さっぱりと、記憶から消え去っている。びっくりするぐらいに、私の記憶力はポンコツだったようだ。
姉はともかく、父や母も、いつもこんなのに対応してるなんて。完全に侮っていた。家族の中で、私こそが、一番の使えないやつじゃないか。
「そこのスキャナで取り込むんです」
「す、すきゃなで……取り込む?」
自分の四倍は生きているであろう白髪のご老人から、今時の機械について、レクチャーをされる十八歳というのも、なかなか滑稽な感じになっている。
そんなに詳しいなら、代わりに店番をやってほしいぐらいだ。
人間、追い詰められると、笑えてくるものなのだろうか。さっきからずっと、変な笑いが出そうなのを、必死にこらえていた。
今日は、もうすぐ結婚する姉の白雪姫花が、両親と一緒に、婚約者の家へ、挨拶に行くことになっていた。
だから代わりに店番をやることになったのだが、こういう日に限って、面倒な客がやってくる。いつもは暇そうにしているくせに。なんで自分ばっかり、こんな目にあうのか。
絶対に生まれた時に、面倒が起こる謎の粉を、魔法使いにかけられているに違いない。
「だからですね、スキャナはそっちの、あるでしょ。フタを上げて」
いじってみるが、ウンともスンとも言わない。
「電源入れないと使えませんよ」
「なるほど……すみません」
次から次へと、わからないことが増えていく。何から手をつけていいのか、パニックだ。
「そのトレイを開けて、白いCD入れて」
写真現像の受付ぐらいならまだわかるのに。
「裏表……逆ですよ」
「すみませんっ」
ご老人のイライラがさらにイライライライラぐらいまで増えている。まずい状況なのはわかっているがわからないものはわからない。
パソコンの操作は、学校の授業で少し触った程度だ。
どうせ普段はスマートフォンを使うのに必要なくね? ……などと軽く考えて、あんまり真面目に聞いてなかった。だから、ほとんど覚えていない。モニターをいくら見つめても、何をどうクリックしていいのか、さっぱりわからない。
「あのお姉さんいないのですか。チャッチャッとやってくれる、美人のお姉さん。すらっとしたすごい綺麗な、頭の賢そうな人」
そんなに何回も言わなくても。
私の姉が、私より美しくて賢いのは、私が一番よく知っていますから。それ以上、私の心を、バキバキ折らないでいただきたい。
「前に妻が頼んだ時は、フォトブックっていうんですかね。いい感じの自動で再生されるやつを、何も言わずにやってくれたんですけどねぇ」
私と違って親孝行な姉は、学生時代から、よく店を手伝っていた。
だが、さすがに外科医となってからは、忙しくて店番に立つのも、たまの休日ぐらいのはずだが。少し店番をするだけで、客に覚えられるとは、やっぱり優秀な人間は違うみたいだ。
「ほらあの、あれも、妻が昔に頼んだやつですよ、きっと」
ご老人は、壁に飾ってある写真を指差した。警察官の制服をきた男性と、着物を着ている女性、真ん中に少年が写っている、幸せそうな家族写真だ。
「うちの息子夫婦には、なかなか子供ができなかったらしくて。やっとできた孫が、それはもう可愛らしくて、妻は、写真をいっぱい撮りすぎたようです。今頃になって、妻の遺品から見つかりましてね。今回、また、あのお姉さんに頼もうと思って来たんですけどねぇ……」
「すみません。姉は、今日はちょっと」
ふいに、ポケットに入れていたスマートフォンが鳴った。
よりによって接客中に。
きっと今出たら、むちゃくちゃ怒られるだろうなと、ぐっと我慢をしていたら、すぐにコールは切れて、ホッとした。
ご老人が映画館で、携帯を鳴らした人を咎めるような目で見ている。
すみません。本当にすみません。
でも文句は、こんなタイミングでかけてきた人に言ってください。
「ほかにわかる人、いないのですか」
「父も母も、みんな出払ってまして。えーっと……その……」
モニターを睨みつけたまま、しばらく固まっていたら、お客さんは呆れたように言った。
「じゃあ、もうやめておきましょうか。妻の残した、大事な写真ですしね。あなたにお釈迦にされても困りますし」
「……すみません」
ムッとした表情をしたまま、ご老人は写真を回収して、出て行ってしまった。去り際に、聞き取れないぐらいの小さな声で「デップ」と言われた気がする。方言か何かだろうか。よくわからない。
とにかく、これ以上、引き止めることは無理だったようだ。
疲れた。ずっと謝ってばかりいた気がする。
ご老人が残していった申し込みの伝票には、三浦勉と書かれていた。少しクセのある文字で、住所の『7』だけ、真ん中に横線が入っていた。昔の人だから、変わった書き方をしているのだろうか
それにしても、三浦さんという人が、あの家族写真の関係者だったとは。意外と世間は狭いものだ。しかも、昔からうちを利用していた一家なら、かなりの常連さんかもしれない。
もし、私のせいで機嫌を損ねて、二度と来てくれなかったらどうしよう。顧客を逃したと後でわかったら、両親や姉に怒られそうだ。
黙っていれば、バレないだろうか。
いや、でもまた来た時に、バレるかもしれないし、正直に言ったほうがいいのかもしれない。
椅子に座り込んで、大きなため息をついた。
頭の中がパンパンだったのが、ホッとした瞬間、空気が抜けたみたいになった。脱力感に身を任せ、カップから溶け出すアイスのように、手を投げ出した。
反動で、カウンターに置いたままにしていた、缶コーヒーが倒れた。水色のニットに、べっとりしぶきがかかっている。
ヤバい。姉が買ってきたばかりのニットを、ちょっと借りるだけのつもりだったのに。あとから、こっそり戻すつもりが、これでは隠蔽は無理だ。
慌てて脱いで、洗濯機に入れた。ニットだから、乾燥機に入れるわけにもいかないし。姉が戻って来るまでに、乾くだろうか。
最悪。どうしてこう、私って、ツイてないのか。
もし両親が歳をとって、誰かが跡を継ぐことになったら、姉はもう外科医として働いているから、その役目は、私が担う可能性が高い。
なのに私は、絶望的なまでに、接客業には向いてない。
あまりにもキャパオーバーだった。
きっと生まれてくる場所を間違ったのかもしれない。
こんな場合は、どうしたらいいのだろう。