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Till you die.  作者: 一倉弓乃
33/41

32 TABLE

 翌朝は、朝霧が立ちこめていた。

 食事を早めに終え、いつきとはるき、陽介、田中は境内に集まった。

「…寒いな、今日は。」

「…走るのには丁度いいよ。」

 陽介の呟きに田中が呟きでこたえたとおり、ただ立っていると鳥肌が立ってくるような寒さだった。

「…ユウさんまだかな?」

 はるきは言った。いつきが答えた。

「くるはずなんだけどね。どうしたのかな。」

 はるきといつきは寒暖に強い。震えだしそうな田中や陽介とはまったく違い、いつもどおりだった。肩幅に足をひらいたり腕を組んだりして、二人とも厚かましいほど堂々たる立ち姿だった。

 少ししてようやく、ユウが現れた。いつきと同じ、学校のジャージを着ている。似合わないのは御愛嬌だ。

「おまたせ。昨日連絡しておいたら、慎二さんが来てくれたんだ。今、表についたとこよ。」

「えっ、…大丈夫なのかよ。」

 陽介がとがめるように言ったが、ユウは無視した。

「…で、誰と誰が一緒に行くんだっけ?」

 ユウはいつきに訊ねた。いつきは陽介を見た。陽介は答えた。

「いつきがついてってくれれば大丈夫だと思うが、むこうが指定して来たメンツにははるきもはいってたから、…はるきも行くだろ?」

「行ったほうがいいでしょうね。」

「じゃ、寒がり二人で留守番しててね。」

 いつきの言い様に陽介はカチンときて、一言文句を言った。

「おめーくれぐれも繊細な心遣いを忘れずに仕事にあたれよな。」

「ほーっほっほ、まかせなさい。」

 いつきは自信満々で答えた。疑いのまなざしで、はるきはいつきを盗み見た。

 ユウが言った。

「いつきと尾藤君ね。わかったわさ。じゃ、いこ。でも大丈夫、走らなくていいわよ。慎二さんに車まわしてもらうから。」

「車で行けるんですか?」

「一回山をおりて、ぐるっとまわって、昔の村あとに続く道からまた上がるのよ。そのほうが早いの。」

「へえ、そりゃ有り難いや。」

「じゃ気をつけて行って来い。」

「あんたも精々留守番の間に筋トレでもしてな。」

「うるせーよ。」

 吐き出すようなうるせーよが出たところで、いつきはニヤリと笑い、集団は二つに別れた。

 いつきたちが出かけたあと、陽介は田中と屋敷の中へ引き返した。

「…まあ、あのメンツなら大丈夫、うまくやるでしょう。」

「姉姉弟ですからね。」

「おっとり大尽、大姉御、スーパー姉、超絶弟だから。」

「ちげえねえや。…あー寒っ。」

「寒いねえ。戻ったら火鉢借りようか。」

「や、炭もったいねーから。なんか重ね着しますよ。」

「じゃせめてお湯でももらってこよう。真夏なのにこの寒さはつらい。」

 二人は靴を黙って脱ぎながら、少し考えた。

 …考えてみれば、二人にとってはしばらく空き時間となったのだった。

 田中が言った。

「…お祭りの手伝いしよっか。」

 陽介は昨日の藍を思い出して、眉をひそめた。

「えー、俺やだな。ガキの面倒見させられるし。」

「じゃ、飾り付け行く?灯籠の手入れとか、会場設営とか、いろいろあるんだよ。おばさん達に手伝えることがないかきこう。」

 陽介は不審そうに田中を見た。

「田中さん急に働き者…」

「…や、なんか静さんが見ているような気がして…。」

 田中はひそひそ答えた。陽介が顔を見ると、ちょっと頭を掻いた。

「…静さんはいつも、お祭りの準備は熱心だったから。」

 …まだラブラブかよ、あんたは…

 陽介は思わずそう呆れそうになったが、別に批難するほどのことでもないかと思って、やめた。陽介自身だって人間関係に不器用なせいで、ときどき他人から見たら馬鹿、という点ではかわりない。

 気が進まないながらも田中についていこうとしたとき、来客の気配があった。玄関に戻ってみると、田中よけの免罪符みたいな人物が来訪していた。

「やあ。…お祭りの準備のほうは順調かな。」

「あ、月島さん!」

 陽介はにこにこ駆け寄り、田中はさっと姿を消した。

 田中が消えたのを確認してから、月島は陽介の頭をなでなでした。陽介はだまってにこにこ撫でられてから、ちょっと可愛く小首など傾げて言った。

「…お仕事はいいんですか。」

「いや、午後からは戻るよ。昨日遅く出張に出されてね、もう済んだから帰って来たけど、庁舎には3時半までに戻ればいいんだ。2時頃に出れば充分。」

「…一時間半でドームまで…?それは…」

 山からの距離だけでなく、ドームの中の移動時間を考えると、かなりとばすことになる。

「だいじょーぶだいじょーぶ。いつものことだから。」

 月島は陽介の背中をぽんぽんと叩いた。

「…具合はどう?へばってないかい?」

「大丈夫です。…昨日、はるきから翠さんが抜けたんです。」

「…じゃあ、上手くいったんだね。」

「…いえ、だめだったんです。」

 月島は眉をひそめた。

「それでどうして抜けるんだ?」

「はるきが拒んだので。」

「拒んだ?ほう、彼はなかなか骨があるようだな。」月島は感心して言った。「…それで…どこにお出かけだね、彼らは。」

「…その仕事を果たしに。」

「…」

 月島は難しい顔になった。

「…どうして彼に任せない?」

「…」

 陽介は少し悩んだが、すぐに決断して、月島を引っぱって、自分の滞在している部屋に連れていった。座布団を出して勧めると、月島は勧められるままに座った。

「…翠さんに変事がおこって、…怒りの状態になってまってまして。」

「大将が怒ったって?何で。」

 陽介はさすがに本当のことを言う勇気がなかったので、曖昧に肩をすくめて誤魔化した。

「…ユウさんが姫を呼び出して相談したところ、体をとりあげたほうがいい、と。…姫が続きを。」

 月島は少し長く沈黙した。そして言った。

「…姫の御意志であれば、俺は逆らえん。だが、姫は大将以上に扱いにくいぞ。」

「…大将が反転している状態であれば、姫も反転していると…」

「…陽ちゃん。」月島は陽介を手をあげて制した。「…コップに水を8分目。中に大さじ3つの泥をまぜる。かき混ぜた後、しばらくほっとくと、泥は下に沈み、水は上で澄む。これはいいね?」

「はい。」

「…それをまたかき混ぜると、上澄みがにごる。」

「はぁ。」

「…泥は?」

「…まざる。」

「…下のほうは澄んでいるかね?」

「…」

 陽介はうっ、と思った。

「…ユウさんが言ったので、間に受けました。」

「うん、まあ、あのコはいつも万事君にとって予想外だからな。」

「え…どういう意味ですか。」

 月島はそれには答えず、言った。

「まあ、そういうことで決行となったのであれば、それはそれで仕方がない。…で、きみは待機かい。」

「はぁ、寒がりは留守番だそうです。」

「違いない。」月島はクスッと笑って陽介の頭をぐりぐりなでた。「まあ、おかげで儲けたな。…子供たちの舞の仕上がりを見に行こうか。ユウちゃんがいなくても藍ちゃんがいるだろう?」

「…」陽介はいやだった。

「…なんだい、いやなの?」

「…だって俺江面の妹なんか苦手で…。」

「あー、大丈夫大丈夫、もう前日だから、祝いあげに入ってるサ。いままでみたこともない藍の笑顔がみられるとも。さあいこう。大丈夫、ついててあげるから。こわくないよ。」

 陽介は口を尖らせた。

「別に怖くはないですけど…。」

「じゃいいだろう。いこう。」

 月島は立ち上がり、陽介をずるずると引っぱって、部屋を出た。

+++


「あら、直人おじさん。またサボり?」

「いや、時間を経済したんだ。」

「やだぁ、そういうのをサボりっていうのよ。」

「口汚くしていると、うまれる子供の容姿に障りがあるぞ?」

「あたしであれ誰であれ気軽に呪うと痛い目みるわよ。」

「はっはっは、違いない。」

 二人はぽんぽんと軽くやり合った。

 藍は陽介に目をうつして言った。

「あら、ようちゃんだわ。直人おじさんのかげにかくれて。みえなかったわ。」おかしそうにそう言うと、藍はクスクス笑った。「全然かわらないのねえ。」

 月島は陽介をひっぱり出して言った。

「…そんなことはない。男の子ナメてると後が怖いぞ。」

「そうねえ、ようちゃんは帰ったあとが怖いのよねえ。何年も祟るからねえ。」

 陽介は俺は座敷ワラシかよと思ったが、ただ眉をひそめただけで黙っていた。すると、月島が陽介をこづいた。

「…黙ってないでなんか言ってやれ。」

「…なんかって…」陽介は顔をしかめた。「…舞の仕上がりはどうですか?」

 その社交辞令を聞くと、藍はコロコロと笑った。

「やだ、敬語なんかつかわなくていいのよ。」

 月島が反撃した。

「藍、いい加減にしろ。」

「あら何怒ってるの直人おじさん。男の子ってこうやってからかってやると、すごくデレデレ喜ぶのよ?サービスじゃない、サービス。」

「…子供の父親がどういうタイプか見えた気がするよ。」

「兄貴に似てるわよ。話しやすいの。」

 藍はフンと笑ってそう言った。

 …陽気なおばかさんなのよ。

 …そう省略した声が、陽介と月島の耳には、ありありと聞こえた気がした。

 結婚を拒まれた理由も、藍がこんな娘だからというのがおおいにありそうに思えた。

「…もう練習は終わりか?」

「今日は本物の扇と鈴を使って一回だけ通すわ。それでおしまい。あとは子供達は明日の為にお菓子食べさせて休ませるの。」

「じゃ、みててもいいかな。」

「勿論。…あ、ようちゃん、押し入れに扇と鈴がはいっているの。出してくれない?赤っぽい色の箱よ。左の隅のほうにあるわ。…直人おじさん、御簾をあげてくれる?」

「縁側あけるのか?寒いぞ。」

「いいのよ。…ようちゃん、ぐずぐずしないのよ。扇と鈴を出したら子供たちに渡してちょうだい。…みずな、びくびくしないの。見られることに慣れるのよ。…きぃこ、どこいくの。まちなさい。」

 逃げようとした女の子を陽介が捕まえた。

「やだー、寒いのやだー、舞もうやだー!!」

「きぃこ、あと一日のことでしょ。」

「もぉやだー!!」

 ふりまわしたコブシがばこっと陽介の顔にあたった。

「いでっ!!」

「きぃこ、いつきに負けるのか。山の子のくせに。根性無し。よそもんに負けるのか。」

 藍が呪文のようにとなえると、子供は静かになった。

「…はやく着替えなさい。」

 …陽介は本当にこういう雰囲気が苦手だった。陽介は努力するタイプの人間ではあったが、それは実は強制されるのが大嫌いだからなのだ。イヤだといって逃げたい子供の気持ちはわかっても、強制するコーチの気持ちはわからなかった。まして「よそもの」を利用して気持ちを鼓舞するようなやり方は、陽介の所属する文化の内にはなかった。子供の手をさっさと離してしまうと、扇を手早く配り、月島の作業を手伝った。

「…御機嫌ななめだな。」

 月島はコソリと言って笑った。陽介はぼそっと言った。

「…痣になったら損害賠償請求しますよ。文芸部1の美形男子ですから。」

「おやおやそれは大変だ。どれみせてごらん。いたかったかい?なでてあげようか。それともなぐってほしい?」

「…そこっ!イチャイチャするなら出てお行き!! 」

 藍に叱られて、月島はニヤニヤ笑った。

「うらやましいのか?」

「あの人面猫をけしかけるわよ。」

「いくらでもどうぞ。おじさんは彼と親友だ。なおちゃんはるちゃんの仲だぞ。」

「大きく出たわね…」  

「出たもの勝ちだ。」

 …文芸部って男子俺一人しかいないけど、という慎ましいオチを出しそびれた陽介は、ふと、藍と月島は実は意外と仲がいいことに気がついた。なるほど、だから江面の兄と月島は仲が悪いのか。

 陽介は手持ちぶさただったので、子供達の着付けを手伝ってやった。子供達は、紐などを手渡してやるだけで、和服や袴をちゃんと自分でてきぱき身に付けた。田舎の子は自立している。

 やがて着替えが終わると、藍は月島に拍子を頼んだ(というか命じた)。月島は別段怒りもせずに、ゆっくりと拍子木を打ち始めた。

 子供達の体には、よく舞がしみ通り、すっかり馴染んでいた。動作は自然で、かわいらしかった。ただ、鈴や扇子は重いようで、手首が少しグラグラした。

「藍ちゃん、これ重いよう。」

「我慢しなさい。」

 そこへ月島が言った。

「のばしたとき、手首がこうなるように持ちなさい。」

 そのとおりに藍がいちいち一人ずつなおしてやる。

 …陽介はそれを見て、ふっ…となにかを思い出しかけた。そうだ、あの鈴は重くて、それに、袴はとても歩きにくい…。

 その思い出がはっきりとした形をつくるまえに、通し稽古は終わった。

「みんなよくできたね。いい子だ。」

 藍はそう言うと、にっこりとした。

 にっこりすると、藍はとても健康的で、弾けるような魅力をたたえた美女に見えた。内面から光り輝くものが溢れ出るかのようだった。

 子供達もその笑顔をうけて、自然と笑顔になった。なにかキリキリしていたものが緩やかに和んで、部屋があたたかいものに満たされた。

 ふっとなにかの芳香がよぎったような気がした。

「長い夏の間、ユウちゃんやあたしと、よく頑張ってくれた。明日はいよいよ前祭だよ。しっかりと舞って見せてちょうだいね。」

 そして一人ずつ、重い扇子や鈴をそっと取り上げて、頬や頭を撫でた。

「さ、汚さないうちにお脱ぎ。」

 ぱんぱんと手を叩くと、子供達は機嫌よく稽古着を脱いだ。下着でかけまわる子を陽介はひっつかまえて、風邪をひかないように服を着せた。

「藍ちゃんも少し休んだら。…腹重いだろ。」

 子供達が出ていって、道具類をしまうと月島は、藍に言った。

「ああ、いいのよ。おかあさんが、冷やさなければ大丈夫だから、できるだけ動くようにっていうし。…台所でも手伝うわ。餅つきとかしてお供物や振舞物つくったりしているでしょ。」

「台所は冷えるよ。」

「ここの床だって大差ないわよ。大丈夫、たくさん着ているから。」

 藍はそういうと、そのままえっちらおっちら出ていった。

 開け放たれた広い部屋には月島と陽介が残った。

「…さて、空いたな。」

 月島はそう言うと、道具をしまった押し入れを、もう一度開けた。


+++

 車で隣村の跡に向ったいつき達は、まだ山を降りたばかりのところだった。山をおりると下界は真夏の気温で、エアコンを入れて窓に色をいれても、日射しはやはり痛かった。

「…ちょーっとまった、ねえ、あのさ、みんなは、御飯は足りてるわけ?」

 突然言い出したいつきの顔をみなはじっと見た。

 …絶対ゆずらない顔になっていた。

 仕方なく、はるきが言った。

「おなかすきましたね。」

「でっしょー!!」

 いつきは勝ち誇ったように言い、慎二を見た。

「ねっ、慎二さぁん、ちょこっとお、お店によってもらえないかしらーん、なんてー。」

 慎二はユウの顔を見た。ユウは肩を竦めた。慎二はうなづいた。

「じゃ、なにか食べ物売っているところに寄りましょう。」

 車は少し遠回りして、ドームの外にあるショッピングセンターに止まった。

 ショッピングセンターというより、スーパーマーケット、といった規模の店だったが、ものはまあまああった。

「ヒャッホーイ食べ物食べ物」

 いつきが調理パンやお弁当のコーナーに駆け寄ると、はるきも少し腹の足しになりそうなものを物色した。

「…太るうえに感度が落ちるわよ、いつき。」

 ユウは焼そばパンとふわふわのクリームパンを両手に持っているいつきを見て呆れて言った。

「大丈夫だって。あたしいっつももっと食べてるもーん。」

「あんたの神さんにちょっと色々きいてやりたいわさ。」

「うーん、おばあちゃんがさあ、あたしが自分の神さんだって思っているのは、あたしの力の供給元とは別なんじゃないかと言っていたんだけど…」

「…確かになんか怪しいわよね。」

 そう言いながらユウも、野菜とフルーツのサンドウィッチを選んだ。

「…でもねー、力の源は多分あそこでまちがいないと思うんだけどなあ。まあ、中継点で変質していない限りは…」

「中継点?」

「そう。魔法樹よ。…あっ、これもおいしそう! マヨネーズオニオンソーセージだって!」

 嬉々として食べ物を漁るいつきを横目に、はるきが飲み物の棚へ近付くと、慎二がカゴを見せて「飲み物これで良いですかね?」と言った。「あ、ぼくは別に何でも…」おごってもらえるなら、を省略してハルキはこたえた。

 ユウは林檎を持ったまま腕を組んで考えていたが、やがてはしゃぐいつきの背中に言った。

「…あんたは、大元との間に中継点がはいって繋がっているわけなのね。じゃ、リクエストは中継点にだしてるの?それとも、大元に出してるの?」

 いつきはふりかえって首を傾げた。

「…さあ。リクエストだしてるって感覚もあまりないからね。呪文となえたりとかはするけど。」

「よくそれできくよね。どうしてなの。」

「さあ。でも神殿ではそうするようにいわれてたし、そのとおりしているだけだから。」

 ハルキは、血だよ、と思ったが、口にはしなかった。

 多分、翠さんがはるきに残して言った認識だろうと思った。

 いつきだとか、ハルキの母だとかは、多分存在そのものが回路になっているのだ。

 スイッチをオンにするだけで、電気がながれて動き出す家電のように、呪文かナニカを合図にそこに力が流れ込むのだ。そして、動き出す。しかけのない手品が。

 電気でいうところの電圧みたいなものが、いつきの外側にはいつも強くかかっている状態で、いつきは普段それを切り離しているのだ。

 その電気にたとえられる何かは、普通の人間を動かすことはない。ハルキの母やいつきのように、回路になっている体なのか血なのか遺伝子なのかなんなのかわからないが、とにかくそういう回路をもっている人間だけを動かす。

「…話はできるの?」

「…できる人もいるらしいけど、あたしはできないな。」

「…」

 レジを通過し、外で食べたがるいつきを3人が説得するかたちで車に載せ、慎二は車を出した。いつきはいくぶんがっかりした様子で車のシートで焼そばパンを食べた。いつきは外が大好きらしいのだが、普通の人間は紫外線が嫌いだ。それでも慎二がイチゴ味のヨーグルトドリンクを差し出すと、いつきは機嫌がよくなった。ハルキはいつきを操るのが意外と簡単なことに気がついた。食べ物を与えればいいのだ。そういえば、ハルキの姉はいつもいつきに弁当を与えていた。

 ハルキは急に姉の弁当が恋しくなった。なんだか随分会っていない気がした。

 車は慎二らしいのんびり加減で平地を少し走ってから、別の道を曲って入り、また登りに転じた。

 みなが呆れるほどの食欲をいつきが披露しつつ、車は細い道を登って行く。

 道は荒れ気味で、あちこちに雑草がはびこり、鋪装も大きく割れているところが多々見受けられた。

「…こっちの道は、もう使われていないから、すっかりこんな感じよ。手入れしようにも人手がないからね。集落も無人になっちゃったし。」

 ユウがハルキといつきに言った。 

 ハルキはいつきに言った。

「…いつきさん、ばりばりばりーっと雑草剥いであげたら。」

 いつきは夏ミカンの分厚い皮を、素手でむりむりと剥きながら言った。

「…鋪装もはげちゃってもいいなら。」

「…それはまずいなあ…。」

「だよね。菊に叱られるわさ、また。」

 ユウがふりかえって呆れたように言った。

「あんた、まだ食べてんの?」 

「うーるさいわね、飯くらい充分に食わせてよ。」

 いつきは煩わしそうに言い、ユウは不満そうに黙った。

 いつきの食事は夏蜜柑後もまだ続いたが、それらがようやく一段落したころ、車は廃村の奥の広場のようなところに着いた。広場といってもボウボウに草が茂り、なにがなんだかわかりづらくなっていた。すみのほうに崩れかけたベンチと、錆びた自転車立てがあった。

「さっ、食欲魔人、ここからは歩くのよ。今こそおやつを手放して、降りたて、野山に。」

 ユウがジェスチャーつきで芝居風に命じると、いつきは返事もせずに車を降りた。はるきも後を追う。慎二がドアをロックした。

「…ふうん、ここが村だったところね。」

 いつきの台詞に、はるきは心の中でつけたす。

(あれだ、京子さんの元カレの、話し上手な東高の藤堂ジェイの村。…先輩来たがってたっけな。くれば良かったのに。)

 そうだ、そもそも、陽介が山へ登る気になったのは、神社のほかに、廃村があるときいたからなのだ。陽介は古いものが好きで、よくネットの廃屋写真サイトなどに入り浸りになっている。

 思えば二人の夏休みの予定はここの山にはいってからすっかり滅茶苦茶になっていた。いや、正確には、州鉄で背の高い男に会ってから。それを恨むわけではなかったが、なんとなく、思いも寄らない世界に、すっかり迷いこんでしまったなあ、という気がした。…遠くまで来てしまった、といったほうがいいだろうか。取り返しがつかないところまで来てしまったといったほうがいいだろうか。…帰ったところで、もとの二人には戻れないのかもしれない…そんな気がした。

 4人は草をかきわけて進んだ。夏草の下に、ところどころ鋪装が残っていた。ざくざくのアスファルトだ。

「…森に入っちゃえば大丈夫なのよ、アスファルトじゃない石畳があるわ。…ここの村、一時期野犬がすみついちゃってね、大変だったのよ。いつのまにかいなくなったけど。とても賢いのよ、野犬て。人間なんか身一つでは絶対に勝てないわ。」

 ユウが言ったとおり、しばらく草地を進むと、木々の中に入った。そこの石畳は古いものだったが、非常に頑丈に敷きつめられており、すきまから若干の草は生えていたものの、道としての体裁を充分に保っていた。

(…これ、遺跡だな。)

 はるきは思った。おそらく、供物台につながる、同時期に作られた古い参道なのだ。

(…ひょっとして、ものすごく古いんじゃ…先輩が喜びそうなんだけどなあ。僕じゃわからない。)

 4人は進んだ。

 道はうねうねと登ったり下ったりしていた。まっすぐならどれだけ歩きやすいだろうは思うものの、こんな山奥の斜面に道を這わせたというだけでもたいそうなことで、有り難いことではあった。地震や大雨だってあったであろうに、木々も毎年根を張っているであろうに、にも関わらず道が道として残っているというところに、作った人物のなにがしかのセンスの良さがうかがわれた。

(5感より上のセンスってわけだ…)

「はるきさん、大丈夫ですか。」

 慎二に話し掛けられて、はるきはびっくりした。

「はい、大丈夫ですが…」

「いえ、ならいいのです。山道はきついから、ペースを落としたほうがよいかと思ったので。」

 見ると、少し前との間があいていた。はるきはその間をひょいひょいとつめた。

「足下だけみていたのではなれちゃいましたね。…僕は一応山育ちなんですよ。」

「そうなんですか。どちらのお山ですか。」

「ヨーロッパ。生まれもあっちなんですよね。でも親がかたっぽ日本人だから。今年の春、日本州にきたんですよ。」

「へええ、そうだったんですか。…わたしは生まれてこの方ずっとこのお山ですが、このあいだ初めて、大学の先生のお伴でヨーロッパへ行きましてね。」

 ちょうどはるきと逆というわけだ。

 はるきは微笑んだ。

「あっち、乾燥しているでしょ。」

「そうですね。本当に空気が軽い。ニホンは湿気が多いと、知識ではしっていても、実際に体感するのはまた違いますね。」

「帰国したとき、エリアに降りたら『ずどーん』てかんじでしょ、『うわあ、なんかいるーっ』って。」

 その台詞ははるきの「危ない兄」の夜思が言っていたものだった。すぐにいるとかいないとか大騒ぎする。なんかいたからどうだというのだ。珍しくもない。…だが、言い得ている。

「いますね。なんかいる。そんな感じですね。」慎二も笑った。そして言った。「…それらのものたちが、わたしたちに力を貸してくれるのですよ。」 

 はるきが返事につまったので、山道は一瞬シーンとなった。

 慎二は察して笑った。

「あはははは、いませんよ、べつにいませんったら。」

 はるきも、はははと笑った。

「…慎二さんって奥が深いですね。」

「意外と?」

「…意外だとは言ってないですよ。まあ意外だけど。」

「意外でしょ。一見底が浅いと見せ掛けておく、それが弟族の叡智ですから。」

「なるほど。そうすると波風がたたないんだ。」

「そう、権利も無視されるけれど、…まあ、狭い世界では、調和も大切ですから。…はるきさんも弟族でしょ。」

 回路が一部つながった慎二ははるきにやけに気安かった。はるきも別にそれが不快ではなかった。

「あ、わかります?」

「わかりますよ。…たぶん…『すごい兄』がいるでしょ。」

「『すごい兄』というか『すごい人数の兄』というか…」

「何人兄弟ですか。」

「兄が4人、姉が一人、合計6人兄弟です。」

「そりゃあ多いなあ。カトリックなんですか?」

「…いや、うちは新興宗教で。」

「そうなんですか。…どんな信仰ですか?」

 はるきが簡単にはしょって答えようとしたとき、鷹のような目でいつきが振り返った。はるきは戸惑った。

「えっとー…」

 言い淀むと、いつきが言った。

「…根が入ってきてるらしいから、よしな。」

 するとのんびりしたようすで慎二が言った。

「…大丈夫ですよ、この道は安定しているから。」

「…いいからやめてくれ。腕が痛い。」

 はるきはいつきを見た。

「例の傷跡ですか。大丈夫ですか。」

「奴の話をやめてくれたらすぐ治るよ。」  

 はるきは慎二にちょっと目配せした。慎二もしょうがないねー、といった顔でのんびり同意した。

 ユウが言った。

「…まあなんにせよ、いつき、『奴』とかいうのはやめな。」

 いつきが抗議しようとすると、慎二が言った。

「うーんそう、反映しますね。」

 ユウがうなづいて付け足した。

「呼び方で向うが変わるわけじゃないけれど、こっちは所詮、向こうをどこかの感覚器でとらえた漠然としたものとしてしか感知できないのさね。だからこっちが変なポーズをつけて向こうを見ると、自分自身の影が投影されて、向こうが別物に見えてしまうってわけ。見えるというか、…下心があると、言葉がいろんな別の意味に聞こえるでしょう。それと同じさね。」

 いつきは不満そうだったが、別に反発はしなかった。…陽介がいたら、「…でも『奴』とか『あの野郎』とかは、こいつのフツーの三人称だから。別に蔑称じゃないから。」とかかばってくれたかもしれない。はるきもそう思ったが、めんどくさいのでかばわなかった。

 そうこうするうちに石畳がおわって、細い土の道に出た。獣道とまではいかないまでも、左右から薮がせまっているような道だ。

「もうすぐよ。」

 ユウに促されて進んだ。

 少しいくと、急に薮がひらけて、場違いにヨーロッパ風な白い水盤が現れた。

「あ、ここだったのね。」

 いつきが見回していった。供物台のすぐ裏だ。茂みのむこうが供物台になっていて、近くに目玉岩もあるはずだった。

「そう。…ここの水、飲んだことある?」

「あたしはない。」

「おいしいよ。」

 4人はなんとなくそこで手を洗って水を飲んだ。はるきは何度か飲んだことがある。確かにユウの言うとおり、美味しかった。

「…さて、と。」

 供物台のまえに移動すると、ユウは慎二がもってきてくれた荷物を受け取り、そばにおいた。

「変なところがないか、見てみましょうか。」

 いつきはうなづいて、最初に歩き出した。あちこち見ながら丹念に捜しまわっている。

 そのとき、はるきはふと思い出したことがあった。翠さんがきていたときには思いつきもしなかったことだ。

「…いつきさん、僕が花があるかと思った場所は、こっちなんです。」

 手招きすると、いつきはひょいひょいとやってきた。

 …足腰がものすごく軽やかになっている。動きに無駄がない。

 この山に滞在するうちに、いつきの体が強く実用的に鍛えられたのが、その歩きかただけでわかった。

「…こっちです。」

 はるきは噴水の横をとおって、すこし奥に入った。

 以前、陽介を残して一人で入った薮の中へ、いつきを案内した。

「…この木のあたりです。」

 その木は潅木で、なんとなく、季節がきたら花がさくのだろうな、と思わせる枝振りの木だった。

 遠くからみたとき、そこに赤いシャツがひっかかっているように見えた。

 そして近くにきたら、足下に、服につつまれた骨が横たわっていたのだった。

「うーん…。」

 いつきは腕をくんだ。

 はるきの目にはやっぱりただの潅木の茂みにしか見えない。いつきも同じであるらしかった。

 そのとき唐突に、はるきの懐で電話が鳴った。

「えっ」

「ええっ?!」

「そういえば衛星回線はときどき気が向いたように繋がるって言ってたっけ…」

 はるきはぶつぶつ言いながら、電話を引っぱり出した。

 耳に当てると、ざーざーと荒れた電波の音がした。

「俺だ」

 雑音に紛れつつ、月島の声がした。

「直人?」

「ああ。そこにいるんだろう。」

 はるきと月島と慎二は微妙につながっている。慎二がやってきた。

「慎二さんもいるよ。」

「慎二は別にいい。…姫が来る前に言っておかなくては。…こはもともと、昔から落とし穴になっているところ…んだ。俺はそれを利用……。組み紐…をほどけば口があくが、何がでてくるかわからんぞ。気をつけろ。俺のときは…」

 そのあとザーザーと雑音がはいって、電話が切れた。

「…切れた。」

「なんて?」

「組み紐を解けば穴の口が開くって。…ヒモなんかあります?」

「さがそう。」

 慎二といつき、はるきの3人で丹念にさがしたが、それらしきものが見当たらない。いつきは手をかざしながらなにかぶつぶつとなえたが、それでもだめだった。

「ないですね。」

 一段落つけるため、慎二が言った。

「ないね。」

 いつきはかたをすくめた。

 3人はうーんと考えこんだ。 

「…まあ、ここに穴があるなら話は早いね。」

「その穴に放り込んで、フタすればいいってことですよね。」

「でもみつからないですよ。」

 また3人はうーんと考えこんだ。

「…姫にたのもうか。」

「それしかないですよね。」

「かまいませんが、…気をつけて…」

 慎二の言葉に、はるきといつきは振り向いた。

「気をつけるって、なんで。」

「…うまくいえませんが。姫の御不興を買ってしまうと、あとあと大変なので…。」

「…今さっき、直人も、気をつけろって言ってた…。」

「ああ、直人さんは、無鉄砲で不躾なのでいつも御不興を買って痛い目見ている人なんです。」

「…いつも?」

「…ユウさんも呼ばなきゃならないし、ちょっと一旦あっちへ戻りましょう。」

 3人はがさがさと薮から出た。

 供物台の前て、ユウはなにやら考え込んでいた。慎二が呼ぶと、顔を上げた。

「ああ、どう?見つかった?」

「それがみつかんないのよね。」

 いつきは肩を竦めた。

 はるきは言った。

「もともと穴があいていたと聞いたんですが、ユウさんは御存知ですか。」

「…ここ、あまり好きじゃないから来ないのよね…。知らない。」

「…その穴になげこんでフタしてあったみたいです。」

「…なんの穴なんだか…。」

「組み紐を解くと口が開くというんですが、わかりますか。」

「組み紐?それはこっちだわ。」

 ユウはそういって、供物台の前にしゃがみ、天板の裏を差した。

 はるきが首をかしげながら覗き込み、よくみえなくて、手探りでさわって、あっと驚いた。

「なっ、…なんですかこれ。」

「知らない。もともとこうなってるの。翠さんなんか言ってなかった?」

「いいえ、ぜんぜん。」

 天板の裏の中央に、組み紐の形をした素朴なレリーフがあるのだった。

「…ほどけそう?」

 いつきが言った。はるきは首を振った。

「…尋常な方法では無理ですよ。浮き彫りですから。」

「ウーン。」

 いつきも手をつっこんで、天板の裏を触った。

「…これか…。叩き割ってみっかあ?」

 いつきの朗らかな提案を3人は驚き呆れて引き止めた。

「…一応、文化財だから、やめとくれ。」

 ユウが代表して言うと、いつきは「ウーン、駄目か。」と悪びれずに笑った。

 そのとき、遠くから、誰かがよびかける声がした。

「あれえ、こんにちは。みなさんおそろいで、どうしたの?」

「あっ、京子さん。」

 見ると、京子だった。汗をかきかき、登って来たらしいようすが見て取れた。

「京子さんこそ。」 

「あたしはここんとこ、供物台見回りしてるの。あんなことがあったでしょ…。まあ、体力作りも兼ねてってとこ。それと今日は人を一人案内してきたの。もうすぐ来るわ。」

 さすが、山育ちの体力はすごい。梺のあの商店から供物台まで、何の装備もなしで、しかもヒールつきのサンダルばきだ。普通に散歩するように歩いて来たのだ。

「お盆でお店いそがしいでしょうに。」

「大丈夫、毎年売れるものきまってるから、カウンターにだしといた。いなきゃお金おいてみんな勝手にもってくわ。」

 …商売もアバウトだ。

 少しすると言葉どおり、一人の男がやってきた。京子よりは年下だろう。慎二よりは上か。

「はるきクンにはシュウのこと話したよね。この人、シュウの弟さんよ。」

「こんにちは…シュウの知合いですかな…ああ、やはり…」

 男はふーふー言いながら汗を拭った。こちらは山を離れて久しい様子だ。

 はるきはペコリとお辞儀して、ニコッと愛想をふりまいた。

 男ははるきのほうはそこそこに、慎二とユウに目を移した。

「御無沙汰しております、水守さん。丁度良かった。そこの集落にいた森山です。お婆さまはお元気でしょうか。」

「森山さん…セイさんでしたかしら。こんにちは。しばらくですね。祖母は息災です。」

「昨日、兄のシュウが夢枕に立ちました。戻って来ているので助けてほしいと言うのです。ちょうど盆休みでしたから、かけつけました。村からの道はもうないだろうと思って、ウィズリーさんに案内してもらってここまで来ました。」

 はるき達はさすがに驚いて森山に注目した。

「あら、シュウさんは、どうなさったの。芝浦さんと山を降りたとばかり。」

 ユウは冷たい調子でそう言った。…山を降りた人間は水守の守護の外にいることを、その態度は明確に語っていた。

「4年前、母が亡くなりまして、その際にいろいろ事務処理が生じ、どうしても必要な印鑑がみつからず、…兄が、山の家にあるかもしれないと言い出して、でかけたのです。…それっきり戻らないのです。当時も探しに来ましたが…お祖母様は…水守さんは、山を降りた人のことは知らんとおっしゃられまして…。でも兄は間違いなくここにいるはずです! この山に! 夢で見たんです! 兄は特別な力があった、お祖母様も昔はそうおっしゃっていたんです。」

「ユウさん…」とりなすように京子が口添えした。「シュウは…御存知でしょ、力をかしてください。」

 はるきたちは足下においてある荷物の存在をやけに気まずく感じた。この骨がつまり…。

「…じゃあ、探してみますから、とりあえず神社へ行っててくれませんか。わたしたち今ちょっとたてこんでいるので。」

 ユウはおばあちゃんにおしつけることにしたようだ。たしかに、適当に追い返したおばあちゃんも悪い。

「御用でしたらお手伝いしますから。」

 森山は意気込んで言った。

「いいえ、結構です。ごめんなさい、たくさんのことをいっぺんにするのは無理なの、神社へ行っててくださる?道は一本道だし、ここまでくれば一人でも分かるでしょ、あなただってこの山で育ったのですから。」

「そんなことをいわずに、手伝わせてください。…おや、この荷物はなんですか。」

 はるきたちは「あっ」と思ったが、とめる隙がなかった。

 ユウが怒鳴った。

「あなたには関係ないでしょう! さわらないで!」

 森山は、きっとユウを睨み付けた。

「なんだよ、人が手伝うといっているのに、この小娘がいい気になりやがって…」

「どうでもいいからそこへ置いてちょうだい!!」

 つかみあいになりそうになったところで、いつきが割って入った。

「ちょーっとまってよー、ねえ、芝浦さんて、…森山さんじゃないの?」

 森山はいつきを怒鳴り付けた。

「母の旧姓だ!」

「あーあ!そうだったのね。お母さんは山の人じゃないのね。…あんたの兄さんに、あたし会ったわ。」

 全員がいつきに注目した。

「…どこでだ?! 言えっ!!」

 森山はいつきにつかみかかった。

「…命令すんなよなあ。」いつきはぱっとその手を振払った。「…あんたがあえるかどうかは微妙だしねえ。でも、夢枕にたったというなら、まあ…あえるかも…」

「どこで会ったんだ!!」

「…場所はしらない。山奥らしいよ、田中やんが言うには。あたしもつれてってもらっただけだから、案内しろって言われても無理ね。」

「シュウはどうしていたんだ?!」

「どうって、元気そうだったわよ。おしゃべりよね、あんたの兄貴。あんたより若そうだったけどなあ。…忘れ物をさがしにきたとか言ってたけど、何を探しているかわかんなくなっちゃってたよ。…それに、泉の中にきえちゃったんだよね。今頃どっかまよってんじゃないの?」

 モリヤマはもう一度いつきの衿をつかんだ。

「つれていけ、そこへ…!」

 いつきはちょっと口を尖らせた。

「無理だってば。」

「つれていけ!!」

 モリヤマの顔は人間ばなれした怒りの形相になっていた。慎二がユウになにかこっそり耳打ちしたが、ユウは取り合わなかった。興味がある様子で二人を見ている。

「無理。」

 いつきはそういって、もう一度手をぱっと振払った。万力で掴むような力がこもっているのに、いつきが払うと、手がぱらっとほどけるのが不思議だった。

「つれていけといっているんだ!」

 もう一度つかみかかってきた腕をいつきはサッとつかみ、勢いを利用してふわりと男をなげとばした。男は掴まれた腕を中心に、きれいな弧を描いてドサリと土に落ちた。

 …地面で泡を吹いていた。

「…いつき、やるからいいよ。」

 ユウはやっと腕組みをほどいて歩み寄った。

 いつきが少し下がると、ユウは男を水盤まで引きずって行き、ぶつぶつと何か唱えながら水をかけた。間もなく森山は意識を取り戻した。

「…困るねえ、勝手されちゃあ。」

 森山は恐縮した。

「すみません。」

「先に1人で行くのがいやなら、そっちのあたりでウィズリーさんと大人しくしててよ。」

 森山は憑物が落ちたように、素直に京子のそばへ行った。

「…ここへきて新たな登場人物ですね。」

 はるきがニヤニヤ笑うと、いつきは言った。

「…さて、どうしたものか…とりあえず、やってみなきゃはじまらないやね。」

「そうですね。…組み紐をほどきましょう。」

「そうだ、それだった。」

「…先輩つれてくればよかったな。あの勾玉でやれそう。」

「…月島の親父にもっかい電話通じない?」

「やってみましょう。さっきの着歴がある。」

 はるきはごそごそと電話を取り出した。

「あ、アンテナたってる。…ここって特殊なんだ、やっぱり。」

「いいからかけなさいよ。」

「…」

「どうしたの。」

 はるきは複雑な顔で画面を見た。

「…ない。着歴が。」

「…そんなに電波悪かったの?でも、着信したんだから、着歴残るでしょ。」

「それがないんですよ。ほら。」

 はるきはずらりと「先輩」が並ぶ画面をいつきに見せた。いつきは難しい顔になった。

「…じゃ、陽介でいいからかけてみてよ。」

「やってみます。」

「…そういえば、なんでここにいるってあの親父わかったのよ…。」

「あっ、それは僕の意識が微妙にリンクしているせいだと思います。」

「…じゃあんた、月島のおっさんが今どうしてるかわかるとでもいうの?」

 …いわれて見ればわからない。

「…全部がわかるわけじゃないんです、なんとなく、わかるときがあるだけなんです。」

 と、言い訳したものの、なんとなく、…ひんやり寒い。

 陽介にかけてみると、2~3回のコールで、すぐに出た。

 ザーザー、ぷつぷつ、と音がした後、きいたこともない男の声がいきなり言った。

「ありがたい。よくかけてくれた。セイにかわってくれ。」

 はるきは無表情に歩き出し、奇妙な顔で見つめるいつきを尻目に、森山のほうへいくと、電話を差し出した。

「お兄さんからですよ。」

 森山はあわてて電話を受け取った。

「も、もしもし! シュウか?! …うん、うん、うん、そうか、わかった。大丈夫だ。たすけてやるからな。」

 京子が複雑な顔ではるきを見た。

 …京子は、あの遺体が、シュウだったのでは、と考え至っていたようすだった。

 森山は電話をはるきに押し付けるようにして返すと、大股であるいて、供物台の上に乗った。

 すると、風が吹いた。

 ひどく重い、湿った風だった。

「おおい、ユウさん、やってくれえ。」

 セイが言った。

 全身の毛が逆立ったような顔でユウは怒鳴った。

「冗談じゃないわよ!!」

「…やるって、なにを?」

 京子が尋ねると、森山は京子に言った。

「ああ、あんたでもいい。左から3回まわってくれ。そしたら、あっちの薮へいってみてくれ。その荷物をもっていくんだ。シュウがそうしろと言った。」

 京子が言われたとおりにするうちに、ユウは荷物をひろってそそくさと移動した。はるきといつき、慎二も移動した。

 また、重い風が吹いた。

「あっ!」

 いつきの声に、潅木のほうを見ると、潅木の茂みが大きな黒い洞窟のような闇になっていた。「穴」だ。つまり何か載せてまわりをまわると、組み紐とやらが解けるということだったのだ。

「うわっ、なにこれっ、くさいっ!!」

 ユウがおもわずもっていた荷物を放して鼻を袖でおさえる。

 すると風がまた吹き、荷物が洞窟にすいこまれて行った。

 悪臭がやまない。

「これがお付きの連中が言ってた臭いか…っ、うへえ、こりゃひどい、たしかにひどいわ!」

 いつきはそこまで言うと、ウッ、とえづいて、草の中にげーげー吐き始めた。

「ああっ、もったいないっ、たべたばっかなのにっ、うげえっ!!」

 …こういうときによくもったいないとか出てくるものだ、とはるきは感心した。

「だからがっつかなきゃいいのにっふがっ」

 …ユウもたいしたものだ。

「二人とも、あれを。」

 慎二も袖で鼻をおさえながら、二人に言った。

 …くろい闇の中から。

 一本の手が招いていた。

 白い手が。

 ユウは悲鳴を上げた。

「静だ! あの鶏の手! 静の手だわ!!」

「ユウさん! 落ち着いて下さい!」

「呼んでる、呼んでるわ!!」

「ユウさん!」

 はるきはうなづいた。…自分の出番なのがわかった。

「…僕がいきますよ。」

 いつきが吐きながら言った。

「行くって、おげえっ、この臭いの中に?! げろーっ!!」

「…いつきさんは無理ですよ。…臭いに弱かったんですね。それに、食べ過ぎですよ。じゃ。」

 はるきはとことこと、闇の中に入って行った。

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