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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第一部 江戸編
8/74

七話 雪華散りゆき……

 

 向かいの部屋には三人の男が、命に別条はない物のどれも酷い怪我で苦しんでいた。

 恐らくコレも雪光がやったのだろう。

「雪光……これからどうするつもりなんだよ」

 何も言えなかった。辻斬りといえども人を殺めたのだ、軽い刑では済まされないだろう。運が良ければ刺青入れられるだろうが、それからどうやって生きて行くのだろうか、いたたまれなくて想像さえ出来なかった。

「……俺のせいだ、俺があんな馬鹿な事言わなければ、雪光はこんな事しなかった」

「龍久……」

 流石の藤田でも慰める事は出来なかった様で、口を噤む。

 どうすればいいのか分からないまま、龍久は座り込んだ。

 その時床に血痕がある事に気が付いた、血まみれの女性物の着物が隣の部屋に脱ぎ捨ててあったが、それとも違う、その結構は裏口へと向かっている。

 つまりこれは、雪光を追いかける最後の足跡だった――。

「藤田! 種村さんをなんとか誤魔化しておいてくれ、俺は雪光の後を追う!」

「でっでもどうすんだよ! あいつを止められるのかよ」

 その問いに答える事なんて出来なかった。

 自信など無かった、だが行かなくてはいけない気がした。もう一度雪光に会わなくて行けない、そうしないと取り返しがつかない気がしたのだ。

 藤田が自分を止める為に何か言ったが、そんな物聞こえなかった。

 ただこの紅い目印を辿って行く事しか、それしか今はなにもない。

 旅館の裏口から路地を抜け、人気がない道を突き進んでいく。このままずっと続いていてくれと願う龍久だったが、無情にもその願いは聞き入れられなかった。

「……ははっ、そう上手くはいかないよな」

 目の前には運河として使われている川がある。ずいぶん深いので到底入る気はしない川なのだが、そこの柵で血痕が途切れている。

 川には血が付いていたらしい羽織が投げ捨てられている。これではもう雪光を追いかける事は出来ない。

 これでもう、全て終わってしまった。

 もう雪光を追いかける事は出来なくなってしまった。

「畜生……畜生おおおおおおおおおおおおおっ」

 冬の空に、龍久の叫びは拡散して、そして溶けて行った。

 無音になったこの場に、空から華が降って来た。

「…………雪?」

 それは、まるで花弁の様に柔らかい綿雪。空から何百何千と降り注ぐその雪はまるで華の様に思えた。

 帰ろうと思い視線を戻した。その時対岸に人影があった。

「あっ……」

 

 それは、雪光だった。


 誰だか分かった時、嬉しさから眼頭が熱くなった。

 だがすぐに、あの凄惨な現場を思い出して、涙は引っ込んで行った。

 どうやって声をかければいいのか、龍久は分からなかった。あの喧嘩の後一言も言葉を交わしていなかったのだ。

「……龍久、本当に来たんだね」

 見かねてなのか、雪光の方から声を掛けて来た。その声は何一つ変わらない、何時も通りの彼だった。それが逆に龍久の胸を苦しめた。

「最後にもう一度、龍久に会いたかったから、良かったよ」

 意外な一言だった、もう二度とあってはくれないと思っていたからだ。

「雪光……あの浅葱裏を殺したのはお前なのか?」

「……そうだよ、僕が殺した」

 一番聞きたくなかったその言葉が、雪光の口から平然と放たれた。それが哀しくてどうしようもなかった。

「あいつがお時を斬ったんだ、だから同じ様に斬り殺してやった……ただそれだけだよ」

「でも! もっとやり方があっただろう! お前が手を下す以外のやり方が!」

「……あの男達は、女を何人斬れるか勝負していたんだ、沢山女を殺した奴が勝ちなんだ、龍久、君と同じだね」

 その言葉に龍久は口を噤んだ、決してそう言うつもりではなかったのだが、とんでもない事を言ってしまった、今更ながら後悔した。後悔してもし足りなかった。

「雪光アレは違うんだ!」

「…………分かってるよ、本気じゃなかったんだろう、それくらい僕にだって分かるよ」

 綿雪を手に乗せて雪光はそれを哀しげに見つめている。それがどんなに切なくて儚い事だろう、今にも溶けてしまいそうな、そんな物に見えた。

「龍久、僕ねもう一度君に会いたかったんだ……どうしてだか分かる?」

 首を振ると、雪光は哀しげに笑った。

「僕ね、ずっと君に言わなくてはいけない事があったんだ、とても大切な事で、大切な事すぎて、僕は君に言えなかったんだ」

ただ黙って雪光の次の言葉を待った。

 雪光は、うっすらと微笑むと、言葉を紡いだ――。

「『私』の本当の名前は、天原雪」



 その言葉で、龍久は全てを理解した。

 雪光が言いたい事が、手に取る様に分かった。なぜ家を追い出されたのか、なぜ勉強や剣術が我流なのか、なぜ何時も仕来たりを嫌がるのか、なぜあんなに仕草が可愛かったのか、なぜ自分の弟になるのを拒んだのか、なぜお時と友達だったのか。

 なぜ、自分が好きになったのか――。


 それは、彼が女だったからなのだ。


 龍久の中で、何かが一つにつながった。そして納得したが、何と言う数奇なめぐり合わせだろうかと思った。

 自分が無きものにした婚約の相手を、自分はこんなにも愛おしく思っていたなんて、一体こんな事誰なら考えられると言うのだろうか、一体誰なら思いつくと言うのだろうか。

 一体誰なら、こんな運命を造れると言うのだろうか――。

「……龍久、婚約の事なら別に怒っていないよ、今はもうそんな事気にもしてない……お時の事だって怒っていないよ」

「……なら、どうして」

 思わず口をついて出た、驚愕のあまりもう頭が付いていけなくなっていた。

 雪光は分かっているのか、少し間を開けて答えた。

「ただね、私は何度も『女』を捨てて『男』になろうとした、自由に生きたくて何度も『男』に成りきろうとした、でもその度に『女』の私が邪魔をするんだ、いつ何をしたって『女』の私が、『男』の私を見て嘲笑うんだ! くだらない事をしていると、可笑しくて笑うんだよ! 吉原でどんなに女に囲まれても嬉しくなんてない! どんなに酒を飲んだって楽しくなんてない! 武士なんて言われてもちっとも誇りだと思えないんだよ!」

 それは、今まで溜めて来た物を爆発させている様な、『天原雪』の悲痛な叫びだった。

「龍久や、藤田君や、おじさんやおばさん、みんな、みんな……私と違うんだよ! 私の中の世界は、この世界とは全然違くて、他の人の思っている事や感じている事と、私の考えている事が違うんだよ! 違いすぎるんだよ!」

 鈍感な龍久でも分かった、『天原雪』は今、泣いている。

 一体どんな思いで、『雪光』をしていたのか龍久には分からない。でもずっと葛藤していたんだと思う、あの小さな体を、今すぐにでも抱きしめて上げたかった。

 こんな運河が無ければ、今すぐにでも傍に行くのに――。

「……龍久、お時はどうして死ななくちゃいけなかったんだろう、女だから? 貧しかったから? 君が使いに出したから? 私が引き止めなかったから?」

 雪光は何時だって頭が良くて、皆から一目置かれていた。

 自分の考えなど、雪光にとっては所詮凡人の浅知恵で、いつも先へと一人行ってしまっていた。だから、今こうやって苦しんでいるのだろう。

「……雪光、罪を認めて償ってくれ、なんとかしてお前の罪を軽くするから、頼むから、俺に償いをさせてくれ!」

「罪……そうか、私はもう罪人なんだね、あんな男を斬っただけで罪人なんだ」

 まるで羽虫でも殺したかのように、その言葉は軽い物だった。

 そんな言葉さえも、今の龍久の心に突き刺さり、大きく抉る様だった。

「……龍久、あの浅葱裏達の金を用立てた人間がいる事、君は知ってるかい?」

 たしか、種村がそんな事を言っていた様な気がする。頷くと複雑そうな表情を浮かべた。

「あの店の帳簿にね、書いてあったんだよそいつの名前が、偽名だったけど、私にはそれが誰だか分かったよ」

 そう哀しそうな表情で、教えてくれた。その自分の名前を――。


「私の父、陽元だったよ」


「そんな……」

 口をついて出たその言葉は、意味など持ってない。

 雪光が置かれたその状況を知って、不意に出た言葉だった。

「きっと適当な手ごまが欲しかったんだと思う……でも、あの人があんな危険な奴らをこの街にとどめておかなければ良かったって思うんだよ……」

 その哀しげな顔を見て、龍久は全てを悟った。一体これから何をしようとしているかを。

「お前……自分の父親まで殺すつもりなのか! 止せよ、たった一人の肉親だろう!」

 雪光に母親はもういない。そう言っていた。それでももう家族が誰もいなくなると言う事だった。これには何も答えてはくれなかった、だがそれでも十分分かった。

「……龍久、私は本当に楽しかった、こんな形で終ってしまうのはすごく残念だけど、みんなで過ごした私の日々は、とても煌めいてるよ………、君と過ごした日々は私の中でとても素晴らしい物だったんだ……」

 雪光はそう言うと胸を抑えた。それがどういう意味か分からない。

「龍久、あの日ねずっとこれを言いたかったんだ」

 雪光はそう哀しく微笑みながら、言った。


「龍久、私は貴方の事が好きです」


 それがどんなに嬉しい一言だっただろうか。

 驚愕と喜びで龍久の心は張り裂けそうだった、一体自分がどれ程思っていたか知っているのだろうか、知っていてそんな事を言っているのだろうか。

「でもね龍久、私と貴方の見ている方向は全然違くて、同じ方向を向いていなかったんだ、だから、どんなに私が貴方を思っていても、分かりあえなかったんだ……それが今とても哀しいんだ……」

 雪光は上を向いた。まるで花弁の様に待って落ちてくる幾千万もの雪華を見つめながら、ただ哀しみを拭っていた。

 そして、もう一度龍久の方を向いた。

 それは手にとっただけで溶けてしまう雪華(せっか)の様に、儚くて、哀しかった。


「こんな気持ちになるんだったら……あの日君を助けるんじゃ無かったよ……龍久」


 あの日、偶然通りかかった雪光に助けてもらわなければ、自分は死んでいただろう。

 その出会いに何度感謝しただろう、無二の親友となり、ついには思いを寄せる様になり、本当に楽しかったあの日々を――――雪光は否定した。

 それほどの哀しみを、龍久は雪光に与えてしまったのだ。

 出会った事さえも否定するほどに、全てを疎ましく思うほど、傷つけてしまったのだ。

「……さようなら龍久」

 そう言い残して、雪光はあらかじめ用意してあったのか、馬を呼んでそれに跨った。

 白い襟巻は風になびいて本当に美しかった、だが無情にも馬は走り出した。

「雪光、雪光…………雪! 待ってくれ雪ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 龍久の慟哭(どうこく)は、幾千もの雪に呑みこまれて、溶けて行った。

 もう雪光には、届きはしなかった――――。



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