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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第一部 江戸編
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八話 無音の世界

 亥の刻もすぎ、深淵の闇が全てを包んでいた。

 綿雪が降り積もり、冬の訪れを知らせている。もう師走だと言う事を思い出して、天原陽元(あまはらようげん)は戸を閉めようと縁側へと向かった。

 庭にはうっすらとだが、雪が積もっていた。この分だと明日の朝にはずいぶん積もるだろうと思いながら戸に手を掛けた時だった。

「お久しぶりですね」

 誰もいるはずの無い庭から声がした、慌てて辺りを見渡すと、闇の中かゆっくりと人が現れた。

「……父上」

「おっお前は……」

 その顔を認識して、陽元はひるんだ。それは自分の娘なのだから――。

「お前、なんだその格好は! いやなぜ此処に居るんだ!」

「…………自分の家に帰って来ただけです、別に不思議でも何でもない」

 そう言いながらも、雪光は淡々とした表情で草鞋も脱がずに土足で上がった。

 陽元はその腰の刀に眼をやりながらも、ゆっくりと後退していく。なぜ此処に来たかは分からないが、何をしようとしているかはなんとなく分かった。

「上野ではずいぶんな事をした様ですね、あんな雑魚を集めて何を企んでいたのか……」

「おっ、お前には関係の無い事だ!」

「……関係ない? いいえ大有りですよ、私の友人はあの浅葱裏どもに斬られた、だから私が斬り殺してやった、そして今、私が何をしようとしているか分かるでしょう?」

 雪光は刀を抜いた。決して名刀という訳では無かったのだが、刀は何処か覇気の様な物を纏っていて恐ろしい物に思えた。

「貴方がどうしてあんな事をしていたか私は知らない、知る気もない……。どうせ奉行所の捜査は貴方には及ばない、だったら貴方を裁くのは……私しかいない」

 雪光はゆっくり距離をつめる、もう何も父と語り合う気はなかった。

 ただ彼を殺す覚悟と、彼を殺してから死ぬ覚悟をして来たのだ。

「まて、話せば分かる! これには訳があったのだ!」

「問答無用! もはや貴方と語り合う気もない!」

 雪光は傍に合った壺を蹴り飛ばした、壺は割れてずいぶん大きな音をたてたがそんな事関係無かった。

「さようなら、父上」

 そうして、刀を振りかぶった――。


 ザクッ――という突き刺さる音がした。


「えっ……」

 それが自分の体から出た物だと気が付いた時には、もう痛みがやって来た。

 後ろの脇腹に痛みを感じ、振り返ってみると、そこには見た事もない女の子が立っていた。歳は自分より二、三は下で有ろうその子は、酷く怯えている。

 なぜかと思っていたら、脇腹に裁ち鋏が突きささっていた。

 それでようやく分かった、今自分は彼女に刺されたと言う事を――。

「おっお父様に何をするのですか!」

 お と う さ ま ?

 自分にこんな妹など存在しなかった。それなのに、どうして此処にいるこの少女は、自分の父をそんな風に呼ぶのだろうか、頭が真っ白になった。

 何も考えられなくなっていたから、陽元が刀を振り被っている事に気が付けなかった。


 陽元は雪光を斬った。


 斬撃は、右目と腹を切り裂いた。眼を斬られたので、瞬時に雪光の視界がぼやけ闇が生まれる。

 痛みと衝撃で、雪光は倒れた。体中が痛くて立ち上がる事が出来なかった。

 陽元は雪光を避けて、自分を刺した女の子へと近づき、それを庇うように抱きしめた。

 そうして、何時になく優しい口調で言った――――。


「良くやったぞ、雪」


 雪?

 それは間違えなく自分の名前、此処で今倒れているのは間違えなく『天原雪』だ。

 それなのに、自分を刺した女の子は『雪』。

 父に大切そうに抱きしめられている子が『雪』。

 脅えた表情で、自分を見落とすこの子が『雪』。

 ならば今、此処で倒れているのは一体――――誰だ?

 『雪光』でも『雪』でも無ければ自分は一体何なのか、此処で今息絶えようとしている自分は、一体誰なのか。

(……私は……誰?)

 自分の居場所はどこにもない、急にこの世界を恐ろしく感じた。

 何処の誰でもない自分は、世界中の全てに嘲笑われ、指をさされ、否定されている。

 一体、自分はどこに居れば良いのか、分からなくなった。

(わたし……は……だ……れ?)

 ゆっくりと、目の前が闇に包まれていく。

 もう二度と、覚める事のない眠りが、意識の全てを呑み込んだ。


 『雪光』でも『雪』でもないその人物は――死んだ。




***



 龍久は、必死に馬を駆けて天原家へとやって来た。

 アレから追いかけて来た、頼むから早まらないでくれと思いながら天原家の門を叩いた。

「開けてくれ! 頼む開けてくれ!」

 何度も何度も大声で呼ぶと、陽元が出て来た。

「なんの用かな、こちらは忙しいのだがね」

 相変わらず嫌な男だったが、龍久はその顔を見るや否や胸倉を掴んだ。

「あんたの娘が此処に来たはずだ、雪はどこだ、どこへやったんだよ!」

「なっ何を言っているんだお前は!」

 よほど苦しかったのか、龍久を突き飛ばしむせかえっていた。

 だが、この男がまだ生きているという事は此処にまだ居るはずなのだ。だから必死に食らいついて食い下がる。

「あんたが上野に浅葱裏どもを集めていた事は知ってるんだ! それを知ったあんたの娘が、此処にあんたを殺しにやって来くる事も知っている! でもあんたは生きている、雪の居場所を言えって言ってるんだよ!」

 半ば強引だったが、気迫に押されたのか陽元は口を開いた。

「……ああ、確かに先ほど儂の命を狙ったどこの者とも知れぬごろつきつがやってきましたが、追い返しましたよ、他愛ない物です」

 嫌な笑みを浮かべる陽元、龍久はあらん限りの眼光を向ける。

「そいつはどこに行った! 言え!」

「さあて……そんな事儂が知った事ではない……」

 陽元はそう悪意にまみれた頬笑みを浮かべながら、その続きを話した。


「ただ、この時期の川はずいぶん冷たいでしょうなぁ」


 それは、自分の娘を川に捨てたと言うのか、それがどんなに非人道的か、前々から嫌な男だったが、龍久の中の怒りは限界を迎えた。

「この外道が!」

 陽元を殴り飛ばすと、急いで川へと向かう。

 後ろの方で陽元が何か叫んでいる様に聞こえたが、そんな事知る由もない。

(頼む雪、俺に、俺に償いをさせてくれよ!)

 自分があの日落ちた川、その上流である。水深も有り、大人でも溺れる事があるその川にましてや夜人探しをしようなど、出来る事ではなかった。

「雪! 雪! 返事をしてくれ」

 提灯の光で辺りを照らすが、生物の影などどこにもなかった。

 その時川の中に、岩にひかかって漂っている物を見つけた。

「アレは……」

 龍久はそれを取りに川に入った。冷たい水が、体に突き刺さったがそんな事気にならなかった。ただそれを掴み取る為に手を伸ばした。


 それは、白い襟巻だった。


 龍久はこの時、全てを悟った。

 雪光も雪ももういない、陽元に殺されて川に捨てられたのだ。

 結局何も出来なかった。救う事も止める事も、自分は何もかも出来なかった――。

「雪……雪……」

 もう二度と会えない、もう二度とあの笑顔を見られない、もう二度と名前を呼んでもらえない、もう二度と――――この思いを伝える事は出来ない。

「雪……俺も好きだ、ずっとずっと好きだ」

 龍久は、流れ出る涙を止める事は出来なかった。

 ただ熱い物が、目尻から流れて落ちて行った。幾つも、幾つも、ただ流れて行った。

 龍久の熱い涙は、冷たい川の中に落ちて行って、下流へと向かってく。それがただ空しかった。きっとこの涙さえも雪の元には届かないのだろう。

 龍久は白い襟巻を抱きながら、ただ泣くしかなかった。

 雪の降る夜は、龍久の叫び声を無情にも呑み込んだ。

 

 雪の夜には、ただ無音の世界だけが広がっていた。



***



 元治元年(一八六四年) 四月 京都。

 京都の大通りでは喧嘩が起こっていた。ただ一方的に殴っているだけでほとんど私刑そのものだ。誰も止める事が出来ず、ただ黙って見ている時だった。

「おい、やめねぇかおめぇら」

 一人の男が、殴っていた男を止めた。その腕を掴むその姿は逞しく勇ましかった。

 浅葱色(あさぎいろ)のデイダラ型に染め抜きされた羽織を纏った男。その姿を見た事は無くとも、聞いた事は有った。

「大丈夫かお前? 俺は新選組副長土方歳三だ、お前名前は?」

 長い髪を結い、額当てをした男は、殴られていた自分にそう手を差し伸べてくれた

 少し悩んだが名前を口にした。

「…………龍久、南雲龍久……」

  


 江戸編完結です。

 次回からは舞台が京都に移ります! 新撰組や攘夷志士達の奮闘を描いていきますので、これからも何とぞよろしくお願いいたします。

 京都編 新撰組 次回更新は八月を予定しています!

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