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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第四部 決戦編
66/74

六三話 運命

 


北の大地に、冷たい春の風が吹く。

 春の風だと言うのにそれはまだ肌寒くて、どこか虚無感を煽られる。

 土方はただ睨みつけていた、目の前に居る『彼』にあらぬ限りの怒りを向けた。

「何してやがるんだ、龍久!」

 怒れる土方に口を開いたのは、しばらく経った後だった。

「……お久しぶりですね、土方さん」

 そう言って、乱れた白髪を掻き上げる。

 その顔を見間違えるはずがない、間違えなく南雲龍久その人である。

「てめぇ何の冗談だ! 冗談にしても達がわりぃぞ!」

 わざわざ『夜叉』の振りをしてこんな所まで来て、村正の切っ先を向けるなど、正気の沙汰ではない。

「……言ったじゃないですか、必ず会いに行くって」

「ふざけんじゃねぇ龍久!」

 白髪以外の顔も声も、全て龍久の物だ。

 だがその雰囲気は違いどこか腹が座っていて、あの龍久とは到底思えなかった。

「その髪も、その左利きも! てめぇ一体何を考えてやがるんだ!」

「…………出来れば、何も知らずにいて欲しかったんですけどね」

 龍久は小さく息を吐くと、土方の方を真っ直ぐ見つめる。

 その顔は新選組に居た時に見た事が無いほど、何かを悟った表情をしている。

「俺は、『運命』を視たんだ」



***



 数ヶ月前 会津若松・山奥。

 雪を身を挺して爆風から守り傷ついた玉藻の前で、龍久は絶望していた。

 そんな彼に、玉藻は一つの道を提示する。

「少しだけ……教えてあげましょう、この先の『運命』を」

「……『運命』?」

「『運命』は変える事が出来ます、ならば貴方が求める未来を、己が手で掴み取ればいいだけの話」

 そして玉藻は、何も理解できずに呆然としている龍久の額を、そっと小突いた。

 それと同時に龍久を、酷い頭痛が襲った。

「うあっ――」

 痛みから目を閉じると、頭の中にいろんな物が流れて来るのを感じる。

 知っている人の声、知らない人の声。

 見た事ある光景、見た事ない光景。

 起った出来事、起こらなかった出来事。

 あった未来、あるはずだった未来。

 それらが、龍久の頭の中を一瞬で駆け巡って行く――。

 これは全て過去の事。選んだ『運命』の道と、選ばなかった道。

 そして過去が終わり、現在が過ぎ去って行き、そして最後にこの先の『未来』へと進んで行く――。

 闇の中を切り裂く眩い光と共に、求める未来が見えた――。



 眩い光の中二つの人影が見えた。

 一つは金髪の異人で、西洋の男物の服を身に着けている。

 もう一つは背が低く、西洋の女物の服を身に着けている。

 二人が着ている物と街の景色から、それが異国の光景だという事が分かった。

 仲睦まじく歩く二人。ふと女が男の方を向いて、その顔が見えた。


 それは満面の笑みで微笑む、雪だった。


 そこにはどんな哀しみも無い、心の底からの微笑みだった。

 それは、龍久が何よりも望んでいた光景だった。

 何が何でも手にしたい『運命』だった――。

 


「……これが、『運命』の指す未来です」

「……とう、……のか?」

 龍久は両の眼から涙を溢れさせて、そう呟いた。

 この涙は先ほどまでの哀しみの涙ではない、未来へ希望を抱く喜びの涙だ。

「本当、なのか? 本当にこんな未来があるのか……?」

「後は貴方次第ですよ……南雲龍久」

 そう意地の悪い笑みを浮かべて――陰陽師玉藻は死んだ。

「…………」

 玉藻だった物を見ながら、龍久は涙を拭いた。

 もう涙を流す必要などないのだ、彼は一つの『未来』を垣間見たのだから。

「……雪が笑えるのか、雪が幸せになれるのか?」

 江戸に居た頃よりも、ずっとずっと幸せそうな笑顔だった。

 それは龍久が他の何よりも望んだものだった。

「……異国、そこに行けば」

 あの時見えたのは異国の建造物と景色、そして異人の男の姿。

 これが意味する事は、龍久の頭でも理解できた。

「異国に居るあの男が、雪を幸せにしてくれるのか……」

 そう言って龍久は微笑んだ。その笑みはどこか清々しい物だった。



 土方に別れと、再会の約束をした龍久。

 まず彼が行ったのは、左利きへの矯正だった。

 計画を実行するには利き手を同じにする必要があった。

 柴刈りに行くふりをして、葛葉にもばれない様に左手で刀を振るう練習をした。

(……右手を使えない様にしよう)

 右手に包帯を巻いて、あえて使えない様にした。

 完全に利き手を変える訳ではない、ただ左手で刀を扱える様になればいい。龍久は何度も左手で刀を振り被り、振り下ろした。

(もっと速く、もっと正確に!)

 横に振るい、縦に振るい、斜めに振るう。

 何度も何度も刀を振るって、体にひたすら左手の戦闘を感覚を覚えさせた。



「こんな事言いたくはないんだが……お前がそう感じているだけかもしれない」

「……はっきり言ってくれよ、葛葉」

 龍久に言われて葛葉は腹を括り、話した。

「もしかしたら、殿下の『呪』はまだ解けていないかもしれない」

 葛葉の言葉に、龍久は何も言わずにただ耳を傾けた。

「陛下は確かに『手当て』を行った、本来心に深くかかわる『呪』は、時間を掛けてゆっくりと解く必要があるのだが、あの時は仕方がないとは言えども、ほとんど一瞬しか『手当て』が出来なかった」

「……そんな事無いよ」

「龍久、殿下は陛下を失ったショックから塞ぎ込んでいたが、今はそれから回復したし、蝦夷の長い冬は――――」

(そんな事無いよ葛葉……)

 懸命に説明する葛葉の言葉は、龍久の頭には入って来ない。

(そんな事、ないんだよ葛葉)



「本当は筍御飯にしたかったんだけど、これは小さくて量が足りなかったんだ」

「十分だよ雪、とっても美味いよ」

 龍久がそう言うと、雪は嬉しそうに微笑みながら、でもちょっぴり恥じらって言う。

「今度、一緒に筍御飯食べようね……」

「…………」

 その言葉に、龍久は直ぐには答えなかった。首を傾げながら葛葉が声をかける。

「……どうしたんだ? 龍久」

「……いや、喜びのあまりぼーっとしてた」

「おいおい、しっかりしてくれよ」

 そして三人は笑いあった。

(無理だよ雪……俺は食べられないんだよ)

 龍久は言葉にも顔にも出さずに、ただ笑う振りをした。

(その頃には、俺はもういないんだよ――雪)



「分かった分かったよ、まぁ俺もご馳走になってしまったからな、最上級の菓子を買って来てやるさ」

「……ありがとう葛葉」

 葛葉はふわりと宙に浮かんだ。龍久はそれを黙って見上げていた。

「じゃあまた明日、何時もの場所でな」

「……ああ、また明日」

「あっ……龍久、今日話した『夜叉』の事だが……忘れてくれ、あれは俺の取り越し苦労だったみたいだ」

 今の雪が『夜叉』のはずがない。葛葉は彼女と接してそう確信できた。

 龍久は小さく微笑んで、深く頷いた。

 葛葉はそれを見て、星が輝く夜空へと飛んで行った。

「……ごめん葛葉、明日はもうないんだよ」

 龍久はそう呟くと、小屋へと戻って行った。すると縁側に見慣れない壺が、一つ置いてあった。

「……なんだコレ」

 一緒に手紙を添えられていた。龍久はそれに目を通すと、手紙を懐へ入れて戸を開けた。

「お帰り、もう寝る準備できてるよ」

「ああ、ありがとう」

 そう笑顔で返しながら、龍久は水瓶の後ろに壺を隠した。



 夜が更けて星がきらめきを増した頃、龍久は目覚めた。

 まだ辺りが闇に包まれていて、隣で眠る雪でさえも寝息を立てて眠っている。

 そんな彼女の姿を暫く見つめて、龍久は起き上がると水瓶の裏に隠した壺を手にした。

「…………」

 提灯の明かりを持って、小川へと歩いて行くとその横に座った。

 そして壺の中から、刷毛の様な櫛を取り出すと、中に入っている白い半液体状の物を髪へと付け始めた。

「ぐっ……ううっ」

 液体が地肌に当たると激痛が走る。焼ける様な痛みがするが龍久はそのまま、髪に塗り続けた。壺の中身の液体を全て塗り終えると、懐に入れて置いた手紙に視線を向ける。

 綺麗な女の字で、文字が綴られていた。

『南雲龍久殿

 これは必要ないならば地面に埋めてしまいなさい。

 この刷毛で髪に薬を塗り付けなさい。

暫く後湯で洗い流す事、尚痛みを伴う事もあるでしょう。

 後は、貴方次第ですよ。

                                玉藻』

 一体何時やって来たのか、それとも何か術でも使ったのだろうか。

 自分や雪だけではなく、葛葉にまで気づかれずにこんな物を置くなど、やはり玉藻は一枚も二枚も上手という事になるのだろう。

「……俺次第か」

 地面になんて埋める訳がない、あの日龍久は決めたのだ。

 雪はもう『夜叉』ではない、彼女の中の闇はもう消えた。彼女にはこれから、幸福の未来があるのだ。

 龍久は沸かした湯を頭から被った。

 薬が湯に流されて行き小川と合わさってそのまま下へ下へと流れて行った。

「…………」

 満点の星空が見下ろす中、龍久は水鏡を覗き込んだ。

 星の明りで照らし出されたのは、白髪の自分の姿だった。

「……ははっ、すごいなこれ」

 少し痛みはあったが、こんな短時間で髪の色が抜けてしまうなど、きっとこれは未来の技術だ、葛葉が聞いたらきっと怒るだろう。

 これで最後の準備が整った。

「……よしっ」

 龍久は小屋に戻ると、箪笥を開けて着替えと荷物を取り出した。

 すぐ横では雪が寝ているので、起こさない様に慎重に行う必要があった。数カ月前まで当たり前に着ていた、黒い西洋の服。一年前に土方から受け取ったものだ。

 洋服に袖を通して、笠を被った。そして靴を履こうとするのだが、失敗した。笠が邪魔をして靴が履きにくい。

(……順番間違えたな、先に靴を履くんだった)

 笠が邪魔で視界が悪く、なかなか靴を履く事が出来ない。

 後ろの居間では雪がまだ眠っているので、起こさない様になるべく静かにしている。

(ああ、履けた履けた……次は左っと……)

 龍久が今度は左足で格闘を始めた時だった。

「…………」

 その後ろに、まるで幽霊の様に佇む雪の姿があった。

 薄暗く顔の表情は読み取れない、更に龍久はその存在に気が付いていない。

「…………」

 そしてその細い手を伸ばしたかと思うと、龍久の首目掛けて腕を回した。

「――っ!」

 驚き声も上げられない龍久、首を締め上げられて、ようやく雪の存在に気が付いた。

(まさか、そんな……)

「……たぁつひぃさぁ」

 冷たく、感情の読めない声が龍久の耳に吹きかけられる。それが指し示す物が一体何か龍久はようやく理解できた。

 そして雪はその口の両端を吊り上げて、微笑んだ。

「……あはっ」


「……ゆっ雪、どうしたんだ?」

 龍久は首に回された雪の腕をそっと撫でると、そう尋ねた。

 すると雪は龍久にすり寄る様に、その背中に顔を密着させる。

「……龍久、どこか行くの?」

「ああ、今日はちょっと早めに出かけようと思ってさ、起こしてごめんな」

 雪は寂しさのあまり抱き付いて来たのだが、龍久は今座っているので、背格好的に腕が首に回ってしまったのだ。

「すぐに戻るから、俺の事は気にしないでいいから、寝ててくれ」

 そう言って龍久が荷物に右手を伸ばした。

 しかし龍久の右手よりも先に、雪の右手がそれを掴んだ――。

「おい、雪ぃ!」

 龍久は思わず怒鳴ってしまったが、そんな事関係なく、雪は居間の隅へと逃げた。

そして奪い取ったそれを抱きしめながら叫んだ。


「なんで、なんで柴刈りに村正が要るの!」


「…………」

「答えてよぉ、これはずっと箪笥の奥にしまってたよね……もうっ、もうこれは必要ないはずだよ、私にも龍久にも……」

 雪はどこか脅えていた、少し不安そうな顔で龍久を見つめる。

 だが雪には笠を深く被った龍久の表情を読み取る事が出来ない、それがどこか不安でならなかった。

 龍久が何を考えているのか分からなかったのだ。

「答えてよ、なんで洋服なんて着てるの……町じゃなくて本当はどこに行くつもりなの」

「…………」

 龍久は少しの間考えたが、観念したのか靴を脱いで居間に上がって来た。

 それを見て雪は龍久に少し近づいたが、村正を強く握りしめて、絶対に離さなかった。

「龍久……答えてよ、どこに行くの?」

「…………雪」

 龍久は深く被っていた笠の紐に手をやると、その結び目を解き、笠を取った。

 雪の眼に映ったのは、白髪の龍久であった。

「――――っ!」

 自分と同じ真っ白な髪に、雪は声を上げられぬほど驚いた。

 昨日は間違えなく龍久の髪には色があった、それなのに今は抜け落ちている。

 雪だって、完全に色が抜け落ちるまで何年もかかったのだ、それが一晩で白髪になるなど考えられない。

「なっ……なんで……」

「雪……」

 そう小さく呟いた時だった――。

 

 龍久が雪の腹を殴った。


「あっ……」

ちょうど鳩尾。すぐに激痛がやって来て視界が薄れて行く。

龍久の髪に目を奪われていて、死角からやって来た拳に気が付けなかった。

「雪、ごめんな」

 龍久は崩れゆく雪を優しく抱きしめると、そう小さく謝った。

 それはどこか哀しみを帯びているが、何か喜びの様な物も感じる小さな謝罪だった。

「た、つ……さぁ」

 握りしめていた村正が、音を立てて床に落ちた。

 雪は最後の力を振り絞って、薄れ行く意識の中必死に龍久へと手を伸ばした。

 か細い指が、龍久の胸を握り締めた。どこへも行かせまいと、強く握りしめるのだが、すぐに力が入らなくなり、その手も力なく崩れ落ちた。

「…………ごめんな雪」

 完全に意識を失った雪を、龍久は強く抱きしめた。その感覚を少しでも味わいたいと、頬を摺り寄せた。

 しばらくしてからようやく龍久は雪を布団へと寝かせた。寒くない様にしっかりと布団を掛けてやった。

「…………雪」

 最後に乱れた髪を直してやると、龍久は立ち上がった。

 そして靴を履こうと土間へと向かったのだが、その時ふと箪笥が目に入った。

 ろくな物は入れていなかったが、龍久は一番下の段の小さな引き出しを開けた。


 それは、白い襟巻だった。


 あの日雪がお時に巻いてやって、あの雪の日に冷たい川で龍久が拾い、それ以来ずっと大切にしてきた物。

 本来は隠居した人間が首に巻く物だが、龍久はどうしてもこれを巻いてゆきたくなった。

「……これは、俺が貰って行ってもいいかな?」

 そう尋ねるが、持ち主である雪が答えるはずもない、龍久は襟巻を巻くと床に落ちた村正を拾い上げて、靴を履いた。

 そして小屋から出ると笠を深く被り直して、最後に、懐に隠していた仮面を自分の顔にあてがえた。


 それはまるで『夜叉』の様だった。


 そして『夜叉』は、最後に小屋の中で眠っている彼女に向かって言った。

 哀しみと愛情の全てをそこに込めながら――。

「さよなら、雪」


***


「そして俺は、新政府軍の船に紛れ込んで、ここまで来たんですよ」

「ふざけてんのか、それが答えになると思ってんのか!」

 土方は激怒していた。無理もない、よもや龍久がこんな恰好で自分の所に来るなど、考える事さえ出来なかっただろう。

「……そんなに怒らないで下さいよ土方さん」

「おちょっくてんのか……、お前はそんな恰好で俺の所に来た、恰好だけじゃねぇ利き手を矯正して、背丈は体勢を低くして誤魔化して、そこまでしててめぇはあの女になり切ろうとしていた」

 外見と村正で完全に騙されてしまった、全くの別人なのだから背が高く見えたのは当然の事だったのだ。

「土方さん、俺は貴方に比べれば頭が悪くて学もないけど、一生懸命考えたんだよ……こんな恰好するのは、雪しか……『夜叉』しかいない、そうでしょう?」

「……まさかお前」

 ようやく土方にも龍久の考えている事が分かった。

 だがそれはあまりにも愚かな考えだ――。


「お前が、代わりに『夜叉』になるつもりだったのか」


 龍久は静かに笑っていた。

 土方は目の前に居るこの男が龍久なのか、一瞬分からなくなった。雰囲気がまるで違う、どこかで何かを悟り、まるで他人事の様に無関心に見えた。

 まるで何もかもどうでも良いかの様に――。

「『夜叉』は……俺ですよ、土方さん」

 蝦夷の冷たい風に、真っ白な襟巻が靡いていた。

 その光景はたったそれだけの事なのに、なぜかとても物哀しげに見えた――。



***


 どうすれば罪を償えるか、ずっと考えて来た。

 どうすれば彼女が幸せになれるのか、ずっと考えて来た。

 だから考えて、考えて、この結論に達した。

 雪が一番幸福になれる方法を――龍久は実行する為に、此処にきたのだ。

 酷く冷めた目で、龍久は土方を見つめると、静かにその言葉を口にした。


「土方さん、俺は『夜叉』として、貴方を殺しに来たんですよ」


 龍久は村正を再び構えると、その切っ先を土方へと向ける。

 その刃に迷いなどなく、ただ土方に狙いを定めている。

 幸福。龍久はそう言うが、実際彼がやった事は土方に刃を向けると言う行為だ。

 彼を殺す事で、雪が幸福になるとでも、本当に思っているのだろうか。

「それでてめぇは、そんな恰好でここに来て、俺に刀を向けたのか!」

「…………はい、だって『夜叉』は『鬼』を殺す為に生まれたんだから、俺は『夜叉』だ、だから『鬼』を殺す……それだけですよ」

 そう言う龍久の表情には、何の感情もない様に見えた。

 それは馬鹿で人の心持ちなど考えなくて、これだと思ったらこれしか信じなくて、乙女心と言う物を何一つ分かっていなくて、それでも嘘が無く素直で小気味が良い、あの龍久とは全く異なっている。

「ふふっ」

 しかしそんな状況にも拘わらず、土方は小さく笑ってから、口を開いた。

「嘘をつくんじゃねぇ、お前は俺を殺しに来たんじゃねぇ、そんな安い挑発に乗ると思ってんのか?」

「…………」

「おめぇはさっき俺の攻撃を避ける所か防ごうともしなかった……、確かにおめぇにはあの女の様な回避能力はねぇが、あれぐらいなら防げたはずだ」

 長年一緒に居たから分かる。龍久ならばあれぐらい防いだはずだ。つまりあのだまし討ちの斬撃を、龍久は受けようとしていたのだ――。

 土方は、静かに龍久を睨みつけながら、その言葉を言った。


「おめぇ、死にに来たのか」


 土方は怒っていた。だがそれは無理もない事だった。

 新選組の仲間に刃を向けられて、更にはそいつはわざと殺されようとしている。これでは怒らずに居られない。

「……はぁ、本当に土方さんはすごいや……ひょっとして俺の考えなんて全部御見通しなんじゃないんですか……」

「うるせぇ、とっとと質問に答えやがれ!」

 土方に睨みつけられて、龍久は観念したのかため息をついてから、口を開いた。

「『呪』が解けなかった『夜叉』は『鬼』を殺す為に蝦夷へやって来たが、死闘の末に『鬼』に返り討ちにされる……、陰陽師が『夜叉』を探し当てた頃には全て終わっている」

 『夜叉』の格好をして土方と戦う事によって、陰陽師に本物の雪だと思いこませる。

 そして自分がこの姿のまま死に、雪だと思いこまれれば、陰陽師は身勝手な野望を諦めざる負えないだろう。

「馬鹿言うんじゃねぇ! 俺だって気づいたんだ、てめぇの正体なんざ直ぐにボロが出るに決まってんだろうが!」

「いいや、例え奴が偽物だと気がついてももう遅いんだ、雪はもう船に乗ってる……異国に向かう船の上だ、今から後を追っても、追いつくはずがないんだ。雪は異国の空の下で幸せに暮らす、これが、俺が立てた筋書きですよ土方さん」

 例えバレて陰陽師が雪の後を追おうとしても、もう雪は一月も前にこの国を出ている。今頃は何処かの港に着いた頃かも知れない。この国で探し出すのに五〇〇年もかかった『神』だ、それが世界になったら、最早探し出すのは不可能だろう。

 だから、龍久はここで少しでも長く『夜叉』の振りをする必要があるのだ――。

「あいつを国外に逃がす為に、てめぇは囮になろうってのか! それも……てめぇの命を捨てて!」

「捨てるんじゃない! 土方さん、俺は決めたんだ……あんたが言った通りに、この背中に背負う物を、その為にこの命を使うだけだ!」

 今こそ、全ての罪を清算する時なのだ。

 婚約を破棄し、彼女の肩書きを傷つけ。

 お時に酷い言葉を掛け、彼女の心を傷つけ。

 菊水を守れず、彼女のたった一人の家族を失わせた――。

 だからこの罪を、今こそ全て償わなければならない。

「俺が奪った幸福は、幸福で返さなきゃいけないでしょう……土方さん」



「はんっ」

 龍久の覚悟の言葉を、土方は鼻で笑った。

「お前は正真正銘の馬鹿だ! このバカ久!」

「――っ!」

 突然の罵倒に龍久は驚いた。

 ただ自分の覚悟を言っただけなのに、こんなに馬鹿にされるなど思ってもみなかった。

「あの女の為だぁふざけるんじゃねぇ? おめぇは自棄を起こしてるだけだ、あの女の隣にいられるのが自分じゃねぇから、おめぇは妬いてるだけなんだろうが!」

「……違う」

「違わねぇ、おめぇはただ未来を従順に受け入れた振りをして、本当は諦めたんだ、諦める事で自分のこの行動を正当化して、それで無理矢理正論に持ち込もうとしているだけだ」

「違う!」

「本当にあいつを幸せにしてやりたいんだったら、他人任せになんてしねぇで、てめぇが自分でそうしてやれば――」

「五月蠅い黙れぇぇ!」

 龍久は村正を振りかぶりながら、土方に向かって走る。

 振り降ろされた斬撃は、重くて強いが、酷く迷いが見える。

「あんたに何が分かるんだよ土方さん! ずっとずーっと雪を救おうと、幸せになってもらいたいと思っているのに、何時だってそれは間違いで、正しい答えに行きつけなくて、苦しむ俺の気持ちがぁ!」

 雪の為と思いした事は、何時だって逆に彼女を傷つける結果になった。

 菊水だってそうだ、やっと見つけた希望だったのに、ほんの小さな糸口さえも消えて無くなった。

「――くっ!」

 土方は村正の一撃を兼定で受け止める、ガチガチと刃が噛み合い、音をたてた。

「俺はやっと、やっと見つけたんだ、やっと正解を見つけたんだ! 雪が絶対に幸せになれる未来を! 『運命』を! 俺はその未来を必ず掴み取らなくちゃいけないんだ!」

 龍久は力任せに村正を振るう、左手だと言うのに力が強く、土方の腕ごと兼定を後ろへと吹っ飛ばした。

「ぐっ!」

「その邪魔をするなら、土方さんでも許さない!」

 そう叫びながら、龍久は無防備になった土方へと追撃をしかける。左から右へ掛けての真一文字の一撃。

「――うるせぇぇ! このバカ久ぁ」

 だがその程度でやられる『鬼』ではない。

 土方は龍久の腹を思い切り蹴り飛ばした。男を吹き飛ばすほどではないが、力が強い、胃液が逆流しそうになるのを、龍久は耐えた。

「うっうぐっ……」

 右手で口を押さえていると、土方の拳が視界に入って来た――。

 急いで防ごうと思ったが、何もかもが遅かった。

「頭を冷やしやがれぇ!」

 土方の鉄拳が、龍久の頭に向かって振るわれる。

 こめかみ当たりに炸裂した拳は、仮面を飛ばした時よりもずっと強くて重い。

 龍久の体は地面に叩きつけられて、うつ伏せに倒れた。

 土方は息を荒げて小刻みに息を吸いながら、彼を見下ろす。

「おめぇは……俺に『鬼』に成るなと……あの女の様になるなと言ったんじゃねぇか、そのてめぇが、『夜叉』になってどうするんだ!」

 会津に居た時、龍久は『夜叉』の様になろうとしていた土方と引き留めた。

 そんな事寂しいだけだからと、そう言って説いたのだ。

 それなのに今――その彼自身が『夜叉』になろうとしていた。

「……じゃあどうしたらいいんですか土方さぁん。結局俺達、全部間違ってたじゃないですか、新政府軍の奴らが正しくて、俺達は間違い……もうこの国に武士なんて無くなっちまうんですよ、そんな中で俺、どうやって生きてけば良いんですか……、誠の武士になろうと思って、あの日俺を助けてくれた土方さんの様になりたいと思って、新選組に入ったんですよ……俺には近藤さんの様に身を呈して仲間を助ける事も、斎藤さんの様に恩義の為に戦う事も、土方さんの様に最後の最後まで抗う力も無いんですよ……そんな俺が、武士が無くなって雪がいないこの国で、どうやって生きて行けって言うんですか」

「……龍久」

 龍久は蹲り、涙を流して泣いていた。

 もうこの国に武士と言う物は無くなるだろう、将軍家は完全に消滅して、これからは西洋式の政治にきりかわる。そんな時代の流れに、着いて行けるはずがなかった。

「何の志も抱けず、ただ時代の流れに押し流されて、苦しみに潰されて生きながらえるのは、死ぬ事よりもずっと辛いんじゃないんですか…………だったら俺は、俺はここで雪の為に死にたい」

 最早武士の時代は終わった。

 時代の波に乗り切る事が出来なかった者達は、生き方を見失い、ただ押し流される事しか出来ない。これから始まる時代が、怖くて仕方がないのだ。

「……俺、結構頑張ったと思うんですよ…………土方さぁん」

「…………」

 土方には、もう彼に掛けてやる言葉が無くなってしまった。

 彼が抱いている思いは、土方自身も感じていた事だ。

 武士の時代は終わる、これは変えられない大きな流れ。

自分達はこの生き方しか知らないのだ、この大きな流れを不安に思い、絶望を感じるだろう。

 絶望の中、あるかさえ分からない希望に縋って生きて行くのは、あまりにも辛い。

 だから簡単な言葉など、掛けられるはずがなかった――。

「……龍久」

 土方は励ましの言葉の代わりに、兼定を振り上げた。

 それを見て、龍久は小さく微笑み、首を差し出す様に頭を下げた。

 その刃が、何よりの救済であり、救いの手だった。

「……ありがとう、土方さん」

 龍久はゆっくりと眼を閉じた

それが全て受け入れた覚悟であり、彼が望んだ結末だった。

 脳裏に浮かび上がったのは、愛する彼女の顔。

 二度と見る事が出来ない満面の笑みが、鮮明に浮かび上がって来た。

(…………雪)

 そして――救済の刃は振り下ろされた。




 その時、まるで雷鳴の様に空を引き裂く銃声が響いた。


 発砲音が、蝦夷の広大な大地に拡散して行く。

 土方と龍久は、それぞれ驚きを隠せなかった。放たれた弾丸は、明らかにこちらに向けられた物だが、二人は撃たれていない。

 一体何が起こったのか分からない彼らの耳に、その言葉が飛び込んで来た。


「龍久ぁ!」


 それは澄んだ声で、今にも溶けてしまいそうなくらい清らかだった。

 胸の中がざわついた。心臓が破裂するくらい脈打って、耳の奥の方で自分の心臓の鼓動が鳴っているのが聞こえた。

「……あっああ」

 龍久は顔を上げた。本当は見たくなかったが、見なければならなかった。

 確認しなければ、ならなかった――。

 染み一つない白髪に白皙に、色の薄い瞳。

 右目には古い刀傷があって、宵闇を絞った様な黒い西洋の服を着ている。

 肩口ほどに切られた白髪は、風に靡き乱れているが、その合間から顔が見える。

 そして銃口から煙を上げる短銃をこちらに向けて、こちらに向かって歩いて来る。

「なんで……」

 全てを擲った男の前に、『彼女』はやって来た――。

 それは、天原雪だった。



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