39 NATUYASUMI
夏休みの終わりみたいだ…
シュウがそういって笑っていたっけ。
エリアの猫屋敷にかえってみると、愛猫・そうせきくんが、ありえないほど太っていた。
おもわず悲鳴をあげてかけよった陽介の顔を、そうせきくんはにっこりしたような丸顔で見上げて、ごろんといつもの門の上でおなかをみせてよこになり、ぐるぐるとのどを鳴らした。たっぷんたっぷんに、毛皮がたるんでいた。
おかあさんはしりませんよ、ちゃんといつもと同じだけしかごはんもおやつもあげていないもの、漱石さんは、陽介さんとしかあそばないから、運動不足じゃないかしら…と母は責任逃れをした。
重くなったそうせきくんをかかえ、荷物をもったまま部屋にもどると、部屋は留守のにおいになっていた。窓をあけて風をとおした。
結局、山をおりたあと、陽介とはるきは月島の世話でT市に2日滞在し、その間に荷物を届けてもらった。かえって来たのはそのあとだ。汽車の切符が荷物にはいっていたからというのもある。…月島ともう少し一緒にいたかったから、というのも、ある…。
その気持ちを見すかすかのように、はるきは幾分心ここに在らずの体で、よそよそしく、冷たかった。まるでもう、陽介のことに興味を失ったように見えた。
幸いだったのは、いつきもほどなく合流してくれたことだった。はるきはいつきとは機嫌よく姉の小夜のことなどを話し、写真をとりかえたりして、けっこう楽しくやっていた。はるきがいたおかげなのか、なにかにつけ登場するいつきの早死にした弟の話も、今回は出なかった。
いつきを送り届けてくれたのは田中だったので、暇なら、ということで、田中のつとめる大学につれていってもらった。大学は、高校より更に長い夏休みの真っ最中で…まさに学校の怪談といった雰囲気だった。長居はしなかったが、大学の向いの甘味どころのあんみつはとても美味しかったし、いつきはおなかいっぱい大福を食べていた。おみやげに藁人形あげようか、といわれたが、それだけはつつしんで断った。
最後の晩は、月島がU市の例の店に予約を入れてくれた。会席かとおもったら、もっとラフな和食膳で、とてもたべやすく、量もあり、うまかった。いつきが、ここのかわりごはん、陽介んちのに味似てるよねと言った。月島がにやーっと笑っていた。意味がわからない。
田中と月島という最悪コンビで、駅まで見送りにきてくれた。月島と別れるのがつらくて、涙が出そうだったので、田中がいつきとなにかにこやかに談笑していた内容は、耳に入ってこなかった。
陽介の耳には入らなかったが、実はこんな会話をしていた。
「…魔女子さん、あのね、今更って思うかもしれないけど…実は、君に一つ、つたえておかなくちゃいけなかったことがあったんだよね。つまり、偉大な魔女の身の安全のためなんだけど…。まあ、いままで、たいしてヤバい場面もなかったからさ、言わなかったんだけど…。」
「え、なになに。」
「うん…あの、お店やってるウィズリーさんなんだけど」
「京子さん?」
「うん。あの人ね、僕は、…みかけたことがあるんだよね。」
「よそで?」
「そう。民俗系の学会で。」
首をかしげるいつきに、田中は随分遠回しにこう言った。
「…民俗学って、もともとは統治のための調査の一環って名目があったんだ、大昔の話だけどね。でも…それなりに、まあ…いろいろ、お国とか産業界のほうでも、影ながら役にたってたんだよ。…うん。」
だいぶ田中に慣れたいつきは和やかに、かつダイレクトに聞き返した。
「…京子さんて、何者なの?」
すると田中は思いきって言った。
「…あのひとね、多分、州の内務省の調査員だよ。」
いつきはびっくりした。
「て…つまり」
「うん、州政府の内政治安情報部。たいていは、民生委員の家系がやってるんだ。…あの人、婦人部の役員だって話だったけど、若過ぎると思って。おばあちゃんにきいたら、やっぱり母方がずっと民生委員の家系だよ。」
「…げえっ、あっぶねーーーーー!!」
「…だろ。」田中は眼鏡をずりあげた。「…きみの美人のお養父さんには、一応報告しておいたほうが良いよ。」
「あ。うんそうだね。…ありがとう、田中やん!」
「じゃ元気でね。」
「メールするよ。」
「うん。楽しみにしてる。…魔女子さん、ほんといろいろ…」世話になったね、という言葉をのみこんで、タナカはにっこりして言った。「…楽しかったね!」
いつきも「うん!またね!」と返した。
月島はというと、陽介にこんな別れを言った。
「…静の写真、みせる暇がなかったね。…また今度機会があったら見せるよ。」
陽介がうなづくと、陽介の肩をぽんぽん、と叩いて言った。
「…ようちゃん、あんまり見境なく、だれでもお父さん代わりにすると、中には危ない男もいるよ。まだ実のお父さんが生きてるんだから、本物とよく話しなさい。めんどくさがらないで。先生は息子と話すのをいやがったりしないはずだよ。」
一番危ない男が何を言う。陽介は苦笑した。
きれいな特急列車の貴賓用コンパートメイトに、当り前のようにトランクを運ばせるいつきは、今までの衣装の反動なのか、ものすごく派手なワンピースを着てぴかぴかの赤いハイヒールをはいていた。それは陽介からみても、ちゃんとお金持ちのお嬢様に見える姿だった。「やればできるじゃないか」と月島がからかうと、おもいっきりあかんべーをしていたっけ…。
エリアで猫にまみれながら電話をかけると、はるきは自宅で大パニックに陥っていた。いろいろあった旅行の中でも一度もみたことのなかった混乱ぶりだったが、よくよく話をきくと、部屋の本を同室の兄貴に勝手に処分されてしまったのだという。差し出された低額紙幣と小銭は、古本屋がくれた全額ということで、兄貴も意外と仁義があるようだったが、はるきの怒りは収まる様子もなかった。レポートの話も何もあったものではない。
なんとなく、俺達もうだめなのかなあ、と思った。やっぱり、浮気だよなー、あれは、と陽介は今更反省したが、月島への気持ちはコントロールできる種類のものではなかったし…、なんにせよ、あとのまつりだった。
一人でレポートを仕上げていると、ひょっこりといつきがやってきた。学校に記録をだすから、録画を手伝ってくれという。…舞だった。たしかに、厳しい研修をうけたのと同じだから、資料もつければレポートとして充分出せる。あたしも陽介の舞、見たかったな、などというので、うるせーよと言っておいた。2度と御免だ。
客間で拍子を打っていたら、なぜか母がやってきた。どうせなら着物をかしてあげましょうといって、実際の衣装とは全然ちがうものだったが、色無地と、袴を出してきて、いつきを着せ替え人形にした。扇子のなるべく大きいのも貸してくれた。いつきは困ったようすだったが、母にかわいいかわいいとはげまされて、その格好で録画し直した。なるほど、いいかんじに仕上がった。猫が3匹ほどうつりこんでしまったが…。
録画と晩御飯の終わった後、母のたっての希望で、いつきと3人、庭で花火をした。陽介は当惑ぎみだったが、母といつきはことのほか喜んでいた。母は、家で一人で退屈してたんだな、と陽介は思った。母はなぜかいつきが大好きだ。本当の娘のように可愛がっているのが陽介にはわかるのだが、いつきは「陽介のおばさんて親切だよね」などとぼけていて、てんでわかっていない。このままだと、気付いたら母の手で嫁にされていそうで怖かったが、まあ父が許さないから大丈夫だろう。
花火をしながら、いつきは、おばさん、あたし海にいってきたよー、などと核心部分を平気で話していたが、母はのんきにまあうらやましいわ、おばさんのふるさとも海よー、などと返事をしていた。何も言ってなくても母は実は最初から全部わかっていたのではないかと陽介は訝しんだ。なにしろ、「お父様の秘書の方と知り合いになったからと言って、必要以上に振り回すようなことをしてはだめですよ。」と厳しく注意をうけたぐらいだ。なぜかなんでもお見通しの母である。年をとったら、水森のおばあちゃんみたいになるのかもしれない。
その後、いつきは田中とメル友になったらしい。「田中やん、すっかりなついてかわいいわ。牙のある小動物。」などといっていたので、そのうち本人にすっぱぬいてやるつもりだ。ユウは足にギブスをかけたので、新学期の頭はまた出られそうにない、と、いつきのところに田中から連絡があったそうだ。その話をきいたとき、陽介はいつきになぜか責められているように感じたが、意味がわからない。ユウが転けたせいで、舞までやらされて、しかもそのせいでへんな女みたいなものにつけまわされたというのに…。
陽介は母にきれいに洗濯してもらい、丁重な礼の手紙をつけて、慎二にデニムとポロシャツを送り返した。とくに返事はなかった。
母にしかられたので、学校が始まった後も、月島に連絡はとっていない。小柄も借りたままだ。正直返したくない。預かった鞘の違う刀と一緒に、自分の部屋の和室部分の床の間に大切に飾ってある。




