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Till you die.  作者: 一倉弓乃
30/41

29 GOURYUU

「いつき、いないのかい」

 部屋の外でユウの声がした。

 陽介は着物をはねのけて起き上がり、襖をあけた。

「いねえぞ。」

「…どこいっちまったんだい、あいつ。」

 ユウは微妙に陽介から目をそらして言った。

 白猫がにゅーんと伸びをしている。

「田中さんとこにいないか?」

「田中センセイはいつきの代わりに皿あらってるよ。」

「田中さんに聞いたか?」

「…さあ、とかいってたけど…」

「…しめあげてやる。」

 陽介は断固として言うと、ユウをおしのけて廊下を早足で歩み出した。ユウはすこしあっけにとられていたが、すぐに追ってきた。

「…どうしたんだい、なんかあったの。」

「…」陽介は説明のしようがなくて、イライラした。「なんか、は、あったさ。しかしどうしたもんだかな。」

 台所で田中を見つけると、陽介は声をかけた。

「田中さん、」

「あ。なんだい。」

 田中は心無しかそっけなかった。

「…いつきはどこ。」

 陽介が短く尋ねた。

 田中がとぼけようとしたので、陽介はもう一度厳しく問いただした。

「いつきはどこですか。急いでるんです。」

 すると田中は少し顔をゆがめて応えた。

「…怒鳴れば僕が口をわるとでもおもっているのかい。」

 ユウがあわてて言った。

「田中センセイ、どうして隠すんですか?」

 田中は目をそらした。

 陽介がつかみかかろうとしたとき、後ろから、にゃーん、にゃーん、と白い猫が鳴きながら追いかけてきた。そして、陽介の足下にすがると、にゃーっ、にゃーっとつめをたててジーンズの裾をぱりぱり言わせた。

「なんだ?」

 陽介が聞くと、猫はぱっと離れて、こっちこいとばかりに一度ふりかえってから、駆け始めた。陽介とユウは後を追った。田中もあせった様子で立ち上がり、一緒にあとを追った。

 猫は一気に駆けて、行をおこなう滝へ辿り着いた。みなが見上げると、そこの崖を半分ばかり、いつきがよじ登っているではないか。

「! いつき!! なにやってんだ! そこいくと…!!」

 陽介の声に、いつきが振り向いた。あーきやがった、という顔をしている。…ユウがあとをひきとった。

「ばかっ、女人禁制なんだよ!!」

 田中だけが別のことを言った。

「かまうなっ、いそげっ!!」

 いつきが何か叫びかえそうとした、そのときだった。

 ぐら…と山が揺れた。

「ひっ…」

 田中は思わず息をのんだ。

 地震、だった。

「…ばかっ、おりてこいいつき!!」

 ユウは気丈に叫び続けた。

 ぐらり。さらにもう一度、逆に揺り返した。

 岩が崩れる。遠くでごごごご…と無気味な音がした。

 陽介は駆け出した。

 だがそれ以上は進めなかった。

 地面が波うつように縦にぐらぐら揺れたのだ。

 自分も転びながら、視界の端で崖からころがり落ちるいつきの姿をみた。だれかが叫び声をあげている。あらぬところの岩が水をかぶった。

 ほんの数十秒のことであった。

 揺れがおさまって、3人はわっと駆け出した。一斉に、崖から落ちたいつきに群がる。いつきは目を開けていたし、意識もあった。

「ばかっ、なんであんなところあがるんだいっ、ええっ?!」

 ユウが責めると、いつきは呟いた。

「この揺れって、再起動の余波だろ…間に合わなかったか…」

「どうする気だったんだいっ!!ええっ?!」

 はあはあ息をつきながら、田中が答えた。

「…奥の院に、別の力が入りこんでいると言うから…いつきさんは調べると…。…久鹿君が奥の院から戻ったときのことを考えると、ここから登ればって…ここを…」

「…いい読みだ。お前にしちゃ上等だぜ。だがその前に話があるんだ、聞いてからにしろ。…怪我はないか。」陽介も息をつきながらやっと言った。

「…ま、ちょっと痛いけど、大丈夫さ~」

「どこだ。」

「…背中擦りむいたっぽいな。戦闘服でも着てりゃよかったんだけど…」

 ユウはそういわれて、いつきの背中をささえていた自分の手を見た。

「ぎゃあああああ!!」

 血まみれ、だった。

「ばかーーーーっ!! 舞いがーっ! 舞いが-っ!!!」


+++

 とりあえず、傷をあらって、いつきは連れ戻された。

 …おばあちゃんに、しこたま叱られた。

 何をしかられたかというと、皿洗いを田中に代打させたことを、であった。洗い物は大切な修行なのだとおばあちゃんは言った。皿を洗うことで、魂をあらっているのだから、と。…あとは何もお咎めなしだった。そのかわり、怪我の面倒もみてはくれなかった。

「…蓬でも取ってきて、よく噛んで、傷にはっつけときな。」

 見もせずにそういっただけだった。

 …というか、どんな酷い傷でもここではそれ以外に手当てのしようがないのだ、と、陽介は気付いた。

「…あたしがさがしてきてあげる。いつきを部屋へ…ね。」

 ユウはしょぼんとして言い、出て行った。いつきは別に誰の手も借りず、一人で歩いて部屋へ向った。田中と陽介と猫はついて行った。

「…痛むか。」

「べつに。ひりひりするだけよ。」

 …いつもなら肩をすくめるところだが、傷がひきつれると痛むのだろう、いつきはやりかけてやめた。

 この状態で舞いは難しいかもしれない。だが宵宮まで、まだ2日ある。いつきの恐ろしい治癒力ならなんとかなるかもしれなかった。

 部屋について座布団を並べ、いつきをうつぶせに寝かせた。

「…深い傷ではないけど、痛いは痛いだろうね。どこかひどく打ったところとかはないかい。」

 田中が尋ねた。いつきは、別に、ぜんぜん、と言った。

「…そりゃたいしたもんだ、あの高さからおちて…。打ちどころが悪かったら死んでたろうな。」

 いつきは猫並にうまく受け身をとる。陽介も過去驚嘆した記憶があった。

「…陽介、言いたいことってなんだい。」

 いつきが尋ねた。

 陽介は少し考えた。

「…さっき、姫とやらから連絡があって、…」

「えっ、あんたのとこに?なんだってあんたのとこに…」

「ああ、多分俺は曲がりなりにも正規の道筋で奥の院にあがったからだろ。…話せば長くなるが、…やるべきことは決定済みだ。」

「どうやって??」

 …夢を見た、とは、なんとなく言いにくかった。夢を見る、というのは、ハルキやいつきに対して…別の意味にあたるような気がした。

「…うまく説明できん。」

「…何をしろって?」

 陽介は清潔なタオルで傷の周囲をかるく押さえるようにして、流れる血と水をぬぐった。

「…ひとつ。姫ととりひきするべからず。」

 いつきも田中もだまって陽介の言葉に耳をかたむけている。

 陽介は続けた。

「…ひとつ。着物を隠していた犯人は姫。

 …ひとつ。奥の院の鏡池に、天狗の目玉が沈んでいるので、それを拾って、鳶にかえすこと。返さなければ翠さんの再起動は無効。」

 田中は素早くいつきに目を走らせた。いつきは目でうなづいた。

 …こいつら、いつのまにかアイコンタクトするようになってら…と陽介は内心思いつつ、続けた。

「…ひとつ。月島さんと静さんが苦労の末に閉じた瑕を、ハルキの光が暴いてしまったので、この瑕を修繕すること。」

「はるきちゃんが?どういうこと?」

「…おめえのおふくろのつけたしるしがギラギラと凶暴なんだ。ちゃちな縫い糸なぞあっというまに焼き切れる。俺が供物台にはるきを連れて行った時に、やっちまったらしい。」

「どうやって修繕するの。」

「…」

 陽介は手を止めて、考えた。

 あれをどう説明すればいいのかさしもの陽介の頭でもなかなか整理がつかなかった。

 陽介が困っているのを見て、田中が言った。

「…どうやら、方向性はこっちと一致している。こっちでわかったことも話すよ。」

 田中はそういうと、昨日つかんだという情報をかいつまんで、話した。

 陽介はそれを聞いて、登場人物の名を知った。

「…しかし、よくそこまで…どうやって…」

「…ま、こんな言い方あれだけど、…滝がささやいてた。」

「…」

 俺よかひでえ情報源だな、と陽介は思ったが、自分も人のことは言えないし、だいいち、筋は一致している。文句無しだった。

「…ところで…登場人物のなかに、ウィルって人がいなかった?」

 陽介がいうと、田中はびっくりして目を見開いた。

 腹ばいに寝そべったまま、いつきが足をばたばたさせた。

「んふー、それはねっ、田中やんのことよん。」

「えっ、そうなの?」

「えーっ、ああ、うん…。」

 田中は言いにくそうに答えた。

「ウィルっていうの?その日本人的な顔で?!」

 ちゃうちゃう、といつきが手を振った。

「ウィリアム。」

「…だいぶ遠い血なんですか?」

「…じいさんがハーフ…。」

 じゃあ、…あれは田中さんあてだったんだな、と陽介は言った。

「…着物、姫がかくしてごめんて…いたずらの類いらしい。気にせず全部持って行くようにって。…あなたにはあれが必要なはずだって言ってたよ。」

 田中はびっくりして言った。

「言ってたって誰が!」

「…多分、静さんなんじゃないかな。まあ、伝言、だから…」

 陽介はもごもご誤魔化した。

 なぜか、静のことは陽介の口からは田中に言わないほうがいい気がした。17年「可愛い子」をやってきた直観のようなものだった。…さりげなく話を変えた。

「…それより、発生時間のところでひっかかったって言ってたよな?」

「うん、そお。」いつきがのんきに答えた。

「…事態が錯綜しているんで、いっぺんに説明することはできないんだが、…神々がふっとぶようなショックがあって、そのときに、時間や空間の壁が一時的に突き抜けて、普段は独立している異なった時間や空間の間が通行可能な状態になってしまって、そこを迷子のごとく走り回った女…つまり芝浦夫人が、迷走中にいろいろな事件をひきおこしているというのが実態なんだ。だから前後関係も時間もめちゃくちゃなんだ。」

 陽介は芝浦夫人の行動にそって、おこった出来事をひととおりなぞってまとめとした。

「…あのさ。」

 いつきが言った。

「…シバウラ君は死体だったわけなんだけど、…意識はまちがいなく生きてるみたいなのよねえ。それもかなり俗っぽく。」

「…いきてる?なんで。」

「まあ詳しい説明は省くけど、シバウラ君は、まだ忘れ物を探し出していないの。」

「…」

「…」

「…じゃ死体は?」

「…現状、併存しているってことなんでないかな?」

「…死体が、多い…」

「まてよ、じゃあまだ呪いはなされてないってことなのか?」

「そうともいえるし、そうでないともいえるわけだ。…死体さえでてこなければ、現実はともかく、世間体はなんとか事実関係を取り繕っていられたわけなんだけれども。たしかに、死体が多い、というわけね。」

「…」

「…」

「…廃屋か供物台で、芝浦夫人をとめることができたら…」

「それはいい考えね。でもどこの時代なのかわからないわさ。…まあ、ほっとくしかないね。…ただ、死体が多いわけだから、死体を隠滅してしまう必要があるわね。…つまりその死体っていうのが、しずかっち・なおとっち兄弟が必死こいて隠したブツなわけでしょ。」

「…ひとつ、死体を封じなおす。」

「まってくれ、もしかすると、その死体にも鳶の一部が落ちてるかもしれないんだ。」

「じゃ、さらに一つ、四散した鳶のかけらをなるべく集めて、返す。」

「…ハンバーガーで。」

「ハンバーガーで。」

 んふー、といつきは言った。

「…んじゃまず、陽介はハンバーガー買い出し。あたしが奥の院にのぼって目玉をさらう。必然的に、田中やん、死体ドロ。」

 陽介と田中が一斉に抗議した。

「なによお、一番しんどいとこをあたしがやるっていってるのに。」

「まず田中さんに死体ドロは無理! 警察にあるんだぞ。 それから奥の院は、女人禁制!」

「あら、だいじよーぶだいじょーぶ、そういうの古いって。」

「おまえなんだってそうあそこに登りたがるんだ!!」

「そこに崖があるからさ!」

「アホ!」

「…わかったよ。」いつきは口を尖らせて目を閉じた。「…死体ドロはあたしがやるわさ。陽介は奥の院。田中やんは、ハンバーガー。」

「いや、待ってくれ。」

 田中は言った。

「…まあ、買い出しついでにハンバーガーくらいは買ってこよう。でも、骨を盗むのは、意外と簡単だと思う。」

「どうして。」

「このあたりの慣習から言って、警察はたとえ骨でも置いておくのをいやがる。各種データがとれ次第、すぐに処分するはずだ。…だから、逆にうめられてしまったあとなら、墓ドロで済む。」

「無縁仏探すの大変じゃないですか。」

「警察専用の一番あたらしいロッカー墓でビンゴだよ。この辺は人口が少ないからすぐわかる。」

「…なるほど…」

「…だからそれよりむしろ…盗み出してどうするってことだ。もう記録もとられてしまって、なかったことには出来なくなってる。…封じなおすといっても、供物台のそばにでもうめればいいのかな?」

「そこんとこは翠さんに頼むしかないみたいです、ただ、翠さんとはるきの組み合わせでは明る過ぎて瑕がみえないらしいので、いつきの同行が望ましいとのことです。…まず、とにかく、手にいれないと…。しかし遺体が焼却なんかにまわるとまずいですね。そこに天狗の一部が…。」

「…急ぐということだね。」

「…あたしがやるからまかしとき。」

「まって。」

 襖が開いた。ユウだった。

「…あんたたち、なんの話よ…。死体なんか…盗み出してどうすんの?」

 田中も陽介も難しい顔になった。どこから説明すればいいのかわからなかったのだ。

 いつきは床につっぷしたまま、顔だけあげた。

「…こないだ供物台の近くで出た白骨ね、…あんなかに天狗さんの一部が埋まってる可能性が高いんだって。だからなんとかこっちにほしいわけよ。」

 田中も陽介も黙ってユウの顔を見た。ユウは、なーんだ、そんなこと、という顔になった。

「…そういう話ならこっちにまかしといて。うちで引き取る。大丈夫、うちは葬祭のプロさね。なんならうちの村の者かもしれないからっていえばいいわさ。…どうせここの警察は、供物台がらみのことは、なんでもうちに責任をおしつけたがってるのよ。」

 おお、と3人はどよめいた。

 ユウはてきぱき入ってくると、洗い晒しの白い大きな布を田中に差し出した。田中は察して、それを裂いて包帯をつくった。ユウはすり鉢で蓬をすりつぶし、蓬がやわらかくなってすこし汁がにじんだあたりで、それをいつきのせなかにぺたぺたとはりつけた。

「おっ、意外とソフトでここちよい。痛みも消えたわさ。」

「蓬ってけっこうバカにしたもんじゃないでしょ。」

 背中一面きれいにはりつけると、男二人に向こうを向かせて、はがれないように包帯を巻いてくれた。

「…そんなことより…舞いはどうしてくれるんだよ…。」

 ユウはがっくりしてそう言った。

 いつきはバツわるそうに謝ってから言った。

「でも多分まにあうよ、あたし怪我の治りすごくはやいし、そもそもたいした怪我じゃないもん、今日中にかわくよ…」

「ばか。こんないちめんのかさぶたしょって、やれるかい。衣装に血がつくじゃないか。」

「…」

「…」

「…それはないんじゃね?けが人に向って。」

 陽介がぼそっというと、田中が、やめてくれ、という顔で陽介を見た。

「…いつきだって山のために一生懸命がんばってんじゃねーか。それが衣装が汚れるとはなんだよ。」

 するとユウの目がみるみるつりあがった。さしもの陽介も引いた。ユウが怒鳴った。

「なんだいっ、自分に大役があるとわかっているんだから、怪我をしないように気をつけるのは当り前のことだろ!! それに、あんたはあの衣装がいくらするかしってんのかいっ!! …だいたいあんたはねっ、ドクターヘリの件といい、金銭感覚が異常なんだよっ!!」

「なっ…」津波のような怒りにたじたじとなりつつも、陽介も怒鳴り返した。「ヘリの件は俺が払うっていっただろ! それに結局よばなかったじゃないか!!」

「実際にいくらかかったかの問題じゃないだろ、あんたの金銭感覚の話をしてるんだよっ!!」

「俺の金銭感覚がどうだろうと貴様のしったこっちゃねーだろ!」

 田中が「あーあーあーやめてーやめてーやめてー」という顔で耳をふさいだ。いつきはげらげら笑った。

「やれやれーい、もっとやれーっ」

 ユウと陽介が一斉にいつきの頭をボカスカぶった。

「誰が悪いんじゃコラァ!!」「テメ-登るのはともかくなんだって落ちやがるんだよ普段の超絶バランスはどうした!!」

 いつきはてへへと頭をさすった。

「…いやあ、さすがに、掴むとこがとっさにみつかんなくて~。タイミング悪かったわア。…まあそれよりね、あたしの舞いは…まあ、できると思うんだ、多分。…」ぎやーっと口を挟みかけたユウの口をふい、と人さし指でかるく押さえて、いつきは続けた。「…それよか、あんたそのふらふらの足で、奥の院にあがれんの、陽介。」

 陽介はつまった。

 …確かに、無理っぽかった。

 田中も深刻な顔になった。

「…困ったね。」

「…そこでだ。ちょっとためしてみないかい。」

「ためすって何を。」

 いつきは猫の頭をなでなでとなでた。猫は目をつぶってぐるぐる言った。

「…あの廊下んとこの池、なーんか変なクセがあるんだよね。周期的になんか、どこかと繋がったりしてるっぽいんだ。昨日ユウから聞いたけど、奥の院に繋がってるんだって?手始めに、ちーとさらってみようよ。あそこならすぐそこなんだし、水深30センチでしょ。ふらふらだろうが、けが人だろうか、たいして問題にならない。」

 3人は顔を見合わせた。

「…奥の院なんかにつながってるの、あそこ。」

 田中が尋ねた。

 ユウはうなづいた。

「…まあ、どういう形で繋がっているのかはよくわかんないけど。」

 …もしうまく繋がっているのであれば、妙案であった。


+++

 4人は黒い池までやってくると、おのおの裾をめくったりして用意をし、陽介などはおそるおそる、田中は気にせず、ユウは勢いよく、いつきはジャブジャブと池に入った。水はぬるかったが、いかにも何か変なものが解けていそうなその黒々とした色に反して、水はさらっとしていて臭いもなかった。4名はおのおの池の底に手をついて、そこに薄く堆積した泥の中を探り回った。

 しばらくして、ユウが言った。

「ねえ、ちょっとみんなここを見て。」

 3人がざばざば寄り集まると、ユウが、縁に近いところの石のそばを指差している。3人とも覗き込んだ。

 陽介と田中にはさっぱりだったが、いつきがうなづいた。

「…見えるね。」

「…見えるけど、さわれないんさ。ちょいとさぐってごらんよ。」

 いつきはそろそろと手を差し入れたが、何も触らないようであった。

「…これは…見えるけど、手がとどかないね。」

 陽介は尋ねた。

「…目玉?」

 いつきは首を振った。

「…形状はわからない。でも少し光を放ってる。」

 陽介は少し考えて、ポケットからもらいものの勾玉を出した。そして試しにちょっと祈ってみた、それがとりたい、と。

「ギャッ!!」

 いつきの動物じみた声に、岸にいた白猫とシャーッという威嚇の声が重なった。

「わっ…!」

 田中の声がして、陽介はすぐ隣にいた田中に肩を掴まれた。

「やめなさい!」

 鋼のように強いユウの命令で陽介は我に返った。そのとたん、田中の手の力が弛んだ。

「なんなのそれは!」

 ユウはざぶざぶと陽介に近付いた。陽介は手をポケットに戻して、回答を拒否した。

 いつきもびっくりしている。そしてあきれたように足下の右、左を見て言った。

「…陽介、それ、なんだかしらんが、ここで使うのはヤバいわさ。みてごらん。」

 陽介がユウとにらみ合いをやめて周囲を見ると…水がすっかり消えているではないか。

「…これか…。」

 陽介は水の変化など気にもとめずに、かがんだ。すると…

「わっ!」

「ちょっと!」

 慌てていつきが陽介の後ろ首をつかんで助け起こした。

「よく見なさいよバカ! 水がなくなったんじゃないの、澄んだの!!」

 陽介は気付かずに水に顔をつっこんだらしかった。顔をはじめとし、背中や一部を除いて、びしょびしょになっていた。陽介は腕で顔を拭った。それどころじゃない。

「…たしかに、なんかもやもやっとしてるな…。手にとって見られるものでもなさそうだが…。」

「うーん、そおね。多分、奥の院の鏡池の、『ここ』に沈んでいるのは間違いないみたいね。でもこっちからじゃ手がとどかないんだわさ。…てゆーかね、これは…どうやったの、陽介。」

 いつきはざばざばと澄み切った美しい清水を足でかきまわした。みずはきらきらとかがやき、底の石や、沈んだ朽ち葉のいろがはっきりと判別できた。いつきがかき回すのをやめると、水はしずまりかえって、まるでそこにないかのように透き通った。

「…い、祈った。」

「シロウトにそんなことできたらこっちはあがったりだわよ。」

 ユウが怖い剣幕で言った。

 そんなやりとりの間、田中だけは目を見開いて、眉をしかめて水をじっとみていた。 何かを考えているようすだったが、急に一人だけ水から上がった。

 3人には声もかけずに、濡れた足で渡り廊下の柵をのりこえると、台所のほうに歩いて行った。

 田中の背中にいつきも何か察したようすだったが、何も言わずに、陽介の方に向き直った。

「…ここの池はさっき、あたしたちが底をさらったときには、かろうじて向うの鏡池のようすが透かし見える程度の状態だったんだけど、今一瞬、どこかのでかい水脈と繋がって、一気に水がいれかわったのよ。…あんたはぼんやりしてたけど、田中やんが掴んでくれたでしょ、流されそうな勢いだったんよ。」

 そういうことらしかった。

「…多分その水脈をつたっていけば、…あんたがぼけっとしていたときの状態であれば、奥の院に、…まあ遠くの果てだったとしても繋がっていたんたと思うんだけど、水脈とつながりっぱなしだと、神社が水没しちゃうかもだったわ。すごい勢いだったもん。だからユウがとめたのよ。」

「…ああ、うん、…すまん。」

「…どうやったの?あんたは逆さにふってもなにも出てこない普通の人なのに…。」

 いつきは不思議そうにもう一度尋ねた。

 陽介も答に困った。

 すると、ユウが言った。

「…いつき。」

 陽介といつきはユウのほうを振り返った。

「…きいたってはじまらない。…静もできたよ。いつでもってわけじゃなかったけどね…たまに…。…それよりあんた、何か今ポケットにいれたでしょ?それは何?」

 陽介は答えなかった。いつきが言った。

「…勾玉、だよね。居眠りしてたとき、山伏にもらったんでしょ。使い方がわかったんだね?」

「…まあ、祈っただけ。」

「ちょっとお貸し!」

 ユウが陽介に手をつきつけた。

 陽介はしぶしぶそれをユウに手渡した。

「あっ…熱っっつ!!」

 ユウはびっくりしてそれを水のなかに落としてしまった。

「おい!」

 陽介は怒って、水に手をいれて拾った。幸い、水は澄んでいたので、どこにおちたのかはすぐにわかった。

 いつきがユウに言った。

「…ユウ、あたしも持てないんだ。あたしの場合は重くて重くて…。」

 陽介は勾玉を、ユウからもよく見えるように自分の掌に置いた。

「…これはホントはお前が相続するべきらしいんだ。だが、…おまえは持てないそうだから、俺が預かることになったらしい。…然るべき時がきたら、返すよ。」

 ユウはヤケドでもしたかのように、自分の手をおさえたまま、それを呆然と聞いていたが、聞き終わるとじわっと涙ぐんだ。そして言い捨てた。

「…あんたってホントようちゃんにそっくり!! …死んじまえばいいのに!!」

 そしてもつれる白い足を池からひきぬくと、濡れた足のまま、廊下を走って行った。

 池にはいつきと陽介が残された。

 いつきは言った。

「…あの無惨な廊下はあたしが拭くんかね、やっぱし。」

「…どうやらここでは悪者らしいところのようちゃんご当人様が手伝ってやらァ。」

 陽介がなげやりに応えると、廊下で白い猫が、にゃーと困ったような声で鳴いた。

「…てめえはまず着替えて来い。そのままじゃ廊下はさらにひどくなる。」

「…まぁな。」

 二人が見ている前で、ゆっくりと池はまた黒ずみはじめた。陽介は吐き捨てるように言った。

「…テメ-の親父を愛せなかったせいでテメ-の親父がテメ-よか俺を好きなのは俺のせいなのかよ?!」

「…まっ、あんたがいなけりゃ、そんな事態にならなかったのは確かよね。」

「存在が罪かよ?!」

「別に罪だとは言ってないよ。たまたま傷付く巡り合わせだったってだけさね。」

「くそったれ。」

 陽介も池からあがった。 

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