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Till you die.  作者: 一倉弓乃
31/41

30 SHUHUKU

 首尾よく全員おっぱらったいつきがしたことは、言うまでもない。今度こそ誰にも邪魔されずに急いで崖を登った。だれが廊下の掃除などやるものか。

 一度登ったところは手がかり足掛かりの場所がわかっているので、すらすらと登ることが出来た。7~8分後、いつきは崖の上に到達した。

 …みると、右手に小道があって、水場のほうに続いているようだ。どうやら下からはわからないが、この道から陽介は帰って来たのだろう。あのひ弱な御曹子がずぶぬれでロッククライミングして、帰りにまた崖を降りたとは考えにくい。

 崖の上は背丈の低い木がところどころに生えるだけの草原のようになっていた。獣道がついていたのでそこを歩くと、少しして、階段に出た。そこをとことこ登ると、奥の院に簡単についた。

 なるほど、池がある。真っ黒だ。

 あたりを見回したが、平凡な木が一本はえているだけで、何か得体の知れない雰囲気とか、おどろおどろしいものとか、まして魔法樹の気配などはなかった。

 いつきはまた裾をめくりあげて、池のなかにザブザブ入った。下の沼よりは少し深めだ。せっかくめくった裾だったが、水についてしまった。縁に近いところにある石のそばに、何かがわだかまっているのがわかった。いつきは用心しながら手を差し入れた。…深い。

(…危ない深さだな。)

 いつきは故郷にいたころはまったく泳ぎができなかった。水源公園の水路で水遊びに興じた不良の弟と違って、いつきは砂漠の神殿と国境の軍隊に身柄を拘束されていたようなものだったから、水に入る機会がなかったのだ。いつきが泳ぎを覚えたのは、養父に引き取られてからだ。養父がいつきの偽りの出生を作り上げる間、待機していた保養地で、プール遊びの好きなバカンス中の金融系セレブと知合い、彼と遊んでいるうちに泳ぎを覚えたのである。なんとなく懐かしい感じのする男で、今思えばその陽介に環をかけたひ弱な御曹子ふうの風体が、警戒心の強かった当時のいつきの緊張をほどいたのだった。

( …奴に感謝だな。あれがなかったらこの深さに手をつっこむのはちょっと…)

 いつきは背中の傷などまったく構わずに、息をとめて手をのばした。顔が水につく。

 先ほどの陽介以上にびしょ濡れになりながら、なんとかそれを掴んだ。

(とれた!)

 しかし、それをぐっと掴み上げたとき、異変がおこった。

 まるで池のセンが抜けたかのように水がすいこまれ、流れ出したのだ。

 ギャッ、と言ったいつきの声がごぼごぼと泡になる。

 放そうとしたが、手が離れない。水流が強くて、体を起こすこともできなかった。

(やばっ、おぼれたりしてっ?!)

 …そのときとっさにいつきの心に浮かんだのは…

(平均水深80センチの池で溺れるのは恥ずかしい! 親父と弟にあの世でバカにされる! グ…グレースなんか何言い出すかわかんないっっ!)

 …そんなバカなプライドだった。

 …そんなバカなプライドだったが、それこそがいつきにパワーを注入してくれた。根性、とかいうやつだ。

 必死で立て直そうと足をふんばり、それはもう死ぬほど、いや死なんばかり、それどころか死ぬより頑張ったあげく、いつきは海底の岩から大アワビを素手で引き剥がすような死闘に勝利し、水から顔をあげることができた。

「はあ、はあ、はあ、…た…たすかった…」

 手を見ると、…あった。

 テニスボールほどの大きさの石だった。

 まさに、眼球の形をしていて、ごていねいに裏側には植物の根が神経束のように垂れ下がっていた。

 水からあげた瞬間に石になったのは間違いない。水中とは手触りが違う。だが、別段支障はないはずだった。

「…へっ、どうよ、御曹子ども。くやしかったらまとめてかかってきやがれ。」

 いつきはニヤリと笑って鼻をこすりながらつぶやいた。

 そして水から上がろうとして、少し驚いた。

 …庭にいたのだ。神社の。

(転移した…?…いや違う、池がつながってて、ふんばってたつもりが、流された…ってとこか…?)

 廊下はまだ足跡だらけだ。

 手摺をのりこえて廊下に上がると、ちょうど雑巾を持ったユウがしょんぼり現れた。ずぶぬれのいつきをみると、きーーーと怒った。

「いつまで池にはいってんだい! しかもずぶぬれじゃないかっ!!」

「あーははは、ごめんごめんっ」

「動くんじゃないよっ! いまタオル持ってくるから!」

 ユウはぱたぱたと走ってまた台所のほうに戻って行った。

 そして、タオルを持った田中と一緒に現れた。

「大丈夫かい?」

 田中はバスタオルでいつきをくるむようにして、足をふけるように、一枚のタオルをゆかにおいてくれた。…別に、取り乱しているようすもない。

 ユウはすみのほうから足跡を拭き始めた。ユウのほうがよっぽど凹んでいる。

「…タナカやん。」

 いつきは目玉の石を田中に見せた。

「! 届いたのか?!」

「や、行ってきたよ。」

「でかした!」

 田中は声をひそめつつも、力強く言った。顔も明るい。

 …大丈夫、このおじさんは心配ないといつきは思い、ニヤっと笑った。

「…でもほかにとくにおかしなことはなかったよ。木も…別に変な木はなかった。普通の木はあったけど。ただ、これを拾ったら、水がどーっと流れ出て行ったから、少ししたら環境が変わる可能性はあると思う。」

 田中はうなづいた。

「…まずは着替えだ魔女子さん。僕はおばさんたちと買い出しの車に乗るよ。ハンバーガー買ってくる。」

 床をふきながら、ユウが言った。

「…警察に電話しておいたから、午後には死体も届くよ。」

「ありがとう、ユウ。」いつきはうなづいた。「今着替えて、床掃除手伝うよ。」

 するとユウは怒鳴った。

「あんたバカじゃないの、せっかくてあてしてやったのに、また台なしじゃない! 着替えたら大人しく部屋でうつぶせに寝てな! こんな床掃除くらいなんだってのよ! あたしがやるわよ!」

 田中がいつきを見て、「やめとけやめとけ」という顔で首を左右に振った。いつきも「うへえ」の顔を田中に返し、大人しく部屋に戻った。


+++

 背中の軽傷は、いつきに突然の自由時間をもたらした。

 解放されてみると、「神社の用事」がいかに時間をとっていたかがわかった。

 いつきは背中を乾かすために包帯をほどいて干すと、ジャージの上着の袖を首の上でしばり、前掛けのように身ごろ部分を前に垂らした。傷は乾かさないほうがきれいになおるというが、かわかしたほうが瘡蓋ができて、はやく行動が自由になるのだ。暴れん坊ないつきにとって、尻や背中を擦りむくのは子供のころ日常茶飯事であった。

「これでよし。」

 とはいえ若干寒かった。くしゅんと一つクシャミをして、いつきは自室を離れ、陽介の部屋へ行った。

「…いいか?入るぞ。」

「おう。」

 ニャ-、とはるきの声がした。

 襖をあけて中に入ると、陽介はいつきの格好を見てあきれた。

「…おまえ、同級生の男を訪ねるかっこうじゃねえぞ。」

「都合のいいときだけ男になるな。」

「…だって。生物学的には男だし。」

「…ムラムラする?」

「…しない。」

「じゃいいだろ。」

「いいのかわるいのか…。」

 眉をひそめた陽介に、いつきは、「そらよ」と言って目玉の石を投げた。

「うわっ。…なんだよあぶねえな…」

 陽介はぶつぶつ文句をいいながらそれをうけとり、しげしげと見て、ぎょっとした。

「おまっ…これ…どうやって!」

「どうもこうもねーよ。…これで文句ねーべ。田中やんが買い出しに便乗して、バーガー入手にいったわ。死体はユウが手配済み、午後には届くって。どうよ、おまえがのたくた着替える間に、みんな手際いいだろ?」

「…そりゃみなさん、すばやいこって…」

 陽介は感心というよりはあきれた口ぶりでそう評価した。

 いつきはぴっと指を立てた。

「そこで、だ。次の手配だぜ。死体からかけらが取りだせたら、かけらを鳶にかえす。で、次はどうするんだ。」

 いつきが訊ねると、陽介は首を振った。

「それはそこまで、次にお前には行ってほしいところがある。」

「どこ。」

「供物台に、翠さん入りの春季と行ってほしい。」

「それでどうすんの。」

「…はるきがあけた穴をさがしてほしいんだ。翠さんにはみつけられないらしい。」

「あたしにはわかるんかい。」

「わかるらしい。…みつけたら、あとは翠さんがやってくれる。」

 いつきはうなづいた。

「…わかった、やってみるよ。…でも、今日の仕事になるかどうかはわかんないね。はるきちゃんが今日はいつ戻るかわかんないし、もどってから、鳶の件を片付けたあともう一回出かけるのは、かなりきついだろ。となるとぎりぎり明日いっぱいかもしれない。となると…あさっては前夜祭だよ。」

「…なんとか宵宮までに間に合わせよう。」

「…まあそれしかないだろうけどね…」いつきは頭を掻いた。「…その目玉、預けといていいかい。」

「ああ。…いいけど…。…おまえ、まさか、このほんの15分くらいの間に、まさかとおもうが、奥の院に上がったんじゃ…?」

 陽介はききたくなさそうに、おそるおそるそう言った。

 いつきもいいたくなかったが、こたえた。

「…別になんもないじゃない。黒い池と、小さい木が一本あるだけ。」

「あがったんだな?!」

「あがったにきまってるじゃない、あたし以外に今誰があがれるっていうのさ。」

「女人結界なんだぞ! このばちあり!」

「都合のいいときだけあたしを女にするなよ!」

「都合よくなんかあるか、都合悪いから言ってるんだ!」

 いつきは傲然と立ち上がった。

「ばちあたりだって?! あてられるもんならあててみろ! うけてたつわい! だいたい女人結界ってなんだ! 女は臭いとか汚いとでもいうのか!!」

 陽介は頭痛をこらえるような顔で目を押さえた。

「…いや、待て、いつき。木があったって?」

「…魔法樹じゃないよ。普通のちっちゃな木。」

「俺が行った時はそんなもんなかったぞ。」

「…」

 いつきは眉をひそめた。

「…それはおかしい。」

「…おまえ、魔法樹に、注目されてるらしいぞ。」

 陽介の意外な言葉に、いつきは少し驚いた。

「それも姫に聞いたの?」

「…」陽介はなぜか、静から聞いたと言う気になれなかった。「…きいたというより見せられたんだ。おまえのほうにむかって、根がゾロゾロと伸びて行くのを。」

 いつきは気持ち悪そうな顔をした。

「…やだな…それ。」

「…魔法樹じゃないかどうかは、一般人にはわからん。だが、そんな短期間で普通の木が育つはずがない。」

「…まあね。」

「…魔法樹でないにしても、俺がちょん切った根っこの上部だという可能性は否定できない。」 

「…まあね。」

「…魔法樹って切ると、血は出るのか?」

 いつきは首を振った。

「水が出ることはあるよ。中は水路だからね。血が出るって話はきかないな。」

「本来は水のところが血になってたってことは、水の代わりに血が流れてたってこったろ。」

「…まあね。」

「…なんで血が。」

「…魔法樹に血はないから、誰かの血を吸ってたんじゃない?」

「…そうか。」

「状況から考えて、鳶の。」

「…魔法樹は血を吸うとどうなるんだ?」

「吸わせたことナイからわかんないけどね。」

「…だよな。」

 二人はそこで黙ったが、まさかいいことが起こるというハッピーな空想はしていなかった。

「…あの木、燃やそうか。」

 いつきはぼそっと言った。

「…できそうか?」

「あんなちっちゃい普通っぽい木なら、多分…。…今ンとこ、あたしとあんたしかあの木のことはしらないし、今のうちに燃やしちまえばあるいは…」

「…だが、あそこは神域だぞ。なんかやってお山に重篤な影響がでないとは言い切れん。」

「…てゆーかバチがあたりそうだっておもってんだろ。」

 陽介は頭をかいた。

「…ま、そゆこと。」

「…バチならまとめてあたしがあたってやる。…そんなことくらいで魔法樹が取り除けるなら、やってやる。」

 …左腕の傷跡がじわりと痛む心地。

 いつきはあの痛みを忘れてはいなかった。

 陽介は「まずいなー…」という顔をしていたが、コメントはしなかった。魔法樹に関しては、いつきこそがこの集団でのエキスパートだった。…ただ、そのエキスパートぶりは今一つ心もとないのだが…。

 いつきは陽介の不安をきっぱりと切り捨てて言った。

「…隙を見てやっとくよ。…あんたのほうはあとは用はない?」

「田中さんがハンバーガー持って帰ってくるまではとくにない。」

「…じゃ、田中やんが帰ってきたら、そんときまた。」

「ああ。」

 いつきはくるりと背を向け、部屋を出た。ぐずぐすしていたら、決定を覆されるのは目に見えている。


+++

 いつきはジャージを着なおすと、その足で再び崖へ向おうとした。すると、ちょうどいつきがとおりかかるのをまっていたかのように、電話が鳴った。いつきは自分が一番そばにいたので、電話を受けた。

「みずもり神社です。」

「…登ったね?」

 いつきはどきっとした。…はるきの声だ。

 いつきが黙っていると、電話の向こうでため息が聞こえた。

「…登るなと言ったでしょう?」

 いつきは答えなかった。

「…もうのぼってはいけません。」

「待って。」いつきは言った。「…あそこにあるはずのない物があったんだ。始末をつける。あれはわたしの世界の秩序だ。わたしがやる。」

「だまりなさい。あなたは取り返しのつかないことをしてくれたんだよ。」

 その声に怒りの色を読み取って、いつきは驚いた。

 翠さんに怒りはないはず…。

 いつきは、普通に人間に話し掛けるように言った。

「…でも再起動は失敗したでしょ。要素がたりてないんだもの。あたしはそれを拾いにいっただけよ。」

「…目的が問題なのではない。あそこの泉をかき回しただろう。」

「まあ、少しね。」

「…この山をきみにたとえると、あの泉はきみの感情領域にあたる。」

「…」

 いつきは考えた。…ということは…。

「…感情領域を踏み荒らされて、怒ってらっしゃる。」

「よくも血まみれで入りおったな、よそものが。現場にいれば叩き斬ってやったものを。」

 …いつきも目玉岩になりかけているらしい。ウハ-と思った。

 だがいつきは、間違ったことはしていないという自信があった。だから少しも怖いとは思わなかった。

「…でも泉に刺さっていた天狗の目玉を引っこ抜いておいてあげたわよ。…あれだけの荒療治だもの、少しも不愉快でないというわけにはいかないわよね。…それに、変な木がはえちゃってるわよ。知らないんでしょう?」

「…」

「…不快かもしれないけど、あの木をほっとくのはどうかと思うわ。やがてすぐにあの泉に、根を伸ばすと思うわよ。…小さいうちに焼き払うから、黙ってがまんして。」

「我慢だと?」相手は笑った。「ふざけるな。おまえは山の心を荒立てて、我慢しろで済むと思っているのか?一度荒れ狂ってしまったら、ゆきつくところまでゆくだけだ。…にごった泥水が再び澄むためには、時間を待つよりほかない。」

「今あの木を焼き払わないと、永久に水が澄むことなんてないわ。」

「木を焼き払って水が澄むだと?寝言は眠って言うがいい。」

「他の秩序に食い荒らされたいの?!」

「わたしの怒りで山が壊れてもよいのであろう、さよう、貴様はヨソモノだからな。」

「もう泉にはいったりはしないわ。小さな木を焼き払うだけよ。」

「…貴様はもうあそこに入ることはできない。」

 結界したな、といつきはすぐに悟った。次元や空間や時間に断層を作ってゆききできなくするのは、「連中」の常套手段だ。

「後悔するわよ!」

「怖れ知らずの小娘め、後悔するのは貴様の方だ。首を洗って待っていろ。」

 電話は切れた。

「…感情の泉だったのか…。」

 いつきは顔をぽりぽり掻いた。

「…いつき、誰から?」

 びっくりしてふりかえると、藍が立っていた。

「…はるきちゃんから。」

 …嘘ではない。

「ふぅん?」

 藍はバカにしたように言った。

 いつきは無視して、とりあえず、はらをくくって部屋に引き返した。 


+++

 陽介が事情もしらずに、部屋で白猫をごろごろ言わせていると、襖のそとで、「よー、うー、ちゃんっ」と、幼児が友達を呼ぶときのような、変な節つきの呼び掛けがあった。

 襖をあけると、藍がいた。

 盆がおわったので、藍も戻ってきたらしい。

「…ああ、どうも。」

 陽介は憮然と挨拶した。

「ねえ、ちょっとこれから、子供達に舞いの稽古をつけるんだけど、手伝ってくれないかなあ。神社は祭に突入するから、正直部屋でのんべんたらりされると迷惑なのよね。あんた静さんから舞さんざ習ったでしょ、ちょっとくらい手伝えるわよ。」

 陽介はムッとした。

「おぼえてねーよ。」

 …陽介は藍が正直なところ嫌だった。

「だから思い出すのよ。」

「うるせえな、しらねえよオマエラの祭なんざ、こっちは今たてこんでるんだ、のんべんたらりしてるわけじゃねえよ。」

「たてこんでるのは知ってるわよ。さっきいつきに電話がきて、物騒な話になっていたから。でもあんたはのんべんたらりしてるじゃないの。」

 陽介はぎょっとした。

「電話って…だれからだ?!」

「あんたが知ってたって、どうしようもないわよ。」

 陽介は青ざめた。

「…どういう意味だ?」

「…だからあ、そんなことどうでもいいから、舞いのおさらいとか、ちょっときて手伝いなさいと言ってるでしょ。さあ、とっとときてちょうだい。…その変な人面猫も一緒でもいいけど、…そいつ、いつきに貸してやったら。そのほうが役に立つわよ。ほんとに変な猫ねえ。顔が人間なんだもの。」

 藍は陽介の返事など確かめず、先に歩き出した。猫は陽介を見上げた。…陽介には、人面猫には見えなかった。 


+++

 買い出しの車は昼前には戻り、田中はハンバーガーの包みを抱えて帰って来た。

 昼食が終わってしばらくたつと、警察の車がついた。ユウが出て、いろいろな書類のやりとりがあり、その後に、遺体を引き取った。

 ユウから知らせを受けて、いつきと白猫、陽介、田中は遺体の部屋に集まった。

 陽介は少し元気になっていた。昼食もとったし、時間もかなり過ぎたので、首の勾玉が効いてきたのだろう。いつきは一応ちゃんとジャージを着ていた。

 遺体はきれいに白骨化しているとのことで、骨つぼにおさめられ、衣服や遺品は別にしてあった。

 いつきは骨つぼを開けて手を突っ込んみ、かきまわした。そして「ん、これだ」といって、一つの骨片をつまみあげた。

 骨には、なにか別の金属片のようなものが突き刺さっているように見えた。

「…どこなのかしらね、これ。」

 ユウものぞきこんだ。

「わかんない。小さいね。」

 ユウといつきは二人がかりで骨片からその金属みたいなものをほじくり出した。

「…なんか七色に光ってるわあ。」

 みなで珍しげにその金属片ふうのものをまわし見た。

「…で、次は鳶ね。日が暮れないうちに。鳶は一応鳥だから、夜目がきかないでしょ。」

 いつきが言うと、ユウが尋ねた。

「これ、埋葬許可は出ているんだけど、墓地に普通にしちゃっていいの?」

「や、ダメ。…このひと、まだ死んでないの。」

「…じゃ、どうすんの。」

「翠さんと相談かな。」

 陽介が言うと、いつきが言った。

「うーん、なんかね、ちょっと翠さんを怒らせちゃったみたいで、あたしが翠さんと協力するのはちょっと無理っぽくなっちゃったんだけど…。」

 陽介は「がー」な顔になった。田中が言った。

「…怒るって話はあまり聞かないなあ。確かかい?」

 いつきはにこにこして手をあげた。

「…さっきお怒りのお電話をいただきました。」

「ばちがあたってもいいとか言うからだよ…どうしてもっと謙虚になれないんだ…」

 陽介がぼそぼそ言うと、いつきは言った。

「あいつらは頭下げて許すような連中じゃないよ。怒ったらしばらくは怒りっぱなし。まっ、目玉が取れたおつりみたいなもんよ。」

 猫がにゃーと同意した。

「…翠さんが怒った…?…そうか、鏡池がつながってるから…」

 ユウはぶつぶつ言った。

「…いや、心配ないよ。大丈夫。…怒ったとしても、翠さんの刀、静がかくしたから…。いつきが斬られたりはしない。…だいたい、やかましすぎなんだよ、静があすこで死んだときは何も言ってこなかったクセに…」  

 …陽介もいつきも田中も、じつは奥の院に入ったとは言えなかった。

「…それに、翠さんが荒御霊に転じたなら、姫は和御霊に転じているはず。大丈夫よ。…翠さんから体をとりあげて、かわりに姫を呼べば。わたしが呼ぶよ。」

 3人はびっくりした。

 田中は尋ねた。

「…姫って…、なんなんですか?」

 ユウは言った。

「…上澄みが翠さん、沈殿物が、姫。…かきまざったら、性を足して2でわった状態になる。あの方々は、お互いに、意識的には干渉しあえないの。裏と表みたいなものね。かきまざったということは、裏と表が一時的につながってしまったということ。メビウスの環かしらね。」

 いつきは確認した。

「おばあちゃんは、ユウは翠さんと喋らせないようにしているといってたけど…村の解体後、縁が切れない心配があるからっていうのは嘘だったんだね。」

「うん。姫とつながるためには、翠さんと話さないほうがいいってこと。…姫は普段は怖い神さんだから、奥の院に存在を隠されてるの。うちの氏子衆だって全員知ってるわけじゃないよ。」

「…今はいないんだよね。どこにいるの。」

「…居場所はわかんないよ。でも、呼ぶことはできる。」 

 田中はうなづいた。

「じゃ、ともあれ、鳶の件をやってしまおうか。」

 4人は立ち上がり、表へ向った。廊下で陽介は、いつきにこっそり尋ねた。

「…焼いたか?」

 いつきは首を振った。

「…だめ。結界された。…あたしはもうあそこには入れないと思う。」

「うへえ。」

 陽介はユウウツそうな顏になった。

「…しかたないね、木のことは。できるところをやっちゃおうよ。」

「そうだな。」

「…でもユウがやるっていったって…ユウは舞いがあるのにどおすんのよ。それに体をとりあげるって…」

「月島さんは姫に頼めばはるきの体は返してもらえるようなことを言ってた。多分何か姫の側には手があるに違いない。舞の件は…考えたくねえ。とにかく今は天狗だ。」

 いつきはうなづいた。陽介の「考えたくねえ」の本当の意味はわかっていなかった。


+++

 「静さんは確かになんかに餌付けしていたよ。あまり詳しくはしらないけど。」

 田中の言葉にユウも同意した。

 二人が、残りの二人と猫とを連れて行ったのは、沢へおりる道から少しわきにそれたところで、地中に埋まった大きな岩のアタマがちょこんと地面から顔をだしているところだった。

「ここでなんかやっていたと思うわ。」

「うん、僕も静さんがここにいたのを見たことがある。」

「天狗を餌付けしていたとは思わなかったけどね…。」

「同感です。」

 田中はあいづちをうちながら、バーガーの包みをあけ、においが広がるようにした。

 陽介は首をかしげた。

「なんでハンバーガーなんだろう。」

 いつきも首をひねった。

「…鳶は肉食だから?」

「鳶といえば油揚げだよな?」

「カロリーの高いものとタンパク質ならなんでもいいんじゃないの?」 

 田中が言った。

「静さんあんな顔だったけど、ジャンクフードが好きだったんだよね。いろいろ買いだめするクセがあったから、ハンバーガーがあまってたんじゃないのかな。」

 ユウが言った。

「肉食したりジャンクフードたべたりすると、感度が下がるからね、静的には、神経にやさしい食べ物だったのよ、多分。それでよく食べてたんだと思う。」

「へええ、ハンバーガー食べると、霊力さがるの?」

「そゆこと。ふわふわにする添加物の入ったパンとか、砂糖でも下がる。パンは噛み締めるように固いのがいいのよ、本当はね。」

「へええ!」

「感度あげたかったら、菜食よ。有機栽培、それも声と愛をかけて育てた野菜がいいらしい。でも上げ過ぎると別の意味でしんどいしね、瞬発力もたりなくなるし、うちは婆もたまに肉食。」

 いつきは食べ物で力が左右されると感じたことはなかった。というか、それほど頻繁に力を行使していたわけではないので、わからないというのが正直なところだ。しかも故郷では選べるほど食べ物があったわけではなかった。

「…で、どうすれば呼べるかな。」

 田中が話を戻した。

「…ま、みんなで祈るしかないんでないの。」

 陽介が言った。

「…祈って物事が解決すりゃ世話ないっていってるじゃないの。」

 ユウが言うと、陽介はちらっと横目の視線をユウに注いで言った。

「…他にやることねーんだから、祈ればいいじゃん。」

「ばかばかしいっ」

「じゃお前は好きにしろよ。巫女さんのくせに祈りもしねーのかよ。ありえねえ。」

「巫女さんじゃないもの、宮司だもの。よりましじゃなくて、祭司なんだもの。」

「じゃ祭司らしく呼んでくれよ。」

「言われなくったって呼ぶわよ!」

 田中といつきが「しーらないっと…」という顔で、手を合わせてお祈りのかっこうになると、ユウも結局お祈りポーズになった。ユウにとってはこれは祈りではなく、あくまでcallingらしい。陽介はそっとポケットから勾玉をだして握り、鳶を呼びたい、と念じた。

 どれくらい時間がすぎたろうか。足下にいた白猫が、シャーッと威嚇の声を立てた。

「来たっ!」

 ユウの声もして、全員が目を開くと、空に黒い点が現れ、近付いてくるところだった。

「いつき、頼むぜ!」

「まかしとき!」

 影がちかづいたところで、田中はハンバーガーを手に持って、頭の上で大きく振ってみせた。警戒しながら鳶が旋回しはじめる。いつきは目をはなさずに、片手に目玉の石、片手に七色の金属片を持って、タイミングを待った。

「…投げあげていいかい?」

 田中が訊ねる。いつきは「オーケー」と言った。

 鳶が舞い降りたところで、田中は軽くバーガーをなげあげた。

 鳶が急降下してそれを掴んだ瞬間、いつきはすばやくヒュンヒュンともっていたものを続けてなげつけた。鳶はそれを受けて一瞬よろよろとおちそうになったが、体勢をどうにか立て直して、バーガーを掴んだまま飛び去った。

「お見事!」

「いいタイミングだったわ!」

 田中といつきは軽くハイタッチ。

「これで部品はそろったってことね。」

「次は骨だな。」

 3人がほっと一息つきあっていると、ユウは突然遠くを見るような目になった。そして言った。

「…ほんとだ、翠さん怒ってる。…かえってくるみたい。近付きつつあるわさ。」

「…」

「…いつき、隠れたほうがよくねーか?」

 陽介が言うと、ユウは首をふった。

「隠れてどうすんのよ、翠さんから体を取り上げるんだってば。」

「どうやって。」

「とりあえず、中にもどりましょ、帰りつくまでにまだだいぶあるわ。今二の沢あたり。まっ、なんとかなるわさ。…ああ、尾藤くん、ちゃんとついてきてね。」

「ニャ-」

 4人は神社に引き返した。 


+++

 いつきの部屋につくと、ユウは座布団の上に白猫を座らせて、白猫に向って言った。

「よいか、よくおきき。

 奴だって、だれでも彼でもからだを借りられるというわけにはゆかぬ。なにかどこかが、奴と共鳴していないと、その中にはいられぬ。それに、なんにせよ、おまえの許可がないと、その体にいられぬ。わかるかえ?」

「にゃー」

 なんか喋りかたがへんだなー、とは、猫も含めて全員が思った。

「…おまえの何が共鳴しているかは知らぬ。だがおまえの心のうちにあって、だれにも話せないような部分であれば、奴はおまえを説得しやすいのだ。なぜというなら、そういった部分のことであれば、おまえはだれにも援軍をたのめないから、折れやすいのだ。」

「…にゃー」

「…罪悪感などあれば、最高の条件なのだ。」

「…」

「…思い当たることがあるか?…まあいい。とにかくおまえはそこをやつに掴まれてしまった。…わかるな?拒め。そして体をとりもどすのだ。」

「…」

 ユウは懐からヒモを取り出して、白猫の胴にゆわえた。

「それ、これを持つがよい。」

 ひもの端は田中に渡された。

「『そなたとわたし』という場をつくってはいけない。『そなたとわたしとだれか』でなくてはならない。猫を離すでないぞ。よいな。」

「はぁ、わかりました。」

「…ではあずけたぞえ。」

 ユウはそう言うと、一人で出ていった。

「…」

「…」

「…いっちゃったね。」

「…なんだぁ、ありゃあ。」

 陽介が不審そうに呟くと、いつきはケロっとして言った。

「ああ、姫、姫。」

「…」

「…」

「…そんなになめらかに入れ代わるのか?」

「ものすごーくなめらかだったよ、あたしが呼んでもらったときも。」

「でも何の儀式もなかったね。」

 ひもを手持ち無沙汰に弄ぶ田中が言うと、いつきは言った。

「そうね。」

「…そんなに簡単なものなのか?」

 陽介が言うと、いつきは口を尖らせた。

「しらねー。」

「…」

「…」

 3人が黙った。

 …まるで、ユウの中に姫が住んでいて、ユウの意志で自由に入れ代わっているかのような印象をうけた。

 よくよく考えてみると、それは無気味なことだった。

 翠さんが上澄みで、姫は沈殿物、とユウは言った。

 …沈殿物が、ユウの中に凝っているのだとしたら、あまり気持ちのよいものではなかった。そこには、翠さんが普段もつことのない、怒りや争いや…憎しみや…なにかそういう黒っぽいものがあることになる。…翠さんが育むものである以上、姫は屠るものということになる。また、そのイメージが、ユウが怒りに我を忘れているときのイメージと、無気味に重なるのだ。

 陽介は、ユウがはたして本当に人間なのか、怪しく思えて来た。

 陽介の深いところにある恐怖と、ユウという人物はどこかがつながっているような気がした。

 3人と一匹は口をつぐんだまま、時間を待った。

 ユウと違ってレーダーがついているわけではないので、だれも、翠さんが今どのあたりにいるのかは分からなかった。

 だがしばらく沈黙の時間をすごしたあと、猫が、ぴっ、と顔を廊下に向けた。

 …ずしん。

 重い音がした。

「…来た。」

 いつきがキッと入り口を向いた。

 いつきの目が吊り上がる。

「…いつき、のっけから噛みつくなよ?」

 陽介が言うと、いつきは一瞬だけ陽介に目をくれて、あとはまた襖に注目した。

 重い音が近付いて、襖の前で止まった。

 そして襖が音もなく左右に開いた。

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