26 RETURN 1
疲れきっているユウは、いつきの行動にはかまわず眠ってしまった。
いつきは田中のもとに舞い戻った。
「…たなかやん、」
「あ、御苦労様、」
いつきは田中に姫と連絡がとれて、話がきけたことを伝えた。
「…ほどけた?帰れない?」
「うん、…異質な力が姫を弾いているらしい。」
「…別の力の干渉があったってことなのか。」
「そうみたい。何か、衝撃が起こって、それで姫はけしとぶわ、天狗は掴まれるわ、…その後も定位置にもどれないわ、ということらしい。」
「…たしかに裏山に出現した大木は無気味だな…、あれは今までなかったものだからね…。」
田中は少し眉をひそめた。
「…ところで魔女子さん、シバウラくんのことだけど、…知ってるかな、供物台から下りてく道のところに、昔は小さな村…というか、集落があったんだ。今は離散してしまっているけど。…そこに確かに、よそからシバウラという奥さんがお嫁に来ている。離婚したという噂もあった。」
「…旦那さんはなんて人?」
「森山さんてうち。…まあ、このご時勢だ、離婚も結婚も珍しくはないけれど…奥さんはなかなか魅力的な女性だったらしいね。」
「なんで。」
「いろいろ浮き名がのこってる。」
「…そんな話までよく記録してるよね、田中やん。」
「うーん、…」
田中はむにゃむにゃ言って誤魔化した。
「で、そこんちの…つまり森山さんちの息子は…?」
いつきがそう言ったとき、田中がぎょっとして静止した。いつきは、なんだろう、と思い、田中の視線をおいかけた。田中は襖のほうを見ていた。いつきも驚いた。…隙間に人影が見えている。
「誰」
いつきはすかさず言い、サッと手を伸ばして襖を開けた。
そこには月島が立っていた。
「…」
まさか月島だとは思わなかったので、いつきも言葉を失った。
月島も黙っている。…いつもの攻撃的な気配ではない。無気味な静けさだった。
「…月島さん、…」
田中が何か言おうとしたが、月島はそれを遮って言った。
「…芝浦さんがどうしたんだ。」
田中は一瞬つまって、つっかえつつ言った。
「って、っと、お知り合いですか。」田中は不自然な感じで眼鏡をなおした。「…お母さんのほうと?息子さんですか?」
「…」月島は言い淀んだ。「…何人かいる息子のうちの一人は会ったことがある。…離婚したかみさんとは直接会ったことはない。」
「最近御会いになられましたか?息子さん…」
「残念ながら少なくともここ10年ばかり会っていないな。…なぜ。」
「…いろいろ事情あって、もしかしたら、陽介とハルキちゃんがみつけた死体が、そこんちの息子かもしれないって話しになってるの。」
いつきが言うと、月島は少し顔を歪めた。
「それが今、何に関係してるんだ。この夜中に、二人で何の悪巧みだね?」
田中は少しむっとしたようだった。いつきは言った。
「悪巧みじゃないよ。…月島さん、実は…」
いつきは素早く計算した。どこを何と言えば、月島は一番乗ってくるだろう?
「…陽介が登ったところに姫様がいなかったって話だったでしょう?」
「…」
月島は無言で促した。
「…ユウに姫様を呼び出してもらったんだ。」
「…! きみは一体何の権利があって…」
「何の権利もないよ。そのかわり何の義務もないだけ。」
いつきはあっさりそう言ってかわした。
「…供物台がくさくて、逃げ出したみたい。…そうしたら、なにか…外部からの干渉があって、もとの場所に戻るのが嫌になったらしいんだ。…その外部からの干渉って何?」
「…」
「…再起動かけて、はたして姫様はかえってこられるの?わからないまま、再起動かけちゃっていいの?痕跡が全部けしとんじゃうかもしれないよ。」
「…再起動、か。まあ、言い得てはいるな。やってみなければわからんというところだが…。…彼らの世界では一度散じてまた再生するのは別に珍しいことじゃない、さして心配はないだろう。まあ、ちょっと地震くらいおこるかもしれないが…」
月島は少し考えこんだ。
「…彼女には、奥の院に戻っていただき、供物台の主には正気に戻っていただく必要がある。」
「…もう一回なんとか天狗に会えない?本当に壊れているかどうか先に確認したい。」
「…彼が確認したんだ、その必要はないだろう。」
「あたしは会ってない。」
「君の都合に合わせてはいられないだろう。」
「そもそも、翠さんの判断は間違いないの?」
この問いには、月島も田中も驚いたようだった。
「…それは…疑うまでもない」
「本当にそうかな?」
いつきは敢て言った。
…陽介がいたならば、不遜だと誹る言葉も出ただろうか。
二人の男の口からは出なかった。
その代わり、田中と月島は顔を見合わせた。
二人は天狗に会っている。
お互い、相手を信用していないし、信頼するつもりなど毛頭なかった。けれども、ここは天狗に会った者が意見を言う必要があった。そして、お互いに意見の摺り合わせを行なう必要があった。
お互いに、こいつに自分の話がはたして通じるのだろうか、と疑問に思っていた。
先に思いきったのは、いつきの援軍をアテにした田中のほうだった。田中は月島に言った。
「…僕は玄関口でずいぶん長く彼と話したんだけど…彼の内部でも辻褄が合っていないんだ。辻褄があっていないことは彼もわかっていたと思う。…彼は、そもそも終始一貫していないことや辻褄が合っていないことが許せない性質の持ち主だよね。」
月島は注意深く言った。
「…そうかもしれん。」
「…だから、辻褄があっていないということに腹をたてていたんじゃないかと思う。それであんなにいろいろぶちこわしてたんじゃないかな。」
「…」
「…彼の記憶は、姫を訪れてから、逆さ釣りから解放されるまでの間がぬけおちている。…しかしそれだけじゃないんだ。その間に静さんが死んでしまっているんだけれども、彼は昨日、静さんに会っているんだ。」
「…静が死んだのは5年前だが…昨日の件は…奴は陽ちゃんを見て、間違ったんじゃないか。静の着物を着ていただろう? 実際陽ちゃんは夢うつつに何かに会っているしね。」
いつきは口をはさんだ。
「そうね、勾玉をもらってるよ、黒くて、小さいのに滅法重い勾玉。」
田中は首を振った。
「…僕も少し前まではそう思っていたんだ、だが、もしかしたら彼は本当に静さんに会ったんじゃないかと今は思っているんだ。だから、おかしいのは時間だけなんじゃないかと。」
いつきはたずねた。
「どうして?」
月島が言った。
「じゃあ昨日静が生きて廊下に座ってたとでも…あっ。」
「何?」
月島は唸った。
「…陽ちゃんは廊下にいなかった。近くの部屋で毛布をかぶって、眠りこんでた。間違いない、わたしが起こすまで気を失ったように眠っていた。」
田中は緊張した面持ちでうなづいた。
「…僕は別に、静さんが昨日生きてたといってるわけじゃないんだ。天狗の時間感覚が狂っているだけで、彼は何年か前の7月23日を、昨日だと思っているだけなんじゃないかな?そしてその日には、静さんは生きていたんじゃないかな?」
「なるほど…」
「…とすると、すくなくとも、5年よか前。」
「うん。…気になるのは…天狗は翠さんに騙されたと思っている。翠さんが天狗を陥れた、と思っているんだ。なぜだろう。…それはさ、つまり、天狗に害なすほどの力の持ち主となると、ここには姫か彼しかいないんじゃないのかな。天狗も何か起こったことだけは多分わかっているんだ。」
「…多分、姫がいうように、ほどけちゃってたのかもしれないね。」
いつきのことばに、田中はうなづいた。
「そして、結ぶのに時間がかかった…。いや、結べていたが、一部不充分な形だったのかな…」
「一部がねっこにひっかかって逆さ吊りになってたのかも。」
「そうかもしれない。」
3人は誰ともなくうなづき合った。
そして、月島が言った。
「…それと芝浦の家がどう関係あるんだ。」
「もしかしたら、誰かが芝浦さんの息子を供物台にあげて、何か願いごとをしたかもしれないの。その願いごとがきっかけかもしれないの。」
「何の根拠があってそんなことを…ただたまたま白骨死体が出ただけだろう! それがどうして芝浦の息子に結びつくんだ!」
いつきはじりじりしながら断定的に言った。
「何が根拠さ! そんなものいらないってことくらい、あんたわかっているくせに!」
月島は口を結んだ。
おばあちゃんの話が正しければ、月島にはいつきの「感性」が通じるはずなのだ。
賭だったが、…月島は黙った。
するとその間にすべりこむように、田中が無気味に静かな声で言った。
「…月島さん、芝浦の息子さんとは、どういう因縁なんです。」
…魂に暗黒の半球があるなら。
田中のその声はそこから出ていた。
いつきはうすらさむい心地がした。
月島は観念して言った。
「…息子とは面白がって遊んでやっただけだ。…母親のほうが…」
月島は言い淀んだ。
…あったことないっていったのに、といつきは思ったが、黙って待った。
月島はえいとかクソとか言いたげに、少し声を大きくして言った。
「…俺の父が結婚する前に付き合っていた。」
いつきは目をつぶった。
悪魔の声がきこえる。
…君のおとうさんはねえ…
首を振る。幻聴だ。
…きみのおとうさんはねえ…
幻聴だ。きいてはいけない。みみをかたむけてはいけない。
…すてたんだよ…
「…そうだったんですね!」
田中もいつき同様、悟ったようだった。
いつきはもういちど強く首を振ってから言った。
「でもおかしい、月島さんのお母さんが結婚したのは月島さんの生まれる前でしょう?」
月島は聞いているのかいないのか、言いにくいことは全部いっぺんにいわせてもらうぞ、という勢いで喋り出した。
「…森山の奥さんと父は不倫だったんだ。だが父のほうも浮気して、俺ができてしまったので、不倫は解消して、父は母と一緒になった。」
いつきはほっとした。
「…なんだ、いい話じゃない。うちよりずっといいわさ…」
「…いい話でもないさ。だれにでもここいらの村の奴らに聞けばわかるが、…」
「…よるとさわると、お母さんは芝浦さんの嫌がらせをうけていた…。」
田中がそう引き取った。田中はどうやら、その噂話をどこかできいて知っていたらしかった。月島は軽く2回ほどうなづいた。誰でも知ってるんだ、お前だって知ってるだろうさ、とでも言いたげだった。
「まあなんにせよ、昔の話だ。俺の母は早死にしている。俺が5才のときに死んだ。」
「…御病気だったとか。」
「まあな。過労だよ。このあたりじゃ珍しくもない。身体が弱いと山では生きていけんからな。母は山育ちで元気な女だったが、どうも俺を産んで、俺が歩き始めたころから調子がくずれてしまったらしくてな。だからといって日々の労働が猶予されるわけでもないだろう。無理をしているうちに、寝込むようになって。そのうち食事がのどをとおらなくなり、ドームに点滴に通うほど金持ちでもなし、助けられずに亡くなったよ。…母に先立たれて、父もがっくりしたんだろう、しばらくはがんばっとったが、なんというか意気消沈してしまってな、俺が中学に入った年にやはり亡くなったよ。それから俺はほとんどここの神社の子みたいなもんだった。おばあちゃんが呼んでくれてな。静とはよく殴り合ったぞ。兄弟みたいなもんだ。…何度も言うが、随分昔の話だぞ。森山の旦那さんだって亡くなっている。」
「…奥さんは…」
「離婚して山を出ていったからな、詳しくは分からんよ。あちらさんが出て行く直前くらいに、俺が仕事でF市に行った時、F市の奥のK村の祭でばったり息子と会ってな。お互いにあんた水守の氏子だろ、こんなとこで何してんだとからかいあったな。向うはまだ学生だったかもな…? 別にお互い、親世代がもめたからといって、自分たちまでもめなくていいと思っていた。」
田中もいつきも沈黙した。
泣いていた男の子は、月島だったのだ。
「…こんなに大きくなって、ちゃんと稼げるようになって、神社の面倒もみて、亡くなったお母さんもきっとあの世で喜んでるわね。」
いつきが言うと、月島は「どうだかな」と少し笑った。
呪いを受けてしまった月島の母。願ったのは芝浦の母。供物台に上がったのは、…多分…。
「…同じ課題だ。」
田中がつぶやいた。
いつきはうなづいた。
「…時間がおかしい。」
田中は言った。
「…シバウラのお母さんが、息子を供物台なんかにあげるかな?そこまでするかな?それに、月島さんのお母さんが亡くなった時、まだシバウラくんは生まれていないか、そんなに大きくないかだよね。」
月島は不愉快そうに、かつ勝ち誇って言った。
「だからそういう無茶な理屈をこじつけるなといってるんだ。いいか、山のことは大将にまかせておけ。たとえ間違っていたとしても、俺たちにはそれ以外どうしようもないんだから。」
どうしようもない、という言葉が田中には響いたらしかった。
田中は言った。
「…呪術は等分以上の代価を、行なった人間に要求する。…もし他人の子を呪えば、成就したとき、自分の子を失ったかもしれない。」
いつきも月島も口をつぐんだ。
「…でも成就はしなかった…。呪われた息子は生き残ったのだから。そのかわりに母親が死んだ…」
田中は月島を見た。
「…父親も死んだ。術は失敗している。因果がどう働くかは、だれもわからない。」
月島は田中の視線を外すかのように一度瞬きと身じろぎをした。そして言った。
「…付け火しようとしても無駄だぞ、田中。俺はそんなものに、踊らされはしない。お前と違ってな。」
そしていつきを見た。
「…こんな奴に引きずられるなよ。いいか、地球には、一定方向に時間が流れていて、それが逆になったり、惑星の運行みたいにまた順行に戻ったりはしない。それがコノヨの決まりだ。それこそは絶対の決まりだ。人間は、宇宙船でも使わないかぎり、その法則から逃れることはできない。…正常なアタマでまともに考えろ。わかったな?」
月島はここまでと踏んだいつきは、不意ににっこりと作り笑顔になった。
「うん、わかった。」
「よし。じゃ、もう寝ろ。藁人形マニアはほっとけ。」
月島はそう言い捨てると、また部屋を出ていった。
足音が遠ざかってから、いつきはつぶやいた。
「…惑星のみかけの運動は、順行と逆行がある…。月島さんは、当事者だからこれ以上さわられたくないんだろうね。」
田中もそれにうなづいた。
「時間だ。…時間だけが問題なんだ。役者は揃ってる…。あとは奥の院に巣食っている異質な力…」
省エネか、月島のいやがらせか、電源が切られた。
…神社は闇。




