もう一度聞いてもいいですか?
――パチンッ
静まり返った部屋に花ばさみの音が響き渡る。
呼ばれるまで静かに待っていると、一呼吸おいて父の声が聞こえた。
ゆっくりと襖をあけた先に見えたものは、流石華月流三代目家元。
息を吞むほど美しく季節の花々が生けられていた。
・・・流石お父様。
どうしたらお父様のように生けられるのか。
凛とした姿の中にも、そこはかとなく儚げな姿につい見とれてしまう。
「あの、お話とは何でしょう?」
「縁談の話が来ている。・・・受けるかどうかは自分で決めなさい」
縁談。
特に珍しい話でもない。
ありがたいことに今まで何度もこういった類の話は来ていたが、今までの父とは様子が違う。
いつもならお食事の時に、お醤油を取ってというかのように「縁談の話が来ている」とシレっと告げていた。
いや、いつもがおかしいんだろうけど、どうしたのかしら?
もしかして、なかなか断れない相手とか?
いや、そんな方が私と結婚したいなんてね?
あるわけがない。
「・・・・・・相手の方はどちら様ですか?」
「氷默流次期当主である碓氷蒴夜さまだ」
・・・
・・・・・・
はい?
出てきた名前に驚き、無意識にパチパチと瞬きを繰り返す。
碓氷蒴夜さまと言ったら容姿端麗、文武両道、冷静沈着と三拍子そろった方ではないか。
特に整った容姿の威力はすごく、ただ見ただけで恋に落ち、目があえば妊娠するなど良くわからない噂を聞いたことがある。
目があうだけで妊娠できる人がいるのであれば、ぜひお会いしたい。
そんな色男が私を?
とも思うが、気になることはこれだけじゃない。
確か、蒴夜さまは今までにどんな好条件の縁談が来ても断ってきたと聞いている。
まぁこれに関しては私も人のことは言えないんだけども。
そして何より、碓氷家と言ったら茶道の家元。
歴史の浅い華月流とは違い、氷默流は最も古いと言われる由緒正しい茶道の流派。
華道と茶道の家元同士が一緒になることが全くないことはないが珍しい。
しかも、華月流と氷默流とでは美に対する考え方が真逆ではないか。
華やかな美しさを追求した華月流に対し、氷默流は着飾らない静寂な姿を美しいとしている。
そんな碓氷家からなぜ縁談の話が?
「えっと、もう一度お名前を聞いてもいいですか?」
「碓氷蒴夜さまだ」
ですよね。
聞き間違えなんてことはないですよね。
「なぜ、碓氷家の方が私との縁談を?」
何がどうして、こうなったのか。
全く分からず質問ばかりになる私に、父は表情一つ変えず一つ一つ答えていった。
父の話を要約すると、理由は分からないが蒴夜さまが私となら婚約しても良いとおっしゃられたらしい。
跡継ぎの問題もある中、なかなか決まらない婚約者に頭を悩ませていた、碓氷家当主がこの機会を逃すものかと私の父に縁談の話を持ち掛けてきたらしい。
跡継ぎ問題はお兄様のおかげでないが、「なかなか決まらない婚約者」の言葉に胸に刺さるものがあった。
人のことは言えないわ。
ごめんなさい。お父様。
でも、なぜ私?
どうして私?
そもそもお会いしたことあったかしら?
いや、お会いした記憶はない。
もしお会いしていたらそんな、美形を忘れるはずがない。
謎。
それでも私の答えは決まっていた。
――美しい華を愛でながら、茶の香りと味を楽しむことが一番の贅沢だ。
父が昔から言っていた。
そして父の夢は華道と茶道を一緒に楽しむためのきっかけを作ること。
それが今、私が婚約者となることで叶おうとしている。
歴史の浅い此乃恵家にとって碓氷家と繋がりが持てるのことは利益しかない。
だが、優しい父はこんな時まで私の意見を尊重してくれた。
家のこともあるけれど、私にはこれと言って思いを寄せる相手もいない。
それに父の考えには私も賛同している。
まさかの縁談に驚いてしまったが、こんなにもありがたいことはない。
「謹んでお受けいたします」
「・・・そうか」
いつもと同じ短い返事だったが、どこか寂しさと喜びがにじみ出ていた。
まぁ、私もそろそろ腹をくくらないとね。
こうして私は碓氷蒴夜さまの婚約者になった。