37 SEA
「おや、姫君、どちらへ?」
田中らしくもない酷く陰険な声がして、祈りが中断された。
3人が目をあけると、川のむこうに、美しい女のようなものがいた。
着物を着ていて、髪がとても長かった。
「…鈴が鳴ったゆえ。」
それだけ言うと、それはくるりと向きをかえ、川の下流のほうへ姿を消した。
「…鈴が鳴ったって、なんのことでしょう。」
はるきがたずねると、シュウと田中は顔を見合わせた。
「…舞、」
「…だよね。」
二人の意見は一致していた。
「舞の前に、鈴鳴らすの?」
いつきがたずねると、田中とシュウはまた顔を見合わせて、二人揃っていつきに向き直り、
「まあ、簡単に言うと、そう」
とまったく同じ台詞を言った。
「鈴鳴らして、姫や翠さんに伝えるのかな??」
はるきがいうと、シュウは歯切れ悪く、うーん、と言った。
「まあ、それもあるけど…」
「けど?」
田中が説明を引き取った。
「しばらくじゃんじゃん耳もとで神社にある鈴を鳴らすと、意識モーローとなって、まあ、一種のトランス状態になるわけ。そうするとね、音曲が、実によく染みる…らしい。」
「は?」
久しぶりに物語りモードに入って田中は言った。
「ここの山では、昔ときどき太鼓がうまく鳴らないときがあったんだ。まあ、多分湿度のせいだろうね。そうすると、リズムがまったくなくなるでしょう。何にあわせるかわからない。でも楽器の連中は曲が分かるんだ。だから、楽器の連中が、舞い手をひっぱるようにしたわけ。それが意外に便利だし、太鼓なしもなかなか神秘的でよかったわけね。だから…それがデフォになったわけ。」
「童子舞いとかは、舞手にまかせるよりミスが少なくなるしね。タイミングが合って、キレイになる。太鼓があるときでも、今は全部鈴を聞かせるはずだよ。」
シュウが付け足した。
「ひっぱるって…どうやって。」
はるきがたずねた。
「しらない。それがあの祭の秘儀といってもいいくらいの部分なわけ。だから楽器の慎二と舞手のユウちゃんが恋仲だったり、またそれが周囲から許されたりするわけ。」
「そ…きいてないけど、そんな、半ボケでおどるなんて!」
いつきの「半ボケ」に、3人ともげらげら笑った。
「知ってたら引き受けないデショ。だから地元のやつらはみんな逃げるわけ。気持ち悪いもん。…半ボケはいいね。…でも正確には、半覚醒状態、のほうが合ってる。」
「はんかくせえ??」
「はんかくせいじょうたい」
「半ボケじゃなくて、半起きってことですかね。」
「…へえええ。」
「ちょ、まって。あのさ、ってことは、誰かが舞いを始めたってこと?」
「そうだね、それで見に行ったんじゃないの、あの姫様は。」
「やばいっ!!」
いつきはいきなり立ち上がって、右往左往しはじめた。
「…いつきさん、焦っても始まらないですよ。」
「だめっ。もう、水なんかかまってる暇ない!! 陽介が姫にひっぱられたらこまるじゃん! 舞をとちゅうでやめさせんのよ! 優先順位!!」
いつきはそういって、どんどんと足を踏みならした。
「…そりゃ…でも、どうやって?」
ハルキは困ってたずねた。
いつきはくるっと田中を見た。
「田中やん! 頼む、私を向うに送って!!」
「…いいですが、水も途中でなげるわけにはいきません…」
「場合じゃないっ!!」
「…から、いっぺんにやりましょうか。どうなるかはわからないけど、…まっ、でたとこ勝負で!」
「いっぺんに…?」
「もう一回、川下に鳥居をつなげますか?僕がそこに、穴をうがちましょう。川に飛び込めば、向うにでられます。…水もね。」
シュウがうーん、と言った。
「だいじょうぶかな…??」
「やってみなくちゃわからない。やりましょう。」
「とりかえしが…」
「つかなくても、やるしかない。やりましょう。」
田中とは思えない押しの強さだった。
結局、シュウは折れた。
3人はもう一度、川の向うに鳥居を描き始めた。
鳥居がぼんやり見え始めたところで、田中は袂の護符を取り出した。
「…たのみます、静さん。」
田中が手を放すと、護符はまっすぐにおぼろげな鳥居を目指した。
+++
陽介は、普段からいろいろと、ああでもないこうでもない、ああだこうだ、と様々に考えを巡らせて生きているタイプの人間だ。
思考の働きが稼働している感覚こそが、生きている実感ですらある。 だから、それはとても不思議な体験だった。
どこまでもうすぐらい地平が、普通の視界と一体化してひろがっているのだ。感覚的なもので、理屈をつけるのは難しかった。
思考は、ほとんど停止しているようにも思えたし、超常的な回転数で回っているようにも感じられた。それは矛盾しているようだが、感じとしては大差なかった。
自分がいままで見ていたものが、実は、チューニングの悪いTVを勝手に無理矢理解釈していたも同然であったかのように感じられる。それほどに、はっきりと、よくものが見え、一つ一つがよくわかった。
音も、ひどく澄んで正確、こまやかに、大胆に聞こえた。聞こえるというより、音が、生きているのだ。太くなったり細くなったり、あたたかくなったりつめたくなったり…息をしてうねっているように感じられた。だから当然、舞いのタイミングがよくわかるのだ。
これはすごい、と思った。
大変な万能感だった。
俺は今ならなんでもできるぞ、という気がした。
カミでも仏でもかかってきやがれ、と。
そのとき、そこに、きれいな着物をきた、美人の女のようなものが現れた。
陽介は、別に奇妙にも思わなかった。
普通だったのだ、なにもかもが。
異質なものがなにもなく、すべてが包括されて深い意味でつながっているような世界で、異端はなかった。だから驚きもない。ただ、そこにあるべくしてあるだけだ。どんなものであろうと。
「…久しぶりだね。」
それは話し掛けてきた。
「…おおきくなったこと。」
陽介は刀に気をくばっていたので、返答はしなかった。
「…上手ね。静にならったのかい。」
月島におそわったとおりに、刀を返した。
「…静がいるよ。おばさんといこう。…さ、いこう。」
見ると、それは、普通のおばさんだった。フェスティバルキャラバンの、店にたっているおばさんの一人だ。
気がつくと陽介は、そのおばさんと手をつないで一緒に歩いていた。
「…おばさんと一緒にいこうね。今度こそ行こうね。海へつれていってあげるからね。」
あれ、俺、キャラバンについていくのかな、と思った。
一緒に世界中まわるのかな、と。
今ならそれもできそうな気がした。
愛し過ぎた母や、忙し過ぎる父や、たくさんの猫や…いとしいもの、わずらわしいもの、ひとしく全てに別れを告げて。
祭の灯りの中を歩いて行く。
いつしか音楽もきこえなくなり、色とりどりの電灯も次第に少なくなって…
遠くに潮騒が聞こえてきた。
美しい波の音。
心のつかえがすべてきえてゆくような…
「あら、何を持ってきたの。駄目じゃない、こんな物騒なものもってきては…」
おばさんにいわれて、陽介は、刀を持ったままでいたことに気がついた。
「ここにおいていきましょ。ね。いらないでしょ。」
促された。
でも手放してはいけないことはわかっていた。
それに、抜き身の刀をそのあたりに放置して行くことなど、あってはならないことだ。
「ねえ、そんなもの持ったままでは、いけないのよ。」
おばさんはすこしおもねるように言った。
陽介は微かな嫌悪感を覚えた。
それを悟ったかのように、おばさんはぱっと陽介の手を放した。
「いうことをききなさい、海へつれていってあげませんよ!」
陽介は困った。おばさんは怒っている。このままでは、キャラバンにいれてもらえないかもしれない。
けれども、持つ手からじわじわとなにかが上がってくるような、このすごい刀を、おいそれと手放すことはできなかった。
仕方がない、キャラバンについていくのは諦めよう、と思って、そのままくるりと方向転換して、一人で道を戻りはじめた。
「おまち! いうことをきかないつもりかい!」
すると、うしろから誰かが急いで駆け付けて、陽介の手をとった。
おばさんではない。背の高い痩せた男だった。
「いそいで。振り向くな。」
彼ははっきりとした声でそういい、走り出した。
陽介も走った。
「いいか、このまま行けば襖の前にでる。その襖を斬って進みなさい。
向うに戻ったら、すぐに山をおりなさい。山をおりるときも、必ずその刀をもっていくんだよ。いいね。あとで本物の鞘を届けるから。」
「…しずかさん?」
陽介はたずねた。
男は少し笑ったようだった。
「…もう供物台にすわったりしてはいけないよ。組み紐がほどけてしまうこともあるから…」
「しずかさん!」
「行きなさい! もうここにきてはいけないよ!」
男は陽介の背中を軽く押した。
陽介はぽー…ん、と飛んだ。
「静!」
背後でしゃがれた女の声が吠えた。
「静なぜだ、どうして邪魔をする! …男の舞手は私への供物だ!」
陽介は振り返らずに走った。
「静! こたえろ! 静! 」
白い四角いものがみえて、みるみる近付いた。…襖だ。
陽介は走りながら構え、そして一瞬でそれを斬りすてた。
+++
ばさり、と何かが落ちて、陽介は我にかえった。
…みごとに御簾がまっぷたつになっていて、周囲の氏子がおおお、とどよめいていた。まるで余興を喜ぶような声だったが、陽介は思った。
(あちゃー…やっちった)
やんややんやの歓声…ということは…
(…曲が終わってる…)
舞い終えたらしい。
月島がやってきて、陽介のそばに膝をつき、刀を受け取って、鞘に収めた。
…月島は青ざめている。
(…よほどあばれたのか、俺…??)
思わずあたりに目を走らせるが、切れているのは御簾が一枚だけだった。
陽介は作法通りに礼をして、月島の案内で場を離れた。
遠くに、やー、たまに男舞いもいいねえ、迫力があるよ、静もうまかったけど、ああいう感じとはまたちがったねー、だとか、あの子男の子だったんだねえ、きれいなこだねー、どこのこだろう、などと言い合う声が聞こえた。
部屋を出てから、月島が、陽介の手をきつく掴んで言った。
「…ようちゃん、はるきたちのことは私が責任をもって送り届けるから、今すぐにここを立つんだ。慎二に送らせる。」
有無をいわさぬ勢いだった。陽介はたじろいだ。
「でも…」
「いいからいうことを聞くんだ!」
二人が廊下でやりとりしているうちに、さっと慎二がでてきた。
「…いそぎましょう! 衣装は車でぬいでください。車のなかにわたしの着替えがありますから。…さあ。」
慎二は一方的に言うと先にたって歩き出した。
「荷物はあとで送る…あっ、そうだ、これを!」
月島は慌てて刀を陽介に握らせた。
「えっ、…でも、これは…」
「いいから持って行くんだ! この刀でなかったら君は完全にやられてたんだぞ。もっていきなさい。返すのはいつでもいいから! なんなら君の息子の代でいい!」
月島は焦っているようすで後ろを振り返った。慎二が茫洋と言った。
「…ふりかえっても見えませんよ、直人さん。…じゃあ、あとは頼みます。」
今度は慎二が陽介の手をむんずと掴んでぐいぐいひっぱって進んだ。
陽介はさすがに問いただしはしなかった。…慎二は楽器をやっていた。舞いの世界にいたのだ。あれがみえたのだろう。月島も、おそらく慎二を介して。
「…久鹿くん、難しいかもしれないけれど、考えないで。いいかい。何も考えないで、とくに悪いことは。頼む。」
あっというまに見覚えのある玄関にたどりつく。
外は叩き付けるような雨だ。
カッと閃光がひらめき、ドドドド、と轟音が鳴る。慎二は躊躇のかけらもなく扉を開けた。猛然とふりかかってくる大粒の雨。
慎二は陽介の腕を掴んだまま、その中に飛び出した。
車へつくまでのわずかな山道は、岩盤の上を滝のように水が流れていた。滑りながら腐葉土の地面にたどりつき、ぬかるみながら車に辿り着く、そのわずかな間に、二人ともずぶ濡れになった。
やっと乗り込むと、慎二はすぐに発進させた。
天候などまるで考えているようすのない、荒い運転だった。
「急いで着替えて。」
陽介は素直にしたがって、後部座席にうつり、慎二の服を借りて身に付けた。洋服だ。ありがたい。デニムにポロシャツだった。慎二自身はびしょぬれの浴衣のままだ。
道は川と化していて、進むのは困難を極めた。それでも慎二はしゃにむに車をすすめた。
15分ほどたっただろうか、突然頭の上で稲光があり、時をおかずに近くに落ちた。揺れる中をなんとかハンドルをきっていると、目前に大木の一本が倒れた。
ブレーキはかろうじて間に合った、といったところだった。ライトが倒木にぶつかって、割れた音がした。
「…くそっ!」
慎二がこんなことを言うのを初めて耳にした。
「…だれかユウさんを起こしてくれればいいんだが…」
「何でですか」
「姫はユウさんに借りがある。ユウさんによびだされたら、そっちを優先しなきゃならないんだ。時間が稼げる。」
「…かせいでも、まだだいぶありますよ…」
「杉林に入れば一応圏外なんだ。」
「そうなんですか?」
「…おりて走ろう。」
陽介はいやだといいたかったが、ほかにどうするあてもなかった。
二人は再び土砂降りの中に転げ出た。お互いの声すらも聞こえない嵐だった。倒木を乗り越え、坂を下りて行く。周囲はまだ午前とは思えないほど薄暗く、道をざあざあと大量の水が流れていて、ひどく足をとられた。とても走るというような状況ではなかった。歩くのがせいいっぱいだった。それでも慎二は、一歩でも進むように促すのだった。
しかし二本目の倒木が目の前で道をふさぐのを目の当たりにし、二人はついに立ちすくんだ。
それはまるで、逃がさない、という高らかな宣言のようであった。
このまま進むのは不可能だった。
慎二の背中が迷っているのがわかった。
陽介は慎二の肩を叩いた。耳もとに叫んだ。
「慎二さん! 戻って下さい! 危ないですから! 俺一人で下りますから!」
慎二は首を横に振った。「無理だよ!」
「二人でも無理は無理ですよ!」
「一人じゃだめなんだ! 夢から抜けだせない。」慎二はそう言って、陽介だけでなく、自分自身をも説得しているようだった。「いいからいこう!」
2本目の倒木をよじのぼって乗り越えた。
がむしゃらに、川のような道をすすんだ。何度か転んだ。
10分ほどすすんだだろうか。
急に、雨が止んだ。
二人は助かった、とばかりに、そこで息をついた。そう、息をするのも苦しいほどの土砂降りだったのだ。
それでも急がせる慎二に従って、陽介はよろよろと進んだ。
雨でない空間がこれほど有り難いとは思わなかった。
それから5分ほど行くと、小さな神社があった。
「…来る時なかったぞ、これ…。」
「いや、…これは、大昔、月食のときに立てられた神社です。ずっとここにありますよ。めだたないですけどね。」
そのとき二人は気がついた。
…鳥居の向こうは土砂降りだ。
「…やられたか…」
慎二が言った。
陽介は、刀をにぎりなおした。慎二がそばにいる状態で抜きたくなかったが、もし緊急となれば仕方がないだろう。
二人は注意深く、鳥居に近付いた。むこうにつながっているのはここしかない。
土砂降りは困るが、わけのわからないところよりはいい。
しかし、二人は立ち止まった。
鳥居のむこうの雨の中に、着物すがたの美しい女のようなものが立っていたからだ。
…追いつかれた。そりゃそうだ、あんなに進むのが困難では。
「…抜いてください、久鹿くん。」
慎二が言った。
陽介は言った。
「…俺は居合いなんで、斬る時しか抜きませんよ。大丈夫、向うはこの刀がわかっています。」
…いまいましい、という顔で、こちらを睨んでいる。
慎二はうなづいた。
「…その刀とどうやら相性が悪いようです。はなしてはいけませんよ。さあ、いきましょう。」
慎二が陽介のうでを掴んで再び歩き始めると、
「慎二、とおさぬよ。その供物をおいてゆけ」
とそれが言った。
…にらみ合いになった。
慎二には、陽介に斬れとは言えないようだ。そうだろう、陽介から見ればあれは妖怪のたぐいだが、山の人間にしてみれば、力ある尊い隣人なのだ。こうして恐ろしいときもあるが、逆に導いてくれることもある。陽介だって、導いてもらったときもあった。
しかしだからといって、今、慎二が向うの言うことを聞けば、陽介は闇に消えることになる。
鳥居のむこうでは雨が降り続いている。
陽介は、ふと自分が手に何かもっているのに気がついた。
衣装に着替えるときも、衣装から着替えたときも、ちゃんと持っていたものだった。
黒い勾玉。
(そうか)
陽介は思い出した。
祈りに、こたえてくれる黒い勾玉。
(静さん、助けてください)
(静さん、僕が山を下りるのを手伝って下さい)
(静さん、僕を向うの世界にもどして下さい)
陽介は黙って祈った。
ついさきほどまで、舞いの世界にいた陽介の心は、祈りの形をつくりやすい状態になっていた。
すぐに祈りは言葉ではなく、想念となり…そして…。
慎二が鳥居の異変に気付いて見上げた。向うもきづいたようだ。
…鳥居が光っているように見えた。
陽介はいっそう強く祈った。
そのとき、ピシリ、と音がした。
「危ない!!」
慎二のその叫びは誰に対してだったのか…
突然鳥居がまったく別のどこかにつながったのがわかった。
しかし向う側の風景が見える前に、その鳥居から津波が押し寄せてくるのを、陽介は見た。
「うわあああああ!!」
悲鳴もそこそこに、慎二も陽介もあっというまに流れに呑込まれた。
鼻から口から水がとびこんでくる。冷たい透明な水のながをぐるぐるぐるぐる…
(まてーーーーっ、死んじまうだろーーーーーっ!!)
(ばかやろーーー)
(おぼれるーーーー)
(たすけろーーーーー!!)
(だれだーーーー)
(いつきーーーーーー!こういう乱暴なこと起こすのは、テメ-だろーーーーっ! ばかーーーーーーっ!!)
「あっ、呼んだ!」
誰かに強く手をひっぱられて、空気のある世界にひきずりあげられた。
「おおっとどっこい、陽介?!」
「いつき?!」
「やっだー!! 刀なんかもってーーー!」
いつきは大笑いしながら、咳き込む陽介をずるずるとひきずりあげた。…片手作業である。
「あらン、もう一匹。」
陽介の腕を掴んでいた慎二だった。いつきは難無く慎二もひきあげた。
「なんでいんのよーー無事でよかったわー!!」
「無事じゃねーよ!!!」
「無事じゃん!」
「先輩!!」
ふりかえるとはるきもいた。
「はるき!」
「間に合ったみたいだね、姫がねらってたから心配してたんだ!」
なにやらスッキリした顔のこぎれいなおじさんに言われて、これは誰だろう、と陽介は悩み、そして唐突に気がついた。
「田中さん?!」
眼鏡がないのでわからなかったのだ。
田中はにこにこ笑った。…まるで別人のようだった。
「じゃ、紹介するよ、久鹿くん。こちら、芝浦シュウ。はるきくんの見つけた白骨さんだよ。」
陽介はのけぞった。
「えええ?!」
「やっ、はじめまして。…だよね?」
「…で、ですね。ど、どうなっ…???」
陽介が見回すと、慎二と陽介がひきあげられたのは、イカダの上だった。沢下りよろしく、激流を下っているのだ。空は真っ青で、頭上をカモメが…
「…カモメ?」
田中が陽気に「いやあ実はね」と言った。
「…舞が始まる鈴の音がしたっていうんで、君がやばいと思って、いそいで穴をあけたんだよ。姫がねらっていたのがわかってたからさあ。そしたら何故かこういうことに…」
(あんたかーっ!?)
田中がいつきのように大雑把になっていて怖かったが、なぜか、陽介もだんだん陽気になってきた。
「カモメってことは、もうすぐ海にでますかねーっ。」
「あはははは、そうだねーっ。」
状況はまったく好転していない。どこなのかもわからないし、海というのは、つまり姫が陽介をつれていきたがっていたところではないか?よくなったことといえば、仲間と合流したことと、空が青いことと息ができることと座っていられることと…なんだ、かなり好転したではないか。
「やー、安心したらおなかすいたなーっ、お弁当でもたべよっかー。」
いつきだ。食い意地を発揮している。
「えーっ、まだ懲りてないんですか?いやですよ、また肝心のところでげーげー吐かれるの。」
これははるきだ。吐くほど食ったのか、いつきは。よほど山で腹をへらしていたのだろう。哀れだ。うちにかえったら、たくさんねこまんまを食わせてやろう…。
「それよりお弁当なんかどこにあるんだよ、俺だって食べたいぞ!」
これはもと白骨だ。
「ばっかやろう、いつきさんなめんなよーっ! 」
いつきはそう言うなり、どりゃーっと水に手をつっこみ、どうじゃごるぁー、かなんか迫力のあるかけ声とともになにかを引き上げた。
「うわっ、お重登場!」
「これ、あそこのランチがうまい店の弁当じゃん!月島さんがもってきたやつ!」
「おいしかったからこれにした!」
「やったーごはんだまじー?!」
「食事にこりてたまるか! 人生のよろこびさね!!」
「…ほどほどにしてくださいよっ。」
「はぁい。」
みな何の抵抗もなく陽気に食べ始めた。陽介もなぜかめっぽう陽気になった。慎二すら陽気になっている。
「…そういや、そっちの作業はどうなった?」
陽介が聞くと、いつきはグラグラ揺れるイカダの上にいきなり立ち上がり、片足をあげてアラベスクみたいなポーズをとってから、くるっと向き直った。
「カンペキさ!!」
「おう、御苦労。」
「わあ、いつきさんすごーいバランス…」
「きみを人間やじろべえと呼ぼう。」
「長いからにんやじでいいですかね。」
「にんやじ!にんやじ!」
「なによーっ、イカダ上のプリマドンナくらいいえないのっ?」
「…イカプリ?」
「…イカジョー?」
「イカドン!」
全員陽気にごはんつぶを飛ばして大爆笑だ。
…気がついたら、海に出ていた。
「うわあ、海だア。すごいなあ、僕ははじめてだよ!」
田中は嬉しそうだ。
「これは…前時代の海ですよね。今はもっと紫色が濃いでしょう。」
はるきが言った。
「きれいねーっ、あたしもちょっとヘドロの海にホバー浮かせたことくらいはあるけどさっ、こういうのは初めてよっ。わああ、空気が美味しい!」
しかし、さすがに慎二が言った。
「…やまのなかのはずなんですけどねえ…。」
陽介も言った。
「…ここは、誰の領域なんだ?」
はるきといつきが何となく田中を見た。田中は「さぁ」という顔で肩をすくめた。そして3人でシュウの顔を見た。シュウは言った。
「…わからないねえ。すべての場所が、誰かの領域なのかどうかもわからないしね。…まあ、気楽に。なるようになる、くらいの気分で。」
田中は面白そうに言った。
「…ウーン、そうだね、面白いねえ…正直僕は、突き破ったときに向うの、普段の世界に抜けるはずだと思い込んでいたんだけどね。」
「そうよね、神社の境内にでるはずだったんだもん、だから鳥居のイメージをつかったのよね。」
いつきが言った。
慎二が言った。
「…じつは、わたしと彼は、神社のそとにある、小さな別の鳥居のところにいたんです。…姫に結界されて、雨が止んでいました。鳥居の中だけ、雨がふっていたのが見えたんです。」
シュウが笑い出した。
はるきが楽しそうに聞いた。
「シュウ、一人で楽しまないでおしえてよ!」
「あはははは、つまり、姫と、僕らが、同じ鳥居にいっぺんに別の法則を課してしまったんだ! だから変なとこに穴があいちゃったんだよ! まあ、なんで僕らのが、神社でなくそっちの鳥居にかかったのか知らないけど…」
「…それは多分、久鹿くんの身を案じていたせいで、久鹿くんの近くにつながったんでしょうね。…おもしろい! じつに!」
いつきが小指で耳をほじくりながら言った。
「そこでみなさんに質問です! あれはなんでしょう!!」
みながいつきのさしたほうをみると…
「あっ、無人島だ!!」
陸地が見えていた。
+++
6人はぞろぞろとそこに上陸した。
「ウヒャ-、タダで海岸リゾート」
「すごい…天上船ツアーでも南の島になんかおりられないのに…なんて豪華な…僕のような市民税払ったらカツカツの人間には夢のまた夢だったのに! 」
「…今突然ウィリアムの私生活を生々しく見た気がしたよ…」
「ふあああ、きれいな砂浜ねえ。お弁当でもたべよっかー。」
「まだ食うのか?!」
「みなさん、あそこに何かありますよ、行きましょう。」
慎二の呼びかけで、ゾロゾロ移動した。
移動するに従って、浜辺には流木が多くなってきた。
「…流木がありますね。」
「…ここに一部ながれついたんだな。」
「僕達と同じコースですね、多分。」
「ジンギスカーン!!」
いつきの叫びに5人はなにごとかと振り向いた。
「…なんだ?モンゴルの皇帝か?」
「ちがう、J5ドームで食べた焼き肉料理。」
「食いたいのか?」
「うん。」
「…」
しかし残念ながら、鍋や肉は降ってこなかった。
だれもコメントできずに無視しようとしたので、仕方なく陽介が言った。
「今はがまんしろ。かえったらおふくろに頼んでみるから。」
「わあい!!」いつきはすばらしい柏手をぱんぱんと鳴らして、陽介を拝んだ。「陽介大明神、陽介大明神」
「やめんかーーーー!!」
まだ陽介の怒号がひびいているうちに、いきなり地面がぐらぐら揺れだした。
「だからやめろっていってるのにーーーー!!」
「きゃーーーー」
砂をずぼっと突き抜けて、ざーっと何かがたちあがり、いつきをとりかこんだ。
そして止まった。
全員びっくりして、地面からたちあがったものをまじまじと見た。
「…根か…」
根は獲物を狙う蛇のようなかっこうで、数字の2のような曲線を描き、その先はそろっていつきに向いていた。
「うー…気持ち悪い…こんなとこにまで…」
「柏手鳴らすからリクエストかと思ったんでしょうね。」
慎二は苦笑した。
「…木にリクエストしてない。陽介にお礼しただけだもん。」
いつきは「ぶー」な顔になった。
「…そういうしるしは、あなたが一方的に主張してもだめですよ。」
慎二はのんびり言って、また歩き出した。はるきがいつきを手伝って、根の囲みから救出させてやった。陽介は怒って言った。
「まあったく、お前がよくない冗談やるたびに、裏ではこういうことがおこってるんだっつーの!!」
「知ったようなこというなよ、いままでしらなかったくせにーっ。」
いつきは舌を出した。
さらに浜辺を進むと、さきほど遠くから見えたものが、打ち上げられていた。
「…なんでしょうね。」
「…一見、鉄屑のように見えますね。」
「…でも、なーんか、さわりたくないね。」
「うん、さわりたくない。」
みな同じ気持ちだった。客観的に見て害はなさそうなのだが、さわったらかぶれそうな感じがするのだ。
かなり大きなものだった。鉄屑にたとえるなら、車一台分ほどだろうか。
「あー…あたしなんか眠くなってきた…」
急にいつきがいった。
「おいおい、食ったら寝る、かよ?! ちょっとまてって。」
「ごめん、まてない…。」
いつきはそう呟くと、砂浜にころんと横になり、鉄屑のようなもののそばでくうくうと眠り始めた。
「…くそっ、飛んだのか?」
陽介とはるきが駆け寄った。
「さあ、どうなんでしょう、…ねえさんなら多分わかるんだけど、ぼくにはちょっと…。」
「あれっ、いつきさんどうしたの。」
「…睡眠発作です。」
「…カミサマ発の夢を見るんですよ。うちの兄もそうです。」
「えええっ」田中がかけよった。「そりゃすごいや、いつもなの?」
「いや、たまにです。」陽介がこたえた。
シュウがまゆをひそめた。
「…リクエストの出し方に無理があるのかも…。普通こんなことないよ。」
「そういうことは聞いたことはないですが…どうなんでしょう。たまにあるんですよ、こういうふうになって…。いつきの場合は中味がどこかへとんでいくらしいんです。」
「いつきさん今回はさんざんだなあ、崖からおちて舞いは欠席、食い過ぎて吐く、こんなとこで眠りこむ…ちょっとそっちにひっぱりませんか。これのそば、いやでしょう。」
「ひっぱろう。」
少し場所を移動して、残りの5人もいつきのそばに座った。
背負って歩くのも重いから、とりあえず起きるまで待とうということになり、5人は和やかに談笑しつづけた。
…異様なほど、気分が陽気でハッピーだった。
ずっと昔からこうして6人で話していたように思えたし、そんなときはいつもこんなふうに幸福だったように思えた。6人はとても気心が知れていて、いつも同じ目的にむかって共に力をつくしてきたかのように思われた。
どれくらい話していただろう、また唐突に、いつきがむくりと起き上がった。
「あ、いつきさん。おかえんなさい。」
はるきが言うと、陽介も言った。
「おめー、どこいってたんだよ。」
いつきはくしゅくしゅとコブシの背で目をこすり、ぱしぱしと瞬きをした。
「うん、わかったよ。行こう。」
「何がわかったんだ。」
「みちがわかった。夢で見たの。…陽介には悪いけど、一旦神社までもどることになるわ。あそこが一番近いから。」
「えーっ…俺、あそこヤバいんだけど…。」
「…どうしようもないさね。どうする、刀あたしが預かろうか。」
「…」陽介は少し考えた。「…そうしたほうがいいのは分かるが、そうしないほうが良い気がする。」
「なるへそ。じゃ、自分で持ってナ。あたしや尾藤君はよけられるけど、ほかの人たちをきらないように気をつけなさいよ?」
「…そうだな。」
いつきは立ち上がってぱっぱっと砂を払った。
「…どうやって帰るの?」
田中がたずねると、いつきは、みながいやがっていた鉄屑に手をかけて、ゆさゆさと揺さぶった。
「んー…これが使えると思うんだー。」
「これ、何なんだろ。」シュウが言った。
いつきは手を離して、あーばっちい、というようなしぐさで手をぱっぱっとはらった。
「…これ、残骸よ。」
「何の。」
「…のろい。」
「…」
「おおかたこの嵐で浄化されたけど、まだこんな感じで少し残骸があるわけよ。当然、エネルギーが残ってるから、使えると思うわ。」
「どうやって使う?」
「…じゃ、みんな、お祈りおねがいね?」
「なんて。」
「そうねえ…」いつきは考えた。「…ピンポン球くらいのボールに、ぎゅっと縮むところをイメージして、…この残骸の最後の力を、進むためのちからに変えて下さい、って。」
5人はそろって祈り始めた。いつきが手をかざすと、残骸はみるみるうちに圧縮された。
「良い感じ。もうちょっと続けて。…よし、オッケー。」
見ると、残骸は思い描いたとおりの小さなボール状になっていた。
いつきはそれを拾い上げた。
「…あっちに泉があるわさ。いきましょう。」
6人はぞろぞろと、また和やかに談笑しながら歩き出した。
「…なんだか夏休みの終りみたいだな。」
シュウが言った。
「実際、もうすぐおわるんですけどね。」
陽介が言うと、田中が笑った。
「僕はあと一ヶ月あるよ。」
「いいなー。」いつきが笑った。
「えー、みんな夏休みか。いいな。」
シュウはそういって懐かしそうな顏をした。
「…なんだか昔、小学生のころにさ、…祭の舞を見たあとに、みんなで小遣いでジュースとかのんだり花火とかしてさ…そんな感じなんだ。もうすぐ夏休みが終わるんだなー、みたいな…」
「なんか楽しいけどちょっとせつないような、もったいないけど、過ぎ去るからこそ、みたいな感じですね。」
慎二が言うと、シュウはうなづいた。
「うん。そんなかんじだよ。最高の贅沢さ。」
泉についた。
周囲にはなにもなく、ただがらんとした砂浜のまんなかに、直系10メートルほどの丸いプールみたいなものがあった。子供を遊ばせるのにちょうどいいような、深さ50センチほどのものだ。だが、見る限りでは、中心部が深くなっている。田中はすぐに気がついた。
「ああ、ここは…通れるね。」
「でしょ。」
「…護符使い切っちゃったけど。」
「そこでこれよ。」
いつきはさきほどの球体を出した。
「…大丈夫かな。」
「だいじょーーぶ。さっ、みんないくよっ。」
いつきはそのままざぶざぶと中にはいっていった。
「ふぁあああ、冷たいわ。」
田中がつづいた。
「うわ、ほんとだ。」
シュウたちも順次続いた。
「みんないい?大きく息すってぇ…はいとめるー!」
いつきの陽気なレントゲン技士のような号令に、全員従った。
「いくわよ!」
いつきは力強くボールを水面に叩き付けた。
水が割れ、6人は呑込まれた。
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どしゃどしゃどしゃっ、という感じでいつきたちは水もろとも、どこかに落下した。
「きゃーー…ごぼごぼごぼ」
女の悲鳴が水にのまれた。
さばーっと水が襖をたおし、同時に壁の円窓に押し寄せ、つきやぶり、雨戸をたおした。水はそのまま外と、廊下に溢れ出た。
「なにっ、なにっ?!」
知った声だ。ながされながら疑問符を盛大にとばしている。
「あ、京子さん!」
いつきも廊下を流されながら手をふった。
「いつきちゃん?!…無事だったのね! 入り口がとじてしまって、どうしようかと…」
「大丈夫だよ、京子さん! 心配かけたね、ごめん!」
「なんでここにーーーー」
流されながらはるきが叫んだ。
「セイがいたからだろーーー」
陽介がこたえた。
廊下の途中で水は水位をさげて、ながされた全員はごてごてとそのあたりにひっかかった。
「はーーー、びっくりしたーーー」
ろうかで四つん這いになって、みなではあはあと息をついた。
いち早く駆けつけたのはやはり月島だった。
京子がのんきに報告しようとすると、それを無視して慎二を怒鳴った。
「何だって連れて帰ってきてるんだ!!」
「月島さん、倒木で道が…車下りて歩いたんだけど、捕まって。やっと逃げてきたんだ。今何時?!」
陽介がいろいろ省略して言うと、月島は舌うちした。
「午後の2時過ぎだ。」
「雨は?!」
「小降りだ…氏子どもは9割方帰ったよ。だが沢があちこちであふれてるらしい。ユウちゃんをドームに運べなくて困ってる。…どうしたんだこの水は。天井が破れたのか?」
いつきが立ち上がった。
「そういうことね。」
帰ってきた宿敵、といわんばかりの目で月島はいつきを睨んだ。いつきは不敵に笑い返した。
「…そう睨まないでよ、嬉しくなるじゃない。…ねえ、彼、知り合いなんでしょ。」
いつきは肩ごしに親指で後ろをさした。
月島はふと目をやり、少し驚いた顔になった。
「シュウか…?」
「直人さん…」
シュウは笑顔になった。
「シュウ?」
京子がびっくりして声を上げた。
シュウはふりかえった。
「ああっ、京子?!」
「生きてたの?!」
「ひどいよ京子!!」
「…ら、おっさんより女か…。」いつきはチッといった。
「まあ、そうだろうな…しかし…有り得ん…」月島がこたえた。
いつきはニヤリとした。
「…むこうでの仕事、パーフェクトに完了よ。ざまあみれ。」
「その割には雨が止まんな。」
月島は不満そうに言った。
いつきは肩をすくめた。
「じゃ、おばあちゃんに頼んで翠さんに報告してもらう。そっちはあたしがやるからいいとして、…田中やんにきいたわ、陽介が姫に狙われてるんデショ。一応間一髪で我々救出に間に合ったんだけど、姫が出直してくるのは時間の問題ね。…至急、陽介を逃がしてほしいの。なんとかならない?…あいついやがるかもしれないけど、なんだったら親父さんに電話かけてくれてもいいわ。知り合いなんでしょ?…ユウのことは慎二さんにたのめばいいと思うし。」
月島は即答した。
「ひきうけよう。」
「まかせるけど…どうやる?」
「…表がダメなら裏道をいくしかあるまい。」
「…ハイキングロード?危ないんじゃない?」
「…問題ないとは言えんが…大丈夫だろう、シュウもいるようだし。」
「シュウが役に立つ?」
「…彼も少年時代にここに修行にかよってる。供物台近くから週1回走って来ていた。静ともおばあちゃんとも合わなかったから、じきにやめてしまったが。半年は来てたと思うぞ。」
「…供物台から走って…そりゃ心強いわ…」
背後ではこんどは目を覚ましたセイとシュウの再会劇となっている。二人はそれをちょっと見てからまた話した。
「きみは残るつもりか。」
「…まずおばあちゃんやユウにはどうしても話さないと。」
「きみがとっとと山をおりれば、雨も止むんじゃないのかね?」
月島は挑戦的に言った。
いつきはニヤリとした。
「…まあね。」
「これからおばあちゃんと話すなら、検討してみてくれ。」
「そうね、祭りも終わっちゃったからね。…じゃ、そこの美少年くん拾って、とっとと出て頂戴。失敗したら、この山吹っ飛ばしてやるから、心して行きなさいよね。」
「大きく出たな。」月島は鼻で笑った。「…はるきはどうする。連れて行っていいのか?のこすか?…彼は翠さんと話ができるぞ。」
「…」いつきは振り向いた。「…陽介といくでしょ?」
はるきは少し考えて言った。
「…必要であれば、残ります。」
「…。」
「…先輩には月島さんがいますよ。」
それを聞くと、いつきは顔をひんまげて笑った。
「…田中やんこき使うから、人手については心配しないで。…いや、あんたもはやく山おりたほうがいいよ。…翠さんに貸し出し中のご乱行の件で、多分この村で心証悪いはずだから。」
月島ははるきの顔を見た。はるきは少し硬い表情になり、月島に言った。
「いつきさんの言うことももっともです。…ついていきますが、いいですか?」
「…歓迎しよう。」
「きまったわね。」
いつきがシュウを見ると、シュウはうなづいた。
「ああ、いくよ。」
「まって、あたしも一緒に行くわ。」京子が言った。
すると、京子に、シュウは言った。
「京子、悪いんだが、セイのことをもう少しだけたのんでもいいかな。セイの足でハイキングロードは無理だ。迷惑かけてすまないが、道が開いてから、また車で送ってやってほしいんだけど…」
京子はしぶしぶ了承した。
シュウはセイに向き直ると言った。
「そうだ、セイ、印鑑あったぞ。ほら。」
そして、小さな巾着に入った印鑑をセイに手渡した。
「これでいいだろ。見つかってよかった。…じゃあな。」
「シュウ、」
「またあとでな、今忙しいから。…京子もな。あとで遊びに行くよ。」
セイの質問を遮って、シュウは立ち上がり、月島のもとへやってきた。
月島ははるきと陽介に、カードとパスポートだけ手渡した。
「荷物から出しといた。すぐとどけるつもりだったから。持って。…あとの荷物は送るから。」
はるきも陽介も、それをうけとって、大事にしまった。
「ようちゃんはあとは、刀だけで。はるきは何も持つんじゃないぞ。じゃあ、出よう。」
「いつき、おばあちゃんに宜しく言っておいてくれ。」
「ユウさんにも。学校で会いましょうって。」
「オッケー。…月島直人、頼んだわよ。」
いつきの声に送られて、4人は玄関とは逆の方向に向った。
いつきは田中に言った。
「…おばあちゃんとユウに会ってくる。」
「…その間に着替えとくよ。」
「ん。」
いつきは、玄関のほうへ歩き出した。




