洞窟
ひまわり畑を抜けると、山道が見えてくる。素直に進めば遠回りになってしまう為、雑草が生い茂る小道を突っ切っていった。無言のままの少女に、「なにか言わなくては」と焦ってしまうのは、さっき見た光景のせいだ。頑張って忘れようとするが、脳裏になんとも美しい光景がよぎってしまう。
山道は、影っているものの十分な熱さを孕んでいた。梢の隙間から差す木漏れ日が、肌に黒い縞模様を落とした。風のリズムに合わせてゆらゆらと揺れるその明暗は、小麦色の浩一の腕の上でダンスをしているようだった。セミの鳴き声が、雨のように降り注ぐ。騒々しい夏のざわめきが二人を包み込んだ。漂っていた気まずさは、いつの間にかそのざわめきの中に溶けてしまっていた。少し後ろを歩く少女を気にして、浩一は足を動かしたまま振り返った。
「サンダル大丈夫?」
「平気、そんなに急じゃないから」
細かな石を彼女のサンダルが弾くたび、ジャリジャリとこすれる音が鳴った。真っ白なそのサンダルが朝露に湿気た土を踏みしめる。力強く踏み出された足が泥をはじく。汚れていくサンダルを見て、これが無性に罪深いことのように感じた。
山道の途中で浩一は立ち止まる。少女は、それに合わせて足を止めた。振り返ると、麓のひまわり畑が木々の隙間から見えていた。まだ、それほど歩いてはいない。疲れてないから休憩だなんてしなくていいよ。そんな笑顔を少女がこちらに向けて来た。その意図をくんだ浩一は、ハッとした顔を浮かべて悪戯に口端を釣り上げた。
「ここだよ」
浩一が指差した先には、大人がやっと通れるくらいの大きさの穴があった。山の斜面にポッカリと空いた洞窟のような穴の縁は、崩れないように太い木材で補強されていて、侵入を拒むように鉄の柵が入り口を覆っていた。
「ここなの?」
「そう。この中」
「でも、柵がついてるよ」
「雨のせいで、腐って錆びてるから簡単に外せるんだ」
浩一は、そう言って鉄の柵に手をかけた。木の縁に食い込んだ部分が、ギーッ、と音をたてる。浩一が力を加えると、木と接触していた部分の腐った鉄がポロポロと剥がれ落ちていった。ボキリと、木が音をたてる。湿った鉄が擦れ合う音は、耳障りに思えた。あまり激しくはしないでおこう。浩一は、ちょっぴり慎重に握る手に力を加え直した。木材と鉄を剥がすと、軽々しくその柵を持ち上げ、穴の横に立てかけた。
「手は汚れちゃうけどね」
茶色くなった手を、浩一はズボンで拭き取る。それを良く思わなかったようで少女の顔が少し曇った。
「中には何があるの?」
「お楽しみ」
少女は、洞窟の中を覗いた。闇色がひしめく世界の奥からは、ひんやりとした風が微かに吹き抜けてくる。頬を撫でるその風は、胸の奥で佇んでいる不安を連れてやって来る。迫り来るような闇を恐れた少女が振り返りながら言った。
「大丈夫?」
「平気、平気。何度も来てるから、大人たちには内緒だけど、ここらの子どもの間では有名な場所なんだ」
さぁ行こう、と浩一は暗がりに躊躇する少女を見て手を取った。浩一の汚れた手に、柔らかい少女の肌が触れる。その瞬間、全身に強烈な信号が発信された。ドクッ、と胸がうずく。痛みを伴った動悸が、全身の脈を鼓動させた。握る手にふいに力が入り、少女の柔い手を浩一の細い指が犯す。食い込んだ指の一本一本に、繊細な彼女の肌の温もりを感じた。
「ごめん」
思わず、浩一は手を放した。真っ白な彼女の手が、ほんのわずかな朱色になっている。恐ろしいほどの罪のように感じた。少女は、掴まれた左手を逆の手で擦りながら、下を向いていた。
「ごめん、痛かった?」
自分の声が届いていないんじゃないか。そう感じた浩一は、一歩だけ少女へと近づきはっきりとした口調で言った。
「ううん、大丈夫。暗いのは怖いから、手を繋いでくれると嬉しいな」
そう言って、少女はゆっくりと顔を上げた。反動でなびいた髪が、少女の背中に張り付く。
浩一は言われた通り、もう一度、少女の手を握った。その瞬間、浩一を捉えていたまんまるとした双眸が、わずかに逸らされる。だけど、少女の口端はわずかに綻んでいた。それを隠すように、少女は片方の手で口元を隠す。
彼女が、今、どんな心情なのか、浩一には到底理解できなかった。ただ無性に、その表情は可愛らしく、色っぽかった。