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Till you die.  作者: 一倉弓乃
29/41

28 SHIZUKA

 翌朝、陽介は這うような気分で朝食の席に向った。

 さんざん餌にされたのだ。もう逆さにしてしぼってもエネルギーはでないことだろう。

 天気が悪いせいもあってか、頭痛がした。

 目もはれぼったくてしばしばしている。膝に力がはいらなかった。

 もう、ヨレヨレだ。

(今なら輪廻から解脱できるカモ…)

 そう思って心の中でだけへらへら笑った。顔を動かす力がないのだ。まして腹筋をや。

 首に下げた大きな勾玉が異常に重かった。

 とりあえず、いつきたちが洗ってくれた自分のシャツがふわっと乾いていたのだけが救いだった。これだけさむくてしけっぽいところで、よくこんなふうにふんわり乾いたものだと思う。

 座布団に座ると、月島がそっと耳打ちした。

「…大丈夫かい?だいぶしぼりとられたようだな。」

「…なんとか生きてるって感じですかね…」

 陽介は呟くように答えた。

 少しして、白い猫がにゃーんと鳴いて、てこてこと開いてる襖から部屋に入ってきた。まっすぐに陽介に歩み寄って、陽介にくっついて、ちょこんと座った。さかんに、自分のニクキュウを舐めて手入れしている。実に満足げだった。おなかいっぱい、という顔で、実際そのあとも食事に手を出したりしなかった。

 月島が複雑そうな顔で白猫をみていると、盆が終わって神社に戻ってきた手伝いの奥さんたちが、質素な朝食を運んできてくれた。陽介はそれをやっとの思いで、口に運んだ。…藁クズでも噛んでいる心地がした。

 月島が言った。

「ようちゃん、…わたしも盆があけたので仕事に行かなくちゃならない。…まあ、おりを見て時々来るつもりではあるけれど…。」

 陽介は情けない顔で月島を見上げた。

「えー…そうなんですか?いつ発つんですか。」

「食事がおわったら行くよ。…何か相談しておきたいことはない?」

「そんなに早く…?」

 陽介は頼りの相手が行ってしまうと聞いて、ほとほと困り果てた。自分はこの状況下でどうなるのだろう。はるきは猫のまま戻らないし、戻らないうちは帰ることもできない。翠さんは陽介から搾り取ったエネルギーで何か大事を成すというし…。

 すると月島は陽介の背中を叩いた。

「…しっかりしたまえ! きみがそんなんでどうするんだ、オカルトマニアの田中は役にたたんぞ?彼はいつきちゃんと組むことにしたようだ。あいつらのたわごとに耳を貸すなよ。ちゃんと現実を見るんだ。いいな?」

 陽介はわけもわからずうなづいた。疲れている陽介にとっては、命令をうのみにするのが、さしあたってもっとも楽な道だったからだ。

 月島は陽介がうなづいたので安心したらしい。うなづきかえして言った。

「…いよいよ困った時は電話しなさい。…でも大丈夫、君は何でも自分の力でちゃんとできるよ。そう、何でも、だ。」

 陽介はもう一度うなづいた。

 食事が終わると、月島は、おばあちゃんに挨拶して、無情にも発ってしまった。白い猫は満足そうに、ごろごろと陽介の足になついた。

 …いつきの姿も田中の姿も見なかった。いつきは食事のあれこれで忙しいのだと思ったが、田中はどうしたのだろう。ここの山で一食抜くのは、けっこうきついはずなのに…。

 …と、思っていたら、田中がお膳をさげに来てびっくりした。

「あれ、田中さん、…今日はお手伝いですか?」

「うん、まあ、成りゆき上。」

 こころなしか田中はてきぱきとして、かつ、はきはきしていた。

「…御飯は…」

「ああ、女衆と台所で食べた。…あっちは野菜クズとか皮とか使ったまかない料理だから、こっちで客扱い受けるより一品くらい多いんだよ。大根葉とかも出るし、カロチン補給できるだろ。そのかわり片付けくらい手伝わないと…。」

 そうだったのか!

 …陽介はこのやりとりだけで、他には何の理由もなく、俺もオカルト田中チームがいいな、と思った。…餓えていたのだ、腹が。

「…おなかすいてるの?」

「…すいてます。」

「…部屋もどって非常食だしなよ。…ああ、トムさんでも来てくれればなあ。魚が食べられるんだけど。」

「トムさんて誰ですか。」

「ん、釣り人だよ。休みとれるとたまに来てとまってく。もとはここいらの村に住んでたらしいけど、今はどっかのドームにいるらしいよ。宿賃代わりに、釣ったイワナやヤマメを置いてってくれるんだ。まあ今の時期は来ないよ。仕事がたけなわらしいから。祭りには来るかも?」

 田中がおいてってくれた薬草のお茶を持って、陽介は部屋に帰った。

 白い猫が御機嫌な様子でついてきた。

 …そのまま部屋の畳の上で猫とうとうと眠ってしまったらしい。

 夢をみた。

 豪華な着物を着た髪の長い女がやってきて、陽介に向って言った。

「これ、若者、畳で眠ると風邪をひくぞえ。」

 …なぜか、ユウの声でその女は喋った。

 陽介は眠くて起きあがれずにいた。

 すると女は、陽介の額に手を当てた。

 ひた…と冷たい感触だった。

 陽介は吃驚して、飛び起きた、

「やれ、起きたのう。…静に会うかの?静は会いたがっているぞえ。」

 陽介は、声が出ず、こく、こくと頷いた。

「ではついて参れ。」

 女はそう言って、陽介の前を歩き始めた。陽介は慌てて後を追った。

 女が襖を音もなく開くと、そこには広い座敷がひろがっていて、奥のほうに、座布団を敷いて、ほっそりした男が一人座っていた。…淡い、きれいな色の着物をきている。

「……ちゃん?」

 男には陽介が見えていないようだったが、気配を感じたようすで、陽介のほうをうかがった。

「静さんですか?」

 陽介が問うと、男はうなづいた。

「…こんにちは。」

 陽介はその男が本当に静なのか、判断がつかなかった。とりあえず、挨拶してみた。

 すると男は言った。

「ありがとう、きておくれだね。きみならばきっと、また再び、私を助けてくれるはずだと信じていた。あのときのように。ああ、舞台で出会った時に、また山伏であった際に、もう少しわたしに間や力があれば…。だが、いい。とにかく、おそくなったが、君はきておくれだ。姫に感謝せねばなるまい。

 …姫と取り引きしなかったであろうか。姫と取り引きしてはいけない。気をつけろ。

 …着物のこと、済まないとウィルに言うてくれ。姫は着物の趣味にうるさくて…。ウィルがすべてもっていってくれていいのだ。要らないならば捨ててもいいが、多分あの子にはあれが必要なはずだ。

 …それより、今大変なことになっているようだ。……ちゃん、今一度、奥の院に登り、鏡池をさらっておくれ。あそこに××があるのが見える。××を拾って、油あげ…いや、できればハンバーガーを買ってきて、鳶を寄せ、寄ってきたならば、××を投げ打て。」

「ハンバーガー??」

「鳶はハンバーガーが好きなのだ。わたしが餌付けた。」

「××ってなんですか?」

 その音はききとりにくく、意味は掴み難かった。

 レベルの高い数学の講義に出てくる用語のように、頭に入ってこなかった。

 陽介の戸惑いを、男は察した様子だった。

「…コードの一種なのだ。」

「コード…?」

「…変換規則、いやむしろ、翻訳機のようなものだ。それが時間の軸を一定方向に訳す。鳶はそれをうしなっている。だから時間感覚が人間のそれと合わない。」

「なぜそれが鏡池に…?」

「事故現場だからだ。…鳶は一度四散して、再度結びなおすのに失敗している。ただ、××が池におちたままであれば、たとえ主が一度ほどいて結びなおしたところで、事態はかわらない。あの池は、神々の力を無効にする。人間でなければだめなのだ。」

 陽介は、だんだん事の重大さに気付き始めた。鳶の件ではない、今自分に起こっているできごと、つまりこの静らしき人物との会見の重要さに、だ。

「…それから、直人のことなのだが、…あれは非常によくやって、被害を最小限度に封じ込めた。だからこれ以上事態を広げたくないのだ。あれの努力を無にすることは許されない。あれはそのまま流されていれば、今よりさらに過酷な状況に陥るはずだったのを、さまざまな導師の導きによって、自らを浄化し、仇の血を許すことによって呪いを閉じたのだ。ただ、それは大変な力技であった。…無理をとおしたといっても良いだろう。…人間として技量をつくしたとはいえ、山には瑕が残った。…みがきなおしてきれいに消す必要がある。そうしなければ、直人の閉じた呪いは再びひらいてしまうだろ。げんに、ひらきかかっているのだ。」

「…」陽介はただだまって、一言一句ききのがさないように耳をすました。これは、おそらく山の運命にかかわることだ。わからない部分も丸飲みして覚えておく必要があった。

「…わたしはそれを閉じるために舞台へ行っていたのだ。だが、君の連れていた白い大猫の光が強過ぎて、わたしは為損じた。あのまばゆい光に、巨大な聖獣に、私風情がかなうであろうか。あのような恐ろしい、焼きつくすような光を御するのは、神々、それもよほどの和魂でなければ到底無理だ。姫の力は荒魂ゆえ。」

 …舞台…?…山伏…?陽介は不審に思ったが、そのまま耳を傾け続けた。

「……ちゃん、きみにあげたあれは、君の望みに応えるだろう。わたしの遺産であり片身だ。受け取ってくれてありがとう。…必要なときに使っておくれ。決して、人手にわたさぬように。わたしの許可なくしてあれをつかうことはできないが、多分ほかの者の手に渡れば、災いをよぶだろう。ユウにわたすべきものだが、渡すことができなかった。ユウがわたしを拒んでいるうちは無理だ。…しかしきみや母君は昔ならなぜかわたしと親和性がある。」 

 陽介はうなづいた。何のことだかさっぱりわからないが、話をすすめる必要があったからだ。

「…瑕をなおす方法は?」

「…主を使うしかない。主も瑕のありかをここ数日探し続けている。しかしついに見つけられなかった。さもありなん、あかるきものは、くらきものを我知らず避ける。それは神々でもかわらない。主と大猫では見つからぬ。決して。…あの娘、変な木の臭いがする娘、」

 これはわかった、いつきのことだろう。

「…あの娘なら見つけられるかもしれない。あれはちょうどよい。山の気を知りかけ、そしてあちらの秩序に属している。これからきみに流れを見せる。そこに答があるゆえ、それをあの娘に伝え給え。あの娘と大猫に主つきで、かの地へ赴き、瑕を撫で清め、磨きなおし、ついにはなめらかに。」

「…癒す。」

「さよう。」

 男は陽介に手を差し出した。

 …どこかで見たことがある手だった。

 ああ、ずっと俺は、この手を差し出されていたんだな、と陽介は思った。

 その手を握り返した。

 …ぬるい手。懐かしい手。陽介はこの手の優しさを知っていた。

「…たのみます。」

 陽介はうなづいた。

 その瞬間、陽介は、天井に向って墜落した。

 上に落ちた、…そういう感覚だった。

 一瞬で天井を屋根を衝撃とともに突き破り、青い虚空を目まぐるしく上へと落下した。

 永遠のようにも感じられた刹那がおわり、気がつくと、陽介は別の部屋の中に立っていた。

 四方を襖に囲われた、畳敷きの部屋だった。

 陽介はその襖のうちの一つを、開けた。

 すると呼応するように、四方の襖が全て開いた。

 見回すと、襖の外では、4面それぞれ別の空間の別の時間が進行していた。

 正面では、眼光の鋭い、それでいて不思議と美しい男が、女と別れ話をしていた。その後ろには、月島によく似た面ざしの、それでいてふっくらとして(多分妊娠しているのだ)、とても優しそうな女が、落ち着いた様子で立っていた。…愛されている、選ばれた自信に満ちた女の姿。一方、別れ話をされている女の、吊り上がって凶暴な色を帯びる目には涙がにじんでおり、頭には静かに静かに角が伸びていった。

 左には子供が遊ぶ家がある。裕福ではないようだが、それなりに楽しく暮らしている様子はある。

 右では、同じ家が、廃屋になっていた。廃屋の中で、若い男が探し物をしているようだった。男はなかなか二枚目で、陽介はその男を見て、変なことを思った。

(こいつ、「あの芸能人は今」な、藤堂ジェイににてる。)

 …一曲きりで消えた美少年歌手の…。最近その話をどこかでしなかったか?

 別れ話が終わったらしく、鬼の女は走って男の前から去った。

 長い長い山道を、女は泣きながら駆けて行く。

 山道は、今も昔も変わらない。女がどうであっても変わることはない。美しい緑。美しい水。美しい風。光がきらめく。その山道の美しさが、女の心を無視しているかのようで、…悲しい。

 山道をやみくもに走るうち、女は落ち着いてきたようだ。山の緑が、女の怒りを洗ったのだろうか?

 …右手では相変わらず、廃屋をかき回して、男が探し物をしている。

 左手では、子供が、おかーさんまだかなー、などと替え歌をうたって、無邪気に母親の帰りをまっている。

 後ろで女の祈りの声がした。陽介は振り返ろうとした。そのとき、襖の間のをつなぐ柱が、めりめりと音をたてて、天然木のあらあらしい木肌に変わった。天井から壁から、簾のように木の根が垂れ下がる。

 そのとき、女は突然正面の空間から、突き抜けて右手の空間に現れた。

 廃屋を見回して衝撃を受けている。まるで浦島太郎だ。自分が留守にしている間に、自宅が廃屋になってしまっていたのだ。ドアの傷や子供の落書きを何度も確かめる。…自宅だ、間違いない。女は乱暴にドアをあけて、動顛したまま中に飛び込んだ。

 丁度その時、男は探し物のために、懐かしそうにきれいな小箱をあけたところだった。それは、母親がアクセサリーや印鑑といった大切なものを一まとめに入れて、ベッドの下に入れていたものだった。子供時代は母の留守に、いつもそれを、宝物をのぞき見るように大切に開けて兄弟でこっそりと楽しんでいた。懐かしかった。

 女はそれを見て金切り声をあげた。誰か見知らぬ男が自分の隠し事を暴いているのを見たからだ。男は吃驚して振り返った。そして目を疑った。異常に若い母がそこにいて、自分をまるで強盗を見るような目で見て悲鳴をあげている。蜘蛛の巣だらけの廃屋の中で!

 女は飛びかかって箱を奪おうとした。男はふいをつかれ、さらに右に突き飛ばされて…。

 陽介は今度こそ後ろを向いた。

 後ろでは女には角が生えて、牙がのびていた。男を供物台に引きずりあげると、呪いをとなえはじめた。めりめりと音をたてて天然木の荒々しい木肌が…。根が…。 

 …みちはひらけり。

 陽介はハッとした。別の声がきこえたからだ。女も天を見上げた。女にも聞こえたのだろう。ひゅう、と音がして、ドカッ、と巨大なものが供物台の男の上に落ちた。女の角と牙が消えた。呪いが成就したと、女は思ったのだろう。

 女はふらふらと、さらにすすんだ。

 すると、子供達のところへ不意に女はこぼれでた。

 女はびっくりして首をふっている。

 木れ日がきらきらと美しく、廃屋であったことなど嘘のように家はいきいきとしている。子供達がわーっとよろこんで、女にまとわりつき、抱き着き、おかーさんおかえり、おかーさんおなかすいた、と女神をたたえるようにまわりを転げ回って…その弾けるような笑顔…。

 陽介が供物台をふりかえると、そこには若い月島が立っていた。月島は、汗をぬぐうと、決意を秘めた顔で、男の体を森の奥へとひきずっていった。そのあと、山伏姿で静が現れて、供物台を丹念に拭い、周囲の垂れ下がった根を切り払い、地下にクワを立て、まわりに侵入してきていた木の痕跡をことごとくたった。

 最初月島の父母がいたところには、いつの間にかいつきがきて、せっせと働いていた。すると、無気味なことに、あちらこちらからうっそりと木の根が、いつきの様子をうかがうかのように伸び始めたのである。

 供物台に陽介が巨大な白猫を伴って現れた。その白猫の光を浴びると、すべてのものがぼろぼろと風化してくずれ…月島がかくした男の端が、くずれたところから露出し、猫は無邪気にそれを掘り返した。作務衣を着た静がかけつけたが、光の中で姿を保つのが精一杯なのがわかった。陽介を叱りつけて立ち退かせた…。

 今度は陽介の立つ畳がぐらぐらとゆれ始めた。

 襖が全て閉じる。

 そして再びひらいた。

「みちはひらけり」

 その声とともに、着物を着た女、翠さん、天狗が消し飛ぶのが見えた。

 やがて光が去ると、翠さんと女はなにごともなかったかのようにまたふただひ立っていたが、天狗はけがをしていて、体のあちこちがなかった。片目はとんでいって、ぽちゃり、と奥の院の鏡池の中に落ちた。また、吹き飛んだからだの一部は、はるか供物台まで落ちて行ったり、早速伸びた木の根につらぬかれたりもした。痛々しかった。

 …転げおちる! …と、唐突に陽介は感じた。そして実際、転んで、転がって、そのまま揺られ続けてどこかに落ちた…。

 …ハッ、と目が覚めた。

 陽介は部屋の畳に横になり、眠っていたようだった。

 …横たわった体には先ほどまで男が着ていた白っぽい光沢のある美しい着物がかけられており、陽介の頭のすぐ横では、白いふさふさの尻尾が寝息と一緒にしずかに動いていた。

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