やはり幼馴染は偉大であった
職員室から出ると、廊下は橙色だった。
すっかり陽が傾いてきたようだ。
校舎内には、人気がない。生徒は帰っているか部活だから、気のせいではなく校舎にはいないのだろう。
猫たちはまだいるかなぁ、と覗きたい気持ちになったが、その前に。
先生にもらった資料を片手に、私は玄関に向かった。
廊下と同じで生徒の気配が失せた玄関。靴箱が並ぶ場所の柱に、もたれかかる姿を見つけた。
「すーばるー」
声をかけると、昴は柱から背を離した。
何か読んでいたらしい。手元に本らしきものが見えた。
文学青年かね。
「待たせたねぇ、昴」
「思ったよりも短かった。色々もらってきたな」
「色々見てみろって」
「そっか。とりあえずそれは早く仕舞って、靴履き替えろ」
昴は、何だか急かしながら、上を見た。柱にかかっている時計だ。
「あと十五分で電車出る。絶対乗るぞ」
「うぇ、走るの?」
電車の時刻まで十五分。
ここから駅まで大体それよりもうちょっとかかる。上履きからローファーに履き替えた私は、苦い声を出した。
「一時間待つことになってもいいって言ったじゃないかぁ」
「それは学校にいる時点で電車の時刻になって、絶対乗れない場合の話だろ? 今から行けば間に合う」
確かに。言っていることは分かる。
だが、間に合うか間に合わないかは微妙なところではなかろうか。
と、思っていたら。
我が幼馴染はそれを感じ取った模様。
「一時間ここで中途半端にしかだらだら出来ないのと、家でだらだらするのどっちがいいんだ」
「──家です! 走る!」
「よし」
私は、昴を取り残さんばかりの勢いで玄関を駆け出した。
私の生まれ育った地は、田舎である。
田舎の基準がどうかは知らないが、田舎であることに間違いはない。
電車はあれど、一時間に一本くらい。車両は一両。
高校に行くには、この電車を使っているので、一本逃せば遅刻が決定する。帰りも同様で、一本逃せば一時間くらい待つことになる。
高校は地元の公立高校で、最寄り駅から一駅のところにある。
「間に合ったね。人ってやれば出来るんだ!」
「そう感じる出来事がこれって」
ガタンゴトンと、間に合った電車の中、帰宅時間がいい感じにずれたからか、あまり人がいない。
並んで席に落ち着く。どうせすぐ着くけれど。
「資料、落としてないだろうな」
「えっ、分かんない」
結局鞄に仕舞う前に走り出して、持ったままだった資料の類い。
慌てて確かめてみるものの、吟味する前なので、何があったかまで全部覚えていない。
「落ちた音はしなかったから、大丈夫だと思うしかないな」
「信じましょう」
ひーふーみーと、パンフレットを一つ一つ倒しながら数えていると、ふと、昴が横から覗き込んできていることに気がついた。
「ふふーん、気になる?」
「別に。……これだと、結局大学方面になったの?」
「話し合った結果、指針はそうなりましたとさ」
「これ、外大?」
私の語り口はスルーして、昴は、一冊のパンフレットをつまみ上げた。
「『英語が得意なら、そっち方面はどうだ』って」
先生は、将来について自己主張をしない私が得意な教科から、引っ張り出してくれたのだろう。そろそろ具体的に決めなければまずいのだ。
「ふーん」
私は、昴の手から取り戻したパンフレットをまとめて今度こそ鞄の中にしまった。
「いやぁ、高校までは近場一択だったのに、急に選択肢が増えて困るなぁ」
「そうだな。どこにしろ地元は出ることになるから、そんな縛り一切ないしな」
私が生まれ育った地は、田舎である。
小学校は徒歩圏内にあったが、生徒数減少により他の小学校との合併寸前、廃校寸前。
中学校は自転車圏内にあり、高校は電車で一駅。高校に関しては、電車を乗り継げば他にもあるけれど、地元だという理由で地元の高校を選ぶ子どもが圧倒的に多い。
だから、小学校から連れ添ってきた同級生が、高校までいることは珍しくない。
私と昴は、家がご近所同士の、保育園小中校と連れ立ってきた幼馴染である。
まあ、近所には同じ年の子どもが昴と私、二人だけなのだから、必然的にそうもなるだろうという話でもあるのだ。
ゆえに、ずっと同じ学校で、同じ登下校の道を行き、ずっと一緒だった。
けれど、この先は分からない。
高校の教科で言えば、英語、国語、世界史などと文系教科が得意な文系な私に対し、昴は理系だ。
この時点で、目指す大学が異なる可能性が高く、また学力も異なる。
きっと、高校卒業と共に決定的に道は別れるだろう。
「悩みどころだなぁ」
と、私は過ぎ去る景色を見ながら、呟いた。悩んだところで、どうともならないことではあるのだが。
一駅は話をしていれば、あっという間。
電車から降り、駅の階段を降りたところで、私はケータイを取り出した。
学校は一応ケータイ使用禁止だから、電源を切って、入れていなかった。
電源をいれるや、ピコンピコンと光が点滅しはじめる。どうやらメールが来ているらしい。
メールを開き、お母さんからだ、と差出人を認識した上でメール文を──ぴゃ、と変な声が出た。
「なに、今の何の鳴き声」
「私の鳴き声。SSRだぞ──じゃなくって、わ、忘れてた」
「なにを」
「今日、晩ごはん自分たちで作って食べてねって言われてたんだった」
そして今のメールは、念押しのメール。
さすが母。娘が忘れる可能性を視野に入れていらっしゃった。ただ、家の最寄りの閑散とした駅に着いてから見るとは思いもよらなかっただろう。
「買い物して帰ってねって……おぉ……スーパーここからは遠い……」
たぶん、我が母は高校から駅に行くまでに通れないこともないスーパーで買い物をして帰ってくれと言ったのだ。
しかし、今現在の位置からは、小さなスーパーが徒歩では遠い。
「いや、問題ない。畑に野菜が育ってる。よし、それでいこう」
「止めとけ。絶対ろくなもの作らないだろ」
「そんなことない! 私の料理スキルは未知の可能性を秘めてるから!」
「前にカレーを失敗した人間が言うセリフとは思えないな」
「うっ、す、昴、その記憶をいつまで持っているつもりなの……。あ、あれは、私のチャレンジ精神がものを言って、アレンジしすぎただけで……」
「その前は──」
「やめてください」
娘の料理の腕を知って、時々帰りが遅くなると分かっているときは母は出来る限り料理を作り置いてくれているのだろう。私にも薄々自覚はあるのである。
今日は、その時間がなくて、託されたけれど。
「お菓子はうまく出来るのにな」
「実用面でいうと、料理が出来てお菓子が作れない方が……」
「俺は葉月のクッキー好きだから、それは困る」
「おっ?」
突然挟まれた発言に、私は目を丸くする。
「昴さん、今何と?」
「──何も言ってない。とりあえず、今日のところは変な試みしようとせずに、うちに来い」
「?」
「晩ごはん、ついでに作ってやるから」
さっさと歩き出してしまった背からかけられた言葉を、私は、数秒ののちに理解する。
やはり彼は神様であったか。
「ママ……! ありがとう!」
「誰がママだ」
走って追いかけた背中から、文句がつけられたので、
「スーパーパーフェクト昴さん感謝します!」
感激の嵐に包まれた私は、言い直す。
この幼馴染、いつからか料理スキルを身につけて、料理がうまいのである。
「おばさんは帰るの遅くても、桃は普通に帰って来るんだろ? 連絡入れとけよ」
「はーい。桃は道場に行ってると思うから、しばらくしたら帰ってくると思うんだよね」
「流星と一緒になるかもな」
「そうだね」
隣に並んで帰路につきながら、私は妹にメールを送る。
今日のご飯は期待せよ!
メール送信を済ませ、ケータイをしまい、私は満面の笑みを浮かべる。
晩ごはん楽しみ。
「昴はいいお嫁さんになれますなぁ」
「……嬉しくないんだけど」
「えー」
桃は葉月の妹で、流星は昴の弟です。
今後出てくる予定です。