その1-2
窯にパンを入れ、閉める。後は十数分待つだけだ。その間にもう一度、先ほどの出張先の営業資料に書かれていた村の想像をし、声を小さく出しながらイメージする。
「のどかだが、貧しい村で、売り上げはそこまで見込めなさそう。下手すれば往復だけの可能性もある。さすがにないとは思うけど」
ただ最悪のパターンを考えると、一個だけ無料配布するっていう手もありか。そうすればもし売り上げが低くてもこっちに買いに来てくれる可能性もあるから成果はない、ということはなくなるだろう。
まるで予想していたように、今焼いてるパンはバターロールで、割と多めに焼いてるはず。
「あれぐらいは無料で渡しても他の売り上げで賄えるから致命的ではないかな。多分」
こういった風に、基本的に出張サービスをする際に、任された人に運営方法を任される。今の私のように「パンを無料配布する」というのはよくあるパターンの一つだ。それ以上に売り上げを伸ばすことができれば店長は寧ろ「よくやった」と言ってくれる。何となく悪役気分になってしまうのは気のせいだろうか。とはいえ、売り上げるためなら仕方ない。それ以上売り上げなくてはいけない、と言ってしまえば何となくやる気が上がる気がする。多分。自分でも自分のやる気の上げ下げがよく分からないんだろう。別にいいけど。
さて他に何を持っていくかな。私は周囲を見渡しながら他のパンを探す。さて、持っていくパンは……。
「これと……あとはこれかな」
そんな風に持っていくパンを決めてる最中にバターロールも焼けた頃だろう。私は窯の扉を開け、ミトンを装着して引っ張り出す。うん、焼き加減もばっちり。我ながら今回も上出来だ。上機嫌になったのか、私は鼻歌混じりに数箱へバターロールや持っていくパンを詰めていく。
「ふふ、上機嫌ねぇ?」
しまった店長だ。あわてて鼻歌をやめ、作業を黙々と始める。他の従業員も見てるのに、何やっているんだ私は。気恥ずかしさアップで準備を始める。そんな態度が変わった店長は微笑を浮かべながら、私の耳元に顔を近づける。
「そうそう。もし気が向いたらでいいんだけど」
店長は続ける。
「あそこの村でちょっとした女の子がいるらしいの。せっかくだから、パンを売ってあげて」
「え、なんですかそのちょっとした女の子って。病気とか……」
気になった私は店長を呼ぼうとするが、他の人が店長を呼んだので仕方なく他のパンを詰める作業を続けた。
……しかし不覚だ。店長他数名に鼻歌を聞かれるなんて。次からは上機嫌にならないように自分に喝を入れよう。……不覚だ。自分で自分を殴りたくなってきた。
そんな私を知ってか知らずか、店長は私の近くを過ろうとしたときに「鼻歌うまいねぇ」と囁いてくる。本気でぶん殴ろうと思った。
「……後で覚えとけ」
準備の終わった私は店の裏にある小さな荷車を引っ張り出して箱を置く。シートをかぶせて……っと。よし、これで出発の準備はできた。店長に出発の報告をしておこう。そう思って踵を返したら、ちょうど店長がやってきた。
「準備できたー?」
見ればわかるでしょう。私は無言で道を開けるように荷車を見せて準備ができてることを示した。店長は自分のことのように満足そうに頷く。
「毎度ながら手際いいわねぇ。とてもお金目的で最低限だけを見せるとは思えない」
心外だ。私はそんなにお金にがめつい亡者に見えるのか。
……実際そうなんだろうが、この人は嫌いだ。いちいち探っているような言葉で、それなのに摑みどころのなくって、本心見透かされてるようで、とにかく嫌いだった。
そんな店長を尻目に、私は荷車を動かし始める。時は金なりとか言うし、いつまでも店長と一緒だとどんどん踏み込まれそうで、嫌気がかざす。わざとらしく欠伸を一つ。………一応、店長に挨拶はしとくか。
「じゃ、行ってきます」
そっけなく挨拶をして、とりあえず移動。……ふと、私は動きを止める。そういえば聞きそびれたことがあった。
「………そういえば、さっき女の子がー、とか言ってませんでしたっけ」
何かあるんだろう。そうじゃなかったらそんなこと言わない。しかし、そんなこと聞いても私は店員だ。あくまでもパン屋の店員。店長だってパン屋の店長だ。個人のことに干渉するのは好ましくない行為、というのは理屈でわかってる。
……なのにもかかわらず、何故か私は聞きたがっていた。よく分からない。自分でもうまく理解できてなかった。
「あぁ、そのことなんだけどね」
今の自分のことに思い悩みながら、気づいてないはずの店長は話した。
「彼女、ひきこもりなの」
「……あ、そうですか」
じゃあ無理だな。根本的な解決も出来ないだろう。私はそれ以上聞いても意味ないのでスルーでもするように進むことにする。しかし店長はついてくる。どうしても聞け、ってか。仕方なく私は聞く耳だけを貸して足を進める。
「んで、それで体調不良がよぎなくされる。まぁそれも兼ねて出張行ってくれってこと」
「あのですね、私たちは店員ですよ。お悩み相談屋じゃないんですよ。なんでわざわざ私がやらなくちゃいけないんですか」
「別にやれとは行ってません。いるという話だけです」
……この人は本当に……。嫌な店長だよ。
「最悪だ」
思わず零れだした一言。ため息も出そうだった。
「あーそうそう。これ」
そんな私を無視して店長は勝手に話を進める。店長は懐から紙を渡す。通行許可証だ。これがなければこの街から出ることはいろいろ難しい。まぁ冒険者は割とすんなり通してもらえるんだけど。羨ましいとか、思っていない。
「じゃ、頑張って」
「……なんでそんなあっさりなんですか」
「じゃ、ぎゅーしていいの?」
「やめてください。一応店長でしょう」
……本当に店長なのか。いつも疑ってる。一応店長、というのが正しいのではないのかと思いたい。まぁ逆に、気楽にはなれるとは言えるのだが。
「んじゃ、とりあえずやばかったら帰りますよ。それで失敗しても文句言わないでください」
「そうだね。いのちだいじに。まぁまた後日いくしかないけどね」
そう言って私は店長から離れる。
「今日も快晴、雨は降らないでしょう」
やや現実逃避気味に空を見上げながら呟く私。遠くで店長の声が聞こえる。
「ちゃっかり帰ってくるし、しかも売り上げは上々。さて、誰のことでしょうか?」
……私ではないことを祈りたい。