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 洞窟の中はひんやりとしていた。ポツポツと、雨水を吸った地下水が、天井から滴る。洞窟が崩壊させないためなのか。一定の間隔で、洞窟を支えるように太い木材が縁取られていた。


「長いの?」


「ううん。すぐに行き止まりさ」


 洞窟はすぐに行き止まりになった。ただ、行き止まりと行っても、完全なものではなく、地面にポッカリと穴が空いている。雨水が抉って出来た小さな穴が、なにかの弾みに崩壊して、大きな穴に姿を変えたものらしい。こちらの様子を伺うように、深淵はじっと睨みつけてくる。


 地面にポックリと空いた漆黒を少女は覗き込む。まるで地獄の入り口か、はたまた宇宙の果てのような闇に、少女は顔を強張らせた。確かに、この穴はこの世ではないどこかへと繋がっている。そんな気味の悪さを感じる。

 穴を覗き込んだ少女の前髪が、わずかに揺れていた。


「風だ!」


 少女は、浩一の方に顔を向けた。薄暗い穴の中でも、不思議そうな顔をする少女の顔はハッキリと分かった。吸い込まれてしまいそうな穴の中から、確かに風が吹き抜けている。浩一が誇らしげな笑みを浮かべれば、何かを言いたげに少女はわざとらしく小首を傾げた。


「風はどこから来てるの?」


「穴の向こうさ」


 浩一の声が、狭い洞窟内で反響する。


「この穴は、どこかに繋がってるの?」


 少女は、ワクワクを抑えられない様子で、浩一に問いかける。


「すごくいいところ」


 そう言って浩一は、洞窟の隅の方に捨てられていた長いロープを手に取る。一方を結び丸め、穴の真上にある木材の縁にめがけ放り投げた。ロープは、上手い具合に天井と木材の隙間を抜け、穴の上に垂れ下がる。丸い結び目を引き寄せると、もう一方の先と結び合わせた。


 浩一は、腰を低くしながら力を加える。ロープがピンと張り、ギギギっと木材が悲鳴を上げた。不安げなその音を気に留めることなく、「よし」と満足そうに手の甲で額を拭う。 


「どうするつもり?」


「これで穴を下りるんだ」


 浩一は、ロープを少女に手渡そうとする。少女が咄嗟に首を横に大きく振った。


「無理だよ。出来っこない」


「大丈夫。そんなに高くない。ここらの子どもは、飛び降りてるくらいなんだから。このロープだって、本当は帰りに使うものだし」


 見てな。そう言うと浩一はロープを放した。支えを失ったロープが、音もなく闇の中へと引きずり込まれていく。ゆらゆらと暗色の中で揺れるロープ目掛けて、浩一は穴の中へダイブした。


「危ないよ」


 少女がそう言葉を発した時には、ドサっという重たい音と共に浩一は穴の底にいた。かすかな光を頼りに上を見上げれば、少女がすぐそこにいるのが分かった。少女に向かい浩一は声を出す。


「ほら、こんなにすぐだぜ。飛び降りるのは危ないかもしれないからロープを使いな」


 浩一は大きく手を振った。穴の入り口から差す光が、少女に影を落とし、その表情を見えづらくした。それでも、少女が発する声から不安げな顔でこちらを覗き込んでいることが分かる。


「本当に大丈夫?」


 垂れ下がるロープを少女が手に取った。垂れたロープがぐっとしなった。少女が体重をかけたらしい。ロープを支える木材が、ギギギと音を出した。


「落ちても受け止めてあげるから」


 浩一は、見上げながら大きく手を広げた。絶対に大丈夫。安心させるように、なるだけ優しい声を出す。


「分かった」


 意を決してか、ロープを持った少女が前かがみになった。きっと、闇の中へ吸い込まれるような感覚になっているに違いない。落ちないように全身でロープにしがみついている少女に向かい浩一は指示を送る。


「少しずつ、力を弱めて降りてきて」


 浩一の言う通り、少女は、ゆっくりと手の力を緩めた。その瞬間、少女の体が、一気に暗闇の中で宙を舞った。麦わら帽子は、悪戯に翻りガサガサと悲鳴を上げた。入り口から漏れていた光が、浩一の視界から消えた。


「きゃっ」


 浩一は、慌てて腕を伸ばす。薄暗い洞窟の中を、真っ白な少女が舞い降りてきた。入り口の光が再び浩一の視界に入り、少女の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる。


 次の瞬間、浩一の腕に激しい衝撃が走った。


「あぶなかった」


 お姫様抱っこをするような形で、浩一は少女をしっかりと支えた。互いの顔が随分と近いところにある。浩一の吐いたため息が、少女の前髪を揺らした。その状態に、思わず気恥ずかしくなり、すぐに少女を放す。


「ありがとう」


 少女は、胸に片手をあてながら、深く息を吸い込んだ。同じように、浩一も洞窟の空気を吸い込む。ひんやりとした混じりけのない澄んだ空気は、まるで夏がどこかへ連れて行ってしまったようだった。 


「怪我しなくて良かった。それにしても、いきなりロープから手を放しちゃダメだろ」


 浩一は、腰に手をあてながら呆れた様子で語気を強める。少女は、悪びれた素振りもなく屈託のない笑顔を浮かべていた。


「ごめん、ごめん」


 吐かれた息の音さえ、狭い穴の中ではよく響いた。その音が鼓膜を揺さぶるたび、浩一の胸のくすぐったいところが撫でられたようにこそばゆくなる。


「ほら、進むよ」


「まだ奥があるの?」


「そうだよ。この奥さ、とっても景色が綺麗な場所は」


 真っ暗と言っても過言ではない洞窟の奥は、徐々に狭くなっている。浩一が指差した奥を見つめて、少女が不安げに声をもらす。


「とっても、狭そうだけど?」


「うん、大人は入れないんだ。姉ちゃんも、もう入れなくなったって、この間言ってた」


「そんなに狭いんだ」


「中学に入っちまうと、途端に入れなくなるみたい。そりゃ、体のちっこいやつは入れるかもしれないけどさ」


 姉は、中学校に入った始めの春に入れなくなった。兄貴は、随分前に一度来たっきり来ていない。ただ、姉よりも体の大きな彼は、もう入れなくなっているに違いない。


「大人になると入れなくなる。子どもの時にだけ、見られる景色なんだ」


「子どもの時にだけか……」


 少女はその言葉が特別で魅力的なものに感じているようだった。キラキラとして瞳は、浩一の胸の奥をくすぐる。子どもの時だけ。心の中で繰り返したその響きが、たまらなく切なく感じた。


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