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Till you die.  作者: 一倉弓乃
10/41

9 YAMA-IRI

 重ねて言うが、陽介は実際には、春季が思っているほどヘタレな体力の人間ではない。

 宿泊型研修施設やらキャンプやらが好きだったため、小学生のころはボーイスカウトに入っていた。ハイキングもキャンプも山登りも何度も経験がある。相手が普通のエリアの友達なら、アウトエリアの達人と自称してもさして語弊はない。

 だが、そもそもアウトエリアなる表現にはエリア人種の軽い優越感が含まれている、と批難されがちなように、それは所詮エリアの中の価値観にすぎない。春季の化け物のような持久力を目の当たりにすると、流石に少しは遠慮してしまう。いつきが相手なら多分尚更だったことだろう。

「…先輩、きついなら少し休みましょうよ。そんな意地にならなくたって。まだ時間もあるし。」

「まだ大丈夫だって。」

「…無理するともちませんよお。」

「…」

 春季に心配丸出しの声で言われて、仕方なく立ち止まった。

 山の木々はある時期からあまり人の手が入っていないことを物語るかのように伸び放題になっており、道はそのほとんどが、杉に覆われたトンネルのようになっていた。紫外線の心配はまったくなかったし道もしっかりしていたので、二人は比較的軽装で歩いていたのだが、風がなく山道はじっとりと暑かった。まだそれほどの高度でないのか、蝉の声が煩いほどだ。…流れる汗をぬぐう。

「…ね、先輩、さっきから水の音がするんですよ。きっとそっちの小道、少し行ったら沢じゃないかな?…僕見て来ていいですか?待っててくれます?」

「わかった。じゃあ待ってる。…沢に落ちないでくれよ?」

「気をつけます。」

 春季は荷物を陽介の足下におろし、脇道に入って行った。陽介も並べて荷物を置き、ため息をついて腰をおろした。

 蝉の声が、真夏の濃い空気の中、豪雨のように降り注ぐ。

 陽介は木々が枝を結びあう天を見上げて、しばしその轟音の底に沈んだ。

 小さな山に見えたのに、なかなか結構なお山だ。

 少しそうして休んでから、地図を出して場所を確認する。…確かに小道の下は、沢のようだ。予定どおり道をこなしてきている。この調子でいけば、昼前にちゃんと到着するだろう。

「先輩、近いですよ、行って顔でも洗いましょう。水すごくきれいですよ。」

 声をかけられて振り向くと、春季が戻って来ていた。

 二人は連れ立って沢までおりた。

 沢はさらさらと清らかな音をたてて、山の上から清水を運んできていた。

 春季と並んでうがいして水を少し飲み、ついでに手や顔を洗った。山の清水は冷たく、澄んでいる。

「…同じ味…ですよね?」

 春季が自信なさそうに尋ねた。陽介はうなづいた。

「…同じ味だ。」

 疲れを拭いさり汗をとめる、その旨い水。同じだ。そして今までどこで飲んだものより澄んだ味わいがある。付近一帯の水は、この山の水なのだ。

 二人は汗がひくと、沢から引き上げて道にもどり、先へと進んだ。

 杉の林はほどなく終わり、やがて広葉樹の森にさしかかった。すると気温が急に下がった。普通針葉樹のほうが低温に強いはずだが、ここではなぜか逆だ。登ったり降りたりの道なので、高度の問題ではないらしい。多分途中まで植林して、なんらかの事情で杉の植林がストップされたのだろう。戦乱でもはじまったのか、或いは経済的なことか。人員がたりなくなったのかもしれない。蝉の声もしなくなった。

 二人が長袖を羽織るために立ち止まると、小雨が葉を叩き始めた。二人は少し迷って話し合ったが、行けるところまで一気に行ってしまおうという結論におちついた。幸い雨足はそれ以上強くはならず、ぽつぽつと雫の葉にあたる音だけはずっと続いたものの、二人の肩まで雨が届くことはほとんどなかった。

 途中一ケ所休憩をとって少し糖分を補給した以外はどこにも寄らずに、二人は目的地に着いた。鳥居を見つけて時計を見ると、予定より少し早いくらいだった。

「雨で急いだから、結構早く着きましたね。思ったよりもずっと近かった気がする。」

「うん、大した道のりでもなかったな。もっと遠いかと思った。…でも案外と高さは登ったのかな。涼しい。」

「ほんと、涼しいですね。快適です。」

 鳥居の側まで来ると、鳥居の中に、背の高いすらりとした男が立っていて、二人ににっこりした。

「…久鹿さんとお連れさんですか?」

「はい、久鹿です。…友人の尾藤くんです。」

 忙しいのにどうやらわざわざ出迎えに出てくれていたらしい。やや恐縮気味に陽介と春季が揃ってぺこりと御辞儀すると、男は微笑して言った。

「お待ちしておりました。どうぞ、お入りなさい。」

 男は丁寧な優しい口調でそういって、二人を鳥居の中に招き入れた。

「暑い中をよくいらっしゃいました。遠かったでしょう。」

「木が茂っていて、日を遮ってくれるので、歩きやすかったです。」

「そうですか。男の子は元気でいいですね。ここは女の子ばかりなもので…」

 男はそう言ってから、ふと立ち止まった。

「…あ、少しお待ちなさい。…ユウ、ユウ! これ、無視しない。客人ですよ。」

 男が呼び掛けたほうを二人が見ると、そこに、袴を着けたおかっぱの少女が、凄い目をしてこちらを睨み返していた。陽介も春季も恐ろしくなり、思わず少し後ずさった。

 男はまるで気にかけず、二人を置き去りにしてそのまま奥のほうへ立ち去ってしまった。

 陽介と春季は怨霊のような目で睨み付ける少女としばらく見合っていたが、やがて春季が恐る恐る言った。

「え…と、あの、お祖母様に今日御訪問の旨、御連絡をさしあげた久鹿と尾藤ですが。」

 すると、少女は弾けたようにぱっと駆け寄って来て、むんずと二人の腕をつかんだ。二人はおもわず「ひーっ」と悲鳴を出しかけたが、必死でこらえた。少女は大声で奥に向かって怒鳴った。

「いつき! 塩! 塩持ってこい!!」

 すると、奥から聞き覚えのある声がどおしたの~?と呑気に尋ねた。

「バカヤロ早く持って来い!!」

 少女はそのまま二人をぐいぐいひっぱって、きれいに掃除された境内のすみに連れて行った。やがてのんびりと、升にいっぱいの粗塩を盛ったいつきが現れた。…かわいいニッカ-ポッカ-…かと思ったら、質素な短い括り袴をはいて短い単衣の着物を着て、「日本昔話」みたいな小洒落た格好をしている。たまにはいつきの姿を誉めてやりたいのは山々だったが、残念なことに春季も陽介も挨拶どころではなかった。少女は塩をつかむなり、春季と陽介に思いきり叩き付けるような勢いで浴びせかけたのである。

「ひゃ! どーしたの、ユウ。」

 どうやらびっくり声を出す余裕があったのはいつきだけだったようだ。

 ひとしきり蛮行(と男子二人は思った)がすんだ後、ぜいぜいと息をつきながら、少女はいつきに言った。

「いつき、藍ちゃんが舞の稽古をつけている部屋の、廊下に出ないほうの襖のな、右端をあけろ。そこに菓子箱くらいの桐の箱、同じのが3つ入ってる。それを二つもってきてくれ。」

「…いいけど、ユウ、あんたが塩かけてたの、小夜の弟と、久鹿だよ。」

 そう言われて少女は初めて正気の目で二人を見た。

 二人はもうすっかり怯えきり、魍魎にでも襲われたような顔になって、二人でかばいあうように立っている。

「…あー…あああ。」

 ユウは額を押さえた。

 何か言わなきゃという態度だが、思い付かないらしい。

 いつきが呆れて二人に肩を竦めてみせた。二人はわけもなくほっとした。

「い、いつきさん、僕らなにか悪いことをしたんでしょうか…」

 春季が恐る恐るきくと、いつきはユウの顔を見た。ユウはやっと落ち着いて、言った。

「…すぐに話すよ。とりあえず箱をもってきて。二つだよ。」

「…えっとお、『桐』って、何かな?」

「あー…」

 ユウが困って言い淀むので、いつきは陽介の顔を見た。陽介もやっと我にかえって、おずおず言った。

「…白っぽい木だ。柔らかくて、上品なかんじのやつ。虫をよせつけない箱なんだ。乱暴に扱うと華奢だから壊れるぞ。」

「わかったさがしてみる。」

「…わかんなかったら藍ちゃんにきいて。」

 ユウが言うと、いつきはうなづいてもう一度姿を消した。

 3人は黙りこんだまま、いつきが帰ってくるのをじっと待った。

 気まずい。

 春季が手持ち無沙汰な様子で、肩や袖に残った塩を遠慮がちに払う。

 やがていつきが箱を持って帰って来た。

「これかな?あの襖あけたら、藍ちゃんに怒られちゃったよ。」

「ああ…御免ね。うん、これだよ。」

 ユウはいつきから箱を受け取ると、躊躇なくぱっぱっとフタをあけた。

 中には緑いろの、翡翠かなにかの勾玉が入っていた。掌の半分ほどもある大きなものだ。思わず陽介が覗き込む。ユウは箱にはいっていた紐を勾玉に手早くとおして結び、陽介と春季の首に次々かけた。

「…鳥居の中にいる間、絶対にはずさないで。わかった?」

 男子二人はおずおずうなづいた。

 いつきがユウに話し掛けた。

「ね、ユウ。久鹿は去年一緒のクラスだったんでしょ?…尾藤くんとは?会ったことある?」

「うん…。一回会ったことあるよ。」

「…うちに来た人と同一人物とは到底思えません。」

 春季がぼそっと言うと、いつきはユウをのぞきこんで言った。

「…ここって別に男子禁制じゃないよね?坂下さんはいつも平気ではいってくるし…。…どうしたの?」

 ユウはひそひそとこたえた。 

「…翠さんに、久しぶりに呼ばれた。…こいつらと一緒にいた。…呼ばれても、返事しちゃいけないんだ。婆にそういわれてる。」

「えー、なんで一緒にいたの?」

「あたしはわからん。」

 いつきはなぜか春季の顔を見た。ハッとした春季が大慌てで手を振った。

「僕は!違います何もしていません!本当です!」

「…どうかねー、あんたはカミサマ好きする人物らしいからねー。」

「う…疑うんですか?! 僕を?!」

「…人を呪はば穴二つ、だな。春季。」

 やっと調子が戻ったのか、陽介がちょっとからかうと、春季は「どうしよう!!」な顔でユウを見た。ユウはため息をついて、首を左右に振った。

「…小夜の弟なら何がどうでも不思議はないさね。…あんたたち、あの方と話したの?」

「…?あの方って…?」

 陽介と春季は首をかしげた。春季が尋ねた。

「あの…出迎えてくれた方ですか?お待ちしてましたって言ってたけど…神社の方じゃないんですか?」

「…神社の方ですとも。お待ちしてましたですって?やれやれ、あんたたちここへ来る前からどこかで目つけられてたのよ! ばっかねえ、誰も管理してない神社とか、石とかみてまわってたでしょう?違う?」

「…はぁ、それは見てましたけど…」

 春季がもそもそ言うと、陽介が言った。

「その翠さんて方は、どなたなんだ?」

「…こちらで、おまつりしている…なんていうか、この神社で一番偉い…人間じゃない方らしいよ。」

 いつきが言うと、陽介は少しびっくりして、参道の向こうの、男が消えていったほうを見た。それから春季を顔をみたが、春季が口をあけて愕然としているので、仕方なくいつきに言った。

「嘘だろ。」

「嘘じゃないよ。」

「俺自慢じゃねえけど霊感ないし。それに、ありゃどうみてもちゃんと人間だったよ。髪がさらさら長くて、背の高い二枚目で、ちょっと安西みたいな上品そうな感じの…」

 陽介はそこまで言って、口をつぐんだ。どこかできいたことのある特徴だった。

 春季がそんな陽介を見て、言った。

「…先輩、それはつまり…列車にのっていたあの人です。」

 陽介はぱっと春季に向き直った。

「同一人物なのかよ?!」

「僕は…もう列車の方に関しては、直接的な記憶ではなくなってしまっています。あとになって、先輩に自分で話したことを掻き集めて、記憶しなおした次第で…。ですが今の人物の特徴は、…項目すべてに一致しています。」

 ユウは腕を組んで、胸をそらした。

「…翠さん州鉄まで使ってるわけね。しらなかった。…ま、いい。ばたばたしたって仕方がない。…とりあえず中へ入りな。婆を呼んで相談してみる。…いつき、襖に竹林の絵が描いてある部屋わかる?昨日あんたが寝ていた部屋だからわかるね。…あそこへ二人をつれていって。わたしは婆を探してくるから。」

「うん、わかった。」

 いつきだけは何事もなかったかのようにいつも通りの顔で「さ、こっちこっち」と二人を手招きした。

 二人は、自分達が今本当に頼っていいのはいつきだ、となぜか直感的に思い、ママの袖にぶら下がる子供達のような心地でささっと後を追った。


+++

 いつきが二人を連れて行った部屋は、廊下の中途にあり、ひっそりしていて涼しかった。

「…外、雨みたいね。ここ、多いんだ、雨。地形のせいだってユウは言ってた。」

 いつきはそう言いながら、空いていた小さな円窓に板の雨戸をおろした。

「…修行はどうよ。」

 陽介がきくと、うんうん、といつきはうなづく。

「体に合ってる。…これで食い物がもう少し豊富なら、一生いてもいいね。」

「…少しはレベルアップしたか?」

「それはもう。」

「…祭で踊るってか。」

「うん、そうなんさー。まあ踊るっていっても扇子あげたりさげたり、前にあるったり後ろにさがったりするだけの舞いだけどね。すこし回転するとこもあるかな。」

「できそうか。」

「ヨユー。…なんだよ、心配しちゃって。」

「別に心配はしてねーけど。…目は?」

「目はもうぜんぜん大丈夫。」

 春季はいつきと陽介が話す間、陽介にぺたっとへばりついて、ぼんやりしたようすで黙り込んでいた。いつきは春季にさきに座布団を手渡し、ニッコリ愛想までふったが、春季はちょっと軽く会釈しただけだった。

「…ユウさ、怖かった?どうもあの子の話きいてると、あの子自身が相当怖いタイプかなって気がしてたんだけど、あたしには変なとこ全然みせないのよね。むしろどっしり安定してるっていってもいいくらいでさ。頼りになるし何でもできるし美人だし気さくだし。一見威張ってるみたいにみえるけど、別にそういうわけでもないんだよね。言い争いになったら引くし。」

 いつきは陽介にむかって言った。陽介はうーん、と眉をひそめた。

「…そうだな、ちーと怖い…かもな。俺おかっぱの女ただでさえ苦手なんだよ。前に言ったよな?」

「…ああ、そういえば。…尾藤くんさ、前にあったとき、ユウはどうだった?」

 わざわざ声をかけてやると、春季はやっと言った。

「…前会ったときは…ぜんぜん。陽気な感じの人だったと思います。」

 陽介が補足した。

「…でも親父さんと夜思にいちゃんは、避けてたんだと。」

「とーちゃんと4番目?…そりゃまた微妙なメンツだねえ。二人とも尾藤家のレーダーじゃないか。」

 いつきは腕を組んだ。

 少しして、ユウがおばあちゃんを連れてやってきた。

 陽介と春季は頭を下げて挨拶し、おばあちゃんも、よくきなすった、などと挨拶した。ユウも例のおばあちゃんて呼んであげて喜ぶから、という定型句を言った。

「さて、それじゃ挨拶がすんだところで、話をきこうか。…州鉄の車両で、翠さんに会ったって?」

 おばあちゃんがそう言ったので、春季は列車の中で起こったことをかいつまんで話した。その人に、春季の腕の問題について「頼子」という人に相談するように言われたこと、祭の日に会えると言われたことなども簡単に話した。おばあちゃんはうなづいた。

「そうかいそうかい。で、鳥居のところで、また会ったって?」

 今度は陽介が話した。

「うむ、わかったよ。」

 おばあちゃんはうなづいて、そしておもむろに言った。

「頼子はわしじゃよ。…腕のことを詳しく言いんさい。」

「えーっ、おばあちゃん頼子さんていうの?」

 いつきがびっくりしてツッコむと、ユウがうなづいた。

「そうだよ。婆は頼子だよ。」

 陽介も春季も顔が白くなった。

 いつきはコリャ駄目だという顔になり、おばあちゃんに言った。

「おばあちゃん、ちょうどいいから、尾藤君の腕のことはあたしが話すよ。…尾藤くんは、腕の一件については…立場的には巻き込まれた部類かもしれないんだ。」

 いつきはおばあちゃんに、話しはじめた。

「…あのね、あたしがガイジンだってことは、おばあちゃんも知っているでしょう?…あたしの故郷はずーと西のほうなんだ。ずーっと西の、ずーっと南。すごくかちかちに乾いた土地のまんなかにあるドームでね、水源をささえる一本の大きな木があったの。それがあたしの故郷。…その木の下にね、怪我をしたカミサマが眠っているの。」

「うむ、そうかい。」

 おばあちゃんがなんの抵抗もなくそう言ったので、いつきも安心してうなづいた。

「あたしのおかあちゃんは神殿の巫女さんだったんだ。あたしも少し神殿にいたんだよ。」

「そんなこったろうと思ったよ。あんたの立ち方は普通の女の立ち方じゃないからね。」

 ユウはきいていて少し目を丸くした。いつきは続けた。

「…3年くらい前なんだけど、そこのドーム、戦争になってね。それでドーム殻が破れちゃったんだ。そのときあたしも大怪我してね、今の養父に拾われたんだけど。…そのあと、その木と、カミサマがどうなったか、わからないの。んで、うちのお母ちゃんも、どうなったかわからないの。」

「…そうかい。」

 おばあちゃんはうん、うん、とゆっくりうなづいた。

 春季はそこまで来て、おずおずと口をはさんだ。

「あの、続きは僕が話します。」

 おばあちゃんは春季を見た。

 しわの中に埋没しそうな黒い瞳が鋭く春季をねめつけた。

 春季は圧倒されそうになったが、自分の家族のことはいつきの口からでなく、自分で伝えなくてはならないと思い、ぐっとこらえた。いつきに尾藤家を庇え、というのは無茶だ、自分の仕事だ、と春季は思った。

 するとおばあちゃんはうなづいた。

「よし、そんだら話せ。」

 春季は座ったまますこしにじりでて、話し始めた。

「…僕の母はいつきさんのいた神殿の、同じ系列の神殿にいたらしいんですが、14のときに父と駆け落ちしました。父は当時神秘学を志す若者で、…今は新興宗教みたいなことをやっています。母も、今はそこに。兄4人もそうです。…他には、僕には姉がいます。姉は、ユウさんと仲良くしていただいてます。」

「人数の多い家族だねえ。」

「はい。…父達の教団は教義上、夢を非常に重んじているのですが、いつきさんの故郷のドームの崩壊と時期を同じくして、神から送られてくるとかいう夢が絶えてしまっていました。」

「…それは本当にそうなのかい?」

「夢が絶えたことですか。少なくとも教団内部では、事実でした。僕には確かめる術はありませんが…。ただ、いつきさんは…その間も見ていたとか。親にいわせると、いつきさんは雑魚とは感度が違うらしいです。血統的に、そういう血統なのだとか。」

 おばあちゃんはいつきを見た。いつきは肩をすくめた。

「…うん、そうらしい。…それと、やっぱり距離とか角度とか障害物とかもあるのかもね。あたしやあたしの知合いは同じまちにいたし。尾藤家よりはなんらかの条件が整ってたのかもしれないと思う。」

 おばあちゃんは春季に目をもどした。春季は言った。

「…それで、いつきさんの感度をちょっと利用してアンテナのようなものをたてよう、ということになって。…いろいろ術を。そのどさくさというか…はずみで、僕は…うまくいえませんが、迷子になったというか…」

「穴みたいなところからこぼれおちちゃったらしいんだ。詳しいことはあたしもわからないけど。移動するときに、はぐれちゃったんだ。正規の道から離れちゃったっていうか。」

 いつきが補足すると、おばあちゃんはただうなづいた。

 春季は言った。

「…木の根がからまっているところへ辿り着いて…そこで、すごく大きなものに、約束の履行をせまられました。僕にはなんの覚えもないんですけど…。そのあともう一度別のところへ紛れ込んでしまって。」

「…よく帰ってこられたのう。」

 おばあちゃんはとぼけたふうにも聞こえる口調でそう言った。ユウもうなづいた。

「こっちでは『根の国』と言ったら黄泉の世界、死んだ人たちの世界だよ。…その先にもまだなにかあったってことか。」

 春季は言った。

「…先かどうかはわかりません。ポケットみたいな、納屋みたいなところなのかも…とても暗いところでしたが。…そこに女の人がいらっしゃいまして。」

「おんな。」

「ええ。…その人が、僕をこちらに帰してくださったんです。ただ、そのついでにその人の娘さんあてに伝言を頼まれまして。…ここに書き込むから、と言っていました。」春季はそういって左腕を指した。「…向こうから寄ってくるから、と言われました。それで…やって来たのが、いつきさんでした。でもいつきさんはこれを見たら目が見えなくなってしまって。」

 おばあちゃんは春季の左腕をじっと見た。

「…うむ、言われてみると、少し、なにか見える。」

「…州鉄で会った方に、これのせいでいろいろ人ならぬものが寄ってくる可能性があるから、隠したほうがよいと言われました。」

「…そうじゃのう。」

 おばあちゃんはそう言ったきりだまった。

 春季は、付け足した。

「あのう、頼子さんなら知っているかもしれないから、会って尋ねるように、と。そこからは先ほどお話したとおりです。」

「うむ、わかった。ちゃんときいとるよ。」

 そしてまたおばあちゃんはしばらく黙った。

 それから言った。

「いつき、オマエに、ユウは話したかのう?わしの母や、ばあさんは、代々カミさん関係の仕事しておってのう、なかなか一ケ所に馴染んで暮すということがなかった。わしの母親が、ここにすみついたんじゃよ、村の人がそりゃよくしてくれてのう。」

 いつきはうなづいた。

「うん、少しだけきいたよ。」

「そーかそーか。…わしのばあさんはのう、翠さんでないカミさんを拝んでおったのよ。」

「…そうなんだ?…でも、翠さんは、それでも、おばあちゃんのおかあちゃんを、ここに置いたんだね。」

「…うむ、あちらの世界でいろいろあったようじゃがの、とりあえず両方それぞれが目をつぶるちゅうことで話がついたらしいんじゃ。…オマエは、カミさんたくさんおるとゆーても、ぜんぜん驚かんのう?」

「うん…そうだね、あたし、あんまり、カミさんの実感ないから。…あまりよくしらないから、おばあちゃんがそうだと言うなら、そうなのかもねと思う。」

「じゃがオマエの神殿ではどうだったのよ。」

「カミさんは一人だったよ。でもなんていうか…カミさんは、なんていうか、…うーん、うまくいえないよ。でも、ひょっとしたら他にも、更にカミさんいるかも、って考えは、別にヘーキ。あたしあまり自分の神殿好きじゃなかったし。だからいろんなこと疑ってたし。」

「何をうたがってたんじゃ。」

「…たとえばね、カミサンにとっていいことが、あたしにとってもいいとは限らないかもしれない、とかね。」

「…そうか。…じゃが、疑ったら力が出んじゃろ。」

「でるよ。」

「…じゃあオマエは、そのカミサン拝んでる気でいたかもしれんが、おそらく別のカミサンに支えられとる。」

「!そうなんだ?そういう考え方はしたことなかった。」

「…カミサン同士は、普通あんまり、お互い干渉せんものなんじゃ。でものう、明らかに、性の合わん、水と油みたいなカミサン同士もあってのう、たまにはごちゃごちゃしたり、…あるんじゃよ。それに、やはり大きさや、性質には違いがあってのう。」

「…そうなんだ。」

「…うむ。翠さんは、かなり珍しい方なんじゃ。わしも知合いからいろんなカミさんの話聞くがのう、こういう方は他にはおらなんだ。」

「…へえ。」

「…ユウはのう、ここに残れるかどうかわからん。村に若いもんがすくなくなってしもうての、ひょっとしたら、もう暮らせなくなるかもしれん。だから翠さんとは口をきかせないようにしておる。関係ができてしまうと、切ることはできんからのう。」

「…」

「…あんたは自分のカミさんのこと悟る必要があるのう。まず、万事それからじゃ。それができて、自分のカミさんと気持ちが通じたら、物事が滞らず流れるようになる。その腕の字も読めるようになる。

 …そのためには、水ごりとか、滝行とか、あんたの考えとった修行も、あながち外れじゃない。明日からやりなさい。畑は出なくていいから。」

「…そうなのか。…わかりました。」

 いつきはうなづいた。

 おばあちゃんは春季のほうを見た。そして難しいため息をついた。

「腕のことじゃが…翠さんがやれというのなら、わしはやるしかないがのう。だがどうしたらよいのか正直見当もつかん。少し時間をくれんかのう。知合いにも聞いて、調べてみるから。」

「…!…やっていただけるんですか?…感謝します。時間は…なんとかなりますよね?先輩。」

 春季がふりかえって陽介に尋ねると、陽介はぴくりとして、

「ああ、勿論。降りて下のまちの宿で待てばいいんだし。…もっとかかるなら、週末でも利用してチューブでかっとばしてくりゃ近いもんだし。」

と慌てて言った。

 …ぼんやりと、襖のあたりを見ていたらしい。

 春季もいつきも、奇妙に思った。

 それはユウもそうだったらしい。

 ユウが言った。

「…なに見てたの?」

 陽介は慌てて手を左右に素早く振った。

「いやあ、なにも。いい襖だなあと思って。あ、俺んちも襖で。そろそろ取り替え頃だし。こういうのさがしてみようかなあと。」

 それはいささか白々しい言い訳に聞こえた。

 だが、おばあちゃんは言った。

「ああ、その襖、さりげないけれども、滞在した日本画家さんが、一宿一飯のお礼といって書いて行ってくだすったもんですよ。紹介しますか?別に名のある大先生とかそういう方ではないですけれども、絵は悪くないですしのう。仕事があればお喜びでしょうから。」

「そうですか。じゃあ連絡先だけお聞きしておこうかな。」

 陽介は動じるようすもなくそう言った。そしてさりげなく尋ねた。

「…その方、お年はお幾つぐらいですか。」

「四十の後半ですかのう。これは若いときに書いて下すったものですよ。20才くらいでしたかのう。」

「へえ、二十歳でこれかあ。渋いなあ。…」

 それでスルリと逃げようとしたのだが、ユウに更につっこまれた。

「…ところであんた、何を聞きたくてここへきたのよ?なんで翠さんは州鉄であんたの向かいにすわってみたり、入り口であんたを出迎えたりしたのよ?」

 陽介はユウとは対照的なぬらくらぶりでとぼけた。

「…ここへ来たのはY市でここいらの水のカミサマの大本がここらしいって話をきいたのと、春季の腕のためだ。…もし神社の縁起とか残ってるなら聞かせてもらいたいと思って。」

「それはいいけど、翠さんは…!」

 更に追及しようとしたユウに、おばあちゃんが言った。

「…まあ翠さんは綺麗な男の子が好きだからの。…そんなら坊ちゃん、ここに田中というセンセエが滞在なすってる。その方、T市の大学の文化ナントカ学の助手さんセンセエで、何年もここに通ってましてのう、いろいろ整理もしてらっしゃるから、まずきいてみたら。そのあと聞きたいことがあったらわしが話しますよ。多忙な時季ですんでそれで失礼さしてもらってもいいですかのう?」

 陽介はにっこりした。

「はい、わかりました、そうします。すみません、忙しいときに来てしまって。」

「いやいや、それはかまわんのですよ。こっちがおかまいできんのが心苦しいことです。…ユウ、ちーと田中センセエさがしといで。」

 ユウは不満そうに立ち上がり、陽介をにらみつけてから部屋を出ていった。

「いつき、すまんがのう、わしの部屋の奥の間に白い紙があるから、ひとつかみとってきておくれ。それと、はさみ。」

「うん、わかった。」

 いつきも立ち上がって部屋を出ていった。

 二人の少女がいなくなると、おばあちゃんは言った。

「…ユウは父親が数年前なくなっております。少しイライラしておりますのう、もうしわけありません。」

 頭を下げるおばあちゃんに、陽介は慌てて手をふった。

「あ、とんでもありません。こちらこそそんな大変なときにお邪魔してしまって…あの、お祭りは、見にきてもさしつかえないですか?」

「そりゃもう、是非おいでくださいまし。翠さんも喜びますからのう。」

「…あの、建物の中は、見せていただいてもいいでしょうか。」

「かまわんですよ。田中センセエにたのみましょ。…あ、そうそう、向うのね、縁側というか、廊下。あそこは一人でゆかんほうがいいです。」

 陽介と春季はちょっとひるんだ。

「え、二人ならいいですか?」

「ええ、ま、二人ならね。…それと、…翠さんはおそらく坊ちゃんたちが遊びに来て下すって物珍しく嬉しかったのだろうと思います。ここは女ばかりですから。あまり御心配なさいますな。また話かけてくるやもしれませんがのう、あまり口をきかんで、ふんふん聞いていれば大丈夫でしょう。…ただ、一つ気をつけてくだされ。」

 春季はおそるおそる尋ねた。

「な…なんでしょう。」

「…翠さんと約束ごとをなさってはいけません。」

 陽介も尋ねた。

「ええと?…たとえば、どんな?」

「…田中センセエに、きいてみなされ。いい教訓話をたくさん御存知じゃから。いいですな。たとえむこうが何かをしてくださっても、お礼をあげる義務はない、むしろやらずぶったくりでいなさい。ぼっちゃんたちはとくに、頂き物をする可能性がある。ありがとさんとだけ申し上げておけば、それで十分ですから。わかりましたな?」

 陽介と春季が「わかりました」とうなづくと、すぐに人の気配が近付いて、襖の外からいつきの声がした。

「おばあちゃん、紙あったよ。」

「ああ、入れ。」

 いつきは入って来て半紙の束をおばあちゃんに渡した。

「はい、これ。…何に使うの?」

「ああ、ひとがた切るんじゃよ。なんかあったら困るからの。…ぼっちゃんがた、今日はお泊りでしたのう、ここの部屋をこのままお使いなさい。場所も分かりやすいし。もうじきユウがセンセエを連れて来ますしのう。…いつきはどうする、センセエのお話きくか?聞いてもエエぞ。勉強になる。」

「んー…これからユウと稽古だから、後で二人から聞くよ、おばあちゃん。」

 いつきはどうやらその田中という男が苦手らしかった。

「そうか。んならそうせ。…二人して祭にあんたの舞いを見に来ると。がんばって練習せねば。」

「えーほんとー?そりゃ気張らなきゃね。」

 いつきはそう言ってにこにこした。

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