転生したら、悪役令嬢にざまぁされる庶民になってた件
これが何かの物語の世界だと気付いたのは、いつ頃だっただろう。
生まれてすぐ、私が転生してることには気付いたんだけど。
普通のOLしてた私が死んだ理由は、多分、事故だった。
日々の仕事の疲れを癒すために長風呂して、のぼせて足をすべらせて、タイルに頭をぶつけたところまでは覚えてる。
そして気付いたら、おぎゃあおぎゃあと私はわめいていた。
みんな、お風呂のときは足を滑らせないよう注意しようね!
知らない人達ばかりの中、知らない場所で、最初はめちゃくちゃ混乱しまくった。
けど、赤ん坊だった私が口にすることができるのは、おぎゃあおぎゃあと言う泣き声だけ。
そんなこんなで赤子時代を過ごした私は、言葉を発することができる頃には、ここがどういう場所かは把握できるようになっていた。
まず確実にここは、現代の日本ではない。
中世か近世のヨーロッパ風の世界だ。
煉瓦造りの家々に、女性は足首まであるドレスを着てる。
……ドレス。うん、これ、ドレスって言うのかな?
というのも、みんなつぎはぎだらけだし、薄汚れているし、ドレスという言葉のイメージする華やかさは皆無だ。男性だって、着ているのは同じようなぼろぼろ具合だ。
この時点でわかると思うけど、私が生まれたのは貴族・王族の家庭ではなく、城下の一般庶民の家だ。
母さんは家で内職の裁縫をして、父さんは大工をしている。
兄弟はなんと、私を含めて8人もいる。
これにはびっくりだね。現代日本だと、8人兄弟の人なんて、私は学校でも会社でも遭遇したことない、レアキャラだよ。
まあつまり、貧乏子だくさんなわけだ。
普通だったら、他の兄弟たちと同じく、家事を手伝ったり、母親の内職の手助けとなるべく裁縫なんかを習ったりするんだと思う。
けどさ、考えてごらん?
赤ん坊のときから前世の記憶がある私が、そこらの子供たちと同じようだと思う?
周囲のしゃべっている言葉は日本語じゃないけど、現状を把握したかった私は、必死に言葉を覚えて、言ったの。
「世話をしていただいてありがとうございます。ところですみませんが、日本という国を知っていますか? いえ、日本を知らなくても、ここ以外の国の名前を教えてもらえませんか? あと、今は何年でしょうか。というか、西暦って使ってます?」
……これが、記念すべき私の最初に発した言葉。
この致命的な失敗により、すぐさま私は、城下で神童だと祭り上げられた。
ですよねー!!
どこのお釈迦さまかっていうんですよねー!!
あわてて子供らしい子供を演じようと思ったけれど、もう遅かった。
大人が演じる子供っていうのは、どうしてもわざとらしさが出るらしく、兄弟からは不気味なものを見る目で見られるし、大人たちも騙されなかった。
で、神童の私は沢山の人にいろんなことを求められた。
予言をしてみろ、だとか、奇跡をおこしてくれ、だとか。
新興宗教の教祖にされる、と思って何も言わなかった。
この頃の私が狙ってたのは、「神童も、二十歳すぎればただの人」作戦。
実際の私はただのOLなわけですよ。頭だってよくないし、天才になんてなれっこない。
だから黙って大人になるのを待とうとしてたわけ。
大人になれば、「なあんだ何の能力もない普通の人じゃないか」と嫌でもわかってくれるはずだ、と。
けど、ここで誤算が働いた。
この世界には魔法というものがあった。
私の周囲では一度も使われなかったけど、それも当然、貴族とか王族とかしか使えないということだった。
であれば庶民に一生縁のないはずが、奇跡の子扱いされた私は、魔力を持っているか調べられたわけです。
この時点で嫌な予感はしてました。
で、案の定、魔力があったわけです。
神童扱い、ヒートアップなわけ。
そのヒートアップぶりがすさまじく、私の噂は城下だけでなく貴族の方々、王族にも噂が届いたらしい。
突如として、綺麗な格好をした方が馬車で私の家の前に現れました。あきらかに、庶民じゃございません。黒髪の隙間から覗く瞳は理知的で冷たそう見えるけれど、決して見下すような嫌な感じではない。
そんな貴族が現れて、家族総出でびっくり。私もびっくり、というかやばい予感がしてる。
その方はくるくる巻いていた羊皮紙を広げ、高らかに告げられました。
「私は魔術学院の学院長、ジョゼ・メンドーサである」
学院長? まだ二十歳くらいに見えるけど、そんな若さで学院長なんてできるんだ。……貴族さまなら当たり前なのかな?
「国王陛下からの勅書を持ってまいった」
ひゅっと喉から音が出た。こ、こ、国王って……!
「庶民でありながら魔力を持つ娘がいるとのこと、国王陛下はいたく興味を持たれ、特別にソフィに魔術学院への入学を認めるとおっしゃられた」
あ、ソフィとは私の名前です。
この言葉に父さんは、けれど顔を曇らせた。
「あ、ありがたいですが……私どもの稼ぎでは、とてもそのような学校にこの子を入れるのは……」
そう、いくら私が神童でも、うちは貧乏子だくさん。
魔術学校なんて貴族の子弟が通うような学校、とても学費が払えるわけがない。
父さん、がんばれ! と内心の私は応援だ。口には出さないよ。子供らしい話し方を会得できていない私は、ここで話せばろくでもないことになることはわかってる。
しかし、その貴族らしい方は表情を変えず、鷹揚にうなずいた。
「庶民である以上、そうであろうとは我が王もわかっておいでだ。
特別に入学金および学費、その他必要な費用は国王陛下が援助してくださるとのことだ。
国王陛下はソフィの将来に期待し、勉学に励み、この国の魔法学の発展に寄与して欲しいとの思し召しだ」
「ほ、本当でございますですか!!」
「もったいねえお言葉、ありがとうございます、ありがとうございます……!」
父さんも母さんも、感謝感激して、はいつくばりそうなほどだ。
……ダメだ、これは……。
「入学の日を楽しみに待っているぞ」
ジョゼさまは口の端を上げて私に対して笑み、馬車に乗って帰っていった。
* * *
「そうして、私はこの学院に入学したわけですよ」
私の話を聞いていた方――ジョゼさまは、紅茶を飲みながら、本を読んでいた。
あれから十年経っているけれど、ジョゼさまは若々しく、この若さで学院長というのはやはり信じられないくらいだ。
「聞いていました? ジョゼさま」
ゆっくりとジョゼさまは本を閉じた。
「そなた、初めてあったときは何もしゃべらぬから無口だと思っていたが、存外、おしゃべりなようだな。うるさくてかなわん」
まあね、十年経って、ようやく私は周囲に馴染むしゃべり方ができるようになった。いやあ、ここまで長かった。
「ジョゼさまが聞きたいって言ったんじゃないですか」
「聞いてないとは言っていないだろう。ちゃんと聞いていた。……ただ、あまりにも荒唐無稽なので、どう考えたものかと思案していた」
「荒唐無稽なのはわかってますよ。私だってそう思います」
「しかも――なんだ、悪役? 令嬢? 婚約破棄?」
そう、そこだ。問題は。
学院の入学は12歳になってから――ということで、それまで神童であるが庶民として暮らしていた私は、ずっと考えていたのだ。
この世界はどこだ、と。
しかし、どれだけ考えても考えても、わからない。なぜ私は生まれ変わったのか、なぜこの世界なのか――。
そして魔法学院に入学して、私はわかったのだ。
ここはきっと、悪役令嬢モノで婚約破棄系の小説の世界だ、と。
「悪役令嬢モノ、というのはどういう話なんだ」
私は胸を張り、前世の記憶にある知識を披露した。
「悪役令嬢モノ、というのは、物語の一つのジャンルです。高貴な貴族の令嬢に転生した人が、自分は物語の中のヒロインをいじめるイジワルな令嬢だと気付きます。そのイジワルな令嬢は物語の中ではそのイジワルさゆえに没落したりひどい結末になってしまいます。そうならないために、転生した令嬢は物語の知識をフル活用して、ハッピーエンドになるよう物語を変えるのです。まあ派生系も多いので、必ずしもそうとは限りませんが」
「…………。お前が、その悪役令嬢だと?」
「違いますよ。誰が令嬢ですか。私はド庶民中のド庶民です」
確かに、私は今、ドレスを身に纏い、一見しては貴族に見えるかもしれない。ドレスといっても、母さんとか近所のおばさんとかが着ていたツギハギじゃないし、薄汚れていない。この魔法学院の制服なわけだ。貴族の方々も着るものだ、生地もデザインも上流のもの。
制服代も教科書代も、国王陛下が出していただいて、まったく頭が下がります。我が家では絶対に手が出ない値段だもん。
「で、そこで、転生した令嬢にざまぁされる庶民のヒロイン、というのがいるんですね」
「ざまぁ……?」
「何と言えばいいのかな、ギャフン、って感じ?」
理解してなさそうに眉根を寄せながら、ジョゼさまは私に続きをうながした。
「私は思うわけですよ。この世界は多分、その悪役令嬢の婚約者を庶民の娘が寝取って、婚約破棄させる話じゃないかって」
「……いろいろと言いたいことがあるが、そなたがそう思った理由はなんだ」
まず、そう思うきっかけは、入学だった。
ここは物語の世界じゃないか、って。
だってまず、この学校には生徒が男女ほぼ同数いて、同じクラスで授業を受けている。それに違和感を覚えたのだ。
男女が共に学校に通う、というのはそんな昔からじゃなかったはずだ。前世では当たり前だったけれど、中世だか近世だかの時代に、当たり前だっただろうか、って。
そして学院内で男女が平等に扱われているのを見て、ますます疑惑を深めた。男女平等なんて、それこそ歴史的に見たら新しい考え方じゃないか、って。
そしてジョゼさまのような若い方が学院長をやっている。
なんだか物語の中の学校みたいだな、と思ったら、ピンとひらめいた。
本当に物語の中なのでは――と。
「……悪役令嬢モノでは、と思ったのは、この学院内で婚約を交わしてる方々が多いところから考えたことです」
「年頃の貴族の子息、令嬢だ。当然だろう」
「ええ、それだけだったら、貴族らしいなあ、で終わりましたよ。でも、その貴族の子息の方々が、私に優しすぎるんですよ!」
わからないことがあったら何か言ってくれ、貴族ばかりで落ち着かないだろう、君のためなら手助けするよ、がんばりやさんだなあ君は……エトセトラエトセトラ。
「私の前世の経験則ですけれどね、人はそんなに優しくないと思うんです。特にド庶民ですよ、貴族の中のただ一人の庶民。見下されたり、いじめられたりって覚悟してたんです。なのに、皆さん、信じられないくらい優しいんです、特に男性!」
ジョゼさまは嘆息して立ち上がった。
「ばからしい。さっさと帰れ」
「は、ちょ、ちょっと待ってください、ジョゼさま! 私の話を聞きたいって言ったのはジョゼさまじゃないですか!」
「貴族の中で一人、困ってないか、と思ってな。信じられないくらいに優しくて妙な妄想をされるくらいなら、そなたには親切にしないことにする。ほら、帰れ。学院長の仕事が待っているんだ」
* * *
ジョゼさまに話を切り上げられ、私は学院から家に帰った。もちろん、庶民は徒歩です。
まあどうせ、信じてくれないって思ったけどさ。
煉瓦造りの古い家にたどりつき、嘆息しながら扉をくぐる。
また今日も言われるのかなあ……。
そう思ったら案の定、帰る早々、母さんが爛々と目を輝かせて言った。
「おかえりなさい! ソフィ、どうだった!?」
「どうって……いつもどおりだよ」
母さんは頬をふくらませ、不満げだ。
「もう、だめじゃない! せっかくお金持ちと一緒の学校なんだから、玉の輿を狙って、お近づきにならなくちゃ!」
「たまのこし! たまのこし!」
意味を理解していないだろう、幼い妹が連呼する。
「うん、私もね、入学するまではそう思ってたけどね……」
望んで入学することになったわけではないけれど、入学するまでの十年間で、私の意識も変わった。
月日はこの家族の生活のつらさを、如実に伝えてきたのだ。
いくら私が神童だからって、そもそも私に人よりすぐれた能力なんてない。貧乏子だくさんの我が家は苦しい生活を強いられている。
魔法学院に入学の決まった私はいい。
なんとか庶民の学校に入ることのできた兄はいい。
けれど弟や妹は、学校に行けるかどうか、というところだ。
この生活を打破するには、私が玉の輿に乗るのが一番だ、となるのも当然だっただろう。
うん、前世で婚活に失敗しまくってた私に、できるかどうかはさておいてね!
「姉ちゃん、たまのこしにのったら、ウニ、食べれる?」
その無邪気な弟の発言に、母さんはキッとまなじりをつり上げた。まずい。
「さ、さーね~。さあて、お勉強しに行こう~っと」
母さんから逃げ出し、自室に戻って扉を閉め、息をつく。
母さんの禁句。それは、ウニ。
ウニとはあのウニのことである。海にある、黒いトゲトゲの中に、とろっとして美味しい黄色の身がつまった、あいつのことである。
前世のことは、ジョゼさまに語ったのが初めてではない。家族にも語っている。
しかし弟妹に語るとき、ついウニのことを語りすぎた。なにしろ、私の一番好きな食べ物だ。
海沿いではないここでは食べたことがないことから、尚更、食べたくて仕方がなく、語りすぎた。
そして弟妹は、ウニをこの世で一番美味しくて、そして滅多に食べられないものだと認識した。
で、どうなるか。
――ねえ母さん、ウニ食べたいよー、食べたいよー、どうして食べられないの、姉ちゃん食べたって言ったよ、ウニー、ウニー、食べたい食べたい、こんなのよりウニ食べたいっ、ウニ、ウニ、ウニ、ウニ……。
……母さんはぶちぎれた。
二度と与太話(前世の話)はしないと約束させられ、ウニの話が出ると母さんはキレかかる。
「……ごめんよ、この世界にはないみたいなんだ」
期待させてしまった弟と妹に小さく謝る。
魔法学院に入学して調べたが、どうやらこの世界には存在しない生物らしい。
一生食べられないものだと思うと、前世が恋しくなる。軍艦、ウニ丼、パスタ……。
私の前世の知識とはこんな、しょうもないものばかりだ。神童といっても何の役にも立たないことを、そろそろ父さんも母さんもわかりかけている。
だから、玉の輿にかけているのだろう。
可能性はないわけではない。ある。むしろ前世の知識を何も生かせない私にきた、極大のチャンスと言っても良い。
だから、私だって、婚活を頑張ろうと思っていたんだよ。
そんなことをつらつら考えて、カバンからノートを取り出そうとして、思わず手を引いた。
「……やられた……」
ノートが切り裂かれていた。これでは使い物にならない。
庶民にはノートだって、貴重で高価だというのに……。
仕方ない、明日、国王陛下からノートを下賜してもらうよう、頼むしかない。
* * *
次の日学院にいくと、教室の中は穏やかな談笑で溢れかえっていた。
……多分、この中にノートを切った犯人がいるけど、腹が据わってるなあ。
ノートは昨日はこの教室の中、カバンの中にずっとあった。他のクラスの人が入ってくると不審に思われるだろうから、間違いなくこの中に犯人がいる。
けど、犯人捜しは得策ではない。
私はいま、薄氷の上にいる。
「おはようございます。ソフィさん、どうされましたの、顔が強張ってらしてよ」
「おはようございます、イザベラさま。何でもないんです……」
イザベラさまは、由緒正しい公爵家のご息女だ。縦巻きロールが美しい。ちょっぴり顔がきつめだけど、赤いドレスがよくお似合いだ。
私はノートのことを彼女に言えなかった。いや、言わなかった、というのが正しい。あまりおおっぴらにしたくないのだ。
「そう。わたくしは、我慢することを美徳だとは思いません。はっきりおっしゃった方がよいと思いますわ」
私が何か隠していることはわかっているようだ。
それにしても、いつも通りだが、きっぱり言う人だ。
そのままくるりと背を向けて去ろうとする彼女に、私は慌てて追いかけた。
「ちょっと待ってください、イザベラさま」
あぶない、あぶない。言い忘れるところだった。
「あの、実は本日、フラビオ王子にお会いしようかと思っています」
イザベラさまの表情が一瞬なくなり、そして微笑んだ。
ああ、胃が痛む……。
「――それは、どうして?」
「はい、新しいノートがほしくて……陛下から足りないものはフラビオ王子に言うよう言われておりまして」
「まあ、それでしたら、何の問題もないことでしょう。わたくしに言う必要もございませんわ。ご自由になさりあそばせ」
「はあ」
そうは言うが、多分、言った方がいいんだよね。
だってイザベラさまはフラビオ王子の婚約者なのだ。
婚約者に勝手に会っていると思われるより、報告してから会ってる方がいいはずだ……多分。報・連・相っていうし。
教室の片隅で、私たちの会話を聞いて、ひそひそと言っている令嬢たちがいる。
ああ、胃が痛い。
* * *
「やあ、ソフィ」
「殿下、お時間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「堅苦しいなあ、君は。もっとくだけてもいいんだよ? 君とは仲良くなりたいんだから」
ははははは、と笑っておいた。
それ以外にどうしろと。頬を染めてありがとうございますって言う方がいい?
二人きりで個室はまずいと思って、ここは階段の踊り場だ。
フラビオ王子はやわらかな微笑を絶やさない。こんな庶民を相手にしても、他の貴族たちと変わらないように接してくれる、人格者だ。
……と思っているうちは良かった。
最近のフラビオ王子は、妙に私と距離が近い。王族ということもあって私には何も言えないのだが……。周囲の人々にすれば、私たちが親しすぎると思ってもおかしくない。正直なところ、もう少し距離を保ちたい。
私みたいな庶民が近づいていい方ではないんだけどなあ……。
決して、ノート一冊ごときに手を煩わせてよい立場のお方ではない。
けどなあ……学用品も援助するとおっしゃったのは国王陛下で、その陛下から必要なものがあればフラビオ王子に言うように、と言われては、そこを通さざるを得ない。
ここで別人に用立ててもらうのは簡単だけど、それが他人の耳に入ったら、国王陛下や王子のメンツを潰すことになってしまう。
結果、王子と距離を置くことは不可能だ。
「あの……申し訳ございません。ノートが一冊足りなくなりまして、殿下の手を煩わせるとは思うのですが、どうか……」
「ん、なんだ、大丈夫だよ。すぐに用意させよう。けれど……」
王子は手を顎に当て、思案している。
「つい昨日、ノートは足りてるって聞いた気がしたけれど、どうしたんだい?」
「っ……!」
やはり、スルーしてくれないか。
実は昨日も学用品を頼んだばかりだ。で、そのとき、他にないかとも聞かれたのだ。
ああ、こんなことなら、予備の品も常に用意しておくんだった。けど、現代日本では考えられないほど高いものばかりだから、必要最小限しか頼まなかったのだ。遠慮なんてするんじゃなかった……。
「……昨日のときは、つい、ど忘れをして……」
「ソフィ。嘘はいけないよ。奥ゆかしいのは好いと思うけれどね」
嘘を一瞬で看破され、私はがっくりと頭を下げた。
「ソフィ。話してごらん。悪いようにはしないよ」
フラビオ王子は私の肩に手を乗せ、キラキラとした笑顔で、私に促す。
そのとき、ちらりと視界の端に、人の影が映った。
王子と私が至近距離で向かい合うこの状態のときに……。
まずい!!
「は、話しますので、す、少し距離を……!」
「話してくれるね?」
「はい! 洗いざらい話させていただきますので! 手を、あの、手を!」
その言葉に王子はうなずいて、離れた。
* * *
「ノートが破かれて……それはショックだったろうね」
「い、いえ、大丈夫です」
無惨なノートに気付いたとき、それより心配だったのはその後のことだ。つまり――今。
「それで、誰がやったのか、君には想像できるかい?」
「いえ、あの、犯人を追っても不毛といいますか……とりあえず新しいノートさえいただければ、私は……」
あまり犯人捜しに踏み込まないで欲しい。私の予測が正しければ、このままだと――
「僕はね、もしかしたら、イザベラではないかと思ってる」
「――!」
私の声なき絶叫が脳内を駆けめぐる。
「ああ、そんな顔をして。信じられないのは僕も一緒だ。だけど、僕のところに噂は届いているんだよ。イザベラが君をいじめているって。階段から突き落とされそうになったり、上から鉢植えが落ちてきたりと、危険な目にあってきたんだろう?」
それは確かに私の身に起きたことだが、それに首肯したくない。この先の展開を見たくない。
「それが私とソフィがこうして親しくしてからだ、って。彼女は昔から僕を好いてくれた。その嫉妬だとしても、あんまりじゃないか。悪ければ、人が死んでもおかしくないことだ」
その憤慨を私はなんとかなだめようとした。
「いえ、こうして死んでないわけですから! それに、イザベラ様がやったと決まったわけでは」
「……君はなんて優しいんだろう。自分を傷つけようとした相手をかばうなんて」
や、やめてくれ……。
これ、あれだよね、イザベラさま側から見たら、かばったふりをして突き落とす、という小悪魔な芸当だと後から言われちゃうやつだよね。
「君の優しさに、僕の目も覚めた。イザベラに言おう! 僕たちの婚約を解消すると!」
急展開に卒倒しなかっただけ、自分で自分を褒めてあげたい。
さあ善は急げだ、とフラビオ王子は私を引きずって、クラスへ向かう。
え、まさか教室? ギャラリーつきでやるの?
ほ、本気……?
私は現実を拒絶し、白昼夢を見た。
前世の記憶。前世で読んだ物語達。
その中で、悪役令嬢モノ、婚約破棄モノはあった。
無実の罪を着せられて婚約破棄を宣言された悪役令嬢は、周囲を味方に付けたり、新天地で成功したり、ハッピーエンドを迎える。
対照的に、婚約破棄をしたその婚約者や、寝取った娘はろくでもない末路だ。
悪役令嬢に婚約破棄を突きつけた相手とそろって国外追放されたり、ぱっとしないのはまだ良い方。
悪役令嬢に糾弾されて全てが露見し、逮捕、処刑されるのもあり得る。
本当に、悪役令嬢が全てを仕組んでいる場合なら――この場合でいえば、イザベラさまが全て私に嫌がらせをしていたなら――と、考えなかったわけではない。
でもそれはないとわかった。
12歳の小娘ではなく、ある程度の人生経験を前世で積んでいるんですよ。どういう人間か、信じるに足る人間か、判断はできるつもりだ。
その私から見て、イザベラさまは白だ。やったとしても、彼女の取り巻き連中がイザベラさまの知らないうちに、というところだろう。
だから私は、この世界は悪役令嬢モノかつ婚約破棄モノだと思ったのだ。
あまりに私の立場は、ざまぁされる娘に近すぎる。そして王子とか他の男性が私に近づきすぎる。ええ、王子以外にも、他の貴族の男性にも妙に親切にされてるんですよ、不気味なことに。
これって、他の男にも色目をつかってるとか後で糾弾される布石だよね?
嫌がらせを受け始めたあたりから、嫌な予感はしてたんだよ……。
ただどの物語かは、ここまできてもわからない。
というかお願いですから、マイルドなやつであってください、お願いします。
「まあ、どうされましたの、殿下」
現実逃避していた私の前に、気付いたら強張った顔のイザベラさまがいた。
気付いたら教室の中。イザベラさまと向かい合っている。
「イザベラ。君には失望したよ」
はっと気付いたら、私は王子に腰を添えられていた。まずいまずいまずい!
「ソフィに対するいじめの数々……貴族として風上にも置けない」
イザベラさまは王子の言葉に何も言わない。
……いや、言わないんじゃない、とっさに何も言えないんだ。こんなこと、普通予想できるものじゃない。
「君との婚約を解消する!」
言いやがった――!
し、信じられない……教室だぞ。他の人も周りにいるんだぞ……この王子、どうかしてるの? 何したって許されてたの? それだけ甘やかされてたの?
イザベラさまはわなわなと唇をふるわせながら、一つ一つを力を入れて口にする。
「そう、ですか……。わかり、ましたわ」
それで、と彼女は続ける。
「それで殿下は、代わりにソフィを婚約者にする、と?」
私の名が出て、思わず口元がひきつる。
こんな人前で修羅場を演じたことのない私は、小さく首を横に振るのが精一杯だったのだが……。
「そんなことは君には関係ないだろう」
きっぱりとした王子の言葉が、私の否定を打ち消した。
王子が否定しないということは、ありうる可能性だと、周りは思うだろう。現時点で婚約する、など言い出さなかったあたりに感嘆すべきか、もはやわからない。
なぜこんなことになった……。
はっきり言って、王子のことなど何とも思っていない。
いくら家族のためとはいえ、王族は高望みしすぎだし、高すぎる地位の人には自由がないことくらい想像ができる。妃なんてまっぴらだ。
しかしもう、明日から、いや今日このときから、私の平穏は失われた。
学院のほとんどは私のことを悪し様に言うだろう。イザベラさまの人格は、私だけでなく、他の多くの人にも知られている。そんな中、王子の尻馬に乗って彼女を非難する層は少ないだろう。彼女の実家の公爵家だって王家に次ぐ力を持つ。短慮にも王子と一緒に非難なんてするわけがない。
そういう彼等にとって、イザベラさまに濡れ衣を着せた私こそ、本当の元凶だと思うのに十分だ。
そもそも、嫌がらせ自体が、私の虚言だと言われてもおかしくない。
そうしたらどうなるか。
何の後ろ盾も持たない庶民である私は、この貴族ばかりの魔法学院で生きていけない。
こんな浅はかな王子に後ろ盾になってと、すがりついていたくないしね!
ああ、もうおしまいだ。
玉の輿に乗るどころじゃない。ああ、こんなチャンスないっていうのに……こんなわけのわからない修羅場に巻き込まれて……。
「何をしている」
そのとき、扉から冷たい声が響いた。
ジョゼさまだった。
その声に触発されたように、イザベラさまがのろのろと、王子の前から去ろうとする。
「言いたいことも言わずに、それでいいのか」
ジョゼさまの声は、よく通った。
それは誰に言ったのだろう。
イザベラさまに?
それとも……私、に?
私の物語は終わりを迎えようとしていた。イザベラさまのハッピーエンドに向けての話はこれから始まるのかもしれないけれど、小物な悪役の私の話は終わるだろう。どうあがいたって、何度も蘇る悪役にはなれそうにないし。
終わるなら、言ってもいいかな?
いいよね?
どうせだもん、相手が貴族だからって遠慮してたけど、いいよね?
「……イザベラさま、どうして言わないんですか」
ずっと沈黙していた私の言葉に、イザベラさまが怒りをたたえて目を細める。
「なんですって?」
「自分はやってないって、言えばいいじゃないですか」
「ソフィ? ……また、彼女をかばって」
王子は、仕方がないなあ、というように肩をすくませる。
「違います。事実を言っているんです。
イザベラさまはこんなことしません。こんなことのできる方じゃない!
毎日水をやって、大きくなあれ、大きくなあれ、なんて花に言ってる方が、自分の鉢植えを投げますか!
魔法の実習のとき、私がドジって転んで膝をすりむいたのに、血に震えて涙目になりながら慣れない治療をしようとしてくれた方が、私を突き落としますか!
意外と授業中にうまく寝ていて、その授業分の私のノートを貸してあげてるのに、私のノートをぼろぼろにしますか! 私のがなくなったら、テストが大変ですよ、この人!」
「ソフィ――!! やめなさい!!」
真っ赤な顔で突進してきて、イザベラさまは私の襟首を締め上げる。
「ぐ、ぐるじ……」
「っ! ご、ごめんなさい!」
周囲も、私の発言にどよめきを隠せないようだ。
イザベラさま、そういうところ、隠してたもんね。ノートだって誰もいないところでこっそり借りてたし。
「……ついでに言いますが、私は、王子はタイプではありません!
観賞用にはいいかもしれませんが、表では私に冷たくするけど内心では情熱的なタイプが好みです!」
今度はフラビオ王子が目を丸くしていた。
「私は言いたいことを言いましたよ!
イザベラさま! 貴女は言わないんですか!」
「……殿下に口答えなど……」
「はっきり言った方がいいと言ったのは、イザベラさまじゃないですか! ご自分の言葉に嘘をつかれるのですか!」
その言葉に、イザベラさまがぐっと顔を上げた。
「わたくし……わたくしは……」
「なんだというんだい?」
「わたくしは、しておりません……!」
ほう、と私は息をついた。
「誓って、わたくしは、ソフィにも、他の方にも、そのようなことは行いません! 殿下……どうか……信じてくださいませ……」
震える手をもう一方の手で押さえつけながら、イザベラは必死に言い募っていた。
さてどう出る、とフラビオ王子の顔を見る。
けれど予想外に、王子はいつもの笑みから表情を変えていなかった。
……そこは沈痛な面持ちで己の非をわびるか、駄目な王子一直線に彼女の言葉を信じないか、じゃないの?
「わかったよ、イザベラ。君を疑って悪かったね。婚約解消なんて言葉は取り消すよ」
「殿下……」
わっとイザベラさまはフラビオ王子に抱きつき、二人は抱擁を交わした。
空気に乗せられたのか、周囲から拍手がわき起こる。
え、いいの? これで。
「でも……よろしいのですか? 殿下」
「何がだい」
「ソフィのことを……」
イザベラさまが王子に抱き締められながらも暗い双眸を私に向ける。
「え、いやいや、私は王子と絶対にくっつきませんから!」
「そうだよ。僕が愛するのはイザベラ、君だけだ」
何言ってんの、この王子。
婚約解消とか簡単に言ったくせに。
その疑問は、私だけでなく、イザベラさまも思ったのだろう。眉根を寄せている。
「僕は君を愛しすぎるあまり、君がひどい行いをしていると聞いて、全てが信じられなくなったんだ。僕の信じるイザベラが嘘だとしたら、全てがどうでもいい、どうなっても構わない……と。だから愛してもいない彼女……ソフィとの婚約だって考えた。だって、この後の人生なんてどうなったっていいと思ったから。けれどそれも全て、僕にとって君が全てだったからだ。僕の薔薇、僕の女神、僕を支配するのは、イザベラ、君以外にないんだよ……」
そして王子は、イザベラの手を取ってゆっくりと甲にキスを送った。
「許してくれ、イザベラ。君が許してくれるまで、君を離さない。離せないんだ」
「殿下……」
「僕の愛を受け取ってくれるかい」
「……こんな風に愛を告白していただけるなんて……、イザベラは幸せです」
……すごいな。こんな砂を吐くセリフを素面で言えるとは。さすが王子……私は彼を見くびっていたのかもしれない。
イザベラさまはうっとりとした表情でフラビオ王子の顔を仰ぎ見る。
そしてそのまま二人の顔が近づき……。
パン、と乾いた音が教室内に響いた。
「授業が始まるぞ。席につくように」
ジョゼさまが手を叩いたようだった。はっとしたように、みんなが動き始める。
イザベラさまはそそくさと赤い顔で机に戻り、フラビオ王子は彼女に対して投げキッスなどをして背を向けた。ほんとすごいわ。
私の席を通り過ぎるとき、王子はつぶやいた。
「……泣かなかったなあ」
意味がわからず、私は顔を上げた。
そこには、いつだって変わらないフラビオ王子の笑顔。
「君も大変だっただろうけど、ちょっとした罰だよ。だって、僕のかわいい人の泣き顔を見るなんて栄誉を賜ったんだからね」
意味がわからない。問いただすこともできずに、私は王子を見送った。
泣き顔? かわいい人って……。
立ち去った瞬間に私の脳裏に記憶が蘇える。
大丈夫なの、と私が転んですりむいた傷口を治療しようとするイザベラさまの……涙をたたえた顔。
まさか……まさか、まさか。
全て……泣かせるために、言い出したのか?
イザベラさまは、本来勝ち気で、凛とした令嬢だ。私に見せる情けないような姿は、人に隠そうとされている。
おそらくご令嬢の教育のたまものであり、年を経るごとに完璧になっていっただろう。
そんな彼女の感情を揺らがせるのは、並大抵のことではできない。
特に王族、王子を相手にするとき、彼女の令嬢っぷりに磨きは掛かるだろう。
こんな非常事態が起きなければ。
いや……あり得ない。
それは諸刃の剣だ。本当に婚約解消したら、どうするの。
だから、まかり間違っても、彼がそれを意図してそんな選択をするなんてあるはずがない。
なんだかんだと婚約が維持されるとなったとしても、イザベラさまから王子に対して疑念や落胆が芽生えるはずだ。
けど……あれ?
じゃあ、この現状はなんだ?
なんだかんだ、雨降って地固まる的に、二人がうまくいった現状は。
……なんとかすると、なんとかできると、思ったのか?
それだけのことはできると……。
変わらない笑みを浮かべていたフラビオ王子のことを思い出す。彼が表情を変えたのは一度。私が王子のことをタイプじゃない、と言ったときだけだ。あとは全て、予定調和と言わんばかりに表情を変えずに見つめていた。
…………。
イザベラさまの方を思わず見た。
この考えを話した方がよいのでは――そう思ったのだ。何の思惑もなく、単純に。
だけどイザベラさまはご自分の席で、脇にある鉢植えを見つめていた。
貴族ばかりの学院だけあって、一人一人の占有スペースは多く、机の周りにいろいろ置いてある。イザベラさまのところには、鉢植えがあった。
鉢植えが上から落ちてきたことを思い出す。
……結局、あの犯人は……?
ノートの、突き落としの犯人は……?
思い浮かんだ変わらぬ笑みを、私は脳内で否定する。
違う。彼はこのクラスではないのだから、あり得ない。
……いや、そんなことを考えても無意味だ。だって、彼は王子。いざとなれば、誰に何を命令しても許される。
イザベラさまは幸せそうな顔で鉢植えを見つめている。
そういえば一生懸命育てているその鉢植えは、花が咲いたら誰かに贈るのだと言っていた。相手が誰かは言わなかったけれど……一人しかいないだろう。
当てられるくらい、とっても幸せそうだ。
それを見て、私はこのことを考えるのをやめることにした。
* * *
「で、どうだ?」
学院長室でジョゼさまの用意してくれたお茶を飲みながら、私は首を傾げた。
「何がですか?」
「この世界が物語の中だ、と言っていただろう。どんな物語か思い出したか?」
ああ、そっちか、と思う。
婚約破棄未遂事件のことかと思った。
あれから、学院内は穏やかだ。観衆付きの二人のラブシーンにより、多くの人はこの事件を痴話げんか的な目で見ており、二人に生温かい目を注いでいる。
そして私の方だが、なぜだかフラれたけど次の人を見つけるようガンバレ、的な扱いだ。
あれだけタイプじゃない、と言い放ったのに、何故だ。
そして私とイザベラさまはおおっぴらにノートを見せ合うようになった。もう隠してもしょうがないしね。そしてそれを見つめる王子の影を感じ取るとき、なんとも逃げ出したいような気持ちになるが、無視することにしてる。これがささやかな、王子への復讐だ。
で、物語の方だけど……。
「思いつかないんですよね……」
ストーリー的には完全に、悪役令嬢モノ、婚約破棄モノだったと思うのだが、思い出せない。
「単純な話ではないか? ここは物語の中ではない、というだけの」
「え、だって……違和感がありますよ。男女平等とか、現代的すぎますし」
「元々はこの学院だとて、そうではなかった。多くの人の、数多くの活動によって歴史の中で変わっていった。それがお前の世界の歴史とは異なっているだけのことではないか」
そう言われて、ぐうの音も出ない。世界が違えば、そういう歴史もあり得る……確かにそうだ。
物語がそういう設定だから――と思っていたことも、努力の結果だと言われれば、何も言えない。たとえば、目の前のジョゼさま。
ジョゼさまだって、努力に努力を重ねた結果、あの若さでこの地位を手に入れたのかもしれない。
けれど……。
納得できない私に、ジョゼさまはうながした。
「他には?」
「あと……私への周囲の親切も、おかしいです。王子は……思惑があったかもしれませんが、他の男性の方は異常に親切ですし」
ことさらに、大きな嘆息をこぼされた。
な、なんですか、その愚か者を見るような冷たい目は。
「お前……この学院に、礼儀も弁えぬ人間を入れると思うか」
「え」
「この学院長を前に、よく言ったものだ」
れ、礼儀……?
「身分を傘に見下すような言動を行うなど、貴族として恥ずべき人間だ。そのような者はこの学院に必要はない。入学させる前に、身辺調査とその点のテストは十分に行って選抜されている。
ここは天下の魔法学院だぞ。甘く見るな」
「……け、けど、さすがに全員は……」
「そなたは全員と交流を持ったのか。それはすごいな」
確かに、全員と知り合ったわけでも会話したわけでもない。
「貴族にあるまじき不穏な動きを取る者は、その時点で退学だ。そなたが知り合う前にそういう輩は退学したのだろうよ」
「厳しい学校だったんですね……」
「知らなかったようだな」
けれど、納得できない。
見下す言動はしなくても、近づいてこないものじゃないか? 特に私のような異分子には。
考え込む私に、ジョゼさまはもう一度嘆息する。
「……男達が、お前に親切を振りまいたのは……」
「振りまいたのは?」
「そなたが……かわいいからだろう」
…………。
……は?
「か、かわ、いい?」
「…………」
「私って、かわいいんですか?」
確かに初めて綺麗なこの学院の制服を着たときは、私ってかわいい子だったんだ、と感激したものだった。
そのおごりは、入学してすぐ、打ち砕かれた。同級生は私より遙かに美しく、上品で、素晴らしい令嬢ばかりだったのだ。
生まれ変わったけど、人生うまくいかないよね、こんなもんだよね、と悲しく思ったものだった。
かわいいなんて、家族以外から初めて聞いた。
シンプルだけど嬉しい言葉に、頬が熱くなる。
「貴族は魔力をうまく使うために、学院の勉強だけでなく、日々、家庭教師を招いて特訓する。そんな中、家の力を借りずに自分だけの努力で頑張るそなたを……いじらしい、と思う奴もいたのだろうよ」
「い、いじらしい、ですか……はあ……」
自分をそういう風に思ったことはなかったけど……そうか、いじらしかったのか……。
まあ、貧乏な家だから家庭教師なんて雇えないし、家に帰ってまで勉強したくないし、雇えたとしてもしなかっただけなんだけど……。
「まあ、今回の件で、それも打ち砕かれたがな」
「え」
「そなたがタイプがどうだとか言ったり、イザベラ嬢の秘密を暴露したりと言いたい放題わめいたおかげで、いじらしさなど消え失せた。多くの男は幻滅しただろう。良かったな、これで異常に男共にちやほやされることもあるまい」
「そ、そんな……!」
ああ、玉の輿が……遠のいていく……。
悪役令嬢でざまぁはされたくないけど、普通の玉の輿ならバッチコイだったのに……。
私が打ちひしがれているのに、ジョゼさまは、すごくいい笑顔をしてる。
「まさかとは思うが、そなた、男あさりにこの学院に入学したわけではあるまいな?」
「え?」
「まさか、あり得ぬよなあ。国王陛下御自らそなたの学費を出し、この私を差し向けたのだ。それを、男あさりの良い機会だ、などと思って入学など……」
「ま、まさかまさか! あっははは」
「あっははは。そうだな。失礼、この私としたことが、そなたを侮辱してしまった。そなたは国王陛下の命を受け、魔法学の未来に寄与するために来たものな。国王陛下も大層期待されておられる。どのような魔法学者が誕生するのか、とな。ついては、そなたもこの学院に慣れたようだし、学院長自ら、そなたに毎日、特別補講を課し、他の生徒が家庭教師によって担われる教育をなそうと思う。私が講師となるからには、魔法学以外のことは脳内に残らぬと思え」
ピシャリ、とムチがしなる音が脳内で聞こえたような気がした。
「げえ……」
思わず私は後ずさる。
「学院生にふさわしくない言葉を吐くな。
何、遠慮することはない。そなたを立派な魔法学者にするのが私の義務だ。みっちりとしごいてやろう」
私の腕を掴んだと思うと、学院長室から私を引きずっていく。
「あ、あの! せ、せめて優しく、優しく教えてください! 私は褒めて伸びるタイプなんです!」
「そうかそうか。ちなみに私は冷たいと思われがちだが、情熱的にねっちりと教え込むタイプだ」
――かくして地獄のスパルタ魔法教育が始まりを迎えた。
ジョゼさまと共に、魔法生物ウニを作り出したことでこの国の食卓に空前のウニフィーバーをもたらし、名声を獲得するのは、まだ先の話である……。