表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Till you die.  作者: 一倉弓乃
23/41

22 YORU 1

 ユウよりも一足早く、おばあちゃんがタケトの車で戻ったのは8時過ぎだった。最終日なだけあって持たされた土産の量も半端でない。いつきが出て行って、運ぶのを手伝った。

「はれま、いつき、もしかしてお前、戸を破ったのかい…?」

「あっ! あたしじゃないよ!!」

 いつきは慌てて、戸の説明をした。おばあちゃんはふんふんと聞いていたが、一応いつきの報告が終わると、「…荷物はわしとタケトさんでやるから、ちょっと月島さんをよんできておくれ」と言った。いつきはうなづいて、月島を呼びに行った。

 おばあちゃんが呼んでるわよ、と襖の外からいつきが言うと、陽介の部屋で2人でまた仲良くしていたらしい月島は、さりげなく髪と服を整えながら、部屋から出てきた。いつきが陽介をじろーっと見ると、陽介はむこうを向いた。…別の部屋でまだ横になっているはるきちゃんに言い付けてやろうかしら、といつきは思ったが、忙しかったのでいちいち説教はしなかった。

 いつきがまた荷運びに戻ろうとすると、玄関でタケトが、「ここから台所まで運んでよ、俺が車からここまで運ぶからさ。」というので、外には出ずに、玄関と台所を往復した。少しすると、タケトの声をききつけたらしい田中もやってきて、手伝ってくれた。田中の顔を見てタケトはびっくりした。

「あれっ、何、田中さん??どうしたの??」

「どうしたって…たまにはてつだおっかな、と思って。」

「…無理して腰ぬかさないでよ~?」

「君ほどじゃないですけど、僕も普通くらいには働けます。」

 タケトはへえええ、と言って、更に珍しそうにタナカを覗き込んだ。

「珍しいこともあるもんだ。…なんかあったの?いつきちゃんにいじめられたとかさ。御曹子とケンカしたとか。」

「…しつこい。」

「てへへ。いや別になにもないならいいけど。…田中さんあのさ、ビールと肴仕入れてきたから、ここの祝詞済んだら、あとで飲み会ね。」

「おっ、いいですねえ。…そういえば月島さんが風呂わかしてくれましたよ。」

 タケトはちょっと眉をあげ、そりゃあ…まあ…とコメントを選んだ。

「…働き者なこって。…でもまずおばあちゃんとユウをいれなくちゃね。そのあと一緒にはいる?」

「えー…?…そういえばあいちゃんは?明日くるの?」

「うん、明日。…えー、いいじゃん、はいろーよ。俺ここの風呂一人で入るの怖いんだよねー。広いし暗いし熱いしさー。水は冷たいし。」

「何を子供みたいなことを…。じゃ月島さんと入って筋肉の比べっこでもしたら。さ、働け働け。」  

「いや、俺は絶対に田中さん連れて風呂はいるからね。もう、ここまでキレイにしている田中さんをキレイなまま維持するのは、みんなの責任だ。俺にも責任がある。」

「えー?」

 田中が呆れて聞き返すと、タケトはうなづいた。

「俺は小汚くてお手伝いが嫌いな田中さんのことも好きだけど、世の中の人はそうはいかないよ。これを機に田中さんを本来の小洒落たインテリに戻す。」

「何言ってるんだい馬鹿。」

「…昔はそうだったじゃない。いつから水浴び嫌いになったの?」

「そりゃ君の気のせいですよ。僕はもとからコキタナイ中年です。」

「いや、そんなことない。俺ちゃんとおぼえてるし。」

「…もういいでしょ、年とったし。キレイにすんのめんどくさい。見栄はったりすんのもたくさん。いいかっこして女の子にモテたいとか、そういう時期は僕は終わったんですよ。君の同級生じゃないんだから。」

 田中はやんわり言うと、手をひらひら振って、野菜を拾い上げ、台所へ行ってしまった。 

「…」

「…」

 タケトといつきはその後ろ姿を見送ったが、やがてお互いに目線を合わせた。いつきが口を開きかけると、タケトが先んじてバッといつきに指をつきつけた。

「…田中さん虐めたろ!! なんでそういうことするんだよ!!」

「虐めてないよ! 仲良くしてたもん!」

「嘘つけ! …たかだかあの程度のトシで男が枯れるわけねーだろ!」

「それはそうだと思うけど…!」

「あの人はすごく繊細だしいいだすと頑固なんだぞ! やっと水浴びしたってーのに! どうしてもっと優しくしてやらないんだよ! おまえ、どうせからかったりしただろ!! 女共はいつもそうだ!! もっとましなこと出来ないのか!!」

「濡れ衣着せる気か!このくそじじい!こっちは今日はもういいかげん我慢も限界だぞ!」

 いつきが声を低くして罵りながら、土のついたままの長いゴボウをガシッとつかんで拾うと、タケトはその迫力におもわずたじろいだ。

「…や! ごめん。俺が言い過ぎた。つい妹と話すときのくせが。」

 いつきがゴボウでびし!と床をなぐりつけると、つちのかけらが勢いよく飛び散り、しなやかなはずのゴボウがびしゃっと割れてへし折れた。タケトは慌てた。

「ちがうちがう!そうじゃない!そうじゃないんだ!レクリエーション!レクリエーション!!」

「だったら貴様が崩壊しやがれタコォ! そのあとでこっちが再創造してくれるわ!」

 いつきが思いっきりゴボウを振り上げると、ちょうど台所から戻って来た田中が思わず大声で叫んだ。

「わああああっ!!なにやってるの!やめなさい!やめなさーい!!」

 同時に外から石が飛んで来ていつきの手にビシッと当たった。いつきはゴボウをとりおとした。

「…ってえ…。」

 手をおさえていると、田中がおろおろ寄って来て、「大丈夫?大丈夫?」といつきの手をとり、ひっくりかえしてっくりかえしして、赤くなったところを擦った。

「もう、なにやってるんだいきみたちはあ…。だめじゃないか。仲良くしてよ、みんな一つ屋根の下にいるんだから。」

「田中やんがタケトに冷たくするからあたしが八つ当たりされたんだよ。風呂ぐらい一緒にはいってやんな。」

 いつきが機嫌悪く言うと、田中は「しまった」という顔になって頭をかき、「わかりました。」と言った。

 タケトが言った。

「いや、やつあたりじゃないよ。ああいえば君が今日の話を手早く語ってくれるかとおもってつついただけ。謝ってるのになあ、もう。けんかっぱやいオナゴだよまったく。…石なげたの誰かな。」

「…おばあちゃんが投げるわけないじゃない。」

 田中がぼそっと言った。三人がそろって振り返ると、月島がちょうど戻って来たところだった。…両手には最後の荷物を抱えていた。後ろにはおばあちゃんがいて、月島の後ろから江面に言った。

「…タケトさん、荷物これで全部ですから、車、移動してしまってください。」

「はーい。」

 タケトが出て行くと、おばあちゃんがいつきに言った。

「…いつき、食べ物を粗末に扱って。かみさんに叱られるよ。」

「…はい。」

「はいじゃない。」

「…すみません。」

「…はやく片づけな。」

 いつきは台所へ箒と雑巾を取りに行った。

 戻ると月島はいなくなっていた。おばあちゃんはまだそこに立っていて、いつきが戻ってくると、田中に野菜を土間に運んでくれますかと頼んだ。田中はいつきの肩にちょっと手を載せてから、荷物を土間へ持って行った。

 いつきは屈んで箒で丁寧に泥を掃き、それから雑巾で床を拭いた。その間に田中は荷物を大方土間に運び終わってしまい、おばあちゃんに追っ払われた。

 おばあちゃんはいつきと2人になると、言った。

「…いつき、男衆をいちいち相手にしないのも修行のうちだよ。お前にとってはイライラするような連中も沢山いて、まっこと煩わしいだけの生き物かもしれないけれども、どんなにわずらわしくとも、地上から男衆を一掃することなどできないんだ。なんとか上手くやっていくしかないよ。」

 いつきはおばあちゃんがいつき以上に苛烈なことを言ったので少し驚きながら、うなづいた。

「…うん。…別に、男の人が嫌いってわけじゃないよ。」

「…お互いがすこしずつ譲り合うことが大切だ。根気よくすれば、たとえ月島さんやタケトさんのような人であっても譲歩を引き出せるようになるから。最初から相手にあいそをつかしていては駄目だよ。」

 月島をすっかり手なづけているおばあちゃんが言うなら、間違いない。いつきは自信はなかったが、一応うなづいた。

「…うん。」

 おばあちゃんは少し口調をかえて言った。

「留守番大変だったろ。」

「…うん、大丈夫だよ。」

「御苦労さん。…遅くなってしまったけれども、これから静やわしの親や、あと頼まれとるので月島さんの亡くなった先代の祭礼をする、お前も出てくれるかい?」

「うん、喜んで。」

「そうかい。ありがとうさん。じきにユウも帰ってくる。おわったら2人で一番に風呂にはいりな。」

「え…でも、おばあちゃんが先にはいったほうがいいよ。」

 いつきが言うと、おばあちゃんは言った。

「お前は風呂のことよくわからんじゃろ。一番の風呂は年寄りには少しきついんだ。だからおまえたちで湯を整えておくれ。」

「そうなの?…うん、わかった。」

「わしも風呂いただいたあと、少し話がある。…これの件だ。だから寝ないで待っておりなさい。」

 おばあちゃんはこれ、と戸板を指した。

「はい、わかりました。」

「よし。もう行ってよいよ。」

 いつきはおばあちゃんに深く頭を下げて、雑巾と箒を台所の土間に戻しに行った。

 土間には田中がいた。田中は心配そうに寄って来て言った。

「…手、大丈夫?…扇をもたなくちゃいけないのに…」

 いつきは石のぶつかったあたりを見た。少し赤くなっているだけだ。

「…うん、大したことないよ。」

 田中はおずおず言った。

「タケトがなんかバカなこと言ったんじゃない?…ごめんね。」

 別に田中が気にすることでもないと思ったので、そのとおり言うと、今度は田中はこう言った。

「…でも僕のせいだって言ったじゃない。」

 …いつきはこのあたりでだんだん面倒臭くなってきはじめた。それでも一応言った。

「それは田中やんがあたしに説教したからだよー。…でもほんとは別に田中やんのせいじゃないさー。タケトさんが兄貴気取りで小賢しい手を使うからだよ。」

 すると田中は言った。 

「…僕は別に君だけに言ったわけじゃないし、…説教したわけでもないよ。ただ、一緒にいる人たちがケンカするのいやだから…。」

 …このおじさんは一体どうしたいの?といつきは思った。

「…うん、それはわかるよ。ケンカしてると雰囲気が悪くなるし、五月蝿いんでしょ?迷惑なんでしょ?」

 すると田中はびっくりしたような顔になった。

「五月蝿いとか…そういうことじゃなくて…」

 いつきは雑巾を洗って干しながら、少しイライラしてきた。それでもおばあちゃんにたしなめられたばかりだったので、我慢した。すると、我慢した気配に気がついた田中が、途中で口をつぐんだ。そのまま少し待ったが、田中は続きを言わなかった。仕方なくいつきは言った。

「田中やんは、…ほんとのほんとは、何が言いたいの?…あたしは、それをズバーっと言ってもらったほうが、有り難いんだけど…。たとえそれがあたしを責める言葉だったり、糾弾や批難だとしても、あたしはよくわからないことをもやもや言われるより、ずっと有り難いんだけど…。」

 きつく言ったつもりはなかったのだが、田中はひどく傷付いたような顔になった。何かひどいことを言ってしまったらしいが、何が悪かったのかよくわからなかった。とにかくいつきは、これはまずい、と思った。

「…あ…ごめん。傷つけるつもりはなかったんだけど…」

 少し引き加減にいつきが言うと、田中は一瞬首を落として下を見た。それからまた顔をあげて言った。

「…ううん、別に。いいんだよ。ただ、…僕のせいでケンカになったなら謝りたいと思って。それと、…僕は、暴力が怖いんだ。だからやめて欲しいだけ。…ただ、さすがにこの年の男が、暴力が怖いとはっきりとは言いにくいから、なんとか遠回しに言いたかっただけ。…迷惑とか利害どころか善悪や好き嫌いの問題でさえなく、ただ怖いだけ。」

 う…、といつきはつまった。

「…う、ご、ごめん…ね。」

「…僕が意気地なしなだけだよ。きみがあやまるようなことじゃないさ。でもやめてくれたらとても嬉しい。」

「…よくわかりました。…察しがわるくてごめんなさい…。」

 いつきが頭を掻いて眉をハの字にして言うと、田中はため息をついて、台所から出ていった。

 …田中に思いっきり恥をかかせてしまった。

 いつきが倍くらいの大きなため息をつくと、玄関が騒がしくなった。

 ユウが帰って来たらしい。


+++

 別に礼服を着ることはない、普段着でいいのだけど、まあね、とユウがいつきに袴を着付けてくれた。ユウも袴のままだ。拝殿に行ってみたら、月島はスーツになっていたし、陽介も袴を付けられていた。田中も江面もスーツだった。春季は着物と袴のちゃんとした礼装に着替えさせられていて、けっこう似あっていた。多分、礼服を持って来ていなかったので、田中か誰かがここのを借りて着せたのだろう。

 拝殿を開け、そこに全員が集まって祭壇に向かって正座し、おばあちゃんのこの盆最後の仕事がはじまった。

 水森家の御先祖と、月島家の先代夫婦と、静の祭儀が合同で行なわれた。なんとタケトが唐突に横笛を吹きはじめ、これがけっこう上手かった。いつきも陽介も春季もびっくりだった。あとできいたところによると、いつもは慎二もいて、慎二は篳篥や簫といった楽器も(どんな楽器なのかいつきには見当もつかないが)できるので、もっと「雅楽」な風情になるのだそうだ。(ちなみに雅楽とやらもわからない。)

 それからしゃかしゃかと棒に繊維のしゃわしゃわしたものがついたやつを振ったり、不思議な発声・不思議な節回しのいやまごがどうたらやしゃまごがどうたら…とかなんとかいう長い呪文みたいなものをおばあちゃんが唸り、みんなでなにやらぴかぴかした葉の照葉樹の小枝を祭壇にひっくりかえして一人ずつそなえ、音を立てずに手を打ってお参りし、またしゃかしゃかと今度は参列者の頭の上をはらいたまえきよめたまえしたりして、最後はまたタケトが澄んだ美しい横笛の音を鳴らして終わった。

 月島が正座したままおばあちゃんたちに頭を下げて礼を言い、おばあちゃんとタケトも頭をさげて応じた。それからおばあちゃんとユウが、皆に「御列席いただきましてありがとうございました。」と礼をいい、タケトが「みなさんお疲れさま。一席もうけましょう。今年は慎二があんなことになってちょっと寂しいですが、若いお客さんたちもいますし、賑やかに。」と言うと、手分けして酒の席が整えられた。

 席がととのったところで「じゃ、おまえさんたち、先にお風呂いただきなさい。」と、いつきとユウは追い払われた。

「あ~、お風呂、ひさしぶりねえ。あれ、オマエはじめてじゃない、うちの風呂。」

 ユウは追い払われてむしろ解放されたといいたげな清清しさで伸びをした。

 いつきはうなづいた。

「うん、初めて。」

「オマエが沸かしたの?大変だったでしょ。」

「いや、月島さんがやってくれた。」

「おー、よく働かしたねー、オマエもだんだんナオト叔父の使い方がわかってきたじゃない。」

 いつきは肩をすくめた。

「…はァ、なんか今日はいろいろあってちょっと疲れ気味。」

「でっしょー。ここの留守番ってけっこう大変なのよね。しかもなんか出たって?おつかれおつかれー。…あたしも疲れたわァ。…あんた外人だっけね。風呂一緒にはいろー。別々にはいるより倍ゆっくりできるし、外国と入り方がちがうから、教えるし。」

「あそ?じゃ今夜チチのサイズの勝負がつくわけね?」

「…望むところよ。」

 ユウはニヤリと笑って「カモーンカモーン」な手をした。

 風呂場は、台所の奥のドアから繋がってはいたが、別の建物の中にあった。

 通路にはすのこがしいてある。棚があっていくつかカゴがおいてあり、そこが脱衣場がわりになっていた。脱衣場の灯りは古風な蝋燭だった。上のほうが太くなっている白いやつだ。風が吹くと炎が揺れた。その暗い灯りの中で、2人は着物を脱いだ。…ユウはすんなりと伸びた美しい肢体をしており、色も白くて綺麗な肌だった。無駄な脂肪もないが、無駄な筋肉もなかった。

 引き戸を開けると、その向こうが浴場になっていた。

「うわ…でっかい…」

「すごいでしょ。掃除だって大変なんだから。」

 2人なら充分の広さだった。おそらく4~5人は入れるだろう。大きな石を組んだ浴槽がむこうにどーんとあり、手前は(いつきの印象を正直に言えば)休憩フロアのようになっていて、木製の椅子や桶が複数おいてあった。中は電灯がついていて脱衣場に比べれば案外と明るく、立ちこめた湯気で幻想的な空間になっている。

「…ちょっと湯加減みるね。」

 ユウはそう言うと、少し手を湯に差し入れてから、蓋がわりの板でがしゃがしゃかきまぜはじめた。

「…手伝う?」

「うん、たのむ。」

 いつきもそばの板を持って一緒に湯を揉んだ。

「少し熱いね。まだ火も落としてないし、このままじゃ煮立つ。水いれよう。」

「水はどこにあんの?」

「そこの小さい窓あけて。」

 ユウに言われて、浴槽のそばのすみっこの壁にある30センチ四方ほどの木の窓を開けると、そこには樋の端のようなものがのぞいていた。

「…オッケー。さがってて。」

 言われたとおりにいつきが下がると、ユウは入ってきたのとは別の戸を開けて、裸のまままっくらな外にぺたぺたと出て行った。…開いたままの戸から虫が入ってくる。いつきが顔をだして外を見ると、ユウは外の樋の、線路にたとえていうと連結部分みたいなところの閾を抜いた。次の瞬間、ざーっと樋を伝って水が流れ込んで来た。

「おわ~」

「これ、水道なんさね。いつもは向こうの樋流してるの。風呂のときだけこっちにきりかえるんだ。むこうの樋は流しの外の水瓶にそそいでるの。水瓶に蛇口がついてて、台所にその蛇口がでてるのよん。水瓶にはいつも水ながれこんでて、使わないときはでてっちゃうけど、おかげでいつも美味しい水。…ま、台風とかあると大変なんだけどさ。」

「へええ、すごい。」

 …すごいとしかいいようがない。台所でなんとなく聞こえる水音は、どうやらその音であるらしい。

 しばらく水を流していたが「こんなもんかな?…あと少しキープ」といって桶のいくつかに水をためてから、また樋を切り替えた。それで水はとまった。

 2人はまた風呂に戻って、もう一度かきまぜた。しばらくすると、今度はよい湯加減になった。ユウが風呂を使う手順を説明してくれたので、いつきは言う通りにして、体を流してから湯舟に入った。

「…すごく広くていい気持ち。」

「いいでしょ。…管理大変だけど、これを一度あじわっちゃうとなかなかね~。それにほら、うち、けっこう泊まり客多いからさ。広いほうが便利なの。…婆をこのあと入れて、そのあとは男衆いっぺんにいれちゃえばオッケーでしょ。…ホントは駄目だけど泳いでもいいよ。あたしが今だけ許す。」

「あはは、あんがと。でも川で泳げるから。」

 湯舟につかってあたたまりながら、いつきはユウに今日の話をきいてみた。ユウは詳しくはいわなかったが、それでも忙しく氏子さん宅を飛び回っていたらしい。慎二の病床に顔も見せたそうだ。慎二は顔色も悪いままだったが、とりあえず病院は退院して、自宅にもどったそうだ。

「…尾藤の弟は大分元気になったみたいね。」

「うん、今日の午後は寝かせといたから。」

 充分にあたたまってから湯舟から出て、体をあらった。お互いに背中を流しあいつつ、今度は神社の今日の出来事をいつきが聞かれて、とりあえずは戸の件などを話した。

「…そうだったんだ。まあ、盆だからねえ。いろいろあるのよここは~。」

 ユウは別に驚くでもなくそう言った。

 シャワーなどというものはないので、お互いに髪を流すのを手伝い、また湯舟につかった。ユウは「オマエ案外と髪ながいのねー」と少し意外そうにして、絞ったタオルで頭をくるくるまいてアップにしてくれた。

「…ねー、ユウさー」

「なにー」

「あたしはなんで女に生まれたかね~?」

「…」

 ユウはしばらく考えて、言った。

「…さてはおぬし、わたしに惚れたな?!」

 いつきは呆れ返って言った。

「アホか!?」

「なにがアホじゃー人が気ぃつかってんのに!!」

 ユウがお湯をばしゃっとかけたので、いつきもやり返した。するともっとかけてきたので、負けずにかけかえした。そのうちそれがたいそう楽しくなってしまい、2人楽しく湯をかけあってギャハギャハ笑った。…そのうち疲れて来たので、やめた。

「…ん~、いつき、乙女は恋するために生まれてくるのさー。」

 ユウは風呂のふちに顎をのっけて、しばらくしてからそう言った。

「…あたしもそうだとでもいうのかい、あんたわ。」

 いつきがたずねると、ユウはきひひと笑った。

「そうさね。そう思っていればいいじゃない。どうでもいいことだわさ、なんのために生まれたか、なんて。…生まれたあと何を為したかのほうが、ずっと大事じゃーん?」

 いつきはうなづいた。

「そうね。それはそうだと思う。」

「世の中には単に避妊に失敗して生まれてくる子供もいるわけだけどさ、そんなことはどうでもいいことで…その子が大人になって、立派な人物になったなら、生まれの事情なんて、ほんっとドウデモイイ事じゃん。むしろ、コンドームの穴ありがとお、って感じ。」

「うんうん、そうだよね。」

 いつきが肯定したせいか、ユウの話はそこまでで終わった。

 ただ、いつきは、…聞いたことの回答がえられたとは思わなかった。


+++

「…とりあえずぱんつくらいはいとくか。めんどくさいけど。」

「…なんか合わねーやな、ぱんつと浴衣って。」

「あ、腰巻きっていうのもあるよ。あと褌って手もある! エッチくさくていいよ、女の子が褌って!」

「…よくわからんがぱんつでえーわ。」

 風呂から上がると、ユウが綺麗な色模様のついた新しい浴衣を貸してくれて、着方を教えてくれた。ユウがいつきに貸してくれたのは、グレイの細かい手書き風のストライプ柄に、深くて品のいいピンク色の大きな八重の牡丹の模様がついている浴衣だった。木綿でできているそうだが、とても華やかな美しいものだった。丈の長さをヒモで調節するのだと聞いて、そりゃ便利だな、と思った。

「背たかくなっても大丈夫なんだね。」

「そゆこと。…それにわたしの浴衣をオマエが着たりもできるわけ。」

「思わぬところで極東の合理主義精神に出会った気分。」

 ひととおりユウの言う通りに着物を自分で着て帯もしばってから、ユウのチェックを受けた。

「もっと衿をこうして着な。」

 着付けを直されて鏡を見せられ、「ここをこう!」と衿の後ろをひっぱられた。そして「ここが開くとみっともないから、少しこのへんをひっぱって」と裾を指して、紐でしばったあたりで調節された。それからわきの開いてるところに手をつっこまれて、中から衿の合わせをなおされた。

「帯はうまくできたみたい。…髪をやってやるからそこに座って。…こう、後ろととのえて、正座よ。正座しないと着付けくずれちゃうからね。」

 いつきが床に座る間にユウはしゃかしゃかと自分の髪をとかしてしまい、そのあと座ったいつきの髪をてばやくといて、なにかいい香りのする油をすりこむと、いつもどおりポニーテールにしばった。それから尻尾の部分を3つに分けてくるくると巻き付けて、団子にして、飾り紐でまとめてくれた。

「よし。これでオッケー。…髪長いといちいちめんどくさいよね。きっちゃえば?切ってやろうか?」

「うーん、でもヨーロッパ行くと、髪短いと正装が難しくて…。」

「あっ、そうか。マントの国だもんねえ。」

「うちは男衆もみーんなのばしてるよ。」

「うははー。」

 ユウは白っぽい地に赤い椿の柄がついた着慣れた感じの浴衣を着ると、黄色い帯をしめた。

 宴会場へ戻ると、春季は着替えていたが、他はまださっきのかっこうのままだった。…陽介は袴だけ脱いだらしいが、和服のままだった。

「婆、あがったよ。交代。」

「おお、じゃあ、頼む。」

「はあい。」

 ユウが部屋に入ると、タケトが言った。

「おー、風呂上がりのほてった美しい女子登場。」

「はいはい、いつきをおだててやってねタケちゃん兄さん。」

 ユウは笑って返し、いつきを部屋に入れた。

「おお、暴れん坊にも衣装だね。どこの姐さんかと思ったよ。…それユウちゃんの?」

 タケトが先ほどのケンカなどどこへやら、カラっと晴れやかに言うと、一瞬ちらっと田中がタケトを見た。…きみはいいね、なんでもすぐ忘れられて、とでも言いたげな目線だった。いつきもにこにこした。タケトもそうであるように、いつきも兄妹の流儀なら知っている。

「あたしが持ってるわけないじゃん、こんな色っぽい服。」

「そうだよねえ。でも案外似合ってる。」

「案外は余計。」

 タケトにお株をとられた陽介がちょっと苦笑していた。その陽介が月島となんとなく寄り添って座っていたので、いつきは春季の近くに座った。春季は愛想よく笑って、「写真撮ってもいいですか?帰ったら姉さんに見せるから。」とこっそり言った。それを抜け目なく聞き付けたユウが、タケトとビールをつぎ合いながら、「オッケーオッケー、ばんばんとってやってちょうだい! でも化粧してないから、小夜にはあたしがしかられるかも~。」と勝手に許可した。

 ユウはタケトと乾杯してぐいぐい飲み始め、いきなり機嫌もよく、開放的になった。田中や月島にもがんがんついでどんどん飲ませ、

「いやー、でもこれから風呂はいるからー、」

とタケトが少し断ると、ビール瓶の口を陽介に向けた。

「…オマエまだ飲んでないだろ。グラス。」

 と命令すると、月島が手をだして、その口をちょいとよけた。

「ユウちゃん、ようちゃんは酒あんまりのめないんだって。…風呂の前に潰しちゃいけない。」

「なによ、あたしの酌じゃ飲めないっての?」

「…あとで、あ・と・で。」

 …ユウはもうすっかり酔っぱらいあつかいされている。

「糞コラおやじー! じゃオマエが飲めや!!」

 クソこら親父ー、に、いつきは心の中で大いに笑い、自分はというと撮影会を終えた春季に少しついでやった。

「…具合どう?」

「はい、おかげさまで…だいぶ休みましたから。」

「うん、顔色もよくなってきたみたい。」

「…なんか今日はすみませんでした。」

「いいってことよ。飲んで忘れれ。あんたは別に悪くない。」

「…悪くないですよねえ。」

 2人はそう合意すると、揃ってこっそりと陽介を盗み見た。陽介は機嫌良さそうに、月島とひそひそ談笑していた。…なにやらスイートな雰囲気だ。

 春季はいつきにひそひそ言った。

「…いつきさん、田中さんにお酌してあげてください。僕、どうせ風呂入ったらまたすぐ寝るからほっといていいですよ。…なんか泣きそうな気分だし。一人になりたい。」

「…田中やんの御機嫌とりあたしにはむつかしいよビトウくん。」

「…何もしなくていいから、だまってそばにいてあげればいいんですよ。…なんの為の花柄ですか。あなたが黙っていても、その花が語ってくれるから大丈夫です。」

「…服って喋る?」

「…喋りませんけど、雄弁です。…基本的にあっちにしゃべらせとけばいいんですよ。あの人、すごくおしゃべりな人なんだから。」

「でも根掘り葉掘り聞かれるもん。…困るんだよね。」

「…それはヒミツ、って言えば大丈夫ですよ。」

「そおかあ??」

 そんな話をひそひそしていると、ユウがビール瓶をさげてどすどすと近寄ってきた。

「おい!いつき!」

「おう!」

 いつきが見ると、ぐいっとビール瓶の口が近寄って来た。

「…グラス。」

「へいへい。」

 いつきがグラスを差し出すと、ユウはビールをついだ。そして手をくいっとやって、「飲め」のジェスチャーをした。いつきは大人しく言うことをきいて半分ほど飲んだ。正直なところビールはあまりうまいとは思えない。いつきはワインや日本酒のほうがずっと好きだった。

「コラァ、ビトウはるきぃ、ちゃんとのんでっか!」

「いや、あんまり。」

 春季はいたずらっぽく微笑して答え、はい、とグラスを差し出した。ユウがそれにビールをつぐと、春季は水を飲むようにそれを飲み干した。

「あ、なくなった。」

 ユウは真顔で言い、立っていって別の瓶を持って来た。そしてもう一度春季のグラスについだ。春季はまたくいー…っと飲んで、器用に1割ほどだけ残した。

「…御馳走様です。」

「…おそまつさまでした。」

 なぜかユウと春季はお互い丁寧に頭を下げあった。ユウは満足してタケトの向かいに戻った。タケトは田中に飲ませていたが、ユウが戻ってくると、ユウにも飲ませた。…いつきは春季にたずねた。

「…尾藤君てけっこう酒豪…?」

「どうかな。…よっぱらいますよ。ちゃんと。」

「ちゃんとって…?」

「…うーん、絡んだり、泣いたり、愚痴ったり、説教したりしますよ。」

「うわっ、やな酒だなーっ。」

 いつきがそうコメントすると、春季は首をかしげた。

「…うーん、ワイン2本くらいでそんな感じかな。ビールって、炭酸水みたいですよね。ちょっと喉かわくけど。」

「…きみ、けっこう酒のみだと思うよ。」

「そうですか?…まあ、あまりみんなと飲んだことないし、うちでは食事のとき飲むだけだからよくわかんないです。」

「飯のとき飲んでるのね。」

「ええ、あるときは。うちは主にワインです。…極東はワインが高いって、親泣いてます。」

 …なるほど、慣れてるわけだった。

 少ししてから、おばあちゃんが戻って来て、まず春季に風呂に入るよう言った。春季は当り前みたいな顔で部屋を出て行こうとしたが、呼び止められて、風呂を上がったらすぐ休むようにと言われた。春季はうなづいた。

「…春季さんは外国そだちとか…。お風呂のことはわかりますかいな。」

「あ、前に先輩に教えてもらったから、大丈夫です。お湯よごれないように入ればいいんですよね?」

「はい、すみませんなあ、宜しくお願いします。」

 春季は了承して、部屋を出た。

 春季がいなくなってから、おばあちゃんが言った。

「…戸板の件であとでお話がありますから、ぼっちゃんと月島さん、それからいつきは酔いつぶれんようにしてくださいまし。…ユウ、おまえはなんだい、もうはやそんなによっぱらって。仕方ない、オマエは明日でいい。」

「なにさ戸板の件って~。今言えよクソ婆あ。」

 ユウが言うと、月島がせき払いしてたしなめた。

「ユウ、クソ婆あとはなんだ。酔っていればなんでも許されると思っているならもう酒飲むな。」

「おめえに言われたかねえやSM親父がよー。」

 陽介と田中が「うわ…」という顔になった。

 言われた当の月島は、涼しく聞き流したようだった。

 おばあちゃんがため息をついて言った。

「…ユウ、もう部屋に下がりなさい。まったく、藍ちゃんがいないとお酌一つまともにできないのかおまえは…。いつき、悪いね、部屋に連れて行って、布団しいてやっておくれ。」

「はぁい。」

「えーっ、もうはやかえっちゃうの、ユウちゃん。いいじゃない、俺たちともっと飲もうよ。」

 タケトが言ったが、おばあちゃんが「だめだめ」と手を振った。 

 ばいばあいとタケトたちに陽気に手を振るユウを連れて、いつきは宴会場をあとにした。

 部屋に布団をしいてやると、ユウはばたばた這って行って、自分で帯をぐるぐるほどいた。

「あーっ、もうねよねよ! 酒ものんだしーっ! どうせ起きてたって、慎二さんいないしー。」

 …わざと過ごして飲んだな、といつきは気がついた。ユウは着ている浴衣のまま、ごてっと横になった。いつきが布団をかけてやると、ユウは言った。

「あんたもてきとーにねちゃいな。どうせ神さんたちの世界はあたしたちの都合なんて、いつも無視なんだからさあ。」

「…うん。そうだね。」

 いつきはそう言って電気を消してやろうと手を伸ばした。するとユウは言った。

「…いつき、あんた、ウチらの留守中田中センセイとなんかあったの?」

 いつきは手をとめた。

「…なんかって…大したことは別になにもないけど…。でもあたし、なんかあの人難しい。…感覚が全然違うんだもん。」

 するとユウは枕の上でうなづいた。

「…そだろうね。久鹿が月島さんとあれだけべたべたなら、月島さんとあんたがなんかあったってのはありえない。そんな暇ないもん。…やっぱり田中センセイだよね。」

 いつきはユウにちょっときいてみた。

「…ああいう人ってどうやってしゃべったら傷つけなくてすむの?」

「…傷つけたくなかったら、社交辞令だけでつきあうことだね…。あたしはそうしてる。」

 …内容のない回答だと思った。

「うん…そうだよね。…おやすみ。」

「…待ちなよ。」

 いつきは再び手をとめた。

「…何?」

「…うまくいえないけどさ、別に、傷つけてもいいんじゃないの?」

 いつきはユウの顔を見た。

「え?」

「…向こうが逃げ出すまで傷つけてみなよ。…静は…自分も不器用だから結果としてそうなっちゃってただけだけど、あの人はいつまでたっても逃げなかった。…あんた、試しにそうしてみたら?」

「…」

 いつきが黙り込むと、ユウは「くふ」と笑った。

「…なにさ、怖いの?」

「だって、あの人、か弱いじゃん。あたしがそんなことしたら、きっと死んじゃうよ。」

「…殺してやんなよ。そうしたらあの人は、きっと変われる。」

 いつきは、ユウがひどく酔っぱらっていて、考え無しに言っているのだと思った。

「…素面のとき、また話そう。」

 しかし、ユウは挑戦的に切り返した。

「…逃げるのかい。」

「…」

 いつきは横たわったままのユウを見下ろした。

「…変われる保証なんかどこにもないよ。」

「…人生は賭だよ。」

 ユウはそういうと、寝返りをうっていつきの顔を見た。…真面目な顔で見た。

「…お休み。また明日ね。」

 いつきはパチリと電気を消し、部屋をあとにした。


+++

 宴会場にもどってみると、おばあちゃんが片付けをしていた。多分、春季が風呂から上がったので、残りはいっしょくたに風呂に追い込まれたのだろう。月島と田中も仲良く一緒にお風呂、というわけだ。いつきは思わずニヤリとした。きっとなにか面白いことがおこっているに違いない。あとで陽介に聞こう、と思った。

「おばあちゃん、これ、台所でいいの?あたしが運ぶよ。」

「ああ、タケトさんと田中センセイがまだ飲みたいだろうから、つまみをふた皿くらいにまとめて田中センセイの部屋に持ってってあげとくれ。酒はあの人たちは自分でもってってたから、あとは片付けていいよ。」

「ねえ、田中さんは…戸板の件は伝えなくていいの?」

「オマエかぼっちゃんが伝えとくれ。」

「…どうして呼ばないの?」

「…どう転んだかは翠さんに聞くしかないからね。…田中センセイには流れがわかってから、適当にマズイところをはしょって伝えたほうがいい。」

「マズイところって…なんかマズイの?」

「どうかねえ。なんでもなければそのまま伝えりゃいい。でもあの人に伝えると記録に残されてしまうかもしれないのでな。…今日は田中センセイと仲良くしてあげたかい?」

「んー…仲良くはしてたけど、なんか、傷つけちゃったかもしれない。」

「気難しい人だからね。まあ、気にすることはないさ。…その浴衣、おまえいいじゃないか、にあっとる。田中センセイにみてもらいなさい、寝る前に。」

「…え?」

 いつきは耳を疑った。

「…おばあちゃん、今、なんて言ったの…?」

「…タケトがひきあげたら田中さんの部屋に行って、ねえこの浴衣どう?ユウがかしてくれたんだァ、って、小さい声でテレながらきいてみな。こう、ちょっとくねくねしながら。田中さんに見て欲しかったのに、田中さんだけなんにも言ってくれないんだもーん、とか少し拗ねてみてもいいのう。」

「…」

 いつきの手はとまってしまった。…冷汗がどーっと吹き出て来た。

「…おばあちゃんエッチ禁止っていったよね?」

「だれも同衾しろとは言っておらんよ。」

「でもその流れでいくとさ…あたしが男なら、『うわあ、きちゃったよ、とりあえずやるか?!やっとくのが筋ってもんか?! 追い返したら恥かかすか?!』とか思うけど…」

「…あの人がそう思えるような人なら、こんなことは言わんよ。」

「…どゆいみよ。」

「知りたかったら行け。」

「…」

 いつきは本気でだらだらと冷汗をかいた。…こわい婆あだ、何考えてんだ、と思った。

「…お、おばあちゃん、何を狙っているの?」

「…内緒じゃ。」

「!!やっぱなんか企んでる!!」

「なんかって…わかっとらんのはオマエだけだよ。」

 髪の毛が逆立つかと思った。…いつきを何かに利用しようとしているらしい! しかも満場一致で!

「…あたしを利用しようなんて、太い連中だよあんたたちは!」

「何をいっているんだねまったく。オマエにとっては修行のうち。つべこべ言わんで、言う通りにしなさい。」

「でも!」

「言うこときかんと、明日から知らんよ。…ほれ、さっさと肴を集めなさい。」

「!!!」

 …こんな婆ぁを頼りにしたのが間違いだったか?!

 いつきはそう思いながら、残りの肴を皿に集めた。そして、おばあちゃんに追い立てられて、その皿を田中の部屋に運んだ。

 …いつきも動揺してたのだが、当り前に考えていれば、ユウを寝かすのにもけっこう手間取っていたのだし、田中がとっとと風呂から逃げて来ている可能性に思い当たってもよかった。…障子を開けたところで気がついた。なんといおうか、…田中が浴衣を着ていたのは幸いだった。

「あっ…もう戻ってたの。ごめん。いないかと思って…いきなり開けちゃった…」

「…いや、別にいいけど…。どうかしたの?」 

 …それでも一応風呂で温まってきた様子で、田中は眼鏡をかけていなかった。髪も濡れていたし、顔色もよくて、何より清潔だ。…タケトが言っていた、「小洒落たインテリ」という言葉が自然と頭に浮かんだ。

「…あの、これ…まだタケトさんと飲むんじゃないかなーって、おばあちゃんが。」

 いつきが皿を差し出すと、田中は「ああ」といって受け取った。

「…どうもありがとう…。魔女子さんもお誘いしたいところだけど、これからカミサマ会議でしょ?」

「…うん。」

「大変ですね。…まあ、僕は呼ばれなかったので、お任せします。宜しく。」

「…あとで陽介あたりが話すと思う。それかあたし。」

「そうですか。じゃ、待ってます。」

「…」

「…まだ何か?」

「ううん、なんでもない。」

 いつきは首を左右に振ってさがり、襖を閉めた。すると、また襖が開いた。

「…魔女子さん、あんまり、さっきのこと気にしないでよ。…そういうの、あなたらしくないと思うし。」

「えーっ」

 いつきはちょっと憤慨した。

「どう言う意味?!」

「どういうって…。あなたは別に、いつもみたいにもっと不貞腐れてでかい態度で堂々としていればいいってこと。」

 …開いた口がふさがらなかった。

 田中はそれを見て、少し困って頭をかくと、言い直した。

「…別に、悪い意味じゃないです。」

「…なんか、ちょっと今どう反応したらいいかわかんない、あたし。」

「そうだなあ…」

 田中はいつきの言葉に腕を組んで考え、そして言った。

「とりあえず、何か捨て台詞言って、怒って部屋にかえってから、いろいろ考えたあげく、明日あたり反応してみるって感じじゃないかなあ。」

 いつきは「…そう。」と言うと、そのまま「すすす」と襖を閉めた。

 …この男と会話を続けるのは自分には到底無理だ、と思った。

 宴会場に戻ると、おばあちゃんはもうほとんどの片付けを終えていた。

「…おばあちゃん。」

「どうした。」

「無理。あたし行けない。」

「行く前からくじけとってどうする。」

「…なんかの拍子にひねり殺してしまいそうな気がする。」

 するとおばあちゃんは左右に手を振った。

「だーいじょーぶじゃよ、あれでも中年男伊達にはやっとらんて。そこまでか弱くはない。…なんじゃい、もうあがっとったのか、あのセンセイはほんとに風呂嫌いで困るのう。…なんか言われたのか。」

 いつきは不貞腐れて言った。

「…あたしが気を使うとおかしいらしい。」

 するとおばあちゃんは当たり前のようにうなづいていった。

「そりゃそうじゃろ。おまえは気を使わせるほうじゃよ。あっちがやきもきしとればいいんじゃ。向うの気が済むまで謝らせておけ。あの人は自分が謝れば安心するんじゃよ。」

「…」

「…どうした。」

「…不貞腐れてでかい態度で堂々としてる、って、別の言葉で言うとどうなるの?」

「不敵で不遜で自信がある、かのう。」

「…ほかには。」

「わしにゃあわからん。ぼっちゃんにでも聞いてみたら。」

「…とにかく今日は、もう行かないから。」

「まあ待て。」

 立ち去ろうとしたいつきの後ろ襟を、おばあちゃんは掴んだ。

「…何をそんなにびびっとるんじゃい。」

「びびっちゃいないけどさ。あの人にはつきあいきれないよ。」

「なんでそう簡単にあきらめるんじゃ。…ここが自分の故郷でもなく、いるべき場所でもなく、田中センセイは話す価値のない人じゃからか?」

 いつきは口をとがらせた。

「そんなことは言ってないよ。ここは…故郷じゃないけどいいところだと思うし、今は勉強しに来ているんだし、…田中さんは、わたしが今まで見たこともないタイプのユニークな人だとは思うけど。」

「けど、なんじゃ。」

「…」

 口をつぐんだいつきを、おばあちゃんは再び促した。

「けどの続きを言いんさい。」

 いつきは抗議するように言った。

「…けど、あの人の感覚ってあたしと違い過ぎる。」

「じゃあお前は、自分と同じ感覚の人間になら、今日その浴衣を見せに行ってもいいんじゃな?」

 意外な展開にいつきは目を見開いた。

「え、どういうこと?」

「ここでおまえさんと一緒の価値観の持ち主といったら、直人さんじゃよ。おまえは直人さんとならうまくやれるのか。」

「待ってよ」いつきは慌てて言った。「何、おばあちゃんまで。あたしと月島のオヤジのどこが似てるっていうの?」

 おばあちゃんは落ち着き払ってのんびり言った。

「…直人さんはおまえをそのまま中年男にしたような人じゃよ。子供のころはお前をそのまま少年にしたような人じゃった。ケンカばかりしておったし、…なにかことあれば親から教わった武術だけが頼りじゃった。カミサンに人生をあちこち食われとった。親を両方とも早くにとられた。ここで掃除や水行しとるときだけが『生きてる』ときじゃった。不敵で不遜じゃったが、真面目で正義漢じゃったよ。でもここじゃあの一家はよそものじゃった。…どうじゃ、お前ににておるじゃろ。」

 いつきはびっくりした。

 …それはたしかに言い訳のしようもない。

「…お前と直人さんではケンカ以外できんことはわしでもわかる。…でもな、田中さんともケンカしかできんのなら、それは少し我慢がたらん。」

 いつきはうなだれた。するとおばあちゃんが言った。

「…落ち込まんでいい。直人さんと田中さんがうまくいかないのは、2人とも男だからじゃよ。おまえは女の子なんだから、必ずうまくいく。あの人はここの滞在が、延べにするともう随分長いけれども、あの人がその間ここで興味をもった相手は、静とお前だけじゃよ。…あの人をあの暗闇から救ってあげんさい。お前にはそれができる。」

 いつきは首を左右に振った。

「…無理だよ。あたし、大雑把だし、乱暴だし、…田中やんの気持ち全然わかんないし、…そんなの無理だよ。」

「言い方が悪かったかのう?…あの人は、灯りの無い、行く先もない道に立っていて、途方に暮れている。…あの馬鹿モンを、あの細い袋小路から引きずり出して、明るいところへ放り出してやりんさい。おまえぐらいのクソ力がなければできんし、向こうがその気になっていないとテコでも動かん。お前が、今、為すのが、もっともよいんじゃ。…時が来とるんじゃよ。」

 いつきが顔をあげると、おばあちゃんがもう一度言った。

「…あの人の淀んだ部屋に、今、風が届いとるんじゃよ。…だから今、うごかしてあげんさい。そうすれば、お前のほうもまた、ここで掴まなきゃならんものに出会える。…時がきとるんじゃよ。」

 時がきている、という言葉が、なぜか妙にいつきの心を打った。おばあちゃんはいつきの顔をみると、うなづいた。

「…ぼっちゃんは月島さんがあずかっててくれるから、お前は安心して進みなさい。」

「…春季ちゃんは?」

 いつきはなぜ自分が唐突に春季の名前を出したのか、よくわからなかった。…言ってから、戸惑った。するとおばあちゃんは言った。

「…今は翠さんにまかせるしかあるまいよ。確かにあの子もまた、お前のように数奇な巡り合わせの中に生きておる。じゃが心配せんでいい。翠さんは優しいカミサマじゃから。」

 いつきは、…うなづいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ