ちょっと創作している自分を冷静に考えたら人間として心配になってきた ~ネタを考えているときはうろうろしている~
活動報告でバトン拾って書いたら、あんまり書けなかった。よくよく考えたら一言じゃ済まされない。
キャラが勝手に動くタイプだが…………こんな奴は他にもいるのか……?
皆様、お疲れ様です。
ついこの間、活動報告で『創作のあり方』を考えさせられるバトンを書いた。
バトン自体は簡単に答えましたが、他のユーザーさんに木に例えて言われた時に「あれ?そういえば……」と、細かく考えたらものすごく特殊な創作風景だった。
下のこの方法が自分は子供の頃から当たり前になっていた。
創作をする人がどうやってまとめているのか……など、なろうに来て知ったことも多く、自分の創作が『キャラが勝手に動く』分類だと知った。
1【バトンを受けとる。そして割烹へ……】
バトンに答えた活動報告↓↓↓
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/2504674/
バトンを活動報告に載せた後の、ユーザーさんからのコメントでこんなのがあった。
勝手に載せてスミマセン( ̄▽ ̄;)
『世界観が発芽して大きくなり、ストーリーとキャラが世界観の樹に、葉っぱや花や実のように育ち、作者さんが収穫して加工……みたいな感じでしょうか?』
確かに、そう言われればそうかもしれない。
しかし収穫して、ちゃんと加工できてるだろうか?など、ちょっと考えてしまった。
2【脳内作業。妄想癖の戯言】
創作したお話は、樹木と同じだとは思う。
ただ、発芽のきっかけがよく分からないので、気付いたら木になっていたのを書き出している感じ。それも、だいぶ育っちゃってから(笑)
きっかけとして思い当たるものは、歌とかテレビとかが掛かっていると、たまに何かの場面が出てきたりする。映画の一場面みたいなのが浮かぶので、それがそうなのだ。
既存のキャラで出てくると連載のネタ。まったく知らない新しいキャラや世界観だと新ネタだったり。
でも、面白いかどうかは分からず、しばらく頭で考えて、脳内ボツにするときが多々。
短編で出てくるのは稀で、だいたいは連載の場面が多い。
合格ネタは繰り返し場面が出てくるので、しつこく記憶に刷り込まれてしまい、そのせいか文字プロットを書く習慣があまりない。
そして、合格ネタは何かしら形にすると脳内で再生されなくなり、今度は別の場面が出てくる。
脳内のネタを農家の野菜に例えると、
ネタの発生 (発芽)→ネタの再生、記憶 (栽培)→ネタ書き出し (収穫)→小説の推敲 (箱詰め)→投稿 (出荷)
たぶん、これが今の一連の流れである。
ただし、形にする場合はキャラのデザインとプロフィールくらいは作らないと、脳内で矛盾のある話の流れになる(時間軸で知らないはずの話で会話していたり)ので、そこはメモなどで整頓したりする。
3【書き出し。文章書くのに絵から入る】
周りのユーザーさんは知っている方も多いが、元々自分は漫画描きだった。
小説の方は申し訳ないほどに拙いものであります。
いわゆる『プロット』というものも、小説書きさんとは違うものになり、『ネーム』と言われる漫画原稿用紙に描く前のもので描いていた。
以前、自身の活動報告にも載せた。文字ではなく漫画の下書き。数年前の漫画のものであり、今の小説でも参考にしている。
これはまだマシな方。これのさらに前になると、丸と台詞の吹き出しだけ。もはや暗号だと思うが、暗号はこのネームを描くと処分してしまうので、手元に残らない。
文章らしいものを書くのは、主要キャラクターのプロフィールくらい。最近はメモくらいなら取り始めるようにはなったかな。
でも、形に残るものがあまりないのは、どうなのかと思うようになった。
これって、もし自分が死にそうな時、誰かに続きを託したりできないな……と、余計なことも考えてしまう。
他の書き手さんのプロットの書き方とかを拝見したことがあったのだが、ノートにまとめたりデータをまとめたり……と、さすがだなぁと思う。
さらに言うと、一度絵で構想を出してしまうとそれを文章に起こすのが大変であり、めんどくさいことになっていくので、この頃は考えたら直にここへ書き込むようになってしまった。
プロットって……何なんだろうか?
4【すれ違っても通報しないで!!】
もし、仲間がいたら教えてほしい。
独りじゃないって思いたい(泣)
覚えている範囲で、自分が創作らしきものをするようになったのは幼稚園くらい。カレンダーの裏やスケッチブックにコマ割りをして絵を書いていたようです。
小学生の高学年。自由帳に四コマを描き、学年中に読み回される。ノートは卒業後、欲しいと言った友達へ譲渡。
中学、高校。コミケは知っていたがあまり行かず。
沸々と自分のノートにオリジナル漫画を描きためて、ひとりほくそ笑んでいた。かなり不気味である。
この頃からの友人は、全てを受け入れ、せひろの結婚式にも出てくれた。そして今も時々遊びにいく。貴重な友人であり、理解者でもある。
社会人。高校の仲間たちとサークルを立ち上げ、好き勝手描いていたが、別方向から心を折られ生活も変わってしまったので、一度、絵筆を折ることになった。
しかし、自分の脳内は今昔関係なく、創作活動を続けている。
以下、ちょっとドン引かれるかもしれない、自分の創作の風景。
○通勤までの徒歩。散歩。
少しでも時間がある時に歩くと、ネタが浮かんできてしまう。
実は、だいぶ昔に地元でアーケードにおかしな奴の車が突っ込んで、数名の死傷者が出たことがあった。その時、本当なら通勤でそこを歩いていたはずの自分は、天気が良いのでネタを考えながら遠回り。事故を免れたことがある。
○音楽。テレビ。
ひとりで聞いていると、部屋の中をうろうろしてネタを考えている自分がいる。端から見たら恐い。
時代が中世で魔女狩りなんかあったら、即捕まっての拷問レベルである。
○料理、掃除。
ちゃんと作業しているのに、脳内ではお話を考えている。カレーなど作ろうものなら出来上がるまでに、一場面分の動画が頭に流れてしまう。脳内で自分はHIKAKINと戦える。
○自転車、自動車、電車、バス。
自分が動かなくても、乗っているものが動くと考えている。
さらに、自分が運転しているときもネタが出てきてヤバい。これはチャリを乗っていた小学生の時からなのだが、さすがに免許とってからは気をつけてはいた。しかし、気を抜くといつも起こる現象。人を乗せている時は『考えるな!』と言い聞かせている。
不思議なことに、今まで自転車も自動車も事故にあった事はない。自分の免許証はゴールドだ。でも危ない。
…………自分でも気味悪い奴だと思う。
あと、ネタを考えて移動している時は、口を閉じて真顔で表情を変えない訓練もした。(外を歩いていて、ネタを思いつき笑っていようものなら、変人のレッテルを貼られる)
そのせいで、高校のクラスメイトからは物静かな人物だと思われてしまった。(友達は別のクラスだった)
無表情だが脳内ではネタのスパーク状態である。
5【ちょっと疲れた……最後に】
脳内のネタ再生は、クリエイティブな仕事に就いているならまだしも、普通の人間にはいらない特技だと思う。
しかし、自分はこの癖が消えない。一生付き合うものかもしれない。
…………昔、占い師に「あんた、この趣味一生抜け出せないよ。天職だし適職だもん」と言われた。職にしてないぞ……?
ちなみに自分が今、連載しているのは二つ。
短編と呼べるのも二つ。
お絵描きやエッセイは含まないものとして、たった四つしか物語を書いていないのだ。決してネタが湯水のように出てきて、作品を産み出しまくっているわけではない。
むしろ遅筆であり、書く時間もそんなに多くない。小説の技術も上手くはないし、まともに書いてきたきた人たちから見たら稚拙なものだろう。
それでも筆を折り、創作ができなかった数年は行き場のないネタで苦しめられていた。意外に『名のある病』にかかっていたのかもしれない。
形こそ変わったが、創作をしていられる今は幸せだと思う。
『産みの苦しみ』と『産むのが許されない苦しみ』どっちが辛いだろうか?
…………平和で贅沢な悩みである(´-ω-`)
ちょっと後半は真面目な感じになったが、自分は常にホワホワと考えている。
妄想というのは楽しいものである(*´ー`*)