34 ROAD2
「あはは、ごめんごめん、まよっちゃったね。やっとついた。」
「あはは、遠かったね。」
「やー見つかってよかった~。」
暗闇の3人組は陽気に盛り上がりながら、まっくらな通路の一角で立ち止まった。
随分さまよっていたのだが、何しろ時間感覚がまったくないので、どのくらいさまよっていたのか見当もつかないのだ。
「うん、ここにお母さんが帰るべき時間がある。…小さな兄たちが、仲良く遊びながら、母の帰りを首を長くしてまってる場所だ。まちがいない。」
この親子愛はなんとなく感動させられるものがあった。はるきは、心からよかったなあ、と思った。そう思うと、多少道にまよって時間をくったことぐらい、どうでもいい気がした。そしてそれはどうやらいつきも一緒だったのである。
「なんか手伝う?」
いつきが言うと、シュウは「それじゃあ…」と言った。
「…ビトウ君といつきちゃんで、祈ってくれる?」
「え、祈るの?」
「そう。」
はるきはちょっと当惑した。
「何に祈ればいいのかな…」
それを聞くと、シュウはぷっと笑った。
「何に、じゃなくて、何を、だろ。」
「いや、何に、です。」
「じゃあ、祈ったことないの?」
「はぁ、正式には、多分…。」
「…んー、正式も略式も関係ないけど…それはおいといて…。君が信じるもの、なんでもいいよ。」
「なんでもって…」
「何も信じてないの?」
「…超越者が善であるとは言い難いと思って。」
「あー。そういうこと。じゃあ…」
「…?」
「超越者に祈るんじゃなくて、確かにどこかにいる、善なるものに祈るってことでどう?」
「…なるほど。でもそんなのいるのかな。」
「いる、と仮定して祈ることはできるんじゃない?」
「それは、まあ。」
「じゃ、そうしよう。」
「わかりました。」
いつきが尋ねた。
「何を祈ればいい?」
「うん、母と、子供達が幸せになりますようにって祈ってくれる?」
「…そんな個人的な祈りを『善なるもの』がきいてくれるんですか?」
はるきが突っ込むと、シュウはまた噴き出した。
「…何がおかしいんですか。」
「じゃ、きみみたいな、善に対してさえ懐疑的な存在を、善なるものは悪とみなす?それこそが善?」
「…」
「…きみは階層の低い概念に縛られすぎだよ。それに言っただろ、祈る相手は何だっていいんだって。もしそうしたいなら、精霊とか、ご先祖とか、自分の中の神殿とかに祈ったっていいんだ。水守のおばあちゃんとか。静さんの霊とか。なんだっていいんだ。納得できないなら、俺の死んだひいばーさんにでも祈ってくれ。ひいばーさんならかわいい孫とひ孫のために心をくだいてくれるはずだ。そうだろ。」
「…どうして相手はなんでもいいんですか?」
「さあ。でも経験から言ってるんだよ。」
シュウは本当に軽い調子でそれを言った。
それでも、はるきは聞き入れてみようかな、という気になった。
シュウが母親を愛している様子が、はるきの心に何かを投じたからだった。
そうなのだ。はるきは、自分の母親を、シュウがそうするほどには多分大切にしていない。多分、いつきも。はるきの兄弟で母を一番愛しているのは、長男の一輝だと思うが、それにしたって、あんなに丁寧に扱いはしない。
だから、驚いたのだ。
職人の仕事の美しさに感動するように、シュウの母への所作の美しさに感動したのだ。
家族愛もアートなんだな、とはるきは思った。
シュウははるきの持っていないものを持っている人間だ。だからいうことを聞いてみようという気になった。はるきの受け入れ難いものの中に、多分アートの神髄があるのだろう、と思ったから。
「…変なことを言ってすみません。やってみます。」
「うん、ありがとう。…いつきちゃんも頼むよ。」
「オッケー。」
「じゃ、はじめてくれ。」
いつきとはるきがお祈り文句として家族の幸せを心で唱えはじめると、驚いたことに暗闇がみるみる明るくなった。はるきは驚いた。
「ビトウくん、やめないで続けて。」
はるきは慌てて続けた。祈りの文句がおわってしまったら、同じ文句を心のなかでくりかえし唱えた。
「よしっ!」
いつきとはるきが目をあけると、気絶し横たわった格好のままのお母さんが、いつきとはるきのつくった祈りの光のなかに浮かび上がり、ゆっくりと上へのぼっていくところだった。それはまるで、祝福された善人が、天に召される様のようにさえ見えた。シュウは嬉しそうに、満足げにそれを見送っていた。
「…ああ、きれい…」いつきがつぶやいた。
「…美しいですね…。」はるきも静かにうなづいた。
やがてお母さんは天に吸い込まれて消え、光もそれと同時に消えた。
「やあ、ありがとうありがとう、助かったよ。母を上にぶんなげるのはやっぱり心配だったからねえ。でも、お祈り、うまいじゃない、とくにいつきちゃん。」
「だってあたし水守神社で修行してるんだもーん。」
「えー、そうだったのかあ。どおりで。…ビトウ君もはじめてにしちゃ筋がいいよ。」
「…そうですか。」
「うん。祈りの力ってすごいだろう。どんどん使うことだね。」
「…そうですね。」
はるきはうなづいた。
…妙に体が軽く、体調がよくなっていることに気がついた。
「あれ、なんだか、体が軽いや…。浮かび上がりそうだ。」
半分は夢みたいなもんだ、と思っていたので、はるきはその奇妙な心地よさを気楽に楽しんだ。
「ああ、『ほんとうにいいこと』をするとそうなるんだよ。」
シュウはのんびり言った。
「『ほんとうにいいこと』…?それはなんですか?」
はるきが尋ねると、シュウは困ったように肩をすくめた。
「まあ、軽くなってふわふわ幸せになるようなことのことだよ。…ははは、答になってないね。うまく説明できないよ。」
シュウが歩き出したので、二人はそれに続いた。
シュウが言った。
「…まっ、しょせん『うまく説明できること』なんて、言語レベルの概念でしかないよ。それを大きく超えていることだって、あるんじゃない?…言語の上に胡座をかいて、傲慢になってはいけないと思うんだ。」
はるきは、京子がなぜシュウを好きになったか、わかる気がした。
+++
「ところで、次はどこへいくの?」
「うん、あとは根だね。ほかは想像以上にうまくいったよ。根の始末がある程度ついたら、あとは君たちを外に返して、それで組み紐を組みなおせば終りだ。」
「組み紐って、あのレリーフ、今はちゃんとほどけてるんですか。」
「うん、きえてるはずだよ。」
「…ねえ、ちょっと思ったんだけど…おかあさんは呪いをする暇なく、おうちにかえったわけじゃない?」
「うん、そうだね。」
「…もしかして、現段階で、月島家の御両親が生き返ったりとかは…」
いつきがそういうのをきいて、はるきはそうそう、と思った。
「僕も、もしかしてって思ってました。」
シュウは少し首をひねった。
「うん…それはどうなるか断言できないけれど、俺の予想は…多分別の修正が施されたかもしれないなあってとこかな…」
「別の修正?」
「…そう。言っただろ、藻の浮島が壊れないように、守護者がとりかこんでいるって。…小さな修正は日常的になされているよ、今回みたいに特別ひどいことになっていない限りはね…。
子供のころの思い出を話しをしたら、夢でも見たんだろって笑われたことない?自分一人だけ記憶が違っていたり。」
いつきが考え込んでいるうちに、はるきは答えた。
「ありますね。」
「…一概には言えないけど、そういうものの中には、修正の痕跡の例もまざってるんだ。一番小さい子供の記憶は、いろいろ障害がでると困るから、ほったらかしにすることもある。他を全部かえてしまえば、子供の勘違いですむから。」
「…なるほど…。」
「…修正はなるべく大きく現実がかわらないようになされるんだ。もし月島家の両親が生き返ってしまったら、多分直人さんはまったく別の人格になってしまうだろう。」
「…でも…、月島家の両親が生きていれば、月島さんはもっと幸せになれたんじゃない?」
「…じゃ、向うにかえったら、直人さんにきいてごらん。」
「何を?」
「もし、可能なら、御両親をかえしてもらって人生をやり直したいか、って。」
「…」
シュウはニコニコした。
「…彼の存在はひとつの奇跡だ。誰でも多かれ少なかれそうなんだけど…でも彼は格別だよ。」
「…あんな間違えまくった意識の持ち主が??」
いつきが顔をしかめて言うと、シュウはほがらかに大笑いした。
「…まあいいたいことは分かるけど、俺と君二人が全てってわけでもないからね。」
3人はしばらく歩き回ったが、また迷ってしまった。
「…ね、シュウ、迷ってるよね、あたしたち。」
「うん、迷ってるね。」
「お祈りしてみるのはどうかな。」
いつきの提案にシュウはうなづいた。
「それは良い考え。…『根の大もとの近くへつれていってください』って3人で祈ってみよう。」
3人が歩きながら祈りだすと、またさきほどとはちがった光が発せられ始めた。その光りがだんだんと大きくなり、その一部がころんと丸くなって、ちいさな光の球体となった。ちょうど、いつきがつくる明かりのような感じだった。
「あ、案内してくれてるみたい。」
「よかった。行こう。ついていけばいい。」
3人はふわふわと進む光りの球を追いかけて、歩き出した。
どれくらい歩いただろうか。はるきが言った。
「…下ってますね。」
シュウが同意した。
「うん、下ってるね。」
それから道はどんどん下り始めた。
圧迫感や息苦しさなどはとくにないのだが、下って行くのはあまり気味の良いものではなかった。
けれども光はふわふわと、3人を下へ下へとつれていくのだった。
3人は祈りながらついていくしかなかった。
いつのまにか祈りに「お守り下さい」の一文が混ざっていた。
やがて、いつきが「ウーン」と言った。
「どうしたんですか。」
はるきが聞くと、いつきは言った。
「腕が痛い。…近いぞ。」
シュウがたずねた。
「その腕は、なんなの。」
「ううん、ま、呪いの痕跡よ。センサーにしてるけど。」
「…うちの親兄弟がやっちゃったんです。」
「…きみたち深い仲だったんだね。」
「…深いというか、まあ、複雑な仲です。」
「へええ。しかし、痕跡って…影響はそんなになかったってことなの?」
「…まあ、当時は大変だったけど、今は別にひどくないわ。雨がふったら痛む古傷みたいに、気配や心配に痛んだりするだけ。」
「気配って何の?」
「…逆さの木よ。」
「…なるほど、君たちは、あの木の縁の者なんだ。それで集まったんだ?」
「うん。」
「そうみたいです。」
「…それならこの深さもうなづける…。僕ら山の縁の者だけでは、ここまでは多分下りてこられなかっただろう。…ここはもう、山の圏内を外れてしまっているよ。」
はるきはそれを聞いて、立ち止まった。
…恐怖で足が動かなくなった。
異変にきづいて二人も立ち止まった。
「ビトウくん、どうした?」
「…ここ…」
そこまで言ったが、口ももう動かなかった。
金縛りにでもあったような有り様だ。
光が急速に暗くなった。
いつきが引き返して来た。
はるきの肩に手をのせる。
「…汗びっしょりだね。少し休む?」
はるきは力なく首を振った。イヤな臭いの唾液がわいてくる。
「…どうしたの?」
いつきが小声で尋ねた。
はるきはただもう、帰りたいと思った。これ以上進むのは、自分には無理だという気がした。
「…怖がってるね。何か見える?」
シュウが尋ねた。はるきは首をふるばかりだった。
いつきがシュウを振り返った。
「…尾藤くんは以前、奴と対面してるんだ。無理もないよ。これ以上はダメだと思う。」
「奴?」
「…尾藤くんをカミサマ不信にした張本人さ。」
事情を知ると、シュウはあっさり言った。
「…じゃ。少し引き返そう。もうここだってだいぶ核心の近くだし、今回の作業の要点は、山の下に伸びた根をちょっとぶつぶつと断ち切るってだけのことだから。」
いつきはうなづいた。
「そうね。そうしましょう。…尾藤くん、少し引き返そ。それならいいでしょ?」
はるきはうなづいた。
「…あかり、いっぱいつけるからね。」
いつきはこぶしをひらいて光の球を次々とつくった。そして、足下を明るくした。
「ほら、大丈夫。いこう。」
はるきの手をとって、歩き出した。
引き返すのだが、いっこうに昇っている感じがしなかった。
ただ、下っている感じももうしない。それが救いだった。
しばらく引き返すと、シュウが言った。
「…このへんはポイントだね。根が通ってるみたいだ。」
「じゃ、やりましょうか。」
3人は立ちどまった。シュウが、二人をつぎつぎ投げ上げた。墜落感はなかったが、なにかをズボっと突き抜けて、上の層に出た。最後にシュウが飛び込んで来た。
…罠か?とはるきは思った。
そこは、太い根が一面にのたくっている…そしてはるか向うには海が…
「…黎明の海岸…」
はるきが震えながらつぶやくと、いつきはあたりを見回した。
「…尾藤くん、おちついて。海はないから。よくみて。怖がらないで。」
そう言われて、よくよく見直すと、たしかに根が一面にひろがってはいたが、むしろ山の中の風景に近かった。
ほっとして、どっと汗が出た。
シュウが言った。
「…いつきちゃん、ここは、ウィリアムとも来たところじゃないかな。」
「そうね、この根っこ…。むこうに大木が道をふさいでいるところがあるんじゃないかな。」
「行こう。」
はるきはいつきに手をひっぱられたが、足が動かなかった。
いつきはふりむいた。
すると、シュウもふりむいて、引き返して来た。
「ああ、…ちょっとまって。」
シュウはそういうと、両手をはるきの肩に載せ、言った。
「目をとじて。」
はるきは言われるままに目を閉じた。
すると驚いたことに、シュウのほうからなにかやわらかいかたまりが押し寄せて来て、あっと思う間もなく、それが胃の上あたりに染み込んできた。
「目をあけて。もう大丈夫。」
はるきは目をひらいた。
シュウがはるきの胸に手をあてていた。癒しの手だった。いつきがやってくれたのと似ていた。
はるきは落ち着きをとりもどしていた。胸のあたりがあたたかくなっている。
「よし、行こう。」
今度は足が動いた。
しばらく歩くと、巨木の前に出た。3人は立ち止まった。
「…つまりこれは、根、なのね。」
「うん。」
シュウはのどかにうなづいた。
「…どうします?」
はるきが口ごもりながら尋ねた。
「…どうってそりゃあ…」
いつきは息を吸った。
+++
夜が開けて、焚き火を始末して、月島のもってきてくれた食料を開封して朝食、慎二が調達して来たパンを食べて昼食。それから2時間。
ついにユウは呟いた。
「…ほんとうにまずいわ。」
「…ユウさん、少なくとも、ユウさんは帰ったほうがいいわ。いくらなんでももう宵宮の準備に入らないと…。」
京子が心配そうに言った。
ユウはううん、と唸った。
「でも、連中がでてきたらここをふさがないと…。」
「ふさぐのなんてヤノ明後日でもいいわ。いつ帰ってくるかわからないわよ。」
「…でて来られずにいるなら助けてあげないと…」
「だって、仕方ないですよ、お祭り、もう今日なんだもの…。」
「…」
ユウも慎二も考えこんだ。
勿論祭りは大切だが、もし何かが起こっていて帰ってこられずにいるのなら、…ユウ以外に、いや、姫以外に、手をうつのは無理だ。
見捨ててしまうわけにはいかなかった。
ここ一番のときに、ユウが不在では話にならない。
祭も、ここも。
慎二が口をひらいた。
「ユウさんは一度神社に戻ったら、祭が終わるまでここには戻れないですね。」
ユウはうなづいた。
「…そうね。」
「…無理矢理引き戻してみませんか。一度。」
「…もう作業終わってるかしら。」
「少なくとも、臭いは消えています。」
「…そうね。」
ユウは同意した。
「…京子さん、わたし、いつきたちを一度無理矢理呼び出してみようと思います。」
京子はうなづいた。
「…そうですね。」
ユウは慎二を振り返った。
「…じゃあ慎二さん、万が一のときはあとを頼みます。」
「わかりました。」
ユウは水盤で手をあらって口をすすいだ。
ポケットに入れていたハンカチで少し口をぬぐい、潅木の茂みのほうへ歩いていった。
慎二と京子がその後ろ姿を見守っていると、柏手が鳴って、いつも話すときの声とは違う、朗々としたユウの声がした。祝詞をあげているのだ。
周囲の空気がだんだん張り詰めて来た。なにかの密度か、なにかの周波数なのか、とにかくなにかが高まっているらしかった。ぴきぴき、と木々がきしみ始める。
声が止んだ。
終わったというわけではないようだった。ユウのきれいなうなじが、なにかひそひそ話をするように小さく揺れている。
二人が息をつめて見守っていると、突然ユウはくるっとふりかえって、すたすたと二人のほうに歩いて来た。
「…慎二、ユウに言うがよい。社に帰ってするべきをせよと。ここにいてもわらわは手伝わぬぞえ。」
慎二は驚いた。
「姫、それは…!」
「あのものたちにすっかり任せるがよい。…ひねり潰したいところじゃが、まあ、屋敷がよい具合になったゆえ、大目にみようぞ。それに、よい時期じゃ。ちかごろ重過ぎたからの。」
「ですが…!」
「…わらわも帰る。…まあ、これからもユウの呼び声に答えようぞ。それ、受け取れ。」
そこまで言うと、ユウはふらりと崩れた。慎二はあわてて、抱きささえた。
「…」
「…」
京子の額を汗が流れた。
「…慎二さん、シュウのこと、きいてくれても…」
「あっ!…も、申し訳ありません!!」
「シュウは山のひとなんだから…」
「す、すみません…気が回らず…」
京子が責めていると、供物台のほうで、うう、とうなり声がした。
「ん…?どうしたんだ、ここはどこだ?」
二人は驚愕してふりかえった。
セイが起き上がっているではないか。
「セ…セイさんダメ! おりないで!!」
京子があわててとめたが、セイは聞き入れず、不機嫌そうに供物台をおりてしまった。
「なんだ、これは。ここはどこだ。」
「…まずいな。」
慎二はユウを草地に横たえると、大股で供物台に近付き、天板の裏に触った。
「…閉じた。結んでいる。」
京子も慎二も青ざめた。セイだけは執拗に傲慢な態度で同じ質問をくりかえしている。
「おいっ、ここは供物台じゃないか、あんたら、俺をどうしたんだ、俺はなんでここにいるんだ、ええっ、返事をしろ。」
京子は鋭く鼻息を吐くと、くるっとセイのほうを見た。
「…あんたね、昨日からそこに寝ているの。行方不明の兄貴が夢枕にたったと大騒ぎして、あたしのところへ来たのよ。何も覚えていないの?」
「…そういえば…だが、あんたと山を登り始めて…ここに辿り着いた記憶がないぞ。だいいちシュウを探すなら、村跡へいくはずだ。」
ぎゃいのぎゃいのと理屈が続いて、慎二も京子もいらいらした。慎二はセイを無視して、京子に言った。
「…京子さん、ここにいても仕方がない。我々じゃ何もできません。僕はユウさんを連れてとりあえず神社へ戻ります。あなたはどうしますか。」
「…わたしも神社へ行きたいけど、お店に一度戻らなくちゃ…。」
「おくりますよ。」
「駄目よ。急いで戻って。私のことは気にしないで。わたしは車があるから、神社へは自分の車でいくわ。大丈夫、わたし、ここから下りるの、慣れているから早いの。少し遅れるけど、お祭りに必ず行きますから。」
「…あれ、どうします?」
まだ同じ質問をくりかえしているセイを二人は見た。
「…放っときたいけど、シュウがまた夢枕にたつかもしれないわ。…いいわ、あたしが引き受けます。廃村にも寄りたがっているみたいだし。」
「せめて廃村まで御一緒しましょう。」
「そうね。」
京子は有無を言わさぬ声でセイに言った。
「…セイさん、あんた廃村にいきたいの、いきたくないの、こんなところであたしたちに夜明かしさせて、よく恥ずかしくないわね?!」
急に逆切れされて目を白黒させるセイを尻目に、慎二はテントをてきぱきかたづけた。
「…京子さん、わたしはユウさんを運ぶので、コンテナとテントをもってきてくれませんか。」
「わかったわ。…さあ、あんたもいくのよ。」
「まてっ、その子は一体どうしたんだ…」
「あんたには関係ないわよ!」
慎二がユウを抱えて歩きだすと、京子もすぐ荷物をさげて跡に続いた。わけがほからず、セイもついてきた。
荷物をつみこむと、慎二は京子に軽く挨拶をして、すぐに車を出した。慎二らしからぬ、すごいスピードで走り去った。
+++
車が止まった音がした。
田中がそっと耳をすました。
「…帰ってきたみたいだ。慎二さんの車の音です。」
「ええっ!」
陽介はほとんど悲鳴のような声で確認した。
「ほんとですか?!」
田中も陽介も一睡もしていない。食事もどこに入ったかわからないような状態だった。いつき達がたってから一日半が過ぎていた。
「いこう。」
二人は立ち上がって玄関へ急いだ。
ついてみると、ちょうど慎二が戸をあけたところだった。
「慎二さん…あっ!」
陽介は抱えられているユウを見て青ざめた。
「ユウちゃんどうしたの?!」
田中がたずねながら、ユウをうけとった。慎二は靴を脱ぎ、再び田中からユウを受け取ると、言った。
「…ユウさんは得に心配いりません。じきに目をさますでしょう。」
そして、さっと歩き出した。
「…あれ、はるきといつきは?」
陽介が尋ねると、慎二は振り返った。
「…今から話します。おばあちゃんを呼んできて下さい。ユウさんを寝かせて、奥で待ちます。」
そしてまたさっさっと歩き出した。陽介はぎりっ、と歯を噛み締めた。2人に何かあったら俺の責任なんじゃないか?と思った。
すると田中が陽介の肩に手を載せた。
「…力、抜きなよ。まあ気持ちはわかるけど…でも僕としてはちょっと見てみたい気も…。」
「…そっちはそっちですよ。…はるきたちになんかあったら俺、四方八方から矢ぶすまだから。…田中さんはるきの家族の恐ろしさをしらないから…いつきんちだって…」
「なんだ。そっちか。…そっちは、ま、大丈夫だよ。気楽に気楽に。」
何を根拠に請け合ってるんだこいつ、と陽介は思ったが、慰めてくれてるのだから大人しくしようと思い、黙った。
「…おばあちゃん僕が呼んでくるよ。久鹿くんは先に行ってて。」
「はぁい。」
陽介が奥の部屋につくと、間もなく慎二が独りでやってきた。それから少しして、田中がおばあちゃんとやって来た。
「どうなさいました。」
慎二は手短かに、京子とセイの話をした。それから、はるきといつきがことにあたっていることを話した。
「…時間がなくなってきたので、先ほど二人を呼び戻してもらおうと、ユウさんが姫を呼び出したのですが、姫は助けないとおっしゃって、ユウさんを置き去りに…。ユウさんは気を失っているので部屋で寝ています。そのときセイさんが正気づいてしまって、…」
「…閉じてしまいましたか。」
慎二はうなづいた。
「二人はまだ戻っていません。…骨はうまく向うへ帰りました。」
陽介の緊張をよそに、おばあちゃんはため息一つつかず、うんうんとうなづいた。
「あいわかりました。まずはユウを起こしましょう。」
おばあちゃんがスッとたってとことこ歩き出したので、陽介たちもあとを追った。
ユウの部屋に辿り着くと、おばあちゃんは襖のこっちから、
「これ、ユウ、いつまでねとる。」
と言った。
すると、少しして、襖がひらいた。
「あ、お婆。」
「慎二さんに運ばして。謝れ。」
「えーっ、キャー慎二さんごめんなさい!!」
「ユウさん…大丈夫ですね、よかった。いいんですよ、ユウさんが無事なら、それで…。」
慎二はほっとした様子で言った。
陽介はそれをみて、急にムカーッとした。
まちがいなくこいつらは、骨のけりがついて、ユウさえ無事ならあとのことはどうでもいいと思っているのだ、と感じた。
「…おい、いつきとはるき、どうしたんだよ。」
「…久鹿くん、さっききいたでしょ。」
田中が小声で制した。
ユウが言った。
「…な…なんとかするわよ…」
「おまえが請け合ったんだぜ、翠さんがいなくても姫がいれば大丈夫だって、あたしがやるって! どうしてくれるんだよ!」
「久鹿君、ユウちゃんだって好きでこうなったんじゃないんだから…」
「…ぼっちゃん」
おばあちゃんが口をはさんだ。
「ぼっちゃんのおっしゃることはもっともです。いつきとはるきさんのことは、責任をもってなんとかいたします。ですから、あいすみませんが、宵宮の開始がちかづいておりますゆえ、今は御容赦ください。」
「!」
おばあちゃんまでこれだった。こいつら…と陽介は思った。
「…ユウ、いそいで子供達のところへお行き。」
「その前に水あびてくるわ。着替えなくちゃ。」
「ああ、そうしな。…慎二さんもそろそろ準備に。」
「はい。」
廊下の一角に田中と、怒り心頭の陽介を残して、3人は行ってしまった。
「…あいつら…」
「…久鹿君、ちょっと来て。」
「…あんたもはるきたちのことどうでもいいと思ってるんだろ?」
「久鹿君。落ち着いて。いいから、ちょっとおいで。」
田中は陽介においでおいですると、自分の部屋に連れていった。
「…まあ、ヨソモノだから、しょうがないよ。いつきちゃんは実質、舞をすっぽかしたわけだしね、はるきくんの件では大騒ぎだったし。みんな内心面白くはないんだよ。でも、…なんていうか、僕は正直、姫とやらが手を引くなら、あいつらが出口で頑張ってても、なにも解決しなかったと思うんだよね。祭が滞らずできるぶん、かえってきて正解だよ。」
「…」
「…とても食事の気分じゃないね。栄養剤でものもうか。」
「…」
田中は押し入れの茶櫃から栄養剤の袋をだし、水をくんで陽介に差し出した。陽介は大人しくそれを飲み、田中もそれにならった。
「…それに、セイさんとやらの夢枕の話。あれは希望あるよ。セイを呼びつけてシュウが活動していたなら、なんとかうまいほうへもっていけるかもしれない。期待していいと思うんだ。信じて待とう。…山の連中は信じられなくても、いつきちゃんは信じられるだろ。はるきくんのことはちゃんといつきちゃんが見てくれるよ。」
それもそうだ、と思った。いつきなら殺しても死なない。
「それにユウさんも帰って来たし、…免れたじゃない。」
「…そうですね。」
「…ちょっと残念?」
「とんでもない。」
田中はあははと笑った。
「…寒くなる前に僕らも水浴びしようか。着替えるだろ?…静さんの着物、きればいい。僕のがあるよ。」
「…そうですね。」
陽介はため息をついた。
…はるきといつきの無事を祈った。
+++
水浴びを終えて着替えると、また車がやってきた。祭の関係者が集まり初めていたので、殊更気にする者もなかったが、その猛然とやってきたかわいい小型車は、やはり猛然とした京子と何か興奮気味のセイとを両側のドアから吐き出した。
「ごめんください、ウィズリーです。入りますね。」
京子は玄関口でそう叫ぶと、セイをひきずって決然と中に上がって来た。
「おおい、だれかいませんかー!」
…大胆不敵である。
セイは水守の社とあって、急に静かになった。
「はーい?」
いつもより少しオシャレめなつむぎの着物をきた田中が廊下に顔を出すと、京子は靴下ばきの足でどかどか近寄って来た。
「田中さんでしたよね?!」
「はい、そうですよ。」
「京子さん!」
声を聞き付けて、陽介も顔をだした。
田中の部屋に、京子とセイは招き入れられた。
京子は陽介の顔をみるなり、「ごめんねっ!」と言った。
「…わたしそばでみていたのに、何もできなかったの…ごめんね…」
京子が陽介の手をにぎって泣き出さんばかりなので、陽介は慌てて言った。
「話を聞く限り、何一つ京子さんのせいではないですよ。」
「ううん、せめていつきちゃんはあたしがとめるべきだったのよ、何かたべさせるとか、なんかすればよかったのよ。いつきちゃん、女の子なのに、どうしよう…」
「あー、大丈夫ですよ、…あいつ普通の女子じゃないから…いやその、人並みはずれて頑丈だから。」
陽介は言いながら、まっ、そうだわな、ともう一度自分でも思った。
京子はそれで少し落ち着いたのか、さきほど慎二が端折ったぶんも含めて、いきさつの全てを二人に話した。
「…なるほど、そうだったんですね。臭いは消えたんですね。」
「…静さんの手が呼んだのか…。」
「じゃあきっと、静さんが見守っててくれますよ。なまじの霊なんかに負けないから、大丈夫ですよ。」
田中がニコニコ言った。
「…ごめんなさい、わたしあんなこと初めてで、動顛してしまって…供物台なんてわたしにとっては、子供のころからの遊び場なんですよ?それが、あんなことがおこるなんて…。今でも信じられません。」
「あっ、水のみますか?」
「…そうですね、ありますか。」
「はいはい、水だけはたくさんありますよお。」
田中は京子に水をくんでやった。ついでにセイにもだしてやったが、セイは憮然と無視した。
うっかりセイに話をふった田中はセイのわからずやぶりにたじたじになり、結局口を閉じた。
陽介は、なるほど、これがここいらの男の標準形か、と京子の店の近くで聞いた話をいまさらながらにいろいろ思い出した。
「…京子さん、じゃあ、供物台で夜明かししたんですか?」
「うん。」
「俺らもねてないけど、京子さんもお疲れでしょ。少しやすみませんか。…あの、よかったら、俺の部屋あいてますから…まあ、たまに変な夢みるけど…」
京子はそれを聞いて、キラリと目を光らせた。
「…変な夢?変な夢をみる部屋なの?」
「え…あ、稀にですけどね…」
「その部屋にこいつを寝かすのよ!」
陽介も田中もびっくりした。
「は…?」
「シュウから連絡がはいるかもしれないわ!」
「あ…なるほど…」
そこで、セイが陽介の部屋でやすみ、京子が田中の部屋で、陽介たちと休むことになった。 田中が、セイのためにお茶をもらってきますといって出て行き、少ししてお茶…かなんか…を持ってもどり、それを飲ませると、セイはあっという間に眠りこんだ。誰も、あえて何をのませたかは聞かなかった。
横になって目を閉じた京子に毛布をかけてやり、田中と陽介はそのかたわらでひそひそ話した。
少したつと、藍がえっちらおっちらやってきた。
「田中センセイ、暇なら兄貴を手伝ってやってくれません?」
田中は了承した。
陽介は有無を言わさず、藍に連れて行かれた。




