27 RETURN 2
「あたた、やばいやばい、ローソクとかなかったかなあ。魔女子さん、あのね、僕のリュックがそこいらに…」
「あいたっ」「いでっ」
二人は暗闇の中でみごとにごっつんこし、いていてとぶつけたところをさすりながら、手探りで明かりをつけた。蝋燭ではなくて、懐中電灯だったが。
柔らかい黄色の光りが天井にむかってのびた。
「…電池あまりもたないとおもうけどね。まあ、ないよりいい。」
「…廊下にでれば非常灯があるよ。」
「ま、ね。でも、きれるまでいいだろう。」
二人は必要以上にひそひそ話した。まるで修学旅行の逢い引きのごとくに。
「…じつはね、たなかやん…」
「なんでしょう。」
「…あのう、これは、…内密にしてもらわないと、なんだけどお」
「ええ。」
いつきはサッと浴衣の左袖をまくって、うでをみせた。
縦に大きく傷跡がある。あのとき、木が生えた痕だった。普段は見えないようにしているが、本当は痕がある。
「…あれ、こんな傷跡あったんだね…」
「うん、普段はかくしているわけさ。」
「魔法で。」
「そう。」
いつきは袖を下ろした。
「…それは何の傷で、どうして今見せるの?」
田中は尋ねた。
いつきは言った。
「…長い長い話なんだ。だから、端折るから、極力質問しないで。いい?」
田中はうなづいた。
「…わたしは今はもうないドームで、神殿の大教母の子として生まれた。場所はアフリカ大陸とだけ言っておく。あの土地ではネグロイドがネイティブだけれど、混血もすすんでいて、白っぽい人もいた。…わたしの父は真っ白だった。色素が乏しかったんだ。それに、特殊な血筋だった。」
…田中は、いつきのパンを思い出しているにちがいなかった。
「…わたしのドームは戦乱で無くなった。わたしはつい数年まえ、敵国の政治家の養女になった。それまであたしはまったく文化も言語も違う世界にいた。信仰も、神話も、伝説も、神々の力も違う世界に。」
田中はだまって聞いてくれた。いつきは安心した。
「…我々の世界の神様は、空から降ってきて、怪我をしている。だから、今は地中に眠っているの。目印に大きな木がうえられている。その木の幹からは、滝のように水が流れ出ているの。その滝は、神様からのお礼よ。静かに眠らせてくれるお礼。そしてその木はね、魔力を、中継するの。眠っている神様のちからを。」
「…木?」
「…」いつきはうなづいた。「続きがあるの。」
田中は大急ぎで2回うなづいた。「それで?」
「…はるきちゃんちのお母さんは、足抜けした巫女さんで、その力が使えるの。あたしよりもっとね。…はるきちゃんちのお父さんやお兄ちゃんも、その力が少しつかえて…だから、ある宗教団体の、偉い人なの。」
黄色い光のなかで、田中は次第に青ざめた。
「…うん」
「…ドームが陥ちてから、なぜか尾藤家は、魔法が使いにくくなっちゃったの。使えるんだけど、充分、でも、以前ほどじゃなくて、それで、アンテナをたてなおそうとしたの。」
「…」
「そのためにあたしをつかまえてね、…わたしのからだにその木を召喚したの。この傷はその傷なの。」
「…」
「…でも、そのとき、あたしといっしょに、はるきちゃんのおねーちゃんがね、召喚につかわれて、尾藤家は母親への同調者とおねえちゃんを愛する一派で内部分裂しちゃったの。はるきちゃんはおねーちゃんを助けようとして、逃げようとしていたあたしと仲間になったの。」
「…そうだったんだ。」
「そうなの。」いつきはもそもそと座りなおした。「…それでね、つまり…極東には、一度木がよばれて…失敗しているの。だから、生えてるかも、しれないの。どこかに…。」
「どこかに。」
「うん…どこかに…。」
…この山の奥に。
田中は適確にその意味を汲み取った。
「…あの木。あの、新しく出来た木。」
「…そう、それに、陽介が切って、血が噴き出したっていう木の根があったよね。」
田中はうなづいた。
「…だから君はここに来たんだね。…運命に呼ばれて。」
「それを言われるとねえ、…まあ、運命というか、宿命、かな。」
田中は目をおさえた。まるで光が真実を誤魔化すとでもいうかのように、目を覆って暗闇をつくり、考えた。
「きみがここにいるからには、あれらは、その木に違いない。…それから?まだあるんだね?」
いつきはうなづいた。
田中は手を離して、また目を上げた。
あの目だ。あっちがわで見た、あの美しい目だ。
いつきは信頼して話した。
「あたしの故郷に、こんな話が伝わってるの。」
田中はおや、と目を開いた。その目に好奇心の光が射す。
いつきは続けた。
「…過去に生まれ変わる巫女さんの話。」
田中はうなづいて促した。
「…ある尊母様、…尊母様って、神殿を引退したおばあちゃんだよ、…おばあちゃんのところに、まちのひとが来て言うに、
『尊母様、助けてください、妻が死にかかっております』とのこと。『不安と、恐れと、苛立ちと、疲労と、絶望で、すでに起き上がることもできません、食べることもなく、眠ることもありません、痩せ細り、ただ苦しむのみです』
と。医者にも見放され、何も助けにならないと。…まあ、さっきの月島さんのお母さんみたいな状態ね。」
田中はうなづいた。
「…尊母様は、町びとの家を訪れるの。そうしたらそこに奥さんが痩せ細ってよこたわっているの。息も絶え絶えで、もう死んでしまいそうだった。尊母さまは、急いで奥さんの枕を強く打ったの。そうしたら、奥さんはやっと息ができるようになったけれども、それ以上はよくならなかった。
尊母様は、町びとにきいたんだ、いつから、何を境にこうなったのかって。そうしたら旦那が言うには、
『思えばあれが始まりだった。妻が突然不思議なことを言った。猫から鼠をとりあげた、花の種を成らさず切った、わたしは裏切り、そして裏切られた、と。そのあと妻は悪くなった』
とのこと。
尊母様はたちまち悟って、
『わたしは老齢である。わたしは死に方を思案していた。そなたの妻を助けてしんぜよう。わたしは代わりに死ぬが、心配にはあたらない。わたしは生まれかわるだけである。ただしそなたと2度と会うことはない。代価は、わたしの死体をしかるべくかたずけてくれればそれでよい。』
そういうと、旦那様の目の前で、尊母様は死んでしまったの。
それと同時に奥さんは目をさまし、元気になって御飯を食べ、一年後には子供を産んだのよ。二人は尊母様の亡骸を、ねんごろに弔ったそうよ。
夫婦はしらなかったけれども、実は尊母様は、死ぬとたちまち昔むかしまだサハラが緑であったころに、下働きの娘の子として生まれ変わったの。
そこで10才になると、近所のお嬢様と友達になったの。
ある日二人で遊んでいると、お嬢様の猫が、鼠をつかまえて、食べようとしたの。お嬢様が、ねずみがかわいそうだといって猫からとりあげようとしたので、尊母様が生まれ変わった娘は言ったのよ、
『ねこは鼠を食べて生きている、生き物から食べ物をとりあげてはいけない、今あなたがそれをしたら、あなたの猫は餓えて死に、あなたはその因果を知った時、自分を罰せずにいられないだろう』
お嬢様がとまどっているうちに、猫は鼠を食べてしまった。お嬢様は鼠が可哀相といって尊母様の生まれ変わりの娘と絶交してしまったの。だからついに知らなかったけれど、尊母様の生まれ変わりの娘は半月ほどで亡くなってしまっていたの、その人生での仕事が終わったからよ。
実はそのお嬢さまがのちに生まれ変わって例のおくさんになったの。…わかる?」
「つまりお嬢様は奥さんの前世だったんだね。」
「そう…かな。前世という言葉はわたしはよく知らないけど、多分そう。」いつきはうなづいた。
「生まれ変わるまえの生涯を前世という。極東では普通の概念だよ。…そして尊母さまはどうしたの。」
「尊母さまは今度はたちまちカイロにドームがかかる前の時代に生まれ変わるのよ。」
「…さっきより今に近いね。」
「そうね、だいぶ。…カイロでは尊母さまは白人の男だったのよ。何という事件もなく、老年まで生きて、おじいさんと呼ばれる年になったころ、隣の家の若い娘が、終わりかけの向日葵の鉢植えの、花首を切ろうとしているところに行き当り、自分の使命を思い出すのよ。
尊母様の生まれ代わりのおじいさんは言うの、
『そのままにしておけば、向日葵は種が実るよ。種はとても美味しいのだよ。』って。
でも娘は聞かないの。娘は花は盛りが美しい、盛りの過ぎた花など、醜さをさらしていないで切ってしまったほうがいい、目障りだから、と言うの。
おじいさんは予言するの。
『今それを切ると、お前は36の年に、自分を向日葵の呪にかけてしまうことだろう。とにかく向日葵を切るのはやめなさい。向日葵に限らず、美しさでものの処分を決定するという考えかたをやめなさい。』と言うの。
あまりの迫力に、娘はたじたじになって、やめるの。
おじいさんはその一月後、老衰で静かになくなったんだ。使命が終わったから。娘は36才の年に、離縁されて実家に戻ってくるの。子供ができなくて、旦那さんが若い女の子と子供つくっちゃったの。…その人は思い出しもしなかった、自分が若い頃、実りを許さずに咲き終えた向日葵を切って捨てようとしたことなど。もし覚えていたら、彼女は自分の不妊を、向日葵に自分が成したことの報いだと思い込んでしまうところだったけれど。尊母さまが救ったのよ。」
「…」
「尊母様はたちまち生まれかわり、今度はピラミッドの建設中に片田舎に生まれ、村から選ばれてピラミッド建設に出かけ、現場監督として働くの。」
「ピラミッド?」
「…多分、サハラが緑だった頃とプレ・ドームの間くらいってことね。」
「…続けて。」
「…別の村からある日、若い男がやってきて、仕事もできるというので、ほどなく建設主任になったの。二人はビールを酌み交わす、よい友達になった。それで尊母さまの生まれ変わりは、彼は村にいいなづけがいることを知るの。尊母様の生まれ変わりはほとんどわすれかけていた使命をビールの酩酊の中でハッと思い出すのよ。いけない、あぶないところだった、と。まにあってよかった、とね。だって尊母さまはあれからもう人生を3度もやり直していたんだから。遠い時間を前にゆき、後ろにゆきしながら。」
「…そうだよね。」
「ピラミッド建設現場の近くといえば大都会で、きれいなおねえちゃんもいっぱいいた。友達はそのうちの一人になびきそうになる…そのとき尊母様の生まれ変わりは友人に言ったの、
『友よ、許嫁への裏切りではないか?もしお前が裏切るのであれば、おまえと心一つに生きている許嫁も、勿論おまえを裏切るであろう。あたかも鏡のように。友よ、お前は本当はそのことを知っている。おまえと許嫁の心が一つであることを。一つのものはおなじように動くことを。そのときお前は自分を許し、彼女を許せるのか?…いや、けっして許せまい。そして自分をも許すことが出来ず、永劫にそなたは自分を罰しつづけるであろう。覚えておくがいい、許嫁の心は、友よ、そなたの心と同じように動く。だからお前が裏切れば、彼女も裏切る。水面のゆらめきとともに、光りが揺らめくかのごとくに。それはそなたの心と許嫁の心とが、一つだからだ。』と。」
「…」
「友達は、彼の言葉を信じずに、浮気してしまうのよ。でも勿論、きれいなおねーちゃんは、彼からお金を搾り取るだけ搾り取って、何もなかったようにどこかへいっちゃったの。」
「…」
「年季が明けて、自分の村にかえって、びっくりするの。彼女はなんと、子供を抱いていたのよ。そして未亡人の着る質素な衣を着ていたの。彼のいない間に別の男に恋をして結婚し、そして夫はすでに亡くなっていたの。そのことを涙ながらに話し、彼に、許せとはいわないが、そういう事情であった、いろいろすまなかった、と告げるの。」
「…」
「…でもね、彼は、尊母様の生まれ変わりの友の言葉を、あの時はしんじなかったけれど、今度こそ信じたのよ。彼女がこうなってしまったのは、自分の心と彼女の心が繋がっていたためなのだ、と。だから、彼は彼女の再婚相手になってあげて、別の男の子供ごと、彼女をひきとったのよ。」
「…それはまた…ひとの良い…」
「それはどうかな?だって彼はそこで彼女と自分を許したから、傷が癒えて、結局、まちびとの奥さんは元気になれたのよ。つまり、彼にとっての、未来の自分、ね。」
「でも彼は未来の自分のことなんかしらなかったさ。」
「裏切りの鏡の予言が成就したときに、彼は察したと思う。だから事を成し、予定調和するよう賛同したのよ。」
「…まあ、心理面は今はおいとくとしよう。時間もない。」
「…まちびと夫婦は、不細工な子供たちを幾人もちゃんとした大人に育て上げ、その子孫も栄え、夫婦心から愛し合い、死ぬまで幸せに暮らしたと言うことよ。尊母さまは、そのあとは、使命を忘れて清清しくいろんな人生を生きたということよ。」
「…前世の傷が今生に影響を及ぼすというテーマは色々な物語でよく見るが…そうではなくて、今気になるのは、さっき君がいったあれだ、『遠い時間を前にゆき、後ろにゆきしながら』。」
「まだある。」
「なに。」
「…このものがたりの最後はね、定型文みたいなものでね、こうなってるの。『それもすべて、眠る方の夢にすぎないけれども。』…地域差を配慮して訳すとこういうことね、『それもすべて、神様レベルの認識の出来事なんだけどね。』」
田中はうなづいた。
「そうか…つまり、『神様の時間感覚』か。」
「…おかあちゃんが昔言ってたことがあんの。あたし意味がよくわかんなくて…いままで考えてみたこともなかったけれども…『きゃつら本当に隠れようとするならば、過去へ未来へ自在にゆくであろう。しかしその根は時を超えし始まりの黎明のその海辺にて、つねに一つである。然り、そこで出会うことができるであろう』」
「…きゃつら?」
「…昔ね、あたしがちびのころ、神殿の婆達に天罰下るとしかられて脅されて、腹立てて『そんな神様いるもんか。ほんとにいるというのなら、木の根掘り返してみせてみやがれ』と嘯いたとき、おかーちゃんが、ニヤニヤわらってそう云ったの。…おかーちゃんは、…なんていえばいいのかわからないけど、そうだな、偉大な巫女さんで…神様の本当のヒミツを知っていると云われていて、それを記録する仕事をしていたの。この台詞を言ったとき、神殿の婆様たちに、あたしよりも叱られたの。だからこれはたぶん、重大な秘密なんだよ。」
「…」
「…さっき、姫様も時間がおかしくなったといってた。もしかしたら、あの木は別の時間の道筋にあるのかもしれない。その道が、たまたま私達の時間の道と交差しているんだとしたら?おかあちゃんの言ってたことの意味は、『掘り返しても神様はいない、でも本当に時間をこえて魔法樹の根を掘り返せるなら、そこに神様がいる』ってことでしょう?勿論魔法樹の根をほりかえそうなんてバチあたり、そうそういないさ。でもまったくいないわけじゃないよ。でも神様の端っこがでてきたなんて話きいたことない。でも、魔法樹はたしかに魔力を中継するんだよ。あの力は神のものだよ。じゃあ神様はどこにいるの?…時間の向こうにいるんだよ!」
「…」
さすがに、田中も理解に少し苦しんでいる様子だった。そして、しばらく考えてからこう言った。
「…その木が呼ばれた時、歪んだ、時間が。」
「…うん。木が呼ばれたのは、私達の基準では、今年の春なんだよ。ついこのあいだだ。ただ、神様の時間は違う道筋を通っているかもしれない。だからいつとはいいがたい。」
「…前に行き後ろに行きしつつ、だね。……たまたまここに生えた?」
「たまたまとは思えない。ここは根を張るのに都合のいい条件が揃っていたんだよ、多分。ほら、このあたりって、…空気を吸っているだけで栄養がとれたりしたでしょう?特別な土地なんだよ。」
いつきは、田中と行った世界が、よく知っている世界に酷似していたことを思い出していた。
田中は理解しようと努力はしているようすなのだが、今一つピンとこないようだった。
「…じゃあ、今年の春にここにやってきた木が、過去に既に影響を及ぼしていた??」
「というか、やってきてから、ここの因果に入り込んだんだよ。」
「やってきて、割り込んだ。」
「うん、そう、割り込んだんだよ。尊母さまが、奥さんの前世に割り込んだみたいに。」
「…魂の世界に、時間はない…」田中はぶつぶつとつぶやいた。「そういうことなのか…?」
いつきはうなづいた。田中もうなづいた。
「…呪いを聞き届けたのは、木だった。」
「…多分ね。というか…もしかしたら、呪いに呼ばれたのかもしれない。」
「…呪いによばれた、か…。」
「うん…魔法樹は、祈りに答える性質があって…。通信回路みたいなもんが開いてさえいれば、魔法樹はエネルギーを中継する。わたしたちの魔法も、そうして動いていると言われていた。どういう意味だかよく分からなかったけど、今はなんとなくイメージできるよ。もし、呪いをやった人が、魔法樹に親和性のある、言わばわたしの故郷における巫女さんみたいな体質の人であれば、充分にありえるよ。わたしの母のミトコンドリアはなぜかモンゴロイドに近かったくらいだし。」
田中は混乱気味で頭をふった。
「木は奥の院にまだあるんだろう?…切り払えば姫は戻れるのかな?」
「切り払う?魔法樹を?」いつきは首をふった。「多分、事実上、無理ね。…まあ、ライリでもいればねえ、おもしろがってやるだろうけど…」
「ライリ?」
「あたしの格闘技と剣術と舞いの師匠。神様だいっっっっっきらいなの。それに、ライリは…なんていえばいいのか…特別な力をもっているから…」
「その人も神殿の人なの?」
「ちがう。軍隊の人。でも、すごい人だよ、神様みたいにすごいひと。たまに自分でも神にでもなったみたいだと思うって言ってた。」
「…なんか問題ありげな人だね。」
「…まあ、いろいろね。」
いつきは顔を掻いた。
田中はさらに頭を振った。
「…この状態で、君の言うところの再起動がかかったとして…果たして木は消えるのか?」
「それはあたしがききたい。消えるなら、むしろやるべき。」
「…それは…反論できない。…しかも、やってみなくちゃわからない…」
田中はつめを噛んだ。
「…くそっ、まかせるしかないのか…?再起動かけたらシバウラくんはどうなるんだ?月島家は?」
…いつきも悩んだ。
夜はますます深みに向う。




